頼りたい、けど頼れない。人は簡単に前には進めない
『墓参り』
「…………」
たった三文字を見るだけで、胸の奥が重たくなる。
行きたくない。
それでも行かなければならない。
どれだけ辛くても、今日だけは絶対に行く。
それが俺の中で、ずっと決めていることだった。
「……はぁ」
無意識にため息が漏れる。
携帯を閉じ、そのまま目元へ腕を乗せた。
普段の昼休みなら、この屋上にも何人か生徒が来る。
昨日だって由美姉ちゃんと礼美先輩がいた。
けれど今日に限っては、不思議なくらい誰も来なかった。
まるで俺が一人になりたいことを知っていて、学校そのものが気を遣ってくれているようだった。
「由美姉ちゃんも来ないか……」
いつもなら、一年生の教室まで迎えに来そうなものなのに。
少し不思議に思ったが、今はありがたかった。
やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが校舎から聞こえてくる。
「戻るか……」
俺はゆっくり身体を起こし、屋上を後にした。
「今日なんて、なくなればいいのにな……」
そんなことが無理なのは分かっている。
それでも、今日だけは本気でそう思った。
◇
午後の授業は、一応聞いていた。
ただ、内容が頭に入っているかと聞かれれば、ほとんど何も残っていない。
今無理に覚えようとしても意味がないだろう。
明日の朝にでも復習すればいい。
そう割り切って、ただ時間が過ぎるのを待った。
「…………」
ふと隣の方へ視線を向ける。
朝の一件以来、暁は俺に話しかけてこなかった。
俺が「一人にしてほしい」と言ったことを守ってくれているのだろう。
ただ、その代わりなのか。
「…………」
「…………」
暁は、なぜか小鳥遊のことをずっと見ていた。
しかも、かなり目つきが怖い。
「…………ひっ」
小鳥遊も時々その視線に気づくらしく、そのたびに肩を小さく震わせている。
「何やってるんだ、あいつ……」
朝、小鳥遊と少し話したことが原因なのかもしれない。
入学して一週間。
席が近いこともあり、小鳥遊のことは何となく分かってきた。
授業中は真面目にノートを取り、先生から質問されればきちんと答える。忘れ物もほとんどなく、すでに何人かの先生から名前を覚えられているようだった。
一方の暁はというと。
「帝さん……起きてますか?」
「起きてます」
「そ、そうですか……」
「…………」
「では、続きを……」
なぜか先生たちの方が遠慮している。
多分、目つきのせいだろう。
本人は普通にしているつもりなのかもしれないが、黙っているだけで妙な威圧感がある。
そんなことを考えているうちに、ようやく放課後を告げるチャイムが鳴った。
「……行くか」
俺は教科書を鞄へしまい、誰かに話しかけられる前に席を立った。
今日は寄り道をするつもりもない。
目的地へ行き、それが終われば真っ直ぐ家へ帰る。
そう決めて教室を出た。
ところが。
「…………」
廊下を歩き始めてしばらくすると、後ろから一定の足音が聞こえてきた。
俺が歩けば、その足音も歩く。
少し速度を上げれば、向こうも速度を上げる。
「…………」
下駄箱で靴を履き替え、校門を出ても同じだった。
「やっぱりついてきてるよな……」
誰なのか、大体予想はついている。
ここまで露骨に追いかけてきそうな奴なんて、今の俺には一人しか思い浮かばない。
横断歩道の前で足を止め、そのまま振り返った。
「帝、何で俺のこと追いかけてるの?」
「…………」
予想通り。
少し離れた場所に、暁が立っていた。
「何で分かったのよ」
「分からないと思ってたの?」
「…………」
「足音ずっと同じだったぞ」
「もう少し上手くやればよかったわね……」
「そこ反省するところじゃないだろ」
暁は諦めたように俺のところまで歩いてくる。
「それで、何?」
「何って……」
暁は少し言いづらそうに視線を逸らしたあと、結局いつもの調子で口にした。
「あんたがずっと元気ないから、心配してるのよ」
「…………」
あまりにも直球だった。
「今日はそっとしておいてって言ったんだけどな」
「知ってるわよ。でも、友達なんだから心配くらいさせなさいよ」
「心配するのは自由だけど、尾行までする?」
「尾行じゃない。様子を見てただけ」
「それを尾行って言うんじゃないのか?」
「細かいわね」
暁は少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
ただ、俺を心配して追いかけてきたらしいことについては、少しだけ嬉しかった。
「それと」
「ん?」
「私のこと、暁って呼んでくれない?」
「急だな」
「帝って呼ばれると、雪と紛らわしいでしょ」
「ああ、双子だもんな」
「だから、これからは暁でいいから」
「分かったよ、暁」
「っ!」
暁が勢いよくこちらを見る。
「何?」
「い、いきなり呼ばないでよ!」
「今呼べって言ったよな?」
「言ったけど、心の準備ってものがあるでしょ!」
「知らないよ、そんなの」
「もう一回!」
「何で?」
「今度はちゃんと聞くから」
「…………暁」
「…………」
「満足?」
「……まあね」
何なんだ、こいつ。
「じゃあ、明日から元気になるから、今日は本当にそっとしてくれない?」
「今日だけっていうのが余計に気になるのよ」
「それは……」
「今からどこに行くつもり?」
「…………」
答えようか迷った、その時だった。
「それ、私も気になってたんだよね」
「「うわっ!」」
突然真横から声がして、俺と暁は同時に飛び退いた。
