箱生の最適解
『カイン・サドウキ』視点です。
閉じた蕾が膨らみ、淡い桜色を覗かせた頃、宰相邸の庭にはサイナス・プラントリーとの別れを惜しむ親しい友人達が集っていた。
「どうして『カイン』なんだよ。僕と行けばいいだろ。」
最近急に背が伸びた『アッシュ・エイシム』は、サイナスの正面で視線を合わせると口を尖らせた。
「一刻も早く祖父を家長の座から引きずり下ろすなら、休学する暇なんてないだろう?」
「行商人の父の伝手が各地にあるからね。同行者には僕が適任だと、宰相に頼まれたんだよ。」
「そんなこと、分かってる・・。」
「定期的に帰ってくるし、旅行じゃないんだ。そう拗ねるな。」
「別に拗ねてないし。やーめろよー。」
サラサラの茶髪をくしゃくしゃと撫でられたアッシュは、サイナスの手を押し返した。
「三年に進級する前に、全国行脚のため卒業資格を取ってしまうなんて・・。」
「サイナス様は理数が得意だとは知ってましたが・・三ヶ月足らずで全科目の試験を突破するとは。非凡を通り越してますね。」
フラリスとガルディがサイナスに詰め寄り、隣にいたイコリスから引き離すようにして囲んだ。
『納会』で魅了を無断使用したサイナスへ下された正式な罰は、「シーコックの抱える社会問題解決に貢献せよ」というものだった。一生を費やしても完遂と認めてもらえないかもしれない、終わりの見えない罰だ。
ファウストは、サイナスの『王族に反することを厭わない柔軟な思考と奇抜な発想』を、シーコックの社会平和という枠組みに縛り付けておきたかったようだ。
王族から命じられた処罰に応じたサイナスが、今日、全国の現状視察へと出発する。・・というのは建前で、サイナスの真の目的は視察などではなかった・・。
「・・東の果ての娼館を、視察するつもりなの?」
「ち、違うわっ。娼館に行きたくて飛び級しないわっ。」
「娼館でないとすると、男性向け男娼茶屋ですか?」
「ガルディ!?お前の中の俺は、どんだけエロに貪欲なんだよ!」
輪になって小声で囁く二人に反論しながら、サイナスは僕をチラ見した。
僕と交わしたあの会話を、フラリスやガルディに漏らしてはいないだろうな―と、目で訴えたのだ。
首を振り否定していると、サイナスが猛勉強に励むきっかけとなった、年始の密会が思い起こされた。僕は時々サイナスに呼び出され、深夜の宰相邸に忍び込んでいたのだ。
***
「はぁ?あのメイドの胸が気に入らなくて絶望したんですか?」
「引き籠もった理由は他にあるが・・追い打ちをかけたのは、俺を襲った三十路前のメイドだ。おっぱいがプリンだったんだ!」
「?良いじゃないですか。むしろ理想的では?」
「良いわけないだろうがっ。体を横たえても、プリンの形状が崩れないんだぞっ!」
(固めのプリンだったとでも言いたいのか・・?何が気に入らないのやら。)
脇へ流れるだらしない乳の良さを熱弁するサイナスに、僕は父から聞いた土産話をすることにした。
「父から聞いた話ですが・・南の海沿いの村に『幻の和菓子職人』がいるそうですよ。まるで水のようなわらび餅を作るそうです。」
「わらび・・餅?」
「はい。そのわらび餅は極限まで柔らかく、箸で持てないとか。日持ちもしないので、作りたてをその場で食べるしかないのですが・・。」
「・・??」
「皿の上で形を保てないほどとろける食感は、和菓子職人がかつて出会った女性の巨乳を再現しようとして、完成したらしいです。」
「なんだと?!そんなに柔らかい巨乳の持ち主が、この箱庭に存在するのか?!」
***
サイナスが「この箱庭もまだ捨てたものではない」と言ったかと思うと、信じられない早さでフラーグ学院の卒業資格を取得した。堂々と表立って南の海沿いの村へ行く方便を、手に入れたのだ。
僕がため息をついていると、トゥランがフラリスとガルディに囲まれたサイナスへ声を掛けた。
「地方で羽目を外しすぎるなよ、サイナス。」
「俺を、地方出張の解放感でおかしくなるおっさん扱いするなっ。」
「遊びすぎないで、ちゃんと手紙書いてよねっ・・。グス。」
「イコリス、俺は遊びに行くんじゃないよ。それにすぐ、帰って来るし・・。」
「サイナス様がいない間、イコリス様は私が守りますので安心してください。」
