EP 6
修羅の目覚め(主人公の底力)
静寂。
瘴気が晴れ、暖かな日差しが戻ったポポロ村の広場で、村人たちが次々と目を覚ましていた。
「……あれ? 俺、なんでこんなところで寝て……」
「体が、軽いわ。嫌な夢を見ていたような……」
倒れていた信長も、重い頭を振って立ち上がった。
「……おい、執事殿。何があった? 息苦しさが消えてる。……それに、ウサギはどこだ?」
信長の問いに、リバロンは血の滲む拳をきつく握りしめ、ただ深く、無言で首を振った。
その顔には、彼らしからぬ深い悔恨の色が浮かんでいた。
ウサギは、もういない。
彼女が自分自身の魂を売り払って、この村の平和を買い戻したのだ。
信長が血相を変えて執務室へと走り出した。
だが、その扉には内側から厳重なロックが掛けられていた。
暗く、冷え切った執務室。
ガシャァン……ッ。
壁に叩きつけられた魔導端末のモニターが、火花を散らして息絶えた。
床には、叩き割られたティーカップの破片と、無数の書類、そして吸い殻が散乱している。
政宗は、そのゴミ溜めのような床のど真ん中に、力なく座り込んでいた。
彼の手には、泥と血に汚れた一枚の『人参柄のハンカチ』が握られている。
(……俺は、何をしてるんだ)
政宗は、震える手でタバコを咥えようとしたが、指先の感覚がなく、ポロリと床に落としてしまった。
世界を買収し、大国をひざまずかせた。
誰にも文句を言わせない、最強の「算盤」と「城」を作り上げたはずだった。
だが、一番守りたかった、あのお人好しでバカなウサギ一匹を、目の前でかっ攫われた。
『政宗くんの算盤、壊れちゃってるもん』
キャルルの最後の言葉が、脳内で何度も、何度もリフレインする。
——金が通じない。
——武力が通じない。
——理屈が通じない。
魔族の圧倒的な魔法と、永遠の寿命。彼らのルール(盤面)において、政宗の武器は文字通り「ゴミ」だった。
「……あーあ。王様、完全にフリーズ(壊れちゃった)しちゃったね」
暗い部屋の中で、唯一生き残っていたスピーカーから、早乙女蘭の平坦な声が響いた。
彼女もまた、自分のAIが魔法の前に全く機能しなかったことに、深い苛立ちを抱えているはずだった。
「……うるせえ、クソガキ。通信、切れ」
政宗が掠れた声で吐き捨てる。
「切らないよ。……ねえ、王様。ゲームオーバーなの?」
蘭の声が、冷たく政宗を刺す。
「ウサギさんが連れ去られて、お金も使えなくて、チート魔法には勝てない。……王様の『資本主義』が通用しないから、もう諦めるの?」
政宗は、床に落ちたハンカチを見つめた。
薄っぺらくて、安っぽくて、何の魔力もない布切れ。
(……諦める?)
政宗の脳裏に、これまでの記憶がフラッシュバックする。
ブラック企業で血反吐を吐きながらノルマをこなした日々。
異世界に飛ばされ、オークの集落で泥水をすすりながら交渉した日。
そして……自分のボロボロになった顔を、このハンカチで優しく拭ってくれた、あの温かい手。
——諦めるわけが、ねえだろうが。
スッ……。
政宗の震えが、ピタリと止まった。
彼は、床に落ちていたZippoライターを拾い上げ、カチン、と小気味よい音を立てて火をつけた。
そして、新しく取り出した赤マルを深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「……蘭。執事」
政宗の声は、先ほどまでの絶望に満ちた掠れ声ではなかった。
絶対零度の氷のように冷たく、そして、地球のどんな兵器よりも恐ろしい『修羅』の響きを帯びていた。
「ドアを開けろ」
ガチャッ、と電子ロックが解除され、ドアの外で待機していたリバロンと信長が転がり込んできた。
「政宗! お前、キャルルが——」
信長が詰め寄ろうとするが、政宗の顔を見た瞬間、息を呑んで立ち止まった。
そこにいたのは、全てを失って絶望する男ではなかった。
目を血走らせ、口元に狂気的な三日月のような笑みを浮かべた、極悪な【ファンドマネージャー(捕食者)】の顔だった。
「……ああ、分かってる。あいつは拉致された」
政宗は立ち上がり、ボロボロになったスーツの埃を払い、ネクタイを締め直した。
そして、無事だった一台のモニターの前に立ち、早乙女蘭のウサギのアイコンを真っ直ぐに見据えた。
「俺の算盤が壊れた。金もロジックも、魔王の盤面じゃ紙切れ以下だ」
政宗は、タバコの煙を画面に吹きかけた。
「なら……『相手のルール』に乗っかって、内側から食い破ってやる」
「……どういう意味だ、政宗」
信長が怪訝な顔をする。
「あいつらの通貨は『魔法』と『魂』だ。……そして、あのアホウサギは、ラスティアと【魂の隷属契約】を結んだ」
政宗の瞳の奥で、黒い炎がメラメラと燃え上がる。
「契約があるなら、必ず【バグ(抜け道)】がある。……それがどんな魔法で書かれた絶対の誓約だろうが、条文が存在する以上、俺たち商社マンの『揚げ足取り(ハッキング)』から逃れられるわけがねえんだよ」
政宗は、人参柄のハンカチを自らの胸ポケットに、まるで最も高価なチーフのように丁寧にねじ込んだ。
「蘭。アバロン皇国のシステム……いや、異世界の『魔導法則』そのものの構造を解析しろ。俺とお前で、あいつらの魔法を『法務と金融のロジック』で完全に読み解く」
スピーカーの向こうで、蘭が息を呑む音が聞こえた。
そして、背筋が凍るような、狂気的な歓喜の笑い声が弾けた。
『——あはっ! あははははっ! 最高っ!! 異世界の魔法を、地球の法律と数学でハッキングするの!? それ、私の人生で一番難しくて……最高に面白いパズルじゃん!!』
「執事。信長」
政宗が振り返る。
「村の防衛と、あの老狸(若林)が差し向けてくる暗殺者の相手は、お前らに任せる。……俺は、出張に行ってくる」
「出張だと? どこへだ」
信長が問う。
「決まってんだろ」
政宗は、狂ったように笑った。
「魔王の玉座(アバロン皇国)だ。……あのクソ魔王に、俺の魂(命)を全額ベットして……最悪の【敵対的買収(TOB)】を仕掛けてやる」
世界を絶望させた絶対の魔法に、地球のドス黒い商法と知略が真っ向から牙を剥く。
一人の女を取り戻すためだけに、算盤を捨てた男の、狂気の単独潜入が始まろうとしていた。




