4-6 救いの手は
「なん、だと?」
続いて聞こえてきたリグニスの困惑しか含まれていない、純粋な戸惑いの声に目を開けて後ろを振り向く。
「あらあら。何の苦も無く防がれたのが、そんなに不思議だったかしら?」
振り向きつつ更に聞こえたその声にある予感を抱きながらもそちらを確認すると、そこにいたのは予想通りの人物。
いつの間にそこに立っていたのか、どうやって一切の音を発することもなくリグニスの攻撃を片手で受け止めたのか、それはわからない。
でも、確かにこの人ならその程度はやってのけるだろうと思えてしまう。
今も片手でリグニスの右手を掴みながら、こちらを振り向いたその人は――
「はぁい、トアちゃん。大丈夫……では無いみたいね」
――いつも、女神の宿場で浮かべているものと同じ微笑を浮かべたシャーリーだった。
私の左腕に視線を向けたときに一瞬だけ表情を曇らせたけれど、それでも安心させるように笑顔を向けてくれている。
「何で、ここに?」
「何でって……今朝のトアちゃんの様子がおかしかったから、心配になって宿をクリアちゃんに任せて追いかけて来たの」
少し時間かかっちゃったけれど。と、少し気まずそうに苦笑しながら付け足すが、だとしても、助けてくれたのに変わりはないから。
そのことに感謝すれども、他に言えることは何も無い。
シャーリーがやって来たことで安心していると、掴まれたまま私たちを見ていたリグニスが唐突に右手の拘束を振り解き、距離を取ると同時に声を荒げる。
「おいおいおいおい、どういう事だこれ。あんた、いったい何者だ? もしオレの予想通りならそれこそありえねぇぞ!?」
「あら、思った以上に頭が回るみたいね。そこまで気付かれてるなんて――」
リグニスの言葉の意味はよくわからないけど、事情が変わった事と関連性がありそうな気がして気になったものの、それを聞くことは出来なかった。
なぜならそれは、
「――そう簡単に、見逃すわけにはいかないよ?」
シャーリーが纏う気配がそれを境にして一変したために、その空気の重さに言葉を発することが出来なかったから。
ついさっきまでは周りの人を安心させるような穏やかな雰囲気を纏っていたのに。今はただ敵対する相手を圧倒する、リグニスとは比べ物にならないレベルの威圧感を放っている。
けれどそれは、必ず殺すと決めた刺すような鋭い殺気では無く、相手を無力化するためのものに感じられるのは……私の気のせいだろうか。
平和な世界で生きてた私には簡単に殺気とかわかる訳は無いけれど、フォーグルウルフとの戦いで感じていたあの感覚と比べると、だいぶ穏やかなものに感じられる。
だから、これは殺気では無いんじゃないかと思った。
「だろうな。だが、オレも殺られる訳にはいかねぇ理由があるんでなぁ。全力で抗わせてもらうぞ!!」
「何を勘違いしているかわからないけれど、君を殺す気はないよ。ただ……それなりに痛いかもしれないから、気を付けてね」
殺す気はない。その言葉にどこか引っ掛かりを覚えていると、その言葉を合図に、リグニスとシャーリーの戦闘が始まった。
いや、それを戦闘というにはある意味では一方的なもの。
あまりにもその攻防が速くて所々しか見えないけれど、リグニスが攻撃を繰り出して、シャーリーがその全てを片手でいなしているのが確認できる。
どれだけ攻撃してもキリがない事に苛立ったのか、リグニスが殴る手を止めて再び距離を取り、口を開く。
「クソっ、バケモンかよテメェ……」
「化物だなんて酷い事を言うね。私も君と同じ魔族なのに」
「冗談言ってんじゃねぇよ。テメェみたいにクソほど強い魔族がいたら、それこそ噂になるだろうが」
「冗談じゃないんだけれど……まぁ良いか、信用しないならしないで」
確かに噂になるっていうのはわかる気がする。
シャーリーの強さの片鱗を今知ったけれど、これを知る前から何で宿屋を経営してるのかは疑問には思ってたし。
「ハッ! そこまで強ぇのならそれはもう魔族じゃねぇだろうが。もはや魔『黙れ』――ッ」
シャーリーがリグニスの言葉を遮った瞬間、彼の動きが完全に静止した。
かく言う私も、それを聞いたときは恐怖に意識が飛ぶかと錯覚するほどに、その声にはあまりにも重すぎる威圧が込められていた。向けられた対象が私でもないのに。
何を言おうとしたのかわからないけど、遮られたそれがシャーリーの触れてはいけない事であることは流石に理解は出来る。
そこでリグニスがハッとしたように頭を振り、再び攻勢に出た。今度は魔法も織り交ぜながら。
「もうこれ以上は駄目かな。下手に口を滑らされたら困るし」
全ての攻撃を今度は両手で捌きながらそう呟いたと思った時にはもう、シャーリーは次の行動に移り始めていたが、私にはいったい何をしたのか理解することが出来なかった。
「顕現せよ、魔を払い、守り固める盾よ」
「風よ、天高く吹き荒れる柱と成れ」
「冷獄の果て、極限の氷雪にて、我が敵を凍てつかせよ」
全く同時に、三つの詠唱が聞こえた気がするのはたぶん、聞き間違えではないと思う。
いったいどうやってとか、何で三つ同時に詠唱出来るのかとか、どんな風に声を出したのかとか凄く気になることはあったけれど、もう気にしたら負けな気がしてきた。
もうシャーリーだからで良いんじゃないかな。……駄目?
