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 ロランの視線の先で、グリークが続けて矢を撃った。それは神速と呼んでも過言ではない速さだった、筒から矢が抜かれ、弓につがえられたかと思えばもう放たれている。まともに狙いをつけているとは思えない速さだ。だが、放たれた矢は一本も外れることはなかった。グリークがその手を止め、ロランが驚きから回復したときにはもう、ロランを取り囲もうとしていた八体の泥鬼はすべて絶命していた。正確な一矢に頭を貫かれて。

「あ、ありがとうございます……」

「礼など言うな……坊主を助けたわけじゃない」

 ロランの言葉に、近づいてきたグリークはぶっきらぼうに返事をした。だが言葉の中身とは裏腹に、グリークは倒れたままのロランを庇うようにその側で立ち止まった。弓を手に、油断なく周囲を見回している。

「ちっ……まだ森にもかなりいるな……おい坊主、村の方はどうなっている?」

 顔をしかめながら訊くグリークに、ロランは村の様子を説明した。自分が予想した悪鬼邪竜の企みや、村人に建物に立てこもるよう促したこと、自分が巡視隊を呼びに行くつもりだったことなどもあわせて話す。ロランの話に、グリークは表情を更に険しくしていた。

「無茶をする坊主だ……巡視隊が森のどこにいるのかもわからないのに、どうやって見つけるつもりだった。悪鬼邪竜に襲われたら、いったいどうやって逃げるつもりだったんだ」

 叱るようにグリークは言いながら、矢を放った。その一矢を見届けず、別の方向へまた放つ。一拍の後、なにかが倒れる重い音が聞こえてきたのは同時だった。

「それは……」

 グリークの言葉に、ロランは返す言葉を見つけられなかった。考えの甘さを指摘され、反論することなどできない。テルナに言われたとおり、自分はなにもできない子供だ。その事実を改めて突きつけられたような気がした。

「……その度胸は買ってやってもいいがな」

 落ち込むロランに、だがグリークが続けてかけた言葉は、思いの外優しいものだった。変わらない無愛想な声の中に、いつになく柔らかい響きが混じっている。驚きに、ロランは顔を上げてグリークを見つめた。グリークは鋭い視線を森の中に向けたままだ。その口元が微かに緩んでいるように見えるのは、ただの錯覚だろうか?

「その度胸分……働いてやるよ……」

 そう言って、グリークが弓を地面に落とした。空になった矢筒も置き、代わりにバスタードソードを抜く。グリークの視線を追えば、森の中に群れをなす泥鬼が見えた。爪を構えた汚泥の化け物が、木々の間を歩き、ロランたちに近づいてきている。いったい何体いるのか、とてもではないが数えられない。ロランはあまりのことに体から力が抜け、

「丁度いい数じゃねえか」

 グリークの言葉と、風を切って構えられた剣の音が、ロランが倒れ込むのを防いでいた。抜けた力が四肢に戻り、立ち上がる気力へと変わる。気がつけばロランは、グリークの隣で立ち上がっていた。右足の痛み、泥鬼によってつけられた傷も気になりはしなかった。

 そんなロランを一瞬だけ見て、グリークは片手で短剣を放った。思わずロランが受け止めたそれは、グリークが使っていたあの魔法の短剣だった。

「危なくなったら、敵に向かって突き出しな。あとは短剣がやってくれる。お守りには丁度いいだろ」

 グリークは早口でそう言い、それから今度ははっきりとした口調で言葉を続けた。

「テルナは優秀だ。悪鬼邪竜の咆哮を聞いた以上、無理な討伐はやめ、すぐに戻ってくるはずだ。戻ってきたら、坊主、テルナに村のことを説明してやれ。お前がテルナの仕事を手伝ってやれ」

 言って、グリークは一歩前に踏み出した。

「あとついでに謝っといてくれ……時代遅れの冒険者崩れが、また出しゃばっちまったってな!」


 冒険者だ。

 無数の泥鬼を相手に剣を振るうグリークを見て、ロランは思った。やっぱりグリークは冒険者だった。『元』なんかじゃない。今だってグリークは冒険者に違いなかった。

 木々の間を駆け、グリークが長剣を振るう。縦に振り下ろされた剣が泥鬼の体を切り裂き、横に振られた刃が首を両断した。突き出された剣先が魔物の胴体を貫き、跳ね上がった刀身が体を吹き飛ばした。ただ一振りの長剣が、数え切れないほどの泥鬼を仕留めていく。ただ一つの武器を頼りに、魔物の群れを相手に怯むことなく戦っている。その姿は冒険者だ。その姿こそ冒険者だと、ロランは思った。

