↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの町に生きていた僕たち  作者: 昶見宇登
第一部 高校開幕編
PR
15/21

残酷な日常は事実を突きつける

「おはよう、櫻坂」


 朝の教室へ入ると、聞き慣れた声が俺を迎えた。


 光陽学園へ入学してから、早くも一週間が経っている。


 最近の俺は、少しだけ早めに学校へ来るようになっていた。特に理由があるわけではなく、家にいても朝からやることがないから、その時間を学校で過ごしているだけだ。


 元々起きる時間が早いこともあって、普段なら俺が教室へ着いた時には誰もいない。


 けれど今日は珍しく、先客がいた。


「……おはよう、帝。今日も元気そうで何より」


 自分でも分かるくらい、声に力が入っていなかった。


 帝暁はそんな俺の様子を不審に思ったのか、机に鞄を置きながら眉をひそめる。


「何よ、その挨拶。朝から元気なさすぎじゃない?」


「そう?」


「そうよ。いつもならもう少し腹立つ返事してくるでしょ」


「酷い評価だな」


「事実でしょ?」


 暁は肩まで伸びた黒髪を軽く払うと、俺の前まで歩いてきた。


 空手を続けているだけあって姿勢がよく、無駄のない動きは普段の何気ない仕草にまで染みついている。


「毎回思うけど、帝って朝から元気だよな」


「普通よ。あんたが死にかけみたいな顔してるだけ」


「はは……暴力反対」


「まだ何もしてないんだけど?」


 俺が力なく片手を上げると、暁はますます怪訝そうな顔になった。


 普段なら、ここでもう少し言い返す。


 暁が何か言えば、俺も適当なことを返して、最後には暁が怒る。


 いつの間にか、それが俺たちのいつものやり取りになっていた。


 でも今日は、それすら面倒だった。


「本当にどうしたの?」


「何でもないよ」


「何でもない顔じゃないでしょ」


「眠いだけ」


「嘘」


「何で分かるんだよ」


「一週間一緒にいれば、それくらい分かるわよ」


「…………」


 思わず黙ってしまった。


 暁はそんな俺の反応を見て、さらに表情を曇らせる。


「櫻坂」


「何?」


「具合悪いなら保健室行った方がいいんじゃない?」


「大丈夫」


「でも――」


「本当に大丈夫だから」


 少し強めに言ってしまった。


「…………」


 暁の表情が僅かに固くなる。


「ごめん」


「別にいいけど」


 気まずい空気が流れた。


 それを誤魔化すように、俺は小さく笑う。


「ほら、帝。いつもの空手でもやったら?」


「何それ。殴ってほしいの?」


「冗談」


「今日は本当に変ね」


「そうかな」


「そうよ」


 暁は俺の前に立ったまま、じっと顔を覗き込んでくる。


「…………」


 嫌だ。


 見ないでほしい。


 今日だけは。


 誰にも自分の顔を見られたくなかった。


「帝」


「何?」


「本当に放っておいてくれない?」


「…………」


「今日だけでいいから」


 その言葉を聞いた瞬間、暁の表情が変わった。


「今日だけ?」


「うん」


「それ、どういう意味?」


「別に意味なんてないよ」


「あるでしょ。わざわざ『今日だけ』なんて言うんだから」


「…………」


「今日、何かあるの?」


 暁の問いに、胸の奥が僅かに痛んだ。


 答えたくない。


 言葉にしたくない。


 口にしてしまえば、記憶の中に押し込めているものまで全部溢れ出してきそうだった。


「何でもないって」


「櫻坂」


「何でもない!」


 思った以上に大きな声が出た。


「…………っ」


 暁が驚いたように目を見開く。


「ごめん」


 すぐに視線を逸らした。


「でも、本当に何でもないから」


「…………」


「今日だけは、一人にしてほしい」


 それだけ言い残し、俺は自分の席へ向かった。


 鞄を机の横へ置き、そのまま腕を枕にして突っ伏す。


 何もしたくない。


 誰とも話したくない。


 何も思い出したくない。


 それなのに、目を閉じた瞬間から嫌でも記憶が蘇ってくる。


 声。


 顔。


 あの日の光景。


 忘れようとしても、忘れられない。


 時間が経てば少しずつ薄れていくものだと思っていた。


 けれど違った。


 何年経っても、この日が来るたびに鮮明になる。


 胸の奥から湧き上がってくるのは、悲しさだけじゃない。


 悔しさ。


 怒り。


 憎しみ。


 そして何より、自分自身へのどうしようもない嫌悪感。


「…………」


 拳を握る。


 爪が掌へ食い込んでも、ほとんど気にならなかった。


 どうして。


 あの時。


 俺は――。


「…………やめろ」


 これ以上考えるな。


 分かっている。


 分かっているのに、記憶は止まってくれない。


「今日だけは……駄目なんだよ……」


 誰に言うでもなく、小さな声が漏れた。


 少し離れた場所にいる暁がこちらを見ている気配がしたけれど、顔を上げることはできなかった。


 今だけは、誰にも触れてほしくない。


 ただ目を閉じて、この一日が少しでも早く終わることだけを願う。


 四月十二日。


 少しずつ桜が散り始める、この季節。


 それは俺にとって、ただの日付ではない。


 何年経っても忘れることのできない出来事が起きた日であり、今でも思い出すたびに胸の奥を抉られる。


 俺――櫻坂幸にとって。


 四月十二日は、一年の中で最も嫌いな日だった。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。