第一章 世界境界線の崩壊と、狂った商人の宣戦布告
『算盤』が通用しない女
肺の奥で、ヒュルヒュルと間抜けな風切り音が鳴っている。
あぁ、撃たれたのか。
右胸を貫通した穴から、止めどなく赤い液体が溢れ出ていた。
「チッ……ゴルド商会のシルバーランクともあろう者が、単独行で野盗に狩られるとはな。……笑えねぇ」
力武政宗は、土の地面に仰向けに倒れたまま、口の端を自嘲気味に歪めた。
視界が急速に狭まる。
周りを囲む野盗たちが、下卑た笑い声を上げながら、銃身の長い魔導ライフルを向けていた。
(計算ミスだ。護衛の傭兵を雇うコストをケチったのが運の尽きか……)
痛覚はとっくに麻痺している。
政宗は血まみれの指を動かし、懐から銀貨の詰まった袋を引きずり出した。
「おい……金なら幾らでも出す。俺を最寄りの街まで運べば、この百倍は払う」
血を吐きながら、必死の交渉を試みる。
だが、野盗のリーダー格は鼻で笑った。
「馬鹿が。お前を殺して身ぐるみを剥げば、全部俺たちのモンだろ」
(ダメだ。こいつら、目先の利益しか見えない『馬鹿』だ……)
合理的な対話が成立しない。
資本主義のルール(算盤)が通じない暴力の世界。
それが、このマンルシア大陸の現実だった。
銃口が、政宗の眉間を捉える。
(これまでか……)
政宗が諦めて目を閉じた、その瞬間だった。
――ドゴォォォンッ!!
爆発のような轟音と共に、視界の端から『何か』が飛来した。
「は……?」
瞬きする間もなかった。
リーダー格の野盗の顔面が、ひしゃげたトマトのように弾け飛んだ。
首から上がなくなった巨体が、ドサリと崩れ落ちる。
その背後に立っていたのは、ラフな格好をした、小柄な女だった。
「だ、誰だてめぇ!」
慌てて銃を構える野盗たち。
だが、女はウサギのように長い耳を揺らし、フフッと微笑んだ。
「通りすがりの、村長さんだよっ!」
トンッ、と地面を蹴る音。
次の瞬間、女の姿が掻き消えた。
「――っ!?」
空気を裂く破裂音。
政宗の動体視力では、何が起きたのか全く見えなかった。
ただ、二本の奇妙な棒を持った女が踊るように動くたび、野盗たちの鎧が紙屑のように粉砕され、骨が折れる鈍い音が響き渡る。
たった十秒。
それだけで、十人以上いた野盗は全員、地面を這いつくばる肉塊へと変わっていた。
「ふぅ……よしっ! お掃除完了!」
女はトンファーをクルリと回して腰に収めると、ピンと立ったウサギの耳を揺らして政宗を覗き込んだ。
大きな瞳。どこか幼さを残した、可愛らしい顔立ちだった。
「お兄さん、大丈夫!? 酷い怪我……!」
政宗は、焦点の合わない目で彼女を見た。
(強い……化け物か。……だが、俺にはもう払える金が……)
「か、金なら……出す……だから、助け……」
途切れ途切れの言葉に、ウサギ耳の女――キャルルは、不思議そうに首を傾げた。
「そんなの、いらないわ」
え、と政宗が息を呑む。
キャルルは政宗の胸の傷口に、両手をそっと当てた。
「ちょっと我慢してね」
彼女が目を閉じると、その両手から青白い光が溢れ出した。
途端に、傷口から熱が引いていく。
千切れた肉が繋がり、砕けた骨が再生する、常軌を逸した感覚。
(なんだ、これは……細胞分裂を強制的にマッハの速度で加速させているのか!? 一歩間違えれば俺はガン化して死ぬ。この女、緻密な魔力制御を『遊び』の感覚でやってのけやがる……!)
「いたいのいたいの……飛んでけぇ~☆」
キャルルが明るい声で呪文を唱えた。
光が収まる。
政宗は、信じられない思いで自分の胸を見た。
あれほどの大穴が、完全に塞がっていた。傷跡すらない。
「す、げえ……」
呆然と呟き、体を起こそうとした時だ。
「ケホッ……!」
キャルルが、激しく咳き込んでその場に膝をついた。
彼女の口から鮮血が滴り落ち、土を汚す。
「おいっ!? お前、血……」
「はぁ、はぁ……だい、じょうぶ。これくらい……平気だもん」
キャルルは口元を拭い、無理に笑顔を作って見せた。
だが、その顔色は蝋のように蒼白だった。呼吸は浅く、今にも倒れそうだ。
政宗の脳内で、精緻な『算盤』がカチャリと狂う音を立てた。
(俺を治すために、自分の命(魔力)を削ったっていうのか……?)
理解できなかった。
何の得もない。見返りも求めていない。
赤の他人のために、己の身を削るなど、経済学からすれば最大の愚行だ。
「ば、馬鹿かよ……」
政宗は、照れ隠しと、胸の奥底から湧き上がる正体不明の焦燥感から、思わず憎まれ口を叩いた。
「こんな傷、唾でもつけとけば治った」
するとキャルルは、むすっと頬を膨らませ、政宗の鼻先をツンと突いた。
「男の子が無理しちゃメッ! だよ~?」
「ガキ扱いすんな……俺の方が年上だ」
毒づきながら、政宗はキャルルの透き通るような瞳から目を逸らせなかった。
(イカれてる……)
損得勘定を持たない、無防備で、圧倒的な善。
資本主義の理屈など一切通じない、純白の『北極星』。
力武政宗の狂気は、この時、確実に産声を上げたのだ。
(ああ、クソッ……)
政宗は血まみれの服のポケットから、ひしゃげた赤マルの箱を取り出した。
一本くわえ、火をつける。
紫煙を深く肺に吸い込み、そして、目の前のイカれたウサギを見つめ返した。
(この女の算盤……俺が合わせてやるしかねぇだろ)




