EP 4
算盤の通じない世界
カチャカチャカチャカチャカチャ……ッ!!
執務室に、キーボードを叩き壊すような激しいタイピング音だけが響き続けていた。
机の上の灰皿は、ひしゃげた赤マルの吸い殻で山盛りになり、灰が床に散乱している。
「……100億。いや、1000億だ! 5000億積んでもいい!!」
政宗の目は、完全に血走り、狂気を帯びていた。
複数のモニターには、マンルシア大陸中のあらゆる「闇市」「エルフの秘境」「古代遺跡の管理人」との通信ウインドウが開かれている。
世界中の富を掌握した政宗は、その無尽蔵の資金を使って、ポポロ村の村人たちを救うための『奇跡』を買い漁ろうとしていた。
「おい、エルフの長老! 魂の修復魔法、一回につき国債10年分払ってやる! ……ダメだ!? なぜだ、金が足りねえなら——」
『……申し訳ありません、特区の主よ。我々が束になっても、魔王の瘴気には抗えない。お金の問題ではないのです。……送金は、お返しいたします』
ブツン。
通信が切れる。画面に『Refund(返金)』の無機質な文字が表示された。
「クソがッ!! じゃあドワーフの霊薬は!? 錬金術師ギルドの賢者の石は!?」
『ダメだよ、王様』
スピーカーから、早乙女蘭の沈んだ声が響く。
『世界中の全ネットワーク、全ギルドを検索した。でも、どこも「魔王の悲哀」を上書きできるロジックを持ってない。……お金をいくら積んでも、カートに入れる「商品」自体が、この世界のどこにも存在しないの』
「存在しないなら、一から作らせろ! そのための開発資金だろ!!」
『……間に合わない。村人たちの魂は、あと二日と持たないよ』
ガシャァァァァンッ!!
政宗は、デスクの上のティーカップと書類を、腕で乱暴になぎ払った。
陶器が砕け散る音が、冷え切った部屋に虚しく響く。
「……ハァ……ハァ……っ」
政宗は、両手で顔を覆い、荒い息を吐いた。
手は震え、全身から嫌な脂汗が吹き出している。
(……俺の、金が。権力が。ただの『紙切れ』以下だって言うのか……!)
地球の超大国をひざまずかせ、世界経済の心臓を握った。
「これで全てをコントロールできる」「もう誰にも大切なものを奪わせない」と、本気で信じていた。
だが、その絶対の【誤った信念】は、今、音を立てて崩れ去っていた。
「……力武様」
ドアが静かに開き、リバロンが入ってきた。
完璧な燕尾服はそのままだったが、その手にはいつもの紅茶のトレイはなかった。
「……執事。村の様子は」
政宗が、顔を上げずに問う。
「……全滅です。自警団も、宿屋の女将も、行商人たちも。全員が広場で倒れ、昏睡状態に陥りつつあります。呼吸はしていますが、脈は……消えかけています」
リバロンの声には、初めて『隠しきれない焦燥』が混じっていた。
彼の人狼としての圧倒的な物理戦闘力(暴力)もまた、この目に見えない「瘴気」の前では何の意味も持たなかったからだ。
「……表に出るぞ」
政宗は、重い足を引きずって執務室を出た。
広場に出た政宗の目に飛び込んできたのは、つい昨日まで活気に溢れていた「世界の中心」の、見る影もない残骸だった。
静寂。
ただ、死を待つだけの静寂。
「……あ、ああっ……力武しゃま……っ」
広場の隅から、一人の商人が這いずってきた。
ルナミス帝国からポポロ村に乗り換え、莫大な利益を上げていた大商人だ。
彼は、金貨や宝石がパンパンに詰まった麻袋を抱え、政宗の足元にすがりついた。
「……どうちて……私の娘が、目を覚まさないのですか……っ! 最高級の回復薬を飲ませても、全然……っ!」
商人は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、袋の中身を政宗の足元にぶちまけた。
ジャラララッ……。
太陽の光を反射して、美しく輝く黄金の山。
「全部、差し上げます! 私の全財産です! だから、どうか、あのウサギの村長しゃまに……娘を、治すように言ってくだしゃい……っ! お願いします、何でもちますからぁぁっ!!」
政宗は、足元に散らばったその黄金を、ただ無言で見下ろしていた。
(……ああ。そうだ)
政宗の脳裏に、ルーベンスの嘲笑う声が蘇る。
『貴方は今、芸術の品評会に「電卓」を持ち込んで威張っている、ただの哀れな道化ですよ』
今、目の前で泣き叫んでいるこの商人の無力な姿は。
たった今まで、モニターに向かって「1兆払う!」と絶叫していた、自分自身の姿と全く同じだった。
命の危機において。魂の救済において。
資本(算盤)など、何一つ機能しないのだ。
「……しまえよ、その金。……そんなもん、今はただの……ゴミクズだ」
政宗は、血のにじむような声で絞り出し、背を向けた。
打つ手がない。
ガオガオンの法も、絶対の資本も通用しない。
相手は、金に興味のない不老不死のバグ(魔王)。
「……くそっ。……クソがッ!!」
政宗が、広場の石壁を、拳の皮が破れるほど強く殴りつけた、その時だった。
「——だめだよっ! みんな、あきらめちゃだめっ!!」
広場の中央。
意識を失いかけている村人たちの中心に、小さな影が飛び込んだ。
キャルルだ。
彼女は、倒れている信長の胸に手を当て、自らの『聖なる泉』の魔力を、強引に流し込み始めたのだ。
「キャルル! 何をしてる!」
政宗が怒鳴る。
「私の治癒力で……っ! 無理やり、みんなの魂の『擦り減った分』を、補うの! そうすれば、少しだけ時間が稼げるっ!」
「馬鹿野郎! お前の治癒力は『自分の体力』を消費するんだぞ! こんな何百人も同時に回復させたら、お前が死ぬぞ!!」
「でもっ! このままじゃ、みんな消えちゃう!」
フワァァァァァァ……ッ!!
キャルルは政宗の制止を聞かず、己の命の炎を燃やすように、かつてなく強烈な青白い光を放ち始めた。
その光を浴びた村人たちの顔に、ほんのわずかだけ血の気が戻る。
だが、同時に。
「かはっ……っ!」
キャルルが鮮血を吐き、その場にガクンと膝をついた。
彼女の美しいウサギ耳から、毛が抜け落ち、肌のツヤが急速に失われていく。
魔王の無限の絶望(瘴気)に対して、一人の少女の有限の命(愛)で対抗するなど、どう考えても割に合わない、無謀すぎる自滅行為だった。
「やめろぉぉぉっ!!」
政宗が駆け出し、キャルルの光を無理やり押さえ込もうとする。
だが、その時。
『——無駄な足掻きを。本当に、愚かで醜い生き物だな。人間というのは』
空気が、凍りついた。
広場に、いや、世界そのものに、絶対的な「冷気」が降臨した。
政宗が顔を上げると、そこには。
宙に浮き、虫けらを見下ろすような虚無の瞳でこちらを見つめる、魔王ラスティアの姿があった。




