思い込みは人を苦しめる
墓地へ向かう途中、花屋に立ち寄って仏花を買った。
そこから先へ進むにつれて、自然と足取りが重くなっていく。
行かなければならないと分かっているのに、身体のどこかがここから先へ進むことを拒んでいるようだった。
それでも引き返すことはせず、俺はゆっくりと墓地の中を歩いていく。
何度も来たことのある場所だ。
道を確認する必要なんてない。それなのに今日は、一歩進むたびに胸の奥が締めつけられていった。
しばらく歩いたところで、ようやく目的の墓石が見えてくる。
その前まで来た俺は、墓石に刻まれた二つの名前を見つめた。
「……唯花、博隆」
間違えるはずなんてない。
何度見ても忘れることのできない名前だ。
「ちゃんと……ここだな」
持ってきた仏花を供え、墓石の周りを軽く整える。
それから線香に火をつけ、静かに手を合わせた。
「…………」
最後にここへ来たのは、お盆だった。
それから今日まで、一度も足を運んでいない。
「ごめん……全然来なくて」
小さく呟く。
もっと来るべきだったのかもしれない。
家からそれほど遠い場所ではないのだから、来ようと思えばいつだって来られる。
それでも俺は、何か理由をつけてここを避け続けていた。
ここへ来ると、どうしても思い出してしまうからだ。
四年前の四月十二日。
由美姉ちゃんと離れて間もない頃に起きた、あの日のことを。
「…………っ」
胸の奥がざわつく。
忘れようとしても、記憶は今でも鮮明に残っている。
あの日以来、夜中に突然目を覚ますことが増えた。
夢の中であの光景を見て、息が苦しくなり、そのまま朝まで眠れなくなることもある。
信号を渡る時だってそうだった。
青信号になっても、一瞬だけ足が止まってしまう。
大丈夫。
今度は何も起こらない。
そう何度も心の中で言い聞かせながら、周囲には何でもない顔をして横断歩道を渡る。
外から見れば、きっと普通に歩いているようにしか見えない。
けれど、そのたびに俺は心の奥で怯えていた。
そんな毎日を、四年間繰り返してきた。
「俺さ……」
手を合わせたまま、ゆっくりと口を開く。
「高校生になったよ」
当然、返事はない。
それでも話し続ける。
「入学初日から寝坊してさ。学校の前まで来たのに、そのまま帰ろうとしたんだ」
自分で言っていて、少しだけおかしくなる。
「相変わらずだろ?」
ほんの僅かに笑ったものの、その笑顔は長く続かなかった。
「それで、その日に由美姉ちゃんと会ったんだ。四年ぶりに」
墓石へ向かって、一つずつ近況を話していく。
「由美姉ちゃん、全然変わってなかったよ。見た目はすごく綺麗になってたけど、俺に話しかけてくる時は昔のままだった」
四年前。
まだ俺が今みたいになる前。
毎日のように一緒に遊んでいた頃を思い出す。
「カノンも弾いてくれたんだ。昔、俺が好きだったの覚えててさ」
それだけでも嬉しかった。
忘れられていなかったことが、何より嬉しかった。
「あと、友達もできたんだ」
自分で口にしてみると、少し不思議な気分になる。
「帝暁っていう女子なんだけど、空手やってて、すぐ怒るし、ちょっと怖い奴なんだ」
でも、あいつは。
「本当は優しいんだと思う。腹減ってた俺に、自分で焼いたパンくれたし」
自然と口元が緩んだ。
「あと、小鳥遊っていう子もいる。由美姉ちゃんの妹だったんだ。今日、俺が辛そうにしてたから声かけてくれた」
そして、放課後のことを思い出す。
暁が俺を追いかけてきたこと。
由美姉ちゃんと小鳥遊まで現れたこと。
「ここに来る前にもさ、みんな俺のこと心配してくれたんだ」
少しずつ、声が震え始める。
「一人で抱えなくてもいいって……」
「…………」
そこで言葉が止まった。
胸の奥へ押し込めていたものが、ゆっくりと溢れ始める。
「俺って……」
視界が滲む。
「意外と、幸せ者なのかな……」
一筋の涙が頬を伝った。
「こんな俺でもさ……心配してくれる人ができたんだよ」
笑って伝えたかった。
少しくらい安心させるような顔をしたかった。
けれど、上手く笑えなかった。
「俺……ちゃんと高校に行ってるよ」
声まで震え始める。
「家のこともやってる。飯だって自分で作れるようになったし、勉強もちゃんとしてる」
誰もいない家で。
誰にも褒められなくても。
四年間、ずっと一人でやってきた。
「だから……」
そこまで口にしたところで、何を言いたかったのか分からなくなった。
褒めてほしかったのかもしれない。
頑張ったと言ってほしかったのかもしれない。
あるいは、昔みたいに頭を撫でてもらって、「大丈夫だ」と言ってほしかっただけなのかもしれない。
「…………っ」
膝から力が抜けた。
俺はその場に崩れるように膝をつき、墓石を見上げる。
「母さん……」
その言葉を口にした瞬間、必死に抑えていたものが一気に崩れた。
「父さん……」
涙が止まらない。
「ごめん……」
何度も繰り返してきた言葉が、また口から零れる。
「ごめんなさい……」
四年前からずっと、消えてくれない言葉。
「本当に……ごめんなさい……」
地面に手をつき、俯く。
「俺のせいで……」
息をすることさえ苦しい。
頭の中には、嫌でもあの日の光景が蘇ってくる。
「俺が……あんなことしなかったら……」
声が掠れる。
「二人とも、今でも生きてたのに……」
分かっている。
何度謝ったところで、時間は戻らない。
どれだけ願っても、この墓石の向こうから二人が帰ってくることはない。
「許して……」
それでも、そう言うことしかできなかった。
「母さん……父さん……俺を許してよ……」
当然、返事はない。
ただ春の風が静かな墓地を吹き抜け、線香の煙をゆっくりと揺らしていた。
四月十二日。
俺が一年の中で最も嫌いな日。
それは、ただ両親の命日だから嫌いなわけではない。
四年前の四月十二日。
由美姉ちゃんと離れて間もない、あの日。
俺の両親は死んだ。
そして俺は、それからずっと自分に言い聞かせている。
――二人を殺したのは、俺だ。
誰が何と言おうと、俺があんなことをしなければ二人は死ななかった。
だから俺は、四年前のあの日からずっと。
自分を『人殺し』だと思って生きている。




