EP 3
アバロンからの親善大使(算盤の通じない世界)
「……クソッ! どうなってやがる!」
執務室のデスクに、政宗の拳が激しく叩きつけられた。
灰皿の赤マルが転げ落ち、床に火の粉を散らす。
魔導端末の画面には、ルナミス帝国の最高峰の医師団や、レオンハートの呪術医たちを莫大な金で雇い入れた『送金完了』の履歴が並んでいる。
だが、彼らがどれだけポポロ村に駆けつけ、最高級の霊薬や魔法を施しても、倒れた村人たちの「魂の摩耗」は1ミリも回復しなかった。
『……王様。私の計算でも、治癒率0%。このままだと、あと数日で村人の精神は完全に崩壊するよ』
通信越しに聞こえる蘭の声も、いつになく暗い。
物理法則や論理のパズルで解けない「バグ」に、彼女のAIも完全に沈黙していた。
「……金で解決できねえ問題なんて、この世にあって堪るか……ッ」
政宗が血走った目で端末を睨みつけていた、その時。
『力武様。……村の正面ゲートに、来訪者です』
外で警戒に当たっていたリバロンから、通信が入った。
『武装はゼロ。ですが……極めて厄介な「外交特権」を持ったお客様です』
ポポロ村の広場。
絶望的な空気が漂う中、空間がガラスのようにひび割れ、そこから禍々しくも美しい漆黒の馬車が姿を現した。
降り立ったのは、アバロン皇国の特命全権大使——魔族の貴公子ルーベンスだった。
「おや。活気に満ちていた『世界の心臓』が、随分と静かになってしまいましたね」
ルーベンスは、倒れ込む村人たちを冷ややかに見下ろし、優雅な笑みを浮かべた。
「てめえらアバロンの仕業か!?」
信長が魔導ライフルを構え、自警団がルーベンスを取り囲む。
「おやめなさい、野蛮な。ガオガオン様の雷が落ちますよ」
ルーベンスは全く動じることなく、肩をすくめた。
「それに、我々は『攻撃』など一切しておりません。あれはただの……自然現象です」
「自然現象だと?」
広場に駆けつけた政宗が、低い声で鋭く睨みつける。
「ええ。我がアバロンの絶対者、魔王ラスティア様。……彼女は今、この村のウサギのお嬢さんに振られたことで、酷く深く『悲しんで』おられるのです」
ルーベンスは、まるで天気の崩れを語るように淡々と言った。
「強大すぎる魔力を持つ者の『悲哀』や『絶望』は、ただため息をつくだけで、致死量の瘴気となって世界を覆う。……今、この村に降り注いでいるのは、魔王の純粋な『悲しみ』。病でも毒でもない。ただの感情の重圧です」
「ふざけんな! それがテロじゃなくてなんだ!」
「法的、ならびに科学的な因果関係は証明不可能です。よって、これは『武力攻撃』に該当しない」
ルーベンスは『方法序説』の冷徹な論理で、政宗の抗議を完璧に封殺した。
「……そもそも、悲しむことを禁じる法律など、この世界のどこにもありませんからね」
完璧な合法。法の網の目をすり抜けた、精神への直接侵略。
キャルルが、震える足でルーベンスの前に進み出た。
「じゃ、じゃあ……どうすれば、みんなを助けてくれるの……っ?」
「簡単なことです。原因を取り除けばいい」
ルーベンスは、悪魔の笑みを浮かべた。
「キャルル様。貴女がアバロン皇国に赴き、我が君と『魂の隷属契約』を結ぶのです。貴女が魔王の所有物になれば、悲しみは消え、瘴気も晴れる」
「……っ」
キャルルが、息を呑んでうつむく。
「させるか、クソ野郎」
政宗が、キャルルを背中に庇うように前に出た。
彼の目は、修羅の『算盤』の光を取り戻していた。
「交渉なら俺がやる。……ルーベンス。お前らの目的はなんだ? 資源か? 領土か?」
政宗は、懐から魔導端末を取り出し、画面をルーベンスに見せつけた。
「ポポロ村は今、世界中の中央銀行だ。いくら欲しい? 百億か? 千億か? お前らの国の国家予算の十年分を、今すぐポンと払ってやる。その金で、魔王のご機嫌を取る宝石でも何でも買い集めろ」
政宗のロジックは絶対だった。
地球の超大国ですらひれ伏した、資本主義の暴力。金で買えないものなどない。買えないのは、単に『提示した金額が足りていない』時だけだ。
「……さあ、値段を言え。お前らの『悲しみ』は、いくらだ」
だが。
ルーベンスは、政宗の提示した天文学的な数字を見ても、眉ひとつ動かさなかった。
「……ふふっ。あははははっ!」
やがて、彼は可笑しくてたまらないというように、肩を震わせて笑い出した。
「な、何がおかしい」
「いや失礼。あまりにも『滑稽』だったもので」
ルーベンスは、哀れみすら込めた目で、政宗を見つめた。
「力武政宗殿。貴方は致命的な勘違いをしている。……我々魔族は、寿命を持たない不老不死。食事も、睡眠も、寒さを凌ぐ家も必要としない。……そんな我々にとって、貴方が得意げに見せびらかしている『貨幣(数字)』に、一体何の価値があるのです?」
「……っ!」
政宗の顔から、スッと血の気が引いた。
「金で買えるのは、肉体(物質)に縛られた脆弱な人間の欲望だけだ。我々が求めるのは、そのような下等な紙切れではない。絶対的な『美』であり、純粋な『魂』の輝きのみ」
ルーベンスは、政宗の魔導端末を指先でトンッと弾いた。
「貴方は今、芸術の品評会に『電卓』を持ち込んで威張っている、ただの哀れな道化ですよ。……我々の世界には、資本(算盤)などという概念は最初から存在しないのです」
ガチャン。
政宗の腕から力が抜け、魔導端末が石畳に落ちて乾いた音を立てた。
(……俺の、算盤が……通じない……?)
金が、世界最強の武力が、全く意味を成さない。
己が信じ、世界をひれ伏させた誤った信念が、目の前の魔族の冷たい微笑みによって、根本から粉砕された瞬間だった。
「期限は三日です。三日後、この村の魂は完全に擦り切れ、全員が二度と目覚めぬ植物人形となるでしょう」
ルーベンスは優雅に一礼し、漆黒の馬車へと戻っていく。
「よくお考えください、キャルル様。……貴女のその『愛』とやらで、算盤の壊れた村をどう救うのかを」
馬車が空間の裂け目に消えた後も、広場には絶望的な静寂だけが残された。
政宗は、足元に落ちた端末を見つめたまま、一歩も動くことができなかった。
世界を支配したはずの悪徳商社マンは、今、たった一つの村の命すら救えない「無力な男」に成り下がっていた。