「もう。二人とも驚きすぎじゃない?」
そこにいたのは由美姉ちゃんだった。
「どこから出てきたんだよ!」
「さっきから近くにいたよ?」
「全然気づかなかったんだけど……」
「人をお化けみたいに言わないでよ。私でも傷つくんだからね?」
「お姉ちゃんが急に出てくるからでしょ……」
少し遅れて、由美姉ちゃんの後ろから小鳥遊も姿を見せた。
「櫻坂君、ごめんね」
「何で小鳥遊が謝るの?」
「お姉ちゃんが迷惑かけてるから……」
「優、それ酷くない?」
「だって本当でしょ」
「…………」
この姉妹、見た目だけじゃなくて性格まで随分違うんだな。
由美姉ちゃんは思ったことをそのまま行動に移すタイプ。
小鳥遊はその後ろで周りへ気を遣うタイプ。
妹も大変そうだ。
「一応、今日のお昼前にね」
小鳥遊が申し訳なさそうに続ける。
「櫻坂君、今日は一人にしてほしそうだから、そっとしておいた方がいいよってお姉ちゃんに言ったの」
「だから昼は来なかったんだ」
「うん。でも放課後になったら、お姉ちゃんがどうしても気になるって……」
「だって心配なんだもん」
由美姉ちゃんが当たり前のように言う。
「幸ちゃん、今日ずっと様子おかしいし」
「…………」
その言葉を聞いた暁が、由美姉ちゃんへ視線を向けた。
「先輩って……櫻坂のこと、好きなんですか?」
「暁?」
何で今その質問になるんだ。
由美姉ちゃんも少し驚くかと思ったが。
「うん。大好きだよ?」
迷いなく答えた。
「なっ……!」
「お姉ちゃん……」
暁は目を見開き、小鳥遊は額へ手を当てている。
俺も反応に困った。
以前にも似たようなことを言われた気がするけれど、こうして本人から真正面に言われると、どうしても少し意識してしまう。
「由美姉ちゃん、そういうの簡単に言わない方がいいって」
「簡単に言ってないよ?」
「え?」
「本当に思ってるから言ってるの」
「…………」
余計困る。
「もう、お姉ちゃん……」
小鳥遊が深いため息をついた。
「それより」
由美姉ちゃんが急に表情を変える。
さっきまでの柔らかい笑顔ではなく、真剣な目で俺を見た。
「幸ちゃんが今から行こうとしてる場所って、幸ちゃんが変わった理由と関係あるの?」
「…………」
言葉に詰まった。
四年前。
俺は由美姉ちゃんと別れてから、明らかに変わった。
昔の俺を知っている由美姉ちゃんだからこそ、それは誰よりも分かっているのだろう。
「……まあ、関係はあるよ」
誤魔化す気にはなれなかった。
それだけ伝えると、由美姉ちゃんは少し悲しそうに目を細める。
「だったら、私も一緒に行っていい?」
「…………」
「幸ちゃんが何を抱えてるのか、私はまだ知らない。でも、一人で全部抱えなくてもいいんじゃないかな」
由美姉ちゃんはゆっくり俺の手を取った。
「全部じゃなくてもいいの。少しだけでも私に分けてほしい」
「由美姉ちゃん……」
「だって、幸ちゃんのこと大切だから」
その言葉に、胸の奥が痛んだ。
嬉しくないわけじゃない。
むしろ、そこまで思ってくれていることは嬉しかった。
それでも。
「……ごめん」
「…………」
「今日は、一緒には行けない」
あそこだけは駄目だ。
誰かを連れて行けば、きっと俺は平静ではいられなくなる。
泣くかもしれない。
取り乱すかもしれない。
ずっと隠している弱い部分を、全部見せてしまうかもしれない。
それだけは怖かった。
「まだ……誰かと一緒に行けるほど、俺の中で整理できてないんだ」
「…………」
「だから、ごめん」
由美姉ちゃんはしばらく何も言わなかった。
暁も、小鳥遊も黙っている。
「そっか」
やがて由美姉ちゃんが、少し寂しそうに笑った。
「分かった。今日はついて行かない」
「ありがとう」
「でもね」
「ん?」
「来年は、一緒に行けたらいいな」
「…………」
「その時までに、幸ちゃんが少しでも私たちを頼れるようになってたら嬉しい」
「私たち?」
「もちろん私もだからね、櫻坂」
暁がすぐに口を挟んだ。
「来年は私も一緒に行く」
「勝手に決めるなよ」
「友達なんだからいいでしょ」
「よくないだろ」
「じゃあ私も……」
小鳥遊が小さく手を上げる。
「お姉ちゃんが暴走しないように、ついて行った方がいいかなって」
「優まで!?」
「だって心配だから」
「私ってそんなに信用ないの?」
「うん」
「即答しないでよ!」
「…………」
三人のやり取りを見ていると、さっきまで重たかった胸がほんの少しだけ軽くなった。
「来年か……」
俺は小さく呟く。
来年の四月十二日。
その時の俺が、今と同じなのかは分からない。
それでも。
「……その時、ちゃんと話せるようになってたらな」
「うん」
由美姉ちゃんが優しく笑う。
「待ってるよ」
「私も」
「私も待ってるね」
「三人とも気が早いよ」
俺は苦笑しながら、再び歩き出した。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね、幸ちゃん」
「明日は元気に来なさいよ、櫻坂」
「無理しなくてもいいからね、櫻坂君」
三人の声を背中で聞きながら、俺は小さく手を上げる。
「分かったよ」
それ以上、三人は追いかけてこなかった。
一人になった俺は、そのまま自宅近くにある墓地へと向かう。
歩みを進めるほど、さっき少しだけ軽くなったはずの胸が、再び重くなっていく。
四月十二日。
毎年必ず訪れる、俺にとって最も嫌いな日。
その日だけは、どれだけ逃げたくても逃げるわけにはいかなかった。
俺は一人、墓地へ続く道を歩いていった。




