1-6 知りたいからこそ
「どうですか、シャーリー?」
「これは……悪意による精神汚染、かしら。しかもかなり重度の。いったい何があったの? この付近でこんな事が出来る人物はいないはずなのだけれど」
「それが、わからないんです。私の仲間から、フォーグルウルフを倒した後のお姉ちゃんの様子がおかしかったとは聞いたんですけど……。それ以外は何も」
倒れたトアの容態を確かめるために、急いでシャーリーの所に戻ってきて現在はトアの部屋で見てもらっている途中です。
ですが、あまり容態は芳しくないようですね……。まさか精神汚染にかかっているとは思ってもいませんでした。
けれど、誰がどうやって、いつの間にそんな事を行ったのでしょうか。
「んー、駄目ね。私ではこれを解除するのは厳しいわ。回復魔法に限っては、私はそこまで得意じゃないの」
「リストアまで使えるのに、得意じゃないんですか?」
「ええ。というより、リストア自体はちょっとした方法で使えるようになっただけだもの。実際の所、精々がディスペルまでしか使えないわ」
ディスペルまで、ですか。
確かディスペルは中級回復魔法の中で、一番下級のものでしたか。そうすると、なおのことどうやってリストアが使えるようになったのかが気になりますが。
ですが、こうなると唯一の頼みの綱だったシャーリーには頼れなくなりましたね。
私の知り合いの中には、精神に作用するものを解除することが出来る方は居ませんし……どうすればいいのでしょうか。
「でも勘違いしないで、私では解除するのが厳しいだけ。今、これを解除できるだろう人に連絡したから、少しだけ待ってて」
「わかりました、焦ったところで好転しないですもんね。……けど、お姉ちゃんをこんな目にしたのは、いったい誰なんですかね」
会ったら絶対に酷い目にあわせてやる。とかシズクが怖いこと言ってますが、これほどのことが出来る術者ならば、最低でもレベルは90を超えるでしょうから、今の私たちでは相手にもなりませんよ。
シャーリーはこの件についてはあまり深入りするつもりは無いようですし、どうしようもないですね。
……一つ、気になることはありますけれど。
「貴女じゃあまだ無理だと思うわよ。汚染させた人はたぶん、私と同じような人物だと思うから」
「シャーリーさんと、同じような?」
「ええ。まぁ、それがどんなものなのか、教えることは出来ないけれど。――でも、こんなことが出来る人を私は知らないよ。貴女は知ってる……?」
シャーリーが最後に何かを呟いたのは辛うじて聞き取れましたが、その内容までは聞き取ることは出来ませんでした。
いったい何を呟いたのかを聞こうとしたところ、丁度その瞬間に入り口の扉が開いた音がしました。
「シャーリー。久しぶりに連絡をしてくれたと思ったら、急に来るように言うとは非常識ではありませんか? 私も忙しいのですよ」
そうして聞こえてきた、どことなくシャーリーに似た声は無機質でありながらも、優しい声音で彼女に話しかけ始めました。
思わずその声の持ち主に振り返ってみると、そこにはトアとシャーリーと同じ銀の髪を持った、シンプルなデザインの、けれど恐ろしく高性能のドレスを着て立っていましたが、肝心の顔は白い仮面で隠されて、素顔を知ることは出来ません。
素顔を見せないという事は自身の事を知られたくないのか、よほど位の高い身分の持ち主なのでしょうか。ですがそれほどの身分の持ち主と言えばこの国には……いえ、これ以上考えるのは止めておきましょう。
「ごめんなさい、ティア。でも、急がないと少し危ういかもしれないって思ったものだから」
「危ういとは? 見る限り、貴女には異常は見られないのですが」
「違う違う、私じゃないわ。今危険なのはこの子、精神を侵されてるみたいなの」
「この子、です……か……」
シャーリーがティアと呼ばれた彼女に訂正するように言って、トアを見せた瞬間。彼女はまるで、ありえない物を見たかのような反応をしました。
いえ、それは少し違いますか。何というか……どう言えば良いのかよくわからないのですが恐らく、ここに居るのがありえない、でしょうか。
「シャーリー・ホーマー……?」
「な、何でしょう?」
おや、シャーリーの口元が引きつってますね……。彼女にもああいった反応を返す人物がいたのですね、驚きです。
「何故、この子の事を私にすぐ連絡しなかったのでしょうか? いくらこちらから連絡を取らないようにしていたとはいえ、流石にこれは怠慢じゃないのでしょうかね?」
「い、いや、そのぉ……。あ、そうだ! その前にこの子を治してあげて! 小言はその後でちゃんと――あ」
「ふむ、わかりました。言質は取りましたので、覚悟しておきますように。では治療を始めましょうか、この子が侵されるのは私としても少々困ります」
……口であの人が負けるのを初めて見た気がします。
いつもいつも、シャーリーはのらりくらりと追及を避けるようなイメージがあったのですが。この人相手だとそうもいかないようですね。
それにしても、彼女はトアの事について何か知っているのでしょうか。そうでなくては、出ないような言葉が会話に混ざっていますし。
この人は、いったい……
「なるほど、確かに酷い状態です。ですが、これは精神汚染などでは無く、もっと純粋な……そう、悪、ですね。――なかなかに酷な事を要求します。彼女だった頃と違って、私にはもはやそこまでの力は無いというのに」
「悪? それは、それはどういう事なんですかティアさん!」
「貴女は……確かこの子の妹でしたか。心配する気持ちもわからなくは無いですが、少し待ってください。これを癒すには、集中する必要があります。貴女も同じです、龍の児よ」
何故、知っているのですか?
