3-1 一歩
よくわからないけれど、何か夢を見ていた気がするんだ。
その夢は、最初の方は冷たいけれど必死な思いを感じた。
途中からはささやかながらも暖かく、確かな幸せを感じた。
そしてその後には、心を裂かれるほどの痛みと絶望や後悔に満ちたとても辛い思いを感じた。
最後は、二度と手に入らない何かを求めているように、そしてそれを望んだことを後悔しているように感じた。
どうしてだろう。
この想いは、とても大事なものだと思うんだ。
誰かも知らない人の、最後に感じたひたすらな願い。
あの頃の幸せを、もう一度取り戻したいと願うその心が……とても尊いものだと。
私は、この人の事を知らない。何があったのかは知らない。取り戻したいと願うその幸せが、どんなものか知らない。
何もかも知らないし、わからない。
だけどこの想いは、この願いはきっと――叶えなければならないと思う。
これは、彼女だけのものでは無いと思うから。私の内に眠るものも、同じことを願っていると感じるから。
――だから私は、知らなければならないだろう。内に眠るその全てを。
――だから私は、楔にならなければならないだろう。二人を繋ぎ合わせるため。
――だから私は、立ち向かわなければならないだろう。二度と、このような悲劇が生み出されないために。
それが、私の生まれた意味だ。これだけは誰にも否定させないし、侵させない。
絶対の、私だけの唯一無二。
「……あれ、わたし……は」
気がついたとき、私はベッドの上に横になっていた。
この天井からすると、女神の宿場の私の部屋……かな。眠っていたのなら、どうしてここに居るんだろう。
眠るなり気を失うなりしたら、一時間経ったらログアウトするはずだよね。だとするなら、ここで目が覚めるまでの間は一時間も経ってないのかな。
「よかった、目が覚めたんですね」
「くり……あ?」
「ええ、そうですよ。トア、気を失う前の事は覚えていますか?」
気を失う前の事……?
確かクリアと一緒にプールに行って、シズクとエルに会って、他の皆とも合流しようとしてそれから――それから?
それからどうしたんだっけ、何も覚えてない。何か嫌な事があった気がするんだけど、それが何かわからない。
なんだか凄くもやもやする。
「ごめ、おぼぇて……なぃ」
あれ、上手く声が出せない。どうしてだろう。
それに、凄く体がだるい。動かすのも何故だか辛い。
まるで風邪をひいたみたいな感じ。
「そうですか。――説明は、要りますか?」
「おね、がい」
「わかりました。と言っても、私も何が起きたのか自体はよくわかっていないんですけれどね」
心配そうな色を浮かべつつも、そう言いながらまるで安心させるようにこちらに微笑みかけてきていたクリアの顔を見ていると、気を失う前になんだか優しさに包まれていた気がして、少し今の状態が寂しく感じた。
何でだろう、人恋しく思ってるのかな。――いや、そんな筈はない。私にそんな事を思える心や感情が無い事は、辛うじてわかっているんだから。
完全に欠けてしまった心が戻ることは、ほぼ絶対にありえない。
欠けた心が治る僅かな可能性があったのだとしても、今の私は他に欠けてしまったものに、いったいどんなに大切な感情があったのかもわからない状態。そんな私の心が治るのは、もはや不可能。
そんな不完全で、未だに壊れかけな私が真っ当な心を取り戻せる筈が無いのに。
それなのに私は――『トア? 大丈夫ですか、トア?』
「――ふぇ?」
「『ふぇ?』じゃありません。本当に大丈夫ですか? 急にぼーっとしたりして」
「ごめん、ね。うん、大丈夫」
「本当ですか? 無理はしていませんよね?」
「ちょっと、考えてただけだから。無理はしてない、よ」
さっきより、体調はマシになってきたかな。体を起こすのはまだ辛いけど。
でも、さっき何を考えかけたんだろう。クリアに呼びかけられて意識は戻って来たけど、それでも何を考えかけたのかがわからなくなってしまった。
けれどそれで良かったのかもしれない。あまり考えちゃいけないことだったっていうのは、何となくわかるから。
頭の片隅で考えながら、改めて最初から話してくれたクリアの話を纏めていく。
そうして話を聞けば聞くほどに気を失う前の自分は、より自分らしくないと思った。
いくらトラウマが刺激されたからと言って、そんな無条件で一方的に殴り続けるなんて私は絶対にしない。逆に全く動けなくなる筈なのに。
間違っている行動だとしたって、トラウマを刺激されて立ち向かえるほどに私は強くない。