「ああ、頼むよ、エルード。・・でも、今生の別れじゃないんだよ。なんで涙目なの?」
そこへジェイサムが、サイナスの乗る馬を連れて来た。
「私が世話した馬でサイナス様が旅立つ日が来るとは・・。グス。」
馬の艶やかな黒毛を撫でるジェイサムは、感慨深げに目元を潤ませた。
「あのー、再来週には一度帰ってくるんだけど・・。皆、大げさだな。縁起が悪いだろうが。」
不安そうに呟くサイナスに対し、ファウストが真剣な眼差しで切り出した。
「いいか、サイナス。尻に気をつけろ・・ゆめゆめ忘れるな。」
「大丈夫だよ。小さい頃から父親に仕込まれて、馬には乗り慣れてる。長距離移動でも平気だ。」
「体術の心得があると言っても油断は禁物だ。後ろを取られるなよ。」
「ジェネラス・・。シーコックは治安が良いとはいえ、強盗がいないわけじゃないしな。用心するよ。」
「強盗も危ないけど・・とにかく警戒は怠らないで、自分を大切にしなよ・・。」
「ありがとう、チェリン。ところで、今日はラビネと一緒じゃないのか?来てないようだけど。」
「えー、まーそのー・・。すぐに会えると思うよ・・。」
「それもそうだな。再来週には帰ってくるしな。」
皆に見送られて宰相邸を出ると、最初の角を曲がったところでラビネが待っていた。
ラビネは白馬に跨がり、ビオラとネギを背負っていた。
(うわぁ・・。)
剥き出しのネギを数本、背中に刺した美しい男に、僕は青鹿毛の馬上でどん引きした。ラビネは邪魔者と言わんばかりに、僕を睨んでくる・・。
「ラビネ??どうして馬に乗ってるんだ?」
「私もサイナスの視察に同行しようと思って。」
ラビネは臆面もなく、サイナスへ平然と答えた。
「は?学院はどうするんだ?」
「春休みなんだから、別にいいでしょ。」
「ええ?今は春休みでも、帰って来る頃には新学期が始まってるぞ。」
「少しくらい休んでも構わないよ。」
「・・親の許可はあるのか?まさか、家出じゃないだろうな・・。」
「それより行き先はどこ?老舗の娼館がある東の果て?」
「東の果てじゃないっ。俺は娼館に行きたいわけじゃないんだっ。」
「そーなんだ!宿はどうするの?温泉があったら一緒に入ろうね。」
「・・・。ラビネ、ビオラとそのネギは何に使うんだ?」
「ビオラはもし資金が尽きたら路上で弾いて稼ごうと思って。・・ネギは・・お尻が傷ついたら使うんだよ。知ってる?お尻の裂傷には、ネギがよく効くんだよ。ふふふ。」
「・・なるほど・・尻か・・。」
サイナスは僕を振り返り、凜々しく命じた。
「カイン、撒くぞ。」
「サイナス、ネギは巻くんじゃなくて―」
ラビネが言い終わるより早く、サイナスは馬の腹を蹴って駆けだした。僕も青鹿毛の馬を走らせ、あとに続く。
自身へ向けられる好意に鈍いサイナスだったが、流石にお尻の貞操危機には気づいたようだ。
ラビネを振り切り、川沿いの堤防へ辿り着いたところで、サイナスは馬の速度を緩めた。陽光を映して輝く水面を眺めるサイナスの肩は、小さく震えていた。
「リアルでは、開発したら戻ってこれないだろうと避けていたのに・・超絶美形の男に狙われるとは・・。試されすぎだろう、俺・・。」
「サイナス様・・。」
ぶつぶつとぼやく様子が少し可哀想に思えて、僕は励まそうとしたが―
「・・ククっ。」
小さく震えていたのは涙ではなく、笑いが込み上げていたからのようだ。
「前途多難の箱生は厭世でしかないと!自己客観視できなきゃ、とっくに堕ちていたぞ!ははっ。」
サイナスらしくない危うい脆さが垣間見えた気がしたが、愉快そうな笑い声がすぐにそれを上書きした。
(堕ちるって、後ろの快楽に・・なのか?)
堤防に人影がなかったせいか、サイナスは併走する僕に遠慮することなく思い切り笑い、不織布のマスクがずれそうになっている。
「こっち向いて笑わないでください!魅了に罹ったら、僕も寝込みを襲うかもしれませんよ!」
「はははっ、襲われたら返り討ちにしてやるよー。あははっ。」
黒馬に乗って浅緑の瞳と白銀の髪を揺らし、無邪気に笑うサイナスは息を呑むほど麗しかった。
なのにどうしてか僕の目には、地方出張にはしゃぐ中年太りのおっさんが重なってしょうがないのだ。




