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あの町に生きていた僕たち  作者: 昶見宇登
第一部 高校開幕編
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19/22

誰しも、心の傷を抱えながら周りを見ている

「――二人を殺したのは、俺だ」


 その言葉は、春の風に掻き消されることもなく、静かな墓地の中へ重く落ちた。


「…………」


 少し離れた場所で、一人の人物がその声を聞いていた。


 手には、まだ供えていない榊が握られている。


 本来なら、このまま真っ直ぐ目的の墓へ向かうつもりだった。


 毎年欠かさず来ているわけではない。


 それでも、こうして時折この場所を訪れ、墓前へ榊を供え、ほんの少し近況を話してから帰る。


 今日も、そのつもりだった。


 けれど、墓へ続く道の先に一人の少年を見つけた瞬間、足が止まってしまった。


「…………」


 見間違えるはずがなかった。


 少し伸びた黒髪。


 細い肩。


 どこか頼りなさそうに見える立ち姿。


 昔よりもずっと大きくなった。


 それでも、幼い頃の面影は確かに残っている。


「……幸」


 声に出したのは、本人には届かないほど小さな呟きだった。


 少年――幸は、こちらの存在には気づいていない。


 墓石の前へ膝をつき、両手を地面へ置いたまま、肩を小さく震わせていた。


「ごめんなさい……」


「…………」


「俺のせいで……」


 途切れ途切れに聞こえてくる声。


 一つ耳へ届くたび、榊を持つ手へ少しずつ力が入っていく。


「俺があんなことしなかったら……」


「…………」


「二人とも……今でも生きてたのに……」


 もう、聞いているだけで十分だった。


 一歩だけ、足が前へ出そうになる。


 声を掛けようと思った。


 違う。


 そうじゃない。


 君のせいじゃない。


 そう伝えたかった。


 けれど、


「…………」


 足は動かなかった。


 今ここで自分が近づけば、あの子はきっと泣くのをやめる。


 慌てて涙を拭い、何もなかったような顔をして、自分は大丈夫だとでも言うのだろう。


 昔から、そういうところのある子だった。


 ――いや。


 昔から、ではないのかもしれない。


「…………」


 最後に見た頃の幸は、もっとよく笑う子だった。


 転べば泣き、褒められれば素直に喜び、寂しければ寂しいと言える。


 少なくとも、今のように何もかも自分一人で抱え込み、誰にも頼ろうとしない子ではなかった。


「母さん……父さん……俺を許してよ……」


「…………っ」


 胸の奥が痛んだ。


 思わず視線を逸らしたくなる。


 けれど、それではいけないような気がした。


 四年間。


 この子はずっと、こうして自分を責め続けてきたのだろうか。


 誰にも言えず。


 誰にも頼れず。


 自分だけを責めながら。


「…………」


 やがて、幸の口から最後の言葉が零れた。


「俺は……人殺しだから」


 その瞬間、榊を握る指が強く震えた。


「……違う」


 思わず声が漏れる。


 けれど、幸の耳には届かなかった。


 春風が墓地を吹き抜け、小さな声をそのまま攫っていく。


「違うよ……」


 もう一度、今度は先ほどよりもさらに小さく呟いた。


 幸が、二人を殺したわけではない。


 少なくとも、あの日のことを知っている者なら、そんな簡単な言葉で片づけられる出来事ではなかったことくらい分かっている。


「…………」


 それでも今ここで、自分がそれを否定したところで、幸の中に積み重なった四年間が簡単に消えるとは思えなかった。


 むしろ、事情を知らないと思っている人間から、


『君のせいじゃない』


 そう言われたところで、あの子はきっと受け入れない。


 自分だけが悪かったと、また心の中で言い返すだけだろう。


「…………」


 だから。


 今はまだ、声を掛けるべきではない。


 そう自分へ言い聞かせた。


 手の中の榊へ視線を落とす。


 本当なら、今日ここへ来た理由は別にあった。


 墓前で伝えたいことがあって、少しだけあの二人へ報告しておきたいことがあった。


「…………」


 視線を上げる。


 幸はまだ墓石の前にいる。


 涙を拭うことさえせず、俯いたまま何度も小さく謝り続けている。


「…………本当に」


 思わず息が漏れた。


 似なくていいところばかり。


 似てしまった。


 そんな言葉が喉まで出かかったけれど、結局それを口にすることはなかった。


「…………」


 もう少しだけ。


 待つことにした。


 幸が立ち上がり、この場所を離れるまで。


 少し遠くから、ただ見守る。


 それしか今の自分にはできないような気がした。



     ◇



 しばらくして。


 幸がゆっくりと立ち上がった。


「…………」


 赤くなった目元を袖で拭い、最後にもう一度だけ墓石へ手を合わせる。


「……また来るから」


 掠れた声でそう言うと、幸は墓石へ背を向けた。


 一歩。


 また一歩。


 来た道を戻っていく。


「…………」


 その背中を、姿が見えなくなるまで見送った。


 やがて、幸の姿が墓地の向こうへ完全に消える。


「…………行ったわね」


 そこでようやく、止めていた足を動かした。


 一歩ずつ、先ほどまで幸がいた墓へ近づいていく。


 墓前には、幸が供えたばかりの花と、まだ細い煙を上げている線香。


 そして、墓石に刻まれた二つの名前があった。


 唯花。


 博隆。


「…………」


 その二つの名前を、しばらく何も言わず見つめる。


 どれくらいそうしていたのか。


 やがて、静かに口を開いた。


「……久しぶりです」


 持ってきた榊をそっと供え、二人の墓前へ手を合わせる。


「今日は……」


 そこで言葉が止まった。


 何を報告しようとしていたのか。


 一瞬、分からなくなった。


 本当なら、もっと穏やかな話をするつもりだった。


 高校へ入学したこと。


 ちゃんと学校へ来ていること。


 少しずつ周囲と話すようになっていること。


 そんなことを、二人に伝えるつもりだった。


「…………」


 けれど、先ほどの幸の姿が頭から離れない。


『俺のせいで……』


『二人とも、今でも生きてたのに……』


『俺は、人殺しだから』


「…………」


 目を閉じる。


「……彼は」


 声が少しだけ震えた。


「まだ、自分を許せてないみたいです」


 当然、墓石から返事はない。


「四年も経ったのに」


 そう言いかけて、心の中で言い直す。


 違う。


 四年も、ではなく。


 あの子にとっては、まだ四年しか経っていないのかもしれない。


 あの日から止まったままの何かを抱え続けている幸にとって、時間だけが過ぎたところで、簡単に薄れるようなものではなかったのだろう。


「…………」


 小さく息を吐く。


「でも」


 もう一度、墓石へ視線を向けた。


「少しずつですけど……周りに人が増えてます」


 昔から知っている人。


 新しく出会った人。


 本人がまだ、その人たちの存在にどれほど助けられているのか気づいているかは分からない。


 それでも。


「一人じゃなくなってきてる」


 そのことだけは、どうしても伝えておきたかった。


 あの子はもう、本当に一人きりではない。


 まだ自分から誰かを頼ることはできなくても、周囲には少しずつ、幸を気に掛ける人間が増えている。


「…………」


 そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「だから」


 墓前へ向かって、静かに告げる。


「少しだけ……見守らせてください」


 誰に許可を求めているのかは、自分でもよく分かっていた。


 それでも、それ以上の言葉は口にしなかった。


 春風が墓地を通り抜ける。


 幸が供えた花が、風に揺られて僅かに傾いた。


「…………」


 その様子をしばらく見つめたあと、彼女はもう一度だけ静かに墓石へ手を合わせた。

挿絵(By みてみん)

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