対照的なものは惹かれ、離れ、再び惹かれるもの
「お姉ちゃん!」
昇降口を出た私は、少し離れた場所にあるベンチへ向かって駆け出した。
そこには、長い髪を春風に揺らしながら、一人の女子生徒が座っている。
私のお姉ちゃん――小鳥遊由美だ。
「お帰り、優。どうだった?」
私に気づいたお姉ちゃんはベンチから立ち上がり、いつもの優しい笑顔を浮かべた。
「何が?」
「決まってるでしょ。幸ちゃんだよ。初めて会った幸ちゃんは、どうだった?」
「……やっぱり、それ聞きたかったんだ」
「分かる?」
「分かるよ。お姉ちゃん、朝からずっと櫻坂君のことばっかりだったもん」
「だって、四年ぶりに会えたんだよ?」
そう言って嬉しそうに笑うお姉ちゃんを見ながら、私は鞄を胸の前で抱え直した。
いつ見ても、本当に綺麗だと思う。
長い髪も、整った顔立ちも、柔らかく微笑む仕草も、お姉ちゃんには人の目を自然と引きつけるものがある。
実際、今だって昇降口を出ていく何人もの生徒が、お姉ちゃんの方を振り返っていた。
「…………」
それに比べて私は眼鏡をかけていて、これといって目立つところもない。
鏡を見ればいつも思う。
普通だ。
良くも悪くも、どこにでもいそうな女の子。
もちろん、お姉ちゃんと比べなければ気にならないのかもしれない。それでも、こんなに綺麗な人が実の姉としていつも近くにいると、どうしても比べてしまう。
羨ましい。
私もお姉ちゃんみたいだったらよかったのに。
そんな気持ちが、いつか別の感情に変わってしまうんじゃないかと思うことさえあった。
「優?」
「え?」
気づけば、お姉ちゃんの顔がすぐ目の前にあった。
「わっ! 近いよ、お姉ちゃん」
「だって、急に暗い顔するから。何かあった?」
心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
本当に、こういうところだ。
お姉ちゃんは昔から優しい。
私が落ち込めばすぐに気づいてくれるし、困っていれば何も言わなくても助けてくれる。
お姉ちゃんは何も悪くない。
それなのに、その優しささえ自分との差を見せつけられているように感じてしまう時がある。
そんな自分が嫌だった。
「なんでもないよ」
「本当に?」
「うん、本当に」
「ならいいけど……」
まだ少し心配そうにしている。
これ以上追及される前に、私は話題を変えることにした。
「それより、お姉ちゃんが言ってた幸ちゃんなんだけど」
「どうだった!?」
「食いつきすぎだよ……」
「だって気になるんだもん!」
「分かったから、少し落ち着いて」
私は今日の教室を思い出す。
櫻坂幸君。
入学初日から遅刻してきた男の子。
眠たそうな目をしていて、どこか力の抜けた雰囲気がある。
人から見られることが嫌いだと言っていたのに、なぜか私のことはじっと見ていた。
「不思議な人だったよ」
「でしょ?」
「うん。なんて言えばいいのかな……眠そうだし、ちょっと無気力そうにも見えるんだけど」
「うんうん」
「でも、近くにいると不思議と安心する感じがする」
上手く言葉にはできなかった。
ただ、教室へ入ってきた時もそうだった。
それまで緊張していた空気が、櫻坂君が先生と話し始めると少しだけ柔らかくなった気がした。
「優しいっていうのとも、少し違うのかな」
「ううん、それで合ってると思うよ」
「そうなの?」
「幸ちゃんって、昔からそうなんだよ」
お姉ちゃんは懐かしそうに笑った。
「自分から目立つようなことは絶対にしないし、人と話すのだって得意じゃないんだけど、誰かが困ってると放っておけないの」
「へぇ……」
「昔ね、私が転んで足を怪我したことがあったんだけど、その時も幸ちゃん、自分だって小さかったのに私を背負って保健室まで連れていってくれたんだよ」
「そんなことがあったんだ」
「うん。それだけじゃなくてね、雨の日に私が傘を忘れた時も――」
「お姉ちゃん」
「あと、小学校の飼育小屋で――」
「お姉ちゃん」
「それからね――」
「続きは家に帰ってから聞いてあげるから」
「えー」
露骨に不満そうな顔をする。
