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あの町に生きていた僕たち  作者: 昶見宇登
第一部 高校開幕編
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7/21

気になるものに人は視線を向けてしまう

 ――何で、私のこと見てるんだろう。


 自己紹介の順番が回ってきて、自分の名前を告げた時だった。


「私の名前は……小鳥遊優です」


 緊張で声が震えないように気をつけながら、そのまま続ける。


「趣味は、ペットと一緒に散歩することです。それと、この学校には姉が通っていて、それも光陽学園を選んだ理由の一つです」


 最後に「よろしくお願いします」と頭を下げ、できるだけ早く席へ戻る。


「…………」


 終わった。


 人前で話すのは得意ではないけれど、変なことは言わなかったと思うし、少なくとも途中で言葉に詰まったり、声が裏返ったりするようなこともなかった。


 これなら大丈夫だったはず。


 そう思って、ようやく少し安心しかけた時だった。


「…………?」


 妙に視線を感じる。


 最初は気のせいかと思ったけれど、どうにもこちらを見られているような感覚が消えなくて、私は恐る恐る顔を上げた。


 少し離れた席から、一人の男子がこちらを見ている。


 櫻坂幸君。


 入学式当日に遅刻してきて、式の前にも一度自己紹介をさせられていた男の子だ。


 眠たそうな目をしているせいなのか、表情から考えていることが少し読み取りづらい。


 けれど、間違いなく私を見ていた。


「…………っ」


 そして、目が合った。


 その瞬間、頬が一気に熱くなる。


 私は反射的に顔を伏せ、そのまま机へ突っ伏した。


 何なの……?


 私、何かおかしかった?


