忘れ物
今日も雪が降る。
大学の構内も白く塗り替えられていた。
灯は民俗学の講義を受けていた。教室は暖房が効いているはずなのに、どこか寒々しい。
教授が壇上で話している。
「民俗学とは、過去の人間の声を聞く学問です」
「過去の人間の声を聞き、未来へつなぐことを皆さんも意識して学んで頂きたい。」
学生たちは眠そうだ。スマホをいじっている者もいる。
灯だけが真面目にノートを取っていた。
教授がふと、顔を上げた。
「そういえば篠宮さん」
「はい」
「遠野の伝承には興味あるかな」
「遠野ですか?」
灯は首を傾げた。
「カッパとか座敷わらしですか?」
教授は笑った。
「それもありますね。だけど、本当に面白いのは人間だよ」
意味深な言葉だった。
だが、教授はそれ以上語らなかった。
講義が終わり、灯は駅へ向かった。
−−−
夕方。
空は すでに薄墨色だった。
ホームのベンチに、古い学生鞄が置かれていた。
誰もいない。
灯は足を止めた。
「忘れ物かな」
少し迷って、交番へ届けることにした。
それで終わり。のはずだった。
−−−
翌日。
大学の同じホームの同じベンチに、あの鞄があった。
「え?」
灯は目を丸くした。
昨日、交番に届けたはずだ。
不思議に思いながら、再び届ける。
しかし、次の日。
またある。
灯は諦めて、骨董店へ向かった。
「なんだそりゃ。呪いの鞄か?」
柴崎が新聞紙の裏から声を上げた。
「いや、呪いじゃないです。ただ戻ってくるんです」
静弥は鞄を観察した。
少しの沈黙。
「それも違う」
「え?」
「怪異だ。なりかけだがな」
灯は肩を落とした。
「やっぱりですか」
夜。
骨董店で鞄を開けることにした。
中身は、古いノート。受験票。ボールペン。学生証。
そして、封筒。
宛名はない。
灯は大学の図書館で調べた。
「何でもあるなぁ〜。うちの図書館」
古新聞。過去の事故記録。
二十数年前の冬。
大学受験へ向かう高校生が、吹雪の日、交通事故で死亡した。
名前は、高橋優斗。当時十八歳。
将来は教師になりたかったという。
「若いなあ。」
灯は寂しげに呟いた
−−−
夜、骨董店で封筒を開けることにした。
開いてはいけない気がした。でも、これを解決するためには読むしかない。
中身は、母親への手紙だった。
『今までありがとう』
『大学受かったら恩返しする』
『ちゃんと言えてなかったけど』
『母さんの子供で良かった』
短い手紙。
灯は自分の目頭が熱くなるのが分かった。
静弥は黙って聞いていた。
少しだけ、遠くを見る目をしている。
灯は手紙を握りしめた。
「届けたいんですよね」
静弥は頷いた。
「そうだろうな」
「帰れなかったから」
夜。駅。雪。
灯は一人でベンチに座っていた。鞄を持っている。
そこに、一人、少年が現れた。
製服姿。足元はぼんやりしてる。
おそらく高橋優斗。
怖くない。
普通の少年だ。
「鞄、見つけてくれたんだ」
灯は頷いた。
「うん」
「届けなきゃ」
少年は言った。
「母さんに」
「早く行かなきゃ」
「でも、届けられないんだ。」
彼はずっと、同じ駅、同じベンチ、同じ時間を繰り返している。
灯は初めて、静弥抜きで怪異と向き合った。
「届けよう」
灯は言った。
少年は驚いた顔をする。
「え?」
「私が、必ず届ける」
−−−
柴崎も調査に協力してくれた結果、母親はまだ生きていることが分かった。
地方で一人暮らしをしている。
灯、静弥、柴崎の三人で訪ねた。
小さな家。
仏壇。
写真には、優斗の笑顔があった。
母親は年齢以上に年を取っているように見えた。
仏壇を見ながら話してくれた。
「あの子は、とても優しい子でした」
「でも恥ずかしがりやでね。ありがとうとか、感謝してますなんて言ってくれなかったの。」
一言くらいあってもよかったのにと冗談めかして少し笑う。でも、その顔は寂しそうだった。
「あの、今日はこれを渡しに来たんです。」
灯は手紙を渡した。
「これは……この字は…」
母親の手が震える。
封筒を開く。
読む。
涙が一筋流れ落ちた。
声にならない嗚咽が続く。
−−−
駅。夜。雪。
再び優斗が現れた。
母親も来ている。
再会。
怪異だから、触れられない。
でも、見える。
抱きしめる。
母親は言った。
「ありがとう」
「頑張ったね」
「十分頑張った」
優斗は、声を上げて泣いた。
灯はその様子を見守る。
静弥も、何も言わない。
優斗は言った。
「行かなきゃ」
「やっと、行ける」
微笑みながら雪の中へ、消えていく。
鞄も共に消えた。
最期に灯はありがとうと聞こえたように感じた。
−−−
大学。
教授がレポートを見ていた。
「篠宮君。遠野って知ってるかな?」
「面白い話があるんだ」
灯は首を傾げた。
「遠野ですか?」
教授はふふふと笑った。
「雪女でも、座敷わらしでもない」
「もっと古い話があるんだよ」
窓の外。
東北の雪景色。
そして、遠野へ続く道。
(第八話「忘れ物」了)
間が空き申し訳ありません。遅筆のため、ゆっくりお待ち頂けると幸いです。




