EP 9
魔王の玉座と魂の契約(最悪のTOB)
漆黒の両開き扉を抜けた先は、もはや「部屋」という概念すら崩壊した異空間だった。
足元には、星空をそのまま切り取ったかのような透き通ったガラスの床。
果てしなく広がる虚空の中心に、黒曜石と銀の茨で編み上げられた巨大な玉座が浮かんでいる。
そして、その空間には『甘い腐臭』と『オゾン』の匂いが充満していた。
致死量の魔力が、呼吸をするたびに政宗の肺を焼き、寿命をゴリゴリと削り取っていくのが分かる。
「……よくぞ辿り着いたな、脆弱な人間の王よ」
虚空に響き渡る、美しくも冷酷な声。
玉座に深々と腰を下ろす魔王ラスティア。彼女は、氷のような虚無の瞳で、血塗れの政宗を見下ろしていた。
だが、政宗の視線は魔王ではなく、彼女の『足元』に釘付けになっていた。
「……キャルル……ッ」
政宗の心臓が、早鐘のように跳ね上がった。息が詰まる。
玉座の足元。
そこには、ポポロ村で着ていたエプロンドレスではなく、豪奢で退廃的な黒いドレスを着せられたキャルルが座り込んでいた。
彼女の首には、赤黒い魔力で編まれた【隷属の首輪】が嵌められている。
「キャルル! 俺だ、分かるか!」
政宗が叫ぶが、キャルルはビクッともしない。
彼女の瞳からは光が完全に消え失せ、焦点の合わない目でただ虚空を見つめている。
魂を魔王に明け渡し、自我を完全に封印された『生きた人形』の姿だった。
(……ッ! クソが……っ!)
政宗は、奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めた。
胃袋がひっくり返るような怒りと絶望。自分の無力さへの吐き気。
感情が暴走し、今すぐ玉座に殴りかかりたいという衝動が全身を支配する。
『王様! クールダウンして! 今感情的になったら、一瞬で魂を消し飛ばされるよ! 呼吸を整えて、あなたは【ファンドマネージャー】でしょ!』
インカムから、蘭の鋭い声が飛ぶ。
「……スゥゥゥゥ、ハァァァァ……」
政宗は、極限の精神力で己の怒りを氷の奥底へと封じ込めた。
修羅の怒りを、ロジックという絶対の鎖で縛り上げる。
再び顔を上げた時、彼の顔からは一切の感情が抜け落ち、極悪な『商社マン』の仮面が完璧に張り付いていた。
「……趣味の悪いペットを飼ってるな、魔王様よ」
政宗は、血の滲む唇を歪めて不敵に笑った。
「そのウサギの所有権、俺が買い上げ(バイアウト)に来たぜ」
ラスティアの細い眉が、ピクリと動いた。
「買い上げる、だと? ……フッ、アハハハハ!」
魔王の笑い声が、空間を震わせる。
「ルーベンスから聞いたぞ。お前が、この私に『ゲーム』を挑みに来たと。……永遠を生きる私に対する、極上のエンターテインメントだと? 買い被るな、人間」
ラスティアが指を鳴らす。
瞬間、政宗の首筋に、目に見えない氷の刃が突きつけられた。皮膚が浅く切れ、ツーッと血が流れる。
「お前など、私が瞬きする間に塵となる。そんな圧倒的な強者に対し、丸腰で、しかも己の命一つをチップにして交渉が成立すると思っているのか? ……お前の命など、私にとっては路傍の石以下の価値しかない」
「ああ、ただの命ならな」
政宗は、首に突きつけられた見えない刃から逃げもせず、真っ直ぐにラスティアを見据えた。
「だが、俺の魂は『特別』だぜ? ガオガオンの雷を潜り抜け、大国を算盤でひざまずかせた、地球で一番傲慢でルール破りの魂だ。……お前が永遠の寿命の中で集めてきた、どこの従順なペットよりも、最高に美味くて『刺激的』なはずだ」
政宗は、両手を広げた。
「俺の魂と、俺が持つポポロ村の全権(世界経済の支配権)。……この二つを掛ける。俺が負ければ、俺は喜んでお前の足元で永遠に靴を舐める奴隷になってやるよ」
ラスティアの虚無の瞳に、微かな『熱』が灯った。
服従を拒む、生意気で傲慢な人間の王。その誇り高き魂をへし折り、足元に跪かせる屈辱と快感。
それは確かに、退屈しきった魔王にとって、何百年ぶりに味わう極上の『蜜』の予感だった。
「……面白い。その傲慢さ、嫌いではないぞ」
ラスティアが指を振ると、政宗の首の刃が消えた。
代わりに、空中に赤黒く燃え盛る【羊皮紙】と【血の羽根ペン】が出現し、政宗の目の前にフワリと降りてきた。
「ルールは至極単純だ。……今から私が、お前のその『算盤』を試す3つの【試練】を与える。一つでもクリアできなければ、お前の負けだ」
ラスティアは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「この『魂の絶対誓約書』にサインをしろ。これは、この世界の法則そのものを縛る呪い。いかなる魔神であろうと、一度サインすれば契約は絶対。破れば魂は永遠の業火に焼かれて消滅する。……さあ、命をベットしろ、人間」
『王様! 契約書の波長、読み取った!』
蘭の声が、インカムで弾けるように響く。
『確かに絶対の魔導法則で縛られてるけど……文章の構造が、地球の「法律」に比べたら信じられないくらい大雑把だよ! これなら、絶対に【ハッキング(抜け道)】を作れる!』
「……上等だ」
政宗は、空中に浮かぶ血の羽根ペンを、一切の躊躇なく掴み取った。
「言っておくが、俺は負けず嫌いでね。……契約書にサインした以上、後で泣きついてもクーリングオフは受け付けねえぞ、魔王様」
サラサラサラ……ッ。
政宗は、羊皮紙の最下段に、堂々たる筆致で『力武政宗』とサインを刻み込んだ。
その瞬間、契約書がドクンと脈打ち、政宗の心臓に赤黒い魔法の鎖が巻き付く感覚が走った。
絶対の死の契約。
だが、政宗の口元には、悪魔すら青ざめるような極悪な笑みが張り付いていた。
(……かかったな、不老不死のバカ女)
相手は、魔法という絶対的な力に頼りきり、複雑な「契約社会(資本主義)」の悪辣さを知らない異世界の住人だ。
地球の法務と金融が何百年もかけて練り上げてきた『約款のバグ(解釈のハッキング)』の恐ろしさを、今から骨の髄まで叩き込んでやる。
「さあ、始めようぜ。……命と魂を賭けた、最悪の『敵対的買収(TOB)』をな」
魔王と商社マン。
全く異なる二つの絶対的なルールが激突する、運命の死のゲームが、今ここに開幕した。




