IF早過ぎたラグナロク19話 雷神3
上空から様子をうかがう私は、勝ちを確信していた。
これほどの火の超神術を受たら、トールが生き残れるはずがない。
(今度こそ、私に敵う者はいなくなった)
そう思うと同時に、ミョルニルを回収する方法を考えていた。あれだけの武器なら、使い道は十分ある。
しかし、その目論見はあっさり崩れる。
地上から――何かの光が見えた気がする。いや、見間違いではない。
巨大だった火球が跡形もなく消えていた。いや、消された、という方が正確かもしれない。信じられない光景が目に飛び込んできて、思わず息が止まる。
「何が……起きたの?」
言葉にならない動揺が走った瞬間、地上から高速の光の束がこちらめがけて飛んできた。物凄いスピードで、避ける間もなく私に当たる。
「ぎゃあぁー!」
全身に雷のような衝撃と痛みが走り、思考が一瞬で真っ白になる。身体が金縛りに遭ったように痺れ、翼も羽ばたきを忘れたかのように動かない。
飛行不能となった私は、ただ無力に落下するしかなかった。悲鳴が自分のものかすらわからないほど、視界がぐるぐる回る。
「がっ……!」
激しい衝撃。硬い地面にたたきつけられ、肺の中の空気が強制的に吐き出される。余波で巻き起こる砂煙の中、私はうつ伏せに倒れこんだ。体は動かず、熱と痺れと痛みが怒涛のように襲い掛かる。
息をするたびに、喉が焼けるような苦しさを感じる。雷撃にも似た一撃――おそらくトールの技――によって、上空から地に引きずり落とされたのだ。
「ミョルニルの威力はどうじゃ? なかなかのもんじゃろう?」
頭上から声がする。いつの間にか、トールが私のすぐ近くまで来ているらしい。
ぐっ……どうにかして体を動かそうとするが、痺れがひどく、腕さえ満足に動かせない。ヘルの超再生も追いつかないほどダメージが大きいらしい。
(私が……負ける?)
そんな絶望感がよぎった瞬間、トールの手が私の胸倉をむんずと掴み、無理やり体を起こした。視界がぐらつく中、目の前に迫ったのは、険しい表情の爺さんの顔――怒りに燃えた瞳。
「痛いじゃない!」
咄嗟に声を上げるが、その直後、ビンタの衝撃が頬を焼く。鋭い痛みが走り、思わず叫びそうになるが、すぐに次の一撃が飛んできた。
「当然じゃ、ひっぱたいておるからの」
容赦ないビンタの応酬。私の両頬は赤く腫れあがり、熱く膨張した痛みが拍動する。体も自由に動かせず、抵抗できない。
トールは憤怒の面持ちで、一発ごとに名前を呼んでいく。
「これはオーディンの分、フレイアの分……ウルドの分、そしてヴェルザンディの分じゃ!」
私が殺した者たちの名。その一つ一つが、ビンタのたびに重く突き刺さる。何十発、何百発と繰り返されるうちに、両頬は完全に感覚が麻痺してきた。いや、感覚はあるのか、痛みすら混濁して自分のものではないように思える。
「もう……やめて……」
声はか細く、情けないほど弱々しく漏れる。頬が痛い。胸が痛い。忘れていたはずの“罪悪感”が、ビンタのたびに思いだされる。私はあれほど多くの神々を殺してきた。その罰を今、延々と受けさせられているのだ。
「お主は命乞いをした相手を見逃してやったことがあるのか?」
トールの問いかけに、脳裏に過去の殺戮が蘇る。誰も見逃したことなどない。
だが、私は嘘をつく。
「ある……わよ」
「嘘をつくでないわ!」
怒りがこもったビンタが頬を襲う。もう何度目のビンタだろう。感覚が狂い、左右すら分からないほど歪む視界。涙や血や唾液がごちゃ混ぜになって、口の中も切れているらしく、鉄の味が広がる。
「どんな立派な目的があろうと、残虐な手段を正当化することはできん! お主は綺麗ごとをならべた、ただの虐殺者じゃ!」
本気で怒りをぶつけるトールの顔が、ゆがんで見える。怖い、というより、私自身のなかの罪が一気に暴き出されている気分。
私は半泣きの声で、感情を絞り出す。
「私だって……こんな事をしたくなかったわよ! でも、スクルドを守るためには……」
あらがう気持ちで言い返そうとすると、トールはジロリと睨みつけながら切り返す。
「スクルドがそんな事を望んだのか? 姉たちを殺しても守って欲しい、などと言うと思っておるのか!」
「それは……」
本当のところ、スクルドがそんなことを望むわけがない。姉たちを殺してまでも生き延びたいなど思わないだろう。それでも私は誰にも理解されずに、自分の道を突き進んできた。