 グリークの戦いに見入っていたロランは、聞こえてきた馬の蹄の音に、はっと我に返った。グリークに言われた言葉を思い出し、周囲に視線を走らせる。テルナが戻ってきたのだとしたら、村の状況を伝えなければならない。それが今、自分がやらなければならないことだった。

 馬に乗ったテルナの姿は、すぐに見つかった。狭い木々の間で、苦もなく馬を走らせている。広い草原を走るのとまったく変わらない速さだった。それを見て、彼女が森の中でも馬に乗っているのは、隊長の威厳を示すためでも敵を威圧するためでもないことに気づく。テルナにとっては草原も森も変わらないのだ。

 テルナに気づいた泥鬼の何体かが、爪を振り上げて彼女へと襲いかかっていった。それに対し、テルナは手にした槍を、無造作にも見える動作で横に振るった。騎士が馬上槍試合で使うランスに似たその槍は、どう見ても斬るようにはできていない。だがその槍の一撃を受けた泥鬼は、胴体を上下真っ二つに両断され、地面に転がることになった。槍が泥鬼に当たる瞬間、その柄に刻まれた魔術文字が輝くのをロランは見逃さなかった。テルナの持つ槍は、ロランがグリークから渡された短剣と同じ、魔法の武器だったのだ。

 振るう槍で迫る泥鬼を切り裂き、馬の足はまるで緩めることなく、テルナはロランのもとへと駆け寄ってきた。近づく地響きに身がすくみ、テルナの鋭い視線にその意を悟る。ロランはその場で身を屈めた。馬の蹄がロランを踏み潰すかと思われたその寸前、テルナが片手で手綱を引き、馬の半身を持ち上げた。同時にあいた片手で槍を突き出す。槍の穂先は、ロランの背に迫っていた泥鬼を突き刺していた。

 一撃で仕留めた泥鬼の死体を、テルナは槍を振るって投げ捨てた。死体は近づこうとしていた別の泥鬼に当たり、仲間の死体に怖じ気づいたのか、その泥鬼は背を見せて逃げ出していた。

「まったく……人の言うことを聞かない者ばかりだな」

 テルナが手綱を操り、馬の向きを変えながら言った。馬の前半身を地面に下ろし、怒りと呆れがない交ぜになった視線を戦うグリークに、ついで側のロランに向けた。

「だが説教は後だな……村の状況を聞こう」

 落ち着いた声音でテルナが問うた。だがロランの方は、テルナのように落ち着いてはいられなかった。間近で見るテルナの鎧は血と泥で汚れていたからだ。胸当てには大きなひびができ、翼飾りのついたあの兜はどこにも見当たらない。顔も泥で汚れ、白い額には血糊までついていた。泥鬼相手によるものではないだろう。恐らくは悪鬼邪竜との戦いで受けた傷だ。

「どうした? 村の状況を私に伝えるために、ここにいるのではないのか?」

 自分の傷も意に介さないテルナの態度に、ロランは取り乱しそうになる心をどうにか落ち着けさせた。グリークが戦っている。テルナも戦っている。皆が戦っているのだ、自分一人が怯え、慌てていいわけがない。ロランは短剣の鞘を握り締め、グリークにしたものと同じ説明をテルナに話した。

「そうか……」

 ロランの話を聞き、テルナが槍を構えなおした。視線は戦っているグリークへ、いや更にその向こうの森へと向けられていた。

「……兵を一人、砦へ向かわせた。事の次第を報告するためにな。残りの兵には、クベック村に戻り、可能な限り村人を助け、砦へ逃げろと命令してある」

 そう話すテルナの口調に、乱れたところはなかった。淡々とした、どこか事務的なものを感じさせる話し方だった。

「建物に籠城しているのなら、被害は思っていたよりも少なくなってくれているかもしれんな。あとはうちの兵士が、どれだけの働きを見せてくれるかだが……」

 話す声に暗さは感じられない。だがその中身は絶望的なものであった。テルナは村人を助け、そして逃げろと命令している。それはつまり、巡視隊が悪鬼邪竜に負けたということだった。泥鬼の討伐を諦め、少しでも被害を減らすことを選んだということだった。

