IF早過ぎたラグナロク17話 雷神1
「私が主神エリカである」
玉座に座り、そう宣言してみた。誰もいない玉座の間に、私の声だけが虚しく反響する。
つい先ほどまで、この場の主だったオデンの死体はもう処理してある。オデンの力は私のものとなり、さらにグングニルさえ手に入れた。あれは重いから持ち運ぶのが面倒だが、必中の神槍として使い道はあるだろう。
「荷車を持ってくれば良かったわね……」
場違いな呟きが、無神の大広間に溶けて消える。もっとも、戦闘に荷車を引いてくる姿を想像すると滑稽だ。いつ何が起こるか分からない戦場で、大きな荷車は邪魔にしかならなかったかもしれない。持ってこなくて正解だったわと、ひとり納得する。
城の中で、ノルンがかつて使っていた部屋を捜索した。だが、何も見当たらなかった。最初から存在していなかったかのようにきれいさっぱり消えている。
あいつの能力を手に入れられれば、ラグナロクを乗り越えるのに有利になるはずなのに、肝心な時に限って姿を見せないのだから腹立たしい。
「スクルドなら、知っているかな……」
私の脳裏にスクルドの顔が浮かぶ。ラグナロクを乗り越える準備に明け暮れていたせいで、ずいぶん会っていない気がする。久々に会いに行ってみるかと思い立つ。
遠見で彼女の居場所は確認してある。世界樹の泉だ。いつからか、彼女はずっと泉から動いていない。何か重要な使命があるのだろう。私の所業がバレないようにしていたから、スクルドが一つの場所にいてくれるのはむしろ好都合だった。
もっとも、いまの私はオーディンやフレイアをはじめ、ほとんどの神の力を手に入れている。これでラグナロクを乗り越える準備は大幅に進んだ。次は他の神族――ヴァン神族とかいう連中の力を奪い、さらに魔族の世界にも足を伸ばして、新たな力を得る。そして、最終的には巨人の世界へ攻め入り、スルトを仕留める。そんな完璧な計画が私の頭にある。
(夢の感じからして、ラグナロクにはまだ時間があるはず。手に入れた力があれば、残りは作業みたいなものよ)
一番最初にヘルの能力を手に入れたのは正解だった。もしあれがなければ、オデンとの戦闘で私はグングニルに貫かれて死んでいたかもしれない。ロキの能力もフレイアの能力も、どちら有用だ。いまやこの世界で私に匹敵する者は存在しないだろう。
「もうこの世界で私に勝てるものはないわね」
オデンを倒したのだ。彼こそこの世界の頂点だったのだから、最強の存在は私以外にいない。ほとんどの神も始末済みだし、残りは片手で数えられる程度。怖いものなど何ひとつない。
とはいえ、いま私は多少の疲労を感じる。オデンとの戦いで瞬間移動や透明化の能力を酷使した反動だろうか。
世界樹の泉へ瞬間移動してしまえば手っ取り早いが、身体の消耗を考慮して、あえて歩きで移動することにする。急ぐ理由もないし、私のものになった世界を眺めながら帰るのも悪くない。
城の大扉を抜ければ、今日も変わらず白い空が広がっていた。原初の時から、ずっとこの白さを保っているのだろう。風が少し冷たい。オデンとの戦闘で着物の腹部のところに穴が空いてしまい、そこから冷気が入る。帯は切れてしまっているので、ぼろぼろの浴衣のような着方だ。着替えを持ってくればよかったと後悔しても後の祭りだ。
城下町へ足を踏み出すと、当然ながら誰もいない。私が全部始末してきた結果だ。かつては賑わいを見せた街が、いまはまるで廃墟のように静かだ。風の吹き抜ける音がやけに大きく響き、身震いするほど寒々しい。
向かい風が強く、穴の空いた着物から容赦なく冷気が入り込む。身体がふらつくのを感じ、オデンとの激闘で使いすぎた能力の反動かと察する。どこかで休んだほうがいいかもしれない。
せめて家までたどり着けば、着替えと休息が得られるだろう。スクルドに会うのはそれからでも遅くない。いまの私の顔は、きっとひどいことになっているに違いない。
そう思いながら、重い足を引きずるように城下町を抜けようとしたとき――思いもよらぬ声が聞こえた。
「久しいな、エリカ」
誰もいないはずの場所に、聞き覚えのある老人の声。トール爺さんだ。まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。
「トール爺さん……どうしてここへ?」
良く見ると、茶色い鎧を纏い、巨大なハンマーを構えた彼が前方に立っている。明らかに戦闘態勢だ。郊外に引きこもっているはずの爺さんが、どうしてわざわざ城下町に?