……もしかして、シズクたちの手伝いにフォーグルウルフと戦った時に聞こえてきた、あの声が原因? いや、そんなことはないよね。いくら何でもそんな事が出来るわけないし。
「――それでトアが気を失ってしまったので、着替えさせてここまで戻ってきたのが四時間前くらいです。シズクやエルフェリアさんたちはあのナンパのせいで遊ぶ気分でもなくなったという事で、気晴らしにクエストをこなしてくると言っていましたよ」
「そっかぁ。……待って、四時間前? そんなに寝てたの?」
「ええ、間違いありません。今は五時を少し過ぎた位ですから」
そう言われて、自分でも確かめてみるためにメニューを開いてみるけれど、クリアが言う通りに今の時刻は午後の五時を少し過ぎて二十四分。
確か私たちがあのレジャープールに入ったのが午前十一時三十分くらいで、その後にあのアトラクションに乗ったのとかの時間を考えれば、私が倒れたのが午後一時前くらいだと思う。
気を失っている間に何かを見ていた気がしているから、途中で起きることも無く四時間も寝ていたのは確実。
だけど、そうするとおかしい事が一つ出てきてしまう。
「シャーリーやシズクが、トアたちが気を失うか眠るかすると一時間後に元の場所に戻ると言っていたので、その時間を過ぎてもその兆候が表れないので凄く心配したんですよ」
「そっか、心配かけてごめんね」
「こうしてちゃんと目を覚ましてくれたので、それだけで安心しました」
そう、何で私は強制ログアウトしていないんだろう。それだけが引っかかる……いや、それだけじゃないか。
気を失っている間に見ていた何かが、とても大事なものだって感じている。
前みたいに曖昧にでも感じるものも無いし、何一つとして覚えていないのに。
強制ログアウトされていない事が、これと比べてしまうとそこまで大事な事では無いと思える。
本当に不思議だけど、そっちも考えないといけない。やっぱり大事なことだし。
と、考えてみるけれど、私がいくら考えたところでわかりはしなかった。
「ところでですが、トア。聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
「ええ、大事なことです。トアの今の状態で聞いても良いのかと思いはしたのですが、出来るだけ早い方が良いと思ったので」
大事な……こと? いったい何だろう。
凄く真剣な顔をしているから、本当に大事なことなんだってわかるけど。
「トアは以前、私の事を知りたいと言いましたね」
「うん、確かに言ったよ。そうじゃなきゃ、意味が無いと思ったから」
「確かにそうですね。知らなければ何も始まりませんし、より深い仲間になんてなれないですから。そうして私は、気付かれていたこともあってトアに色々な事を話しました」
「気付けたのは偶然だったけどね」
「それも、一つの切っ掛けです。それでですね、先程のトアを見てて思ったんです。私はあまり貴女の事を知らないから、もっと貴女の事を知りたいのだと、貴女の全てを受け止めたいのだと」
まさか、クリアがそこまで私の事を思ってくれているとは思っていなかったから、ちょっとびっくりした。
けど、嬉しい。
「それとですね、もう一つ気付いたことがあるんです。これを聞いていいのかと、少し悩んだんですけど」
「もう一つ?」
なんだか、これは少し嫌な予感がする。
もしかして……気付かれ、た?
「この一歩踏み込まなければ、貴女の事を何も知れないと思いました。だから問います――トアは何かを隠していますね。それも、貴女の心に関する事で」
問う。なんて言っているけれど、確実に断定の口調で聞かれた。……やっぱり気付かれたんだ。
シズクたちにも気取られなかったのだから、クリアにも隠し通せると思っていたのに。
これだけは知られる訳にはいかなかったけれど、仕方がない、か。
こうなってはもう、隠せないだろうから。
正直に話して、他の皆にはまだ言わないようにしてもらう方が良い。
「……クリアも、よく気付けたね」
「前から疑問には思っていたんです、鈍いでは済まされないくらいに不自然な反応が何度もあったので。ですが、完全に気付けたのは先程の一件です」
ああ、やっぱりそんなにも不自然な反応があったんだね。
自分ではわからないから気づけなかったけれど。
「先程、私が止めに入った時に感じたんです。このままでは貴女が壊れてしまうって、自分が無理をしている事に気付いていないって。そこで、その直前までにシズクたちが貴女に心の傷があった事を話していたのを思い出して気付いたんです。もしかしたら、トアの心はトラウマが残る程にまで回復したのではなくて、未だに壊れたままなんじゃないかって」