 柵の向こう、村の中から、人の怒声が聞こえてきた。聞き慣れない男の声は、恐らく巡視兵のものだろう。その響きの弱さが、悪鬼邪竜との戦いで生き残った兵士の少なさを伝えていた。

「まったく……なにが楽な生き方だ。昔とまるで変わっていないではないか」

 ぼやくような口調でそう言いながら、テルナが馬を進ませた。ゆっくりと、剣を振るい続けるグリークのもとへと向かっていく。

「ロラン、君も察しているだろうが……私は任務に失敗した。泥鬼を従えた悪鬼邪竜は、今なお村を狙っている。遠からず、村に満ちた恐怖と絶望を食らいにやってくるだろう。私とグリークで時間を稼ぐ。その間に、君は生き残った兵と村人とともに逃げろ。砦に行けば、迎え入れてくれるはずだ」

 その言葉を最後に、テルナは馬を走らせた。槍を振るい、グリークと並んで戦い始める。

 テルナに気づいたグリークが、一瞬ロランの方を見た。遠く離れてしまったために、その表情はもうよく見えない。だがその瞳が伝えようとしていることを、ロランは理解していた。

 逃げろと、グリークも言っていた。テルナと同じように、自分たちが泥鬼を、やってくる悪鬼邪竜を相手にしているうちに逃げろと、そうロランに言っていた。

「結局……逃げるしかないの……」

 これが結末なのだろうか。大勢の兵士と村人が犠牲になり、グリークとテルナも殺されてしまい、わずかに生き残った村人たちが砦へと逃げ延びる……それがこの戦いの結末なのだろうか。

「嫌だ……」

 そんなのは嫌だと、ロランは思った。自分だけ逃げるなんて嫌だ。テルナとグリークを見捨てて逃げるなんて嫌だ。村を滅ぼされるのだって嫌だった。だが自分になにができるというのか。グリークが渡してくれた魔法の短剣で戦う? そんなことは不可能だ。近づいてきた魔物から身を守れても、それで戦えるわけがない。ましてや、テルナですらかなわなかった悪鬼邪竜を倒せるわけがなかった。この刃を届かせることだって無理だろう。

 認めるしかなかった。これが終わりなのだと。頷くしかなかった。テルナとグリークの逃げろと言う言葉に。最早できることはなにもなく、仕方ないと諦める以外に道はなかった。

 そんなロランの絶望が具現したかのように……森の中から、木々を越えて、巨大な首が持ち上がった。黒い岩のような皮膚に覆われた、長く巨大な首。丸太を何本も束ねたかのような太い首の上に、岩の塊のような頭がのっている。その頭には、一見すると目も口も見当たらない。だがよく見ればわかる。黒く濁った毒沼のような目が、じっと下を見ていることに。そして溶岩を彷彿とさせる赤黒い舌が、顔の真ん中で蠢いていることに。

 持ち上げた頭でロランたちを見下ろす悪鬼邪竜。黒く硬い皮膚を持ち、泥鬼を従えるその竜は、

(……地竜だ)

 大地を支配する、揺るがぬ力を持った地竜が目の前に現れた。


 咆哮が大地を震わせた。まるで殴られたような衝撃を感じて、ロランは地面に倒れてしまった。ふらつく頭を上げて前を見れば、地竜が操っているはずの泥鬼たちも地面に倒れ伏していた。テルナの馬も倒れている。テルナとグリークは、自分の武器を支えに、どうにか倒れるのを免れていた。それでも膝の震えまでは消せていない。遠目にもそれはわかってしまった。

(もう、どうしようもないんだ……)

 間近で見る竜の恐ろしさに、ロランの全身は震えていた。倒れたまま、立ち上がることができない。それどころか、立ち上がろうという思いすら抱けなかった。それでも、命を失わずにすんだのは奇跡だったのかもしれない。竜の咆哮を間近で聞けば、魂の弱い者はそれだけで死んでしまうこともあるという。その噂が本当であるのなら、自分が死ななかったのは奇跡だろう。今の咆哮で死んでいた方が、もしかしたら楽だったのかもしれないが。

 地震のような揺れが、ロランの体を震わせた。倒れる木の音が耳朶を打ち、続けて大気を震わせた咆哮がロランの心をまた揺さぶる。

(僕たちを、怯えさせるつもりなんだ……)