トールはさらに言葉を重ねる。
「お主のしたことは、自分勝手な殺戮でしかない。到底許せるものではないわ!」
絶望感が胸を満たす。やはり、誰にもわかってもらえない。ヴェルザンディにも、トールにも――誰もわたしを理解してくれない。
みんなが私を“魔族”などと呼び、討ち取ろうとする。ただ、私は絶望的な未来を変えようと、もがいているだけなのに……。
「……くせに」
つい、ポツリと本音が漏れたらしく、トールが聞き返す。
「何か言ったかの?」
私は歯を食いしばり、吐き捨てるように声を荒げる。
「ヨルムンガンドごときと相打ちになるくせに! スルトを……終末の巨人を倒そうと必死でやってる、私の何がわかるのよ!?」
私が見てきた破滅の未来。そこに立ち向かうためにこの手を血に染めてきたのだ。でも、彼らは誰も理解しない。まるでユーミルのように、“頭のおかしい妄言を吐く者”としてしか扱ってくれない。
トールは鼻を鳴らし、うんざりした口調で言う。
「先のことなど知らん! わしは今、お主が許せんだけじゃ!」
お互い、全く噛み合わない。私が未来を語れば、彼は過去の殺戮を責めるだけ。分かり合う余地などない。
トールは私をゴミのように放り投げると、嘆息まじりにハンマーを構え直す。
「これで終いにしよう。わしがお主にトドメを差してやる。お主は手に入れた力とやらで最後まで抵抗してみせるがよい」
宙を舞い、地面へ転がった拍子に、私は小さく息を吐く。今なら、ヘルの超再生のおかげで、少しは動けそうな感覚が蘇ってきている。
ちらりと視界の隅に映るのは、転がったままのグングニル。ビンタの間に少し回復した体力でなら、もう一度だけ瞬間移動と、かろうじて飛行くらいは可能かもしれない。
このまま諦めることなど、できるわけがない。
(……これが最後の賭けだ)
私は覚悟を決め、残った力を振り絞る。トールが構えたハンマーを振りかぶる前の一瞬――その隙を狙って、瞬間移動でグングニルの傍まで飛ぶ。重い神槍を必死に持ち上げ、羽を広げて上空へ逃れるように飛翔する。
痛む顔と身体を無視し、意識が遠のくのを食い止める。ぐんぐん高度を稼ぎ、トールの姿を点のように見下ろせるまで上昇していった。
(ここまでくれば、雷も届かないでしょう)
薄い空気が肺を刺すようだが、そんな事にかまっていられない。深呼吸を繰り返し、苦しい呼吸の中、グングニルを肩のあたりまで持ち上げ、狙いを下に定める。
「これで……終わりにしてあげる」
槍を投げおろす。グングニルは必中の神槍。どんな手段を使おうと、何があろうと必ず相手に当たる。これをかわすことができる者など、存在しない。
鋭い閃光を残し、槍が地面めがけて一直線に落ちていく。私はヘトヘトの体を支えながら、勝利を再び確信した。
「今度こそ……勝ったわね」
そう呟いた、その瞬間。
ゆっくりとした軌道で、何かがこちらへ飛んでくるのが視界に入る。雷かと思ったが違う。最初は遅いのに、突然加速した。
(まさか!)
それが何かを知覚したときには、すでに回避不能な距離だった。全身が凍りつく。なにしろ、接近するスピードが異常だ。
ミョルニル……トールのハンマーだ。こんな上空まで投げられるなんて、なんという怪力。
「う、うそっ!」
回避が間に合わず、ミョルニルが私の腹部を直撃する。激痛と痺れが再び全身を貫き、上半身と下半身がねじ切れたように分断される感触があった。あまりの衝撃で意識が途切れそうになるが、激痛でかろうじて目が開いたままだ。
「そんな馬鹿な!」
悲鳴のような声が空中に散っていく。半身だけとなった私は、羽を動かすことすらできず、ただ重力に従い落下していく。遠ざかる地面が再び視界に迫ってくるが、もう両足がない。抵抗する術は何一つ残されていない。
私は投げたグングニルがどうなったのか、まったく確認できない。
(私は……負けたのね)
腹部から吹き出す黒い血が、熱いのか冷たいのかさえ感じられず、ただ意識が遠のく感触だけが確かだった。スクルドを守るためにここまで血を浴びてきたのに、このザマとは。
私はぼんやりと、スクルドの笑顔を頭に浮かべる。
(ごめんね、スクルド。結局、私の力ではあなたを守れなかった……)
視界が白い空を背景にぐるぐる回り、やがて真っ暗に染まる。風の音すら遠のいていく。
落下衝撃を迎える前に、私は完全に意識を失った。




