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第62話 散り逝く獣に送る歌






 闇夜の大橋に、刃と刃がぶつかり合い火花を散らす。

 片手剣を構えたアルトは、持ち前の腕力とトリッキーな動きで、ハウンドの動きを牽制しながら攻め続ける。

 リズミカルに、だが、時にリズムを外して、縦横無尽に剣を振るう。

 長年、剣術というモノに対して真摯に打ち込み、腕を磨いて来た生粋の剣士、騎士達からしてみれば、剣を左右に持ち変え、時には投げ回し、曲芸染みた独特の方法で振るわれるアルトの剣術は、邪道だと言われるかもしれない。


 対するハウンドは、短いナイフ一本でその猛攻を全て凌ぐ。

 軽く鋭く丈夫な刃。小回りが利くそれは、暗殺を生業とするハウンドにとって、もっとも適した武器だろう。

 けれど、正面から戦う場合は、必ずしもその優位性が前面に出されるわけでは無い。

 相手がアルトなら、それは尚更だろう。

 だが、そんな不利などハウンドは物ともしない。

 暴雨のようなアルトの剣戟を、一切身体に触れさせずシャットアウト。それは神業と呼ぶに相応しい技術で、手の平に軽く握ったナイフは、武器と言うよりも、腕の延長と言った方が良いほどハウンドの手に馴染んでいた。

 正面から振り落された剣をナイフで阻み、刃の上を滑らせ、フィンガーガードで剣を払う。


「――フッ」

 右足を踏み出し、ナイフを横に薙ぐ。


「おっと」


 アルトは下がらず、顎を引いてそれを回避する。

 スピードが思ったより緩い。

 横薙ぎの軌道を描いたナイフは、すぐさま引き戻され、今度は倍の速度で喉元を狙い、突きを繰り出してくる。

 今度は下がらざる得ない。

 アルトは左足を後ろに引き、ハウンドのリーチの外まで退避する。

 届かない。と判断したハウンドは、腕が伸び切ったところを狙われるのを嫌い、バックステップでアルトと距離を取る。

 この間、ほんの数秒の出来事だ。

 仕切り直しに、二人は互いに武器を構え直して睨み合う。


「……強いなぁ、アンタ。正直、ゾッとしないぜ」


 冷や汗混じりに、アルトは正直な感想を口にする。

 緩急のある正確無比な立ち振る舞い。ナイフが身体の側を掠める度に、ゾクゾクと嫌な気配が背中を走りっぱなしだ。

 アルトの言葉に対して、ハウンドは不機嫌を表すようフンと鼻を鳴らした。


「まだ本気でもない癖に、よく言ったモノだ」

「そりゃ、アンタもだろ?」

「…………」


 ハウンドは答えない。

 だが、身体から発せられる気配の質が変わったことから、無言で指摘したことを肯定しているのだろう。

 纏わりつくような殺気が、更に重みを増す。

 異様な緊張感に、読まれるのが恐ろしく呼吸すらも細くなる。

 瞬間、先に動いたのはハウンドだった。


「――ッ!」

 正面に数歩走ったハウンドの姿が、残像を残して消える。

 アルトの視線が何処を向くべきか迷う。

 上……いや、


「――右かッ!」


 身体を向け、確認するより早く剣を打ち下ろす。

 激しい金属音が響いた。

 何時の間にか真横まで迫っていたハウンドが、屈んだ低い位置で落とされた刃をナイフで受け止めていた。


「流石、やるな野良犬