「そりゃあ多重詠唱ぐらい出来るよな、畜生が。だけどな、幾らテメェでもお守りしながらは厳しいだろ? 闇よ――」
リグニスが吐き捨てるように溢してから、視線をこちらに向けて何かを唱え始めながら飛び掛かってくる。
でも、シャーリーが私という足手纏いを考慮していない筈が無く。
「トアちゃんを狙えば妨害できると思ったの? だったら残念。――エレメンタルシールド」
多重詠唱していたのだろう魔法の一つを発動させた。
すると、目の前に巨大な光の盾が現れて、リグニスをはじき返す。
「クソ、がぁ!! 一筋の黒と成りて撃ち貫け! ダークネスレイ!!」
意地か、根性か。
どんな思いかわからないけれど、それでも完成させた魔法の黒い閃光が走るが、それすらも光の盾には僅かに罅を入れる事しか出来ない。
「それじゃあ、これで終わり。――サイクロン、次いでコキュートス」
そして更に二つの魔法を発動させると同時に、リグニスの足元から竜巻が発生して彼の姿を上空に吹き飛ばし、その竜巻を囲むように吹雪が吹き荒れ始める。
吹雪は竜巻をどんどん凍らせ始め、数秒も経たずに一本の太い氷柱が出来上がった。
……竜巻が凍るって、どういうことですか。
というよりもそれ以上に、捕まえる為だけにここまでするのも何気に恐ろしい気がするのは気のせい?
「後は連絡して捕まえて貰う……のは駄目か。あれでよく逃げれるだけの冷静さがあったね」
「え?」
シャーリーの言葉の意味が一瞬わからなくて首を傾げていると、どこからか声が聞こえてきた。
「何でそんなにあっさりと気付けんだよ、逃げるための芝居まで打ったってのに」
てっきりあの氷柱に捕らわれたのかと思ってたから、まさかあれを逃げ切れてるなんて思っても無かった。
あんなのをわからずに受けたら、私ならなすすべもなく捕まる自信がある。ただでさえさっきの攻防ですら、目が追い付けなかったって言うのに。
どうすればあれを避けられるんだろう。
最初のサイクロンだっけ、にかかった時点でもう逃げられそうにないんだけど。
「大気中のマナの流れが変に乱れてたから、おおよそホロウモーメントを使ったんだろうと予想を立てただけだよ」
「なるほどな……。だが、殺さないってんならほぼ手詰まりだろ? 今のうちに逃げさせてもらうぜ」
「方法はあるけど仕方ないか。でも、言いふらさない方が身のためだからね?」
「肝に銘じておくさ。――じゃあな嬢ちゃん、次会った時は覚悟しておけよ」
それを最後に、リグニスの威圧感が離れていくのを感じる。
途中からシャーリーにのまれかけてたけど、それでも私からすれば太刀打ちできないほどに強力なものだったから、気配が遠ざかっていくのも辛うじて把握できた。
「……助かったの?」
重圧から解放されて、思わず呟く。
ここまで立て続けにいろんな目にあったせいか凄い気疲れしてるから、早く落ち着ける場所で休みたい。
座って休みながら話していたとはいえ、流石にこんな場所でリグニスを相手に話しながらではまともに気力を回復させることは出来なかった。さっきのも命の危機と、彼女の声があったからこそ動けただけなんだから。
「私が助けに来て、一対一で守り切れない訳がないわ。じゃあ帰りましょうか、トアちゃん。辛いでしょう?」
「へ? あ、はい」
「ふふっ。それじゃあしっかり掴まっててね、治療も帰ってからしてあげるから」
言われた通り、残っている右手で差し出された左手をしっかりと握る。
絶対に離さないつもりで、残っている僅かに回復した気力を振り絞りつつ。
「うん、それじゃあ。追い風よ、翼と成れ――テイルウィンド」