ここ数十年の間、それを教えたことがあるのはトアだけのはず。シャーリーはもしかすると知っていたかもしれなかったですけれど、それ以外でこの事を知っている人はもういないはずなのに……何故?
私が竜人だと知って迫ってきた人たちは皆、その自らの欲に溺れて全員自滅していったことは把握しています。シャーリーから教えられていたので。
ですが、だからこそ私の事を知っている人がその二人以外にいるはずは無いのに――!
「そう警戒することはありませんよ。貴女の事は、彼女から聞いたことがあるだけですから」
「彼女……? まさか――」
「ええ。想像通りですよ、龍の児。けれど申し訳ないのですが、彼女についての話はすることが出来ません。色々と込み合った事情があるのです。――では、少し集中させてもらいますね」
そう言って彼女は改めてトアに向き直り、集中し始めてしまいました。
あの人の話を聞けないのは残念ですが、恐らくあの人からの口止めなのだろうと予想はつきます。
未だに思い出せないことが大半ですが、彼女が何者かに追われていたのはトアのお陰で思い出せたので、それが理由なのでしょうとは推測出来ますしね。
ですが、竜の子では無く『龍の児』と言われた様な気がしたのは……気のせいでしょうか。
「竜の子? って、クリアの事?」
そうでした、ここにはシズクも居たのでしたね……
ですがまぁ、シズクになら知られても問題は無いでしょうから、教えてしまいましょうか。
「ええ、そうですよ。トアには話しましたが、私は竜人という種族です。大別すれば獣人なのでしょうが」
「へー。でも、見た目的にはヒューマンと変わらないよね?」
「それはトアにも言われました。ですが、一点だけ異なる場所がありますよ」
「どこ? ――って聞くなら簡単か。えーっと、何処だろ……。あっ、わかった。目だよね?」
「正解です。トアは気づかなかったんですけどね」
「仕方ないよ、お姉ちゃんはその辺り鈍いから」
ああ、確かにトアは他人の好意や変化、異なる点に対してかなり鈍いですね。
獣人の方などを相手にする際は尻尾や耳などに反応しますけれど、それも知らないものに対する好奇心からみたいですし、もともとそういった異なる事に対する許容が深いのでしょうか。
その許容の深さが、過去の経験から来るものだとしたら……あまり喜ばしい事では無いですよね。私の事も普通に受け入れてくれたのが、その結果だとしても。
……あの時。トアが感じていた気持ちも、こんな感じのやるせなさだったのでしょうか。
「大丈夫だよ、クリア」
「え?」
「そんな顔をしなくても、お姉ちゃんなら大丈夫だよ」
なるほど、トアが大丈夫か不安になってると勘違いさせてしまったみたいですね。
いえ、決して心配していない訳では無いですけど、やれることのない私たちが心配しすぎても意味はありませんし、少しでも話していた方が気分が紛れます。だからこそ、こちらに話を振るようにしたのでしょうし。
それなのに勘違いさせて心配させるなど、私もまだまだです。
「わかっていますよ、トアならきっと問題ないです」
「あれ、それじゃあどうしたの?」
「ちょっと考えていたら、少し前の事を思い出したんです。あの時のトアもこんな気持ちだったのかと思いまして」
「ふーん……まぁ、何があったかは聞かないよ」
別に隠すほどの事でもないんですけどね。
ですが、何か思うところがあるんでしょうか。どことなく、寂しそうな顔をしてますし。
と、そんな風にシズクと二人で十分程話していた頃、ティアさんの方に動きがありました。
「シャーリー、少し、こちらへ」
「ティア? どうしたの?」
「いえ、仕上げに思ったより力を使いそうなので……少し魔力を分けて欲しいのです」
「わかったわ、これくらいで良いかしら」
シャーリーが信頼するほどの人が仕上げにそこまでの魔力を必要とするとは、いったいどれだけ強力なものだったのでしょうか。
しかも精神に強く関与するほどのもの。だとすれば、先程のレベルの予想は低く見積もりすぎという事になります。