「……凄いね、クリアも。こればっかりは気付かれるなんて思わなかった」
皆にもう、下手な心配をかけたくなかったからずっと秘密にしていたこと。
ただでさえあの地獄から救い出してもらえて、ここまで心を癒してくれたのに……それ以上に苦労をかけさせるなんて、嫌だったから。
けど、これも一つの切っ掛け。
自分の身勝手なわがままで、心労をかけさせる方がもっと嫌だ。
「うん、話すよ。私もまた、もう一歩踏み出さないとね」
呟き、身体を起こしてクリアに向き合ってから、私は話し始めた。
具体的には話していないけれど、私が自分の体質や周囲と違う外見のせいで色んな人たちから酷い仕打ちを受けてきた事を。
その結果、私の心が一度、完全に壊されてしまった事を。
その私を助けてくれたのがエルフェリア――霧華だった事を。
未だに私の心が、完全には治りきっていない事を。
そして、幾つかの感情や心を失ってしまった事を。
失ってしまったものに一体どんなものがあったのか、自分ではもうわからない事を。
これ以上の心配をかけたくなくて、雫たちには全力でこの事を秘密にしていた事を。
その全てを、私の過去にあった事の何もかもを話した。
途中で何度もトラウマが蘇って、その度に涙が溢れて声を詰まらせたけれど……クリアが優しく抱きしめてくれたおかげで、何とか話しきることができた。
どうしてだろうね。
クリアと出会って、まだ一月も経ってないのに。どうしてここまで話せたのかな。
わからないけど、それがどこか心地良い。
「――これが、私が隠していた事の一部。まだ自分でもわからない事があるから話せない事はあるけれど……なんだか、話したら色々と気持ちが軽くなった」
「そうですか、それなら良かったです。……それと、ありがとうございます」
「どうしたの? お礼を言うのなら私の方なのに」
「いえ。そんなに風に心の奥に秘めていた秘密を私に話してくれた事が、本当に嬉しかったのですから」
そんなものなのかな。
でも確かに、隠していた秘密を打ち明けてもらえるのは……私も嬉しかった。そう考えれば、不思議な事では無いか。
「ねぇ、クリア」
「どうしました?」
「もう少し、こうしてても良いかな」
言いながらも私は、より強くクリアの胸に顔を埋めていく。
もう少し、もう少しだけこうやって甘えていたい。
「はい、良いですよ。たまにはこうするのも、良いかもしれませんね」
少しおどけた様に言ったクリアに心の中で感謝してもっと強く抱き着くと、その分しっかりと抱き返してくれる。
何となく、今は他人の体温を欲しているから。
だから今はありがたく、こうやって甘えていよう。
そうしてどれくらいの時間がたっただろう。体感的には何時間もこのままでいたと思うけど、実際は十分くらいしか過ぎてないかな。
するとクリアが少し首を振ったかと思うと、こんな事を言った。
「……ごめんなさい、トア。つい先程、私は一つだけ嘘をついていました」
「嘘?」
抱き着いた状態で顔を上げると、何故か凄くバツが悪そうな顔をしていたクリアと目が合う。
どうしたんだろう。
「あのですね。私は最初、シズクたちはクエストを受けに行ったと言いましたよね」
「うん」
「それが嘘です。本当はその……皆さんずっと、この部屋の中に隠れていました」
「へ?」
「私は止めたんですけれど、止めきれなくて……」
思わず辺りを見回してみると、もともと置いてなかった置物だったりが四つ増えていた。
気になってじっと見つめてみると、そのうちの三つがガタっと動く。
……確実に隠れてるね。
「トアの事を聞いていた時はそちらに意識が向きすぎて、私も皆さんが居ることをすっかり忘れてしまっていて……結局聞かれるような形になってしまいました。本当にすみません」
「……いや、いいよ。クリアに話したんだから、いつかは皆にも話さないとなって考えてたから手間が省けたし」
まぁセラちゃんやアリスちゃん、フィアにも聞かれたのは想定外だけど……ってあれ? 増えてたのは四つ、シズクたちは全員で五人。数が合わない。
と、少し疑問に思って首を傾げていると。
「お姉さん、ごめん……なさい。心配で来ただけで、聞くつもり、なかったけど……聞い、ちゃった」
ベッドの下から顔を出したセラちゃんが謝って来てくれた。
相変わらずいい子だけど、ベットの下に隠れてたんだね。
けどちょっと埃がついてるし、あまりそういった所には入らない方が良いよ?