シャーリーはしっかりと手が握られていることを確認してから、新しい魔法を唱えた。
するとシャーリーの背後に風が集まり、半透明な薄緑色の翼に変化していく。
魔法が完成したところで一息に跳躍して、私を連れたまま重力をものともせずに空へと飛び立つ。
そして森から抜け出して近くの中継点まで飛んでいく最中、上空から見る景色に見蕩れていたところで不意に言われた。
「あ、そうそう。帰ったらクリアちゃんにたっぷり怒られるだろうから、覚悟しておいた方が良いかもしれないわよ?」
自分の顔が引きつるのが、鏡を見ないでも手に取るようにわかった気がする。
「私からのお説教は勘弁してあげるから、大人しく怒られなさいね。あの子、本当に心配してたのよ?」
「はい……」
……仕方ないか、これも自分のせいだし。
クリアを心配させちゃったのだから、お説教くらいは甘んじて受けよう。
「なんで、少しも考えつかなかったんだろうなぁ」
シャーリーの左手にぶら下がりつつ、最後にそう呟いた後はこれと言った会話も無く中継点まで飛んで行った。
覚悟しておいた方が良い。その言葉の意味を、この時ちゃんと把握しておけばよかったと思うのは……これから数時間後の事だった。
単語解説コーナーです。
・多重詠唱
読んで字のごとく、複数の魔法を同時に詠唱する技術。
シャーリーが行ったのは極端に優れた方法なので、出来る人物はほぼいない。
補助スキルには似たようなものがあるが、別物である。
今回の魔法紹介。
・エレメンタルシールド 消費MP:580
上級特殊魔法。
特殊魔法を完全に極めると使えるようになる防御魔法。
魔法攻撃を防ぐ光の盾。ある程度使い慣れ始めると、物理攻撃もある程度防げるようになる。
詠唱:顕現せよ、魔を払い、守り固める盾よ
サイクロン 消費MP:440
上級風属性魔法。
風属性魔法をそれなりに極めると使えるようになる攻撃魔法。
指定した場所に巨大な竜巻を発生させ、その内部に取り込んだ敵を鋭い風で切り刻む。
詠唱:風よ、天高く吹き荒れる柱と成れ
・コキュートス 消費MP:580
上級氷属性魔法。
氷属性魔法をかなり極めた時点で使えるようになる攻撃魔法。
指定した一定範囲内に極低温域を発生させ、吹雪によって敵を凍らせる。範囲内に居るだけでHPダメージを受ける。
詠唱:冷獄の果て、極限の氷雪にて、我が敵を凍てつかせよ
・ダークネスレイ 消費MP:280
中級闇属性魔法。
闇属性魔法をそれなりに使いこなせるようになってくると使えるようになる攻撃魔法。
闇を凝縮したような光線を放つ。
詠唱:闇よ、一筋の黒と成りて撃ち抜け
・ホロウモーメント 消費MP:440
上級闇属性魔法。
闇属性魔法をそれなりに極めると使えるようになる回避魔法。
数秒だけ時間を止め、その間は術者だけが移動できる。攻撃には向かない。
詠唱:虚ろよ、その一瞬を虚空の彼方へと消し去れ
・テイルウィンド 消費MP:125
低級風属性魔法。
風属性魔法を少し使えるようになってくると使えるようになる支援魔法。
対象の背中に風の翼を作り、移動速度を上げる。
完全に扱いこなせるようになると、空も飛べるようになる。
詠唱:追い風よ、翼と成れ
何だか、魔法紹介まで入れ始めたらここ最近の後書きがかなり長くなってますね……。
次話からはまた落ち着くと思いますが、次からあんまり多いようだったら分割したいと思います。
恐らく後1~2話で一章が終わると思いますが、その後に一章時点の登場人物のまとめも入れる予定です。
それでは今回はここまでです。
次話更新は、同じく来週の土曜日の予定となっています。