改めて予想を上げるのなら、最低でも150を超えるでしょうね。もしかすれば……シャーリー以上の可能性も。
ですがそのような人物、今の私の知り得る限りの範囲には存在しないのですが……
本当に、いったい誰がこのような事を。
「ありがとう、これなら十分です。……彼女の頃のように完璧ではないので、この程度では一時凌ぎにしかならないでしょうが」
「なるほどね、原因はあの子という事か。でも、だったら一時凌ぎでも十分だと思うわよ?」
「何故?」
「この子なら、きっと何とかしてくれるわ。彼女に無かったものを、この子は持ってるから」
「ああ……納得しました。ですが、それは確実では無いのですから、こちらでも対応を考えておきましょう」
「わかってるわよ、そっちはお願いね。私にはどうしようもないもの」
あの子……?
シャーリーたちはトアの何を知っているんでしょうか。そして、何故私はそれを知らないのでしょうか。
なんだか、非常に不愉快な気分です。
記憶があればまた、違ったのでしょうか。
「これで治療は完了です、後は少し安静にしていれば直に目が覚めるでしょう。貴女方とは少し話したい事や先程の疑問に答えたいものもありますが、抜け出して来たので時間が無いのです。ですから――」
悔しさから少し物思いに耽っていると、いつの間にかトアの治療が完了していたみたいですね。
トアが無事なら、今はそれで良いですよね。……いくら納得できなかったとしても。
「――またいずれ、今度は貴女方を私の場所へ招待することにしましょう。この子が、もっとあらゆる事柄を真に知ることが出来たその時に」
その時こそが、この子が先へと一歩踏み出せるかどうかの分岐でしょうから。そう言い残して彼女は部屋から去って行きました。
またいずれ、ですか。
最後まで結局、よくわからない人でしたが、その時までこの疑問はお預けですね。
シャーリーに聞いても無駄でしょうし。
っと、今はそれよりも……
「シズク、トアはどうですか?」
「うん。顔色も良くなってるし、顔も苦しくなさそうだからもう大丈夫みたい」
「それならよかったです。それで、答えはわかっていますが……シャーリーは何を知っているんですか?」
「ごめんなさい。私からは、何も言えないわ」
「まぁ、そうですよね。何で私すら知らないお姉ちゃんの事を、あなたたちが知っているのかって疑問はありますけど」
確かにそれもそうです。
シャーリーは私と同じく二日前に、ティアと呼ばれた彼女に至ってはついさっきトアと出会ったはず。
だとすると、どう考えてもシズクが知らないトアの事を知っている様子なのは奇妙としか言いようがありません。
「……じゃあ、貴女たちには一つだけヒントを上げる。何も言わないままなんて、やっぱり納得できないでしょう?」
「ええ、まぁ……そうですね。このままだと私とお姉ちゃんに、ここに泊まるように言った事も勘ぐってしまいそうですから」
「それもそうね。でも、そのことにも、クリアちゃんにお節介をしてたのも何の他意は無い事は本当よ」
「大丈夫ですよ、シャーリー。そのことについて私は一切疑っていませんから」
そのことについては、私としてはまるで疑っていないのは本当の事です。
もしもそのような他意があれば、あの時トアを助けに行くことはもちろん、眠りから覚めたばかりの私に色々とお世話を焼いてくれるはずがありませんから。
だからこそ、貴女を信用したいからこそ教えてもらいたかったのですが……それは高望みという事でしょう。
冷静になって考えてみれば、シャーリーだって幾らでも際限なく教えられるわけでは無いですよね。この件についてはゆっくりと、トアと一緒に知っていく方が良い気がしますし。
それに、それこそ私たちが焦ったりしても意味が無いんです。本人を放っておいてしまっていては尚更。
だから私は――
「シャーリー」
「ん? どうしたの?」
「私にはそのヒント、教えなくて大丈夫です」
「クリア?」
私は、そんなヒントなんて要りません。
この程度で信用できないだなんてそんなことを言ってしまったら、それこそトアに向ける顔がありません。