 自己紹介で変なことを言ったかな。


 制服は大丈夫なはずだし、髪も朝ちゃんと整えた。


 眼鏡だって曲がっていないと思う。


「…………」


 考えれば考えるほど恥ずかしくなってくる。


 男子からあんなふうに真っ直ぐ見つめられた経験なんて、ほとんどない。


 どう反応すればいいのかも分からないし、目を合わせたままにしておくなんて、とても無理だった。


「……もう」


 誰にも聞こえないように呟き、しばらく机へ顔を伏せたままでいる。


 頬はまだ熱い。


 きっと今、かなり赤くなっている。


 そう思うと、それが余計に恥ずかしくて、しばらく顔を上げることができなかった。



     ◇



 教室では、その間も自己紹介が続いていた。


 何人かが終わる頃には、ようやく頬の熱も落ち着いてきて、私はそっと身体を起こした。


「次」


 枢木先生の声が響き、次の生徒が立ち上がる。


「私の名前は、帝暁《みかどあきら》」


「…………」


 低く、はっきりとした声だった。


 思わずそちらへ視線を向ける。


 肩につかないくらいの黒髪に、少し鋭い目つき。


 姿勢は真っ直ぐで、ただそこに立っているだけなのに、どこか人を寄せつけないような迫力があった。


「好きなことは空手」


 そこで帝さんは一度言葉を切る。


「嫌いなものは、妹です」


「…………え?」


 危うく声が出るところだった。


 教室の空気も、一瞬だけ止まったような気がする。


「これから一年間、よろしくお願いします」


 それだけ言うと、帝さんは何事もなかったかのように席へ座った。


「妹……」


 自己紹介で嫌いなものを挙げる人も珍しいのに、それが家族となれば、なおさら印象に残る。


 でも、私が帝さんを気にした理由はそれだけではなかった。


「…………」


 どこかで見たことがある。


 そう思った直後、すぐに思い出した。


 入学式だ。


 新入生代表として壇上に立っていた女の子。


 黒髪をポニーテールに結び、大勢の人から見られているのに緊張した様子もほとんどなく、笑顔で堂々と挨拶していた。


 確か名前は――帝雪さん。


「帝……」


 名字も同じ。


 それに、顔立ちが驚くほどよく似ている。


「双子なんだ……」


 小さく呟く。


 帝さんが『妹』と言った以上、壇上にいた雪さんが妹なのだろう。


 けれど、同じ顔と言っていいほど似ているのに、二人から受ける印象はまるで違っていた。


 雪さんは明るくて、誰とでもすぐに仲良くなれそうな雰囲気があり、壇上でも自然に笑っていた。


 一方の帝さんは、どこか他人を寄せ付けない空気をまとっていて、話し方にも必要以上の愛想がない。


「…………」


 仲が悪いのかな。


 さっきの自己紹介を聞けば、どうしてもそう考えてしまう。


 でも、会ったばかりの私が勝手に決めつけることでもない。


 それより、もう一つ気になることがあった。


「制服……?」


 帝さんだけ、少し違う。


 光陽学園の制服は紺色を基調としているのに、彼女が着ているものは黒に近い色で、形そのものは大きく変わらないものの、教室の中にいると明らかに目立っていた。


 普通なら先生に何か言われそうなものなのに、


「次、早くしなさい」


 枢木先生は特に触れることもなく、次の生徒へ自己紹介を促した。


「…………?」


 気づいていないはずはない。


 それでも何も言わないということは、何か理由があるのだろうか。


 帝暁さん。


 少し怖そうな人だけれど、何となく印象に残る。


 私はその名前を、心の片隅に留めておくことにした。



     ◇



 それからも、一人ずつ自己紹介は続いていった。


 名前や趣味、出身中学、入りたい部活動、高校でやってみたいこと。


 最初は知らない人ばかりだった教室も、話を聞いているうちに少しずつそれぞれの雰囲気が分かってきて、さっきまでよりもクラス全体が近く感じられるようになっていた。


 そして、とうとう最後の一人になる。


「はい、それじゃあ最後」


 枢木先生が名簿から顔を上げる。


「櫻坂」


「…………」


 名前を呼ばれた瞬間、櫻坂君が露骨に嫌そうな顔をした。


「先生」


「何?」


「本当にやるんですか?」


「やるわよ」


「俺、今日これで二回目ですけど」


「知ってる」


「だったら――」


「一回目は遅刻した罰。今度は正式な自己紹介」


「内容ほとんど同じですよね?」


「櫻坂」


「……はい」


「やりなさい」


「…………分かりました」


 櫻坂君が諦めたように肩を落とし、そのやり取りに教室のあちこちから小さな笑いが起こる。


「真面目にやりなさいよ?」


「俺、さっきも真面目にやりましたよ」


「そうだったかしら?」


「ひどいな、この先生……」


「何か言った?」


「何も言ってません」


 また笑いが広がる。


「…………」


 不思議。


 人前に立つことは、あんなに嫌そうなのに、枢木先生と話している時は普通に言葉が出てくるし、少し冗談を返すくらいの余裕まである。


 やっぱり、会話そのものが苦手なわけではないみたいだ。


 櫻坂君は一度だけ大きく息を吐くと、ゆっくり立ち上がった。