「魔族を退治しようと思っての……老骨に鞭打って出張って来たわけじゃよ」
腰に手を当て、いかにも腰痛をこらえるようなしんどそうな様子。
「……そう。でも、魔族なんて見かけなかったわよ」
確かに私は魔族と呼ばれることが多かったが、正確には女神だ。嘘は言っていない。
トール爺さんは「そうか」と困ったように頭を掻く。
「なかなか見つからないもんじゃの……」
その態度に思わず警戒が緩みそうになる。以前の、一緒に訓練していた頃を思い出した。どれくらい訓練を休んでいたかなんて、もう覚えていないが。
「私は疲れているから、家に帰るわね」
できるだけ素っ気なく言って通り過ぎようとする。ここで時間を取られるのは面倒だ。
しかし――
「ところで、お主が引きずっている槍はグングニルではないかの?」
指摘されて、ハッとなる。そうだ、私はグングニルを堂々と引きずって歩いているではないか。これでは、オデンに何かあったことが一目でわかってしまう。
「……オデンから預かったのよ」
我ながら苦しい言い訳だ。嘘をつくのは得意ではない。特にこういうときの取り繕いは苦手だ。案の定、彼は怪訝な顔をする。
「愛用の槍をお主に? ありえんじゃろう!」
怒りを込めた声が、先ほどまでのしんどそうな態度を吹き飛ばす。
さらに、爺さんは私の着物に目をやり、「それに、その民族衣装……かなりボロボロのようじゃが、どうしたのじゃ?」と抜け目なく探ってくる。
(隠し通すのは難しいかもしれない……)
「ちょっと転んで……」
自分でも呆れるほど下手な言い逃れだ。案の定、トール爺さんは声を荒げる。
「ふざけるでない! お主を心配して聞いておるのじゃ!」
優しさからの問いなのかもしれないが、私にはありがた迷惑だ。どうせ隠し続けても無駄だろう。これ以上誤魔化す必要もない。
「……本当の事を言っても怒らない?」
一応、確認だけはしてみる。爺さんはむしろ「言ってみろ」と腕を組んで待ち構えている。
そこで私は観念し、事実を吐き出す。
「実は私がオーディンを倒して、主神になったのよ。グングニルはその時に私がもらい受けたわ」
言いながら、自分の声に誇らしさが混ざっているのがわかる。苦労の末に最強になったのだから当然だ。
爺さんは槍をじっと見つめ、何かを考え込む。
「……お主がか?」
そのまなざしは鋭い。グングニル――オデンの槍を私が所有している姿が、爺さんにとって相当に受け入れ難いのだろう。
さらに、彼は眉間に深い皺を寄せ、低く問いかける。
「フレイアやヴェルザンディ達を殺したのも……お主なのか?」
その目はまるで、すべてを見抜こうとするかのように睨んでくる。
私も目を逸らさずに言う。
「……そうよ」
観念して答える。それだけで、爺さんの怒りがひしひしと伝わってきた。
「何のためにじゃ?」
重苦しい空気の中、私を凝視する爺さんの眼差しからは、ごまかしを許さない強い意志が感じられる。
私は短く答える。
「ラグナロクを乗り越えて、スクルドを守るためよ」
唯一の目標。それ以外を犠牲にしてでも、私はその道を選んだ――それだけのことだ。
爺さんはしばし黙り、何かを考えるようにしてから、ぽつりと呟く。
「……お主なりの理由があってのことなんじゃな?」
「ええ」
視線が交錯し、無言の睨み合いが数秒続く。やがて私は口を開き、道を譲るよう促した。
「訓練に付き合ってくれた爺さんは見逃してあげるから、そこをどいてもらえないかしら?」
私にとって、トール爺さんの力などいまさら大した価値はない。倒しても得るものが少ないし、できれば殺したくない。
爺さんは深いため息をつき、肩を落としながら言う。
「わしは見逃してくれるのか……優しいのう」
その言葉に胸を撫で下ろす。やはり戦うつもりはないのだろう。
私は一刻も早く家に戻り、休息を取りたい。それに加えて、ちゃんと着替えてスクルドに会いに行きたいのだ。
「そういう事だから、私は家に帰るわね」
町の外へ歩き出そうとした矢先、爺さんの張り詰めた声が聞こえた。
「……じゃが、わしはお主を許せん!」
驚いて爺さんの方を見ると、私の前で彼が両手を広げて進路を塞いでいる。
その瞳には激情が燃えていた。
「死にたいの?」
私も殺気を込めて睨み返す。が、爺さんは一切怯まず、戦闘態勢に入る。
「どんな理由があろうと、わしは仲間たちを殺したお主を許すことはできん! それが正しいかどうかは知らん! 仇を討たせてもらう!」
トールが、いままさに私に対して武器を構えたのだ。
その姿には冗談や迷いがない。ハンマーを持ち上げ、雷を呼ぶ気配さえ漂う。私は再度、低い声で警告する。
「これは訓練じゃないの……本当に殺すわよ。いいのね?」
このままでは戦うしかない。疲労した状態とはいえ、私に負ける要素はないと思うが、爺さんを殺すのは気が進まない。
しかし、彼は頷き、堂々と宣言した。
「わしは1級神トール。雷神じゃ。オーディンの前の主神として、お主を野放しにはできん! ここで討たせてもらう!」




