EP 8
悪魔の門番と、極悪なプレゼン
漆黒の巨城の内部は、恐ろしいほどの静寂と「美」に支配されていた。
柱の一つ、絨毯のひと織りに至るまでが、人間の歴史上のどんな芸術品すら霞むほどの魔力と美意識で編み上げられている。
だが、その空間に満ちている魔力濃度は、人間にとっては「猛毒」に等しかった。
「……ッ、ハァ……ハァ……」
政宗は、一歩足を踏み出すたびに、肺が焼けるような痛みに襲われていた。
鼻血がツツーッと顎を伝い、白いワイシャツを汚す。細胞の一つ一つが「ここにいてはいけない」と悲鳴を上げている。
『王様、バイタルが急低下してる! 城の結界の濃度が高すぎるの。……急がないと、細胞が内側から崩壊するよ!』
インカムから響く早乙女蘭の声も、限界に近い焦りを見せていた。
「……分かってる。だが、急がせてくれるような優しい連中じゃ、ないらしいぞ」
政宗が血混じりの唾を床に吐き捨てた、その時。
パチ、パチ、パチ……。
広大な回廊の奥から、優雅な拍手が響いた。
「見事です。下級貴族を虚栄心で騙し、結界をすり抜けて我が君の城まで辿り着くとは」
闇の中から姿を現したのは、ポポロ村に絶望を宣告したアバロンの特命大使——ルーベンスだった。
「だが、貴方の浅知恵もここまでです。……人間よ。貴方のその薄汚れた足跡は、これ以上、この美しい城にはふさわしくない」
ルーベンスが指を鳴らした瞬間。
政宗の周囲の空間が、物理的な「万力」となって彼を締め上げた。
「ガッ……ァ……ッ!」
骨が軋み、政宗は膝をつきそうになる。
ルーベンスの放つ『重圧』は、ただの魔力の放出ではない。相手の精神を直接へし折る、上位存在としての絶対的な『命令』だった。
「算盤が砕け散った貴方に、何ができるというのです? 武器もなく、金も通じない。……貴方は今、丸腰で竜の顎に飛び込んだただの自殺志願者だ」
ルーベンスの冷たい言葉が、政宗の精神を削りにかかる。
——そうだ。俺には何もない。
かつてなら、ここで「いくら欲しい」と交渉しただろう。だが、彼らには金が通じない。
資本主義という最強の盾を失った政宗は、ルーベンスの目には「殻を剥かれた脆弱な貝」にしか見えていなかった。
だが。
「……ククッ。……ハハハハッ!」
万力のような空間の重圧の中で。
政宗は、鼻血を垂らしながら、不敵に笑い始めたのだ。
「……何がおかしいのです」
ルーベンスの美しい眉が、不快げに顰められる。
「おかしいだろ。……お前、俺が『手ぶら』で来たと思ってるのか?」
政宗は、震える足に力を込め、ゆっくりと……本当にゆっくりと、立ち上がった。
どれだけ魔力で空間を押し潰されようと、彼の【目】だけは、一切の光を失っていなかった。いや、むしろポポロ村で絶望していた時よりも、はるかに獰猛な光を放っている。
「ルーベンス。お前らは『金(物質)』には興味がない。求めるのは絶対的な『美』と『魂』、そして……退屈を紛らわせる『極上の娯楽』だ」
「……それがどうしたというのです」
「なら、俺はお前らのボスのために、宇宙で一番面白い『エンターテインメント』を持ってきたってことだ」
政宗は、血に濡れた手で、懐から一本の赤マルを取り出し、火をつけた。
そして、ルーベンスに向かって紫煙を吹きかける。
「お前ら魔族は、永遠の寿命を持て余してる。キャルルの魂を奪ったのも、結局は『退屈しのぎのペット』が欲しかったからだろ? ……だがな、手に入れた途端に飽きるのが、お前らみたいな不老不死のバグの宿命だ」
『王様! ルーベンスの魔力波長、少し乱れた! 奴の「興味」を引いてる!』
蘭の報告がインカムに響く。
「俺は、お前らのボス(ラスティア)に、史上最高の【ギャンブル】を提案しに来た。……俺の魂と、俺が築き上げた『世界の心臓(ポポロ村)』の全権。その全てを賭けて、ラスティアと『ゲーム』をしてやる」
政宗は、両手を広げ、極悪なセールスマンの笑みを浮かべた。
「俺が負ければ、俺の魂も世界経済も、永遠にお前らのものだ。だが俺が勝てば、キャルルを返してもらう。……どうだ? 退屈しきった魔王様にとっては、ウサギ一匹を抱えて永遠に引きこもるより、よっぽど極上の『暇つぶし(ディール)』になるはずだぜ」
ルーベンスは、沈黙した。
魔族の価値観において、「未知」と「娯楽」は何よりも優先される。
この死にかけの人間が、魔王に対して自らの魂をベットし、ゲームを挑もうとしている。その狂気じみた『美しさ(命の輝き)』は、確かに魔族の虚栄心と好奇心を強烈に刺激するものだった。
「……仮に、我が君がその哀れな提案に乗ったとして。貴方は、ここで私に殺されれば終わりですよ?」
ルーベンスが、冷たく宣告する。
「お前に俺は殺せねえよ」
政宗は、断言した。
「俺がここで死ねば、ラスティアは『永遠の退屈を紛らわせる極上のゲーム』を一つ、永遠に失うことになる。……お前、自分のボスの最大の『娯楽』を、門番の独断で勝手に握り潰せるのか? 後で魔王様から『お前、つまらないことしたね』って魂を消されても、文句は言えねえぞ?」
「……ッ!」
ルーベンスの表情が、初めて決定的に歪んだ。
政宗のロジックは、完璧な【影響力のハッキング】だった。
上司(魔王)の『絶対的な権力と退屈』を盾に取り、部下の『責任回避の心理』を完璧に突いたのだ。
これは、地球のブラック企業で、政宗が何度も使ってきた「役員決裁を逆手に取った恫喝交渉術」の応用である。
「……さあ、通せよ、ルーベンス。お前の上司に、最高の『プレゼン』をしに行く時間だ」
数秒の、永遠にも似た沈黙の後。
スッ……と。
政宗を縛り付けていた、致命的な空間の重圧が消え去った。
「……見事な詭弁だ、人間。言葉一つで、この私の殺意を縛るとは」
ルーベンスは、忌々しそうに、だがどこか『芸術品』を認めるような目で政宗を見た。
「玉座へ行くがいい。……我が君が、貴方のその狂気を『美しい』と判断するかどうか……見せてもらおう」
ルーベンスが道を譲る。
その背後にある、天を突くような巨大な漆黒の両開き扉が、重々しい音を立てて開いた。
「蘭。行くぞ」
『了解、王様。……私の計算能力、全部王様の脳に直結させる。絶対に勝とうね』
政宗は、血のついたネクタイを締め直し、タバコを携帯灰皿にねじ込んだ。
そして、算盤を捨て、己の命と魂だけを『チップ』として握りしめ。
絶望と美が支配する、魔王の玉座へと、その足を踏み入れた。