「ごめんね、トアお姉ちゃん。アリスも聞くつもりは無かったんだけど、まさかそこまで重い過去があったなんて思ってなかったから……」
ほら、とアリスちゃんが指をさした方を向くとそこには――
「エ、エ、エ、エル! お前、トアさんにあんな重い裏があるなんて聞いてないぞ!!」
「く、首が締まる! 揺らすな! それに私だって知らない事が多くあったんだ!」
――もの凄く取り乱したフィアが居た。
えっと、そこまで取り乱されても逆に困るかなぁ……
というか、エル大丈夫かな。首が思いっきり締まってるように見えるけど。
流石にクリアから離れて、気まずそうな顔をしてる二人の頭を撫でながらそんなことをのんきに考えていると、今度はもの凄く暗い顔をしたシズクが出てきた。
何故か今のシズクに口を開かせたらいけない気がして、何かを話す前に私から口を開く。
「ねぇシズク、さっきの話は聞いてたよね」
「……うん」
「当たり前か。――だけど勘違いしないで、私は雫を頼りにしてなかったわけじゃないって事を」
「そんなの、今は信用できないよ……」
「だよねぇ……。でもさ、私が雫たちにこの事を話さなかったのはただ、これ以上心配をかけたくなかったってだけじゃないんだ」
話さなかったのはそれだけが理由じゃない。
もしそれだけの理由しかなかったのなら、ここまで隠し続けはしなかった。
「私はただ、怖かっただけなんだ」
「怖かった?」
「そう、怖かった。もしこの事を打ち明けて、皆が離れて行ってしまったらって考えたら……凄く怖くなった。それこそ、二度と元に戻れないほどに壊れてしまうかもって。――そんな事、ある筈が無いのにね」
雫たちに限って、この程度で見限るなんてありえない。それを知っていたはずなのに、私はその一歩を踏み出せなかった。
だからこれは、私が弱かっただけの事でしかない。
そのせいで逆に雫たちからの信用を失ってしまうことになってしまったら、それこそ本末転倒でしかないのに。その方がもっと耐えられないのに。
私は本当に、弱い。
人が一人で生きていけるわけがないのに、周りに頼ろうともしなかったのだから。
けれどクリアに出会って、ようやく向き合えた気がする。
自分の弱さと、その歪さに。
感情が、心が幾つか欠けてしまったのだとしても、いったいそれがどうしたって言うんだろう。
そうなってしまったのならもう、どうしようもない。だったらそれをしっかりと受け止めて前を向く必要があったのに、何時までも引きずってしまった。
けれど、前を向くのに遅いなんてことは無いから。
これからはもっと、頼っていこう。
「……そうだよ。私がお姉ちゃんを裏切るなんて、そんなことある訳ない。――だって、私たちはお互いに唯一の家族でしょ? だからもう、そんな悲しい事は言わないでよ……」
「うん、わかってる。さっきもクリアに言った事だけどさ、自分でもわからない事があるからまだ話せない事はある。けれど、絶対にもう間違えないから」
そう言って私は、もう泣きだしそうな顔をしていたシズクを抱きしめる。
今までのごめんって思いを込めて、痛いくらいに。
すると、それを見ていたセラちゃんとアリスちゃんが私たちの上から二人で抱き着いて来てくれた。慰めてくれてるのかな。
エルはまだフィアに捕まっててこっちを見てるだけだけど、それでも私の事を気にかけてくれているのを感じられる。
クリアも頭を撫でてくれているし……なんだか凄く嬉しい、な。
こんな事なら、もっと早く伝えればよかった。
そうしたら、隠し続けることに罪悪感を感じることも無かったんだろうから。
けれど、まだ話せていない事があるのもまた事実だから。これはもう少し記憶を辿って探してみて、それでもわからなかったら皆にも手伝ってもらおう。
下手に遠慮するのは、皆の事を信用していないことになってしまうんだから。
……そういえば最近、あまりあの空虚感を感じなくなってきたのはどうしてなんだろう。
しかも空虚感が無くなってきたどころか、ズレていた感覚がようやく元に戻りかけている様な感じさえしている。あっちの――現実の世界を本当の世界だって、思えるようになってきた。
時期的には、あの声が聞こえてきた辺りかな。
何が切っ掛けかいまいちわかってないのが不思議だけど、こっちはもう気にしなくても良いかもしれない。
たぶんもう、これも大丈夫だから。
それにこれも何でか知らないけれど、これに限っては変に無駄な自信があるから。
シズクをなだめつつ、そんなことを考えていた時だった。
キョウから連絡が来たのは。
何だか、今話はちょっと考えてたのとズレた感じになってしまいましたが、何気にこちらの方が上手く纏まったので結果オーライですかね?
という事で、特に話すことも無いですし今話はここまでです。
次話更新は来週の土曜日か日曜日になります。