 身を縮めながら、ロランは思った。大地を支配する地竜は、望むならまったく地面を揺らさずに歩くことができる。地より生える植物を操り、倒すことなく道を作らせることもできた。今それをしないのは、ロランたちを怯えさせるためだろう。地竜は肉を食らわないわけではない。だが一番の好物であり、養分となるのは、人の恐怖と絶望だった。人の心を餌として吸収する力を、悪鬼邪竜は持っているのだ。

 木を倒し、岩の塊のような足が現れた。ロランたちを怯えさせ、絶望させるために、地竜は足を下ろして地面を揺らした。

「くそったれがっ!」

 悪態をつき、その足にグリークが斬りかかった。鋼の刃が、岩のような地竜の足に一筋の傷をつける。だがそれだけだった。浅い傷は血も流さず、地竜の歩みを止める役には立たなかった。

「ふんっ!」

 同じ足目掛けて、間髪をいれずテルナが槍を突きだした。穂先が傷口を突き、手を保護するバンプレートに刻まれた魔術文字が輝く。次の瞬間、大きな爆発音が当たりに響き渡った。テルナの持つ槍の、もう一つの魔法の効果なのだろう。だがその爆発も、竜の皮膚の一部をはがしたにすぎなかった。地竜は二人の攻撃を気にした風もない。それどころか、暗い瞳で二人を一瞬だけ見、あとは興味を失ったように首を巡らせていた。脅威となるような力を持たず、かといって餌として魅力的な恐怖を抱いてもいない。気にする価値もないもの。それがグリークとテルナに対する、地竜の評価なのだろう。

 地響きとともに歩を進める地竜に、二人は諦めず攻撃を繰り返している。だがその攻撃は、有効なものにはなっていなかった。二人が万全の調子であったのなら、まだ地竜の歩みを遅らせることができたかもしれない。だがグリークは長く泥鬼と戦い、テルナは二十九の兵を一人で指揮しなければならなかった。二人は疲労し、その武器も切れ味が鈍っている。今の二人では、地竜を止めることはできなかった。

(ほんとに、これでもう終わりなんだ……)

 近づいてくる地竜に絶望を抱き、ロランはただ呆然と竜を見つめているしかなかった。地竜の首が動き、その瞳がロランを捉えたそのときも、ロランは諦めの目を向けているだけだった。

 地竜の瞳が、毒沼のような目が動いたように見えた。赤黒い舌が一瞬姿を見せ、また引っ込む。それを見て、すぐに悟った。

(僕を……食べるつもりだ……)

 グリークやテルナと違い、恐怖と絶望に支配されたロランはよい餌だろう。村で存分に食事を楽しむ前に、まず一口……地竜はそう思っているに違いない。それに自分は、抵抗できない。今更走ったところで、逃げられはしないだろう。ならもう、ここで死んでしまった方がいいのかもしれない。ここで地竜に食われてしまえば、もう楽になれるのだから。

 そう思い、身を縮め体を丸めたそのとき、ロランは自分がずっとなにかを握っていたことを思い出した。知らず閉じていた瞳を開け、握っていたものを見る。それはグリークから渡された短剣だった。魔術文字が刻まれた、敵を切り裂く魔法の短剣だ。それを見たロランの脳裏に、一瞬ある考えが浮かぶ。だがそれを、ロランは意識して消し去った。自ら考えを捨て、恐怖と絶望に心を委ねた。

(もうダメだ……もうダメだ……もうダメなんだ!)

 心の中で繰り返し呟く。震える体を、ロランは更に小さく丸めた。地竜の首が近づいてくる気配を感じる。遠くから、グリークとテルナの叫びも聞こえてきた。そのすべてを拒絶し、ロランは恐怖と絶望だけを心に抱いた。

 恐怖こそ、今は必要だった。

(地竜に食われて……僕は死ぬんだっ……!)