あの時トアが言っていた言葉、『私を知らないからこそ知りたい』。
彼女は私にそう言ってくれたのに、その私がこんなことをするわけにはいかないですよね。
しかもお世話になるばかりで、改めて思えば私はシャーリーの事を全く知らないんですから。
だからこそ私は信じたいですし、今からトアとシャーリー、二人をより知って行けるようになれれば、それだけで私は嬉しいです。……まぁ、あんなことを言ってくれたトアが倒れたり、心配かけたりしてたら意味無いんですけどね。
「私は自分で知りたいと思ったんです。トアの事も、シャーリーの事も。トアと二人で一緒に」
「……そっかぁ。そんなこと言われたら、私も聞けないや。――という事で、ヒントは私も要りません」
「そう……ありがとう、信じてくれて。でも、これだけ言わせて頂戴」
「何ですか?」
「あの子は――トアちゃんはトアちゃんだって、それを絶対に忘れないで。あの子はあの子でしかない、それ以上でもそれ以下でもないんだから」
トアはトアでしかない……?
何を当たり前のことを言ってるんでしょうか。そうでなかったら、その人は別の人物になってしまいますし。
ですが、シャーリーがこれだけはという事は、この言葉に意味が無いはずはありえません。だとすれば、いったいどんな理由があって……
いえ、この意味はいずれわかるのでしょう。ならその時まで、この言葉を忘れないように覚えておけば良いんです。
もう、何も忘れないように。
「わかりました、覚えておきます」
「うん。それじゃあ私も仕事があるから行くけど、二人はどうするの?」
そう言われて、思わずシズクと顔を見合わせました。
まぁ、どうするかなんて決まってますよね。
「ここで見てます、何か起きるまでは」
「そう。たぶんだけど、後二十分経っても起きなかったらトアちゃんは元の場所に自動的に帰っちゃうから、ここから急に消えても問題は無いからね」
とだけ言い残して、シャーリーはそのまま部屋から出ていきましたが……自動的に帰るってどういう事でしょう。
トアがポータルのようなもので遠い場所からこちらに来ているのは知っていますが、そのような事は聞いていません。何かの防衛機能みたいなものですかね。
「そういえば、クリアは私たちが違う場所から来てるってのは知ってるよね?」
「ええ、トアから教えてもらいましたから」
「じゃあ、一時間くらい意識失ってたり、眠ってたりしたらそのまま元の場所に戻されるって事は?」
「いえ、知らないです」
なるほど、という事は予想はほぼ当たってたみたいですね。
なんというか、色々と優れた物が向こう側には多いみたいです。いつか、トア達の住んでいる場所に行ってみたいですが……どうでしょう。
でも、確かマナが無いみたいな話をしてましたっけ? いえ、でんき? とか言うのがあるってだけでしたっけ。
「そっかぁ。とりあえず、シャーリーさんが言ってたのはそういう事だよ」
「わかりました。では、トアが起きるか帰るまで待つことに――『むにゃ……あれ、ここは……?』――って、起きたみたいですね。心配ばかりかけるお姉さんが」
「だね。毎度毎度心配かけるお詫びは、どう返してもらおうか?」
「それはトアも混ぜて相談しましょうか」
先程の空気が無かったように、二人で笑い合いながら起きたトアを迎える事にします。
あまり変に察されても困りますからね。……まぁ、散々心配ばかりかけるのは本当なので、多少は本気も混ざりはしますけど。
当たり前でしょう?
なんというか、一章から今話までの間に色々と伏線張り巡らせすぎて、そろそろ何かと気付かれそうな気がしている最近です。
だからと言って、自重する気はありませんけど。
という訳で、今話にはまた新しい登場人物が出てきます。
正直まだ出す気は無かったんですが、何故か出してました。何ででしょうか。
では今回はここまでです。
次話投稿は来週の土曜日に変わりありませんが、短かったのはこの次の話だったので次回が連続投稿になります。