「どうして?」
「どうしてって……お姉ちゃん、自分がどれだけ目立つか分かってないでしょ?」
「私が?」
「そう」
「なんで?」
「……やっぱり分かってないんだ」
私は小さくため息をついて、周囲を見渡した。
案の定、何人かの生徒がこちらを気にしている。
「お姉ちゃんがここでずっと一人の男の子の話をしてたら、変な噂になるかもしれないでしょ?」
「私と幸ちゃんの?」
「そう」
「それはちょっと嬉しいかも」
「なぜ、そこで嬉しそうにするの……」
「だって、幸ちゃんとの噂なんでしょ?」
「そういう問題じゃないよ」
絶対に半分くらい本気だ。
「それに、お姉ちゃんのことが好きな男子だっているかもしれないんだから。そんな人に櫻坂君の話を聞かれたら、櫻坂君の方が変に目をつけられるかもしれないよ」
「そうなの?」
「いるよ、絶対。お姉ちゃん、自覚なさすぎ」
すると、お姉ちゃんは少しだけ考えたあと、何でもないことのように口にした。
「でも、私には関係ないかな」
「え?」
「だって、私が気になるのは幸ちゃんだから」
「…………」
お姉ちゃんは少し恥ずかしそうに笑った。
やっぱり、そうなんだ。
昔から櫻坂君の話を何度も聞かされていたから、何となく分かってはいた。
それでも本人の口からはっきり聞くと、妙に現実味がある。
「そっか」
「うん」
櫻坂君のことを話している時だけ、お姉ちゃんはいつもより少し女の子らしい表情をする。
そんなところまで綺麗に見えてしまうから、本当にずるいと思う。
「優?」
「何でもないって」
「本当に?」
「本当に。それより、そろそろ帰ろうよ」
「もう?」
「今日、お母さんと料理するんでしょ?」
「あっ!」
お姉ちゃんの表情が一気に変わった。
「忘れてた!」
「ほら」
「今日から幸ちゃんが学校に来るから、お弁当を作ってあげられるように料理の練習するんだった!」
「……そこまで考えてたんだ」
「もちろん!」
胸を張るお姉ちゃんを見て、私は少し考えた。
「でも、お姉ちゃん。いきなりお弁当を作っていったら、櫻坂君も困るんじゃない?」
「え?」
「四年ぶりに再会した次の日に『お弁当作ってきたよ』って渡されたら、ちょっと驚くと思う」
「嫌かな……?」
「嫌というより、少し距離の詰め方が早いかも」
「…………」
目に見えて落ち込んだ。
「そんな顔しないでよ。まずは普通に話すところからでいいんじゃない?」
「普通に?」
「うん」
「一緒に帰ったり?」
「それくらいならいいと思う」
「一緒にお昼食べたり?」
「それもいいんじゃない?」
「毎朝迎えに行ったり?」
「それはちょっと待って」
「どうして!?」
「だから、距離の詰め方が急なんだって!」
「私は四年も待ったんだよ?」
「櫻坂君からしたら今日再会したばっかりだから!」
「むぅ……」
お姉ちゃんは子供みたいに頬を膨らませた。
「本当にもう……」
こうしていると、さっきまで完璧に見えていたお姉ちゃんが急に年相応に見えてくる。
「分かった。それじゃあ、とりあえず今日は帰ろっか」
「うん」
「先に家に着いた方が勝ちね!」
「え?」
「よーい――」
「ちょっと待って、お姉ちゃん」
「ドン!」
「私の話を聞いてよ!」
私の制止を無視して、お姉ちゃんは走り出した。
「もう……」
その背中を見ながら、思わずため息をつく。
春風が吹き抜け、数え切れないほどの桜の花びらが舞い上がる。
その中を走るお姉ちゃんの長い髪が、風に揺れていた。
「優ー! 早くー!」
少し先まで行ったお姉ちゃんが、振り返って大きく手を振る。
「走らないって言ったでしょ!」
「置いてくよー!」
「もう!」
仕方なく、私も駆け出した。
「本当に世話が焼けるお姉ちゃんなんだから」
そう呟きながらも、自然と頬が緩む。
「待ってよ、お姉ちゃん!」
桜吹雪の中を走りながら、私は少し先にいる姉の背中を追いかけた。
大好きで、憧れている。
それと同じくらい羨ましくて、時々隣にいることが苦しくなる。
そんな複雑な気持ちを抱えながらも、今はただ、お姉ちゃんの隣まで追いつこうと思った。