 そして、地竜の口が開いた……その瞬間、

「うわぁぁぁぁぁっ!」

 叫びとともに、ロランは短剣を鞘から抜き、その刃を突き出していた。


 ロランの視界は暗闇に支配されていた。自分はもう死んだのだろうか? それとも、今まさに地竜に食われているところなのか。そんなロランの疑問を、

「ロラン!」

 耳元で聞こえたテルナの声が否定した。はっと正気を取り戻し、閉じていた目蓋を開ける。それだけで暗闇は消え去り、ロランの視界は光を取り戻していた。

 目を開けて前を見る。ロランはまだ森にいた。木々の向こうは土煙に覆われ、遠くの景色は見えないが、ここが村の側の森であることはわかる。地竜に襲われたあの場所から、自分はまったく動いていなかった。

「まったく……ほんとに無茶をする坊主だな、お前は」

 苛立ちと呆れが混じったグリークの声が聞こえた。それに押されるように視線をわずかに下げると、自分が手にした短剣が見えた。グリークから渡された短剣。離れたところにいる敵を切り裂く魔法の短剣。今は輝きを失っている魔術文字を見て、自分がなにをしたのかを思い出し……ロランは恐怖に体を震わせた。

「本当に、私の周りは人の言うことを聞かない者ばかりだな!」

 怒るようにテルナが言った。

 グリークとテルナが側にいる。ロランの体は無事で、地竜の姿も見えない……それはつまり、自分の考えがうまくいったということなのだろう。だが喜ぶ気持ちにはなれなかった。ぶり返してきた恐怖に震えることしかできなかった。

「自分を餌にして、魔法の短剣を使って地竜の口内を攻撃する……無謀にも程がある!」

 テルナに言われるまでもなく、自分がどれだけ無謀なことをしたのかはわかっていた。だが、それでも、

「……あのとき僕にできたのは、怖がることだけだったから」

 子供の自分にはなにもできず、恐怖に震えることしかできないのなら、精一杯恐怖を感じようと思った。その恐怖を餌にする。地竜といえど、口の中は外皮よりは弱いだろう。そしてグリークから渡された魔法の短剣……敵に向かって突き出せば、あとは短剣がやってくれるとグリークは言っていた。この魔法の短剣ならば、たとえ恐怖に捕らわれていても、自分を食べようとしている地竜を攻撃できるはずだ。そう思って、ロランは恐怖に心を委ね、地竜の首を誘き寄せた。そして口を開いた瞬間、魔法の短剣を突き出したのだ。

 運良く事は運び、地竜を倒すことができたようだった。本当に、ただ運が良いだけだった。体の震えが治まらず、短剣を握り締めた手から力が抜けない。同じことをもう一度やれと言われても、もうできないだろう。ほとんど諦めきっていたあのときだからこそ、無謀な考えを実行できたのだ。

「……その度胸は買ってやってもいいがな」

 少し冗談めかして言うグリークの言葉と、

「グリーク……」

 窘めるように呟くテルナの声に、ようやくロランの気持ちは落ち着きかけ、

「……っ!」

 視線の先、宙を覆う土煙を裂いて現れた地竜の頭に、ロランは全身を硬直させていた。気配に気づいたグリークとテルナが、すぐにロランの前に立ち、それぞれの武器を構える。 首を持ち上げた地竜は、木々の上からロランたちを見下ろしていた。わずかに開いた口と瞳からは、どす黒い体液が流れ出している。魔法の短剣による攻撃は、確かに地竜に傷を与えていた。だがそれでも、地竜を絶命させるには至らなかったのだ。頭部を内側から切り裂かれながら、それでも死なない悪鬼邪竜を前に、ロランは今度こそ気力を根こそぎ奪われていた。身じろぎ一つできなかった。

 木々の上から、地竜がロランを見下ろしている。毒沼のように濁った瞳がすっと細められ、

「う……あっ……」

 頭の中に響いた言葉に、ロランはうめき声を上げていた。

 震えるロランをそのままに、首を回し、体の向きを変え、地竜が森の向こうへと歩き去っていく。地響きが徐々に遠ざかっていき、やがて地竜の体とともに消えていった。後にはたちこめる土煙だけが残された。

「くそっ……最悪だ!」

 地竜が姿を消した方を向き、グリークが吐き捨てるようにそう言った。その隣のテルナはなにも言わないが、その額には汗が浮いている。それを見てロランは悟った。二人が、自分と同じ言葉を聞いたことを。地竜の思念を伝える魔術は、ロランに向けられていた。だがロランの側にいた二人にも、その思念の言葉は伝わっていたのだ。

 地竜はロランに伝えていた。己の怒りと恨みを。食事を邪魔されたことを怒り、己の企みを妨害されたことを恨んでいた。それも、餌でしかないはずの人間の子供に傷つけられてのことであり、それ故に地竜の怒りと恨みは深く、大きかった。そして、地竜はロランに、確かにこう言っていた。

『この屈辱の報い、必ず……』

 ……と。

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