「じゃあ……本日二回目の自己紹介をします」


 その瞬間、教室中の視線が一斉に彼へ集まる。


「…………」


 櫻坂君の身体が、ほんの僅かに強張った。


 やっぱり。


 入学式の前にも感じた。


 大勢から見られること自体が苦手なのだろう。


 それでも今度は逃げることなく、少し間を置いてから口を開いた。


「名前は櫻坂幸です。さっきも言いましたけど、趣味は今のところ特にありません」


 そこで少し考えるように視線を上げる。


「……昔は、クラシックを聴くのが好きでした」


 クラシック。


 少し意外だった。


 櫻坂君の雰囲気に合っていないわけではないけれど、何となくそういう趣味を持っているとは思っていなかった。


「今日、入学式の前にピアノの曲が聞こえてたと思うんですけど」


「…………」


 あ。


 私も聞いた。


 校舎のどこかから流れてきた、柔らかいピアノの音。


 聞いているだけで、不思議と気持ちが落ち着く曲だった。


「あれ、パッヘルベルの『カノン』っていう曲なんです」


 その話をしている時だけ、櫻坂君の表情がほんの少し柔らかくなった。


「俺にとって、結構思い出のある曲で……弾いてた人も、昔から知ってる人でした」


「…………」


 誰のことだろう。


 今日、この学校で再会したのかな。


 そんな疑問が自然と浮かぶ。


「昔は好きだったのに、何で過去形なのかっていうと……」


 そこまで言ったところで、櫻坂君は一度口を閉じた。


 ほんの一瞬だけ。


 それまでとは違う表情が見えた気がした。


「まあ、その辺はいろいろあるので、今は伏せておきます」


 誤魔化すように少し笑い、教室からも小さな笑いが返ってくる。


「それと……嫌いなものというか、苦手なのは視線です」


「…………」


 今度は、教室が少し静かになった。


「人からじっと見られるのが、かなり苦手です」


 櫻坂君は困ったように笑う。


「今も、こうして全員に見られてるのが正直結構きついです」


「…………あ」


 その言葉を聞いて、私はさっきのことを思い出した。


 櫻坂君に見られて、恥ずかしくなって机へ伏せた私。


 今は逆に、私が彼のことを見ている。


「なので、できればあんまり凝視しないでもらえると助かります」


 少しだけ教室に笑いが起こる。


「こんな感じでいいですか、先生?」


「まあ、いいでしょう」


「じゃあ以上です」


 そう言って、櫻坂君はすぐに席へ座った。


「はぁ……」


 大きなため息を吐き、そのまま机へ突っ伏す。


「…………」


 本当に疲れていたらしい。


 腕を枕代わりにして動かなくなり、しばらく見ていると背中がゆっくりと一定の間隔で上下していた。


「寝てる……?」


 どうやら、本当にそのまま眠ってしまったみたいだった。


「…………」


 変な人。


 入学式当日に遅刻してきて、一日に二回も自己紹介をさせられて、人から見られるのが苦手だと言っているのに、さっきは私のことをずっと見ていた。


「何でだったんだろう……」


 思い出すと、また少しだけ頬が熱くなる。


 でも、さっきとは少し違った。


 櫻坂君が、理由もなく誰かをじっと見るような人にはあまり思えなくなっていた。


 人から見られることが苦手だと自分で言えるくらいなのだから、きっと自分が誰かを見る時にも、それなりの理由があるのではないかと思えてくる。


「…………」


 そう考えているうちに、今度は自分が櫻坂君を見つめていることに気づいた。


「……私も人のこと言えないじゃん」


 慌てて前を向く。


 けれど、少しするとまた気になってしまう。


 眠たそうな目。


 どこか力の抜けた雰囲気。


 人前に立つのはあんなに苦手そうなのに、話しかけられれば普通に冗談まで返す。


 そして、クラシックの話をしていた時だけ見せた、少し懐かしそうな表情。


「どんな人なんだろう……」


 誰にも聞こえないくらいの声で呟く。


 別に、特別な意味があるわけではない。


 ただ、最初に教室へ入ってきた時から、どこか気になる人だった。


 それが自己紹介を聞いたことで、もう少しだけ知ってみたいと思うようになっただけ。


「はい。それじゃあ最後に、明日の予定を説明するから聞いてね」


 枢木先生の声が教室へ響いた。


「…………」


 私は慌てて前を向く。


 明日の予定。


 持ち物。


 集合時間。


 聞き逃さないように集中しなければならない。


 それなのに、気を抜くとどうしても眠っている櫻坂君の方へ視線が向いてしまう。


『人からじっと見られるのが、かなり苦手です』


「…………」


 さっきの言葉を思い出し、今度こそ前を向いた。


 見られるのが苦手だと言っていた人を、じっと見るのはよくない。


 そう分かっているのに、なぜか気になる。


 櫻坂幸君。


 入学初日に遅刻してきた、少し不思議な男の子。


 私はいつの間にか、その人のことをほんの少しだけ知ってみたいと思い始めていた。

挿絵(By みてみん)

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