EP 2
人狼の洗礼と『リヴァイアサン』の村
目を覚ますと、鼻腔を上質な茶葉の香りがくすぐった。
「お目覚めですか、力武様」
静かで、しかし鼓膜の奥に直接響くような低い声。
政宗が体を起こすと、ベッドの傍らに一人の男が立っていた。
完璧にアイロンがけされた燕尾服。
だが、その頭部には獣の耳があり、瞳は飢えた狼のように鋭い。
「……お前は?」
「このポポロ村で宰相兼執事を務めております、リバロンと申します」
リバロンは一礼し、サイドテーブルにティーカップを置いた。
陶器が触れ合う音すら一切しない。極限まで洗練された所作だった。
「キャルル……あのアホな村長はどこだ」
「キャルル様は奥の部屋で眠っておられます」
リバロンの眼光が、ふっと温度を下げた。
「力武様。先ほどのキャルル様の治癒……あれが何を意味するか、ご存知ですか」
「ただの魔法じゃねぇのか」
「あれは、本来この村が国に税として納める『月光薬』の源泉となる魔力。それを、キャルル様はご自身の寿命を削ってまで、見ず知らずのあなたに注ぎ込んだのです」
政宗の胸が、チクリと痛んだ。
傷は完全に塞がっているはずなのに。
「……なら、俺が倍にして返してやる」
政宗はベッドの上に胡座をかき、商社マンとしての『算盤』を弾き始めた。
「俺はゴルド商会のシルバーランクだ。あの女の治癒力と、この村の泉の水をパッケージ化してブランドにする。俺の流通網を使えば、需要は今の十倍、利益は百倍にできるぜ?」
自信満々の提案。
だが、リバロンは表情一つ変えなかった。
「……力武様」
スッ、とリバロンが目を細める。
「三流の提案はお控えください」
空気が凍りついた。
政宗の首筋を、冷たい汗が伝い落ちる。
「あ……?」
「あなたの語る『国富論』は、平時のみの理屈です。ここはルナミス、レオンハート、アバロンの三大大国に挟まれた緩衝地帯。需要を刺激しすぎれば、大国が力で奪いに来るだけのこと」
リバロンは淡々と、しかし絶対的な論理で政宗のプランを解体していく。
「利益の最大化ではなく、生存の最適化。無駄を排し、各国のコスト計算を狂わせることで手出しをさせない……それが我がポポロ村という『リヴァイアサン(巨大な獣)』の生存戦略です」
反論の言葉が出なかった。
無意識のうちに、政宗は人狼の鋭い視線から目を逸らしていた。
(この人狼……俺の思考の、さらに二手先を読んでやがる。ただの村の執事じゃねぇ。化け物だ)
「それに……」
リバロンが、奥の部屋の扉を悲しげに見つめた。
「キャルル様は、この村の『聖なる泉』の加護がなければ、その力の大半を失ってしまいます。あの方は、最強の武力でありながら、この村から出ることのできない籠の鳥なのです」
だからこそ、大国に目をつけられれば終わりなのだと、執事は語った。
沈黙が部屋に落ちる。
政宗はゆっくりと息を吐き出し、ポケットからひしゃげた赤マルの箱を取り出した。
一本くわえ、火をつける。
「……なるほどな。需要と供給だけじゃ、あの女は守れねえってことか」
「ご理解いただけて何よりです。お怪我が治られたのなら、早々にお引き取りを」
「断る」
政宗は紫煙を天井に吹きかけ、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「経営の基本は、現場を見ることだ。俺の算盤を狂わせた女と、俺を論破した執事。……この村の『本当の価値』、俺が見極めてやるよ」
リバロンの狼の耳が、ピクリと動く。
二人の男は、互いの腹の底を探り合うように、静かに視線を交えさせた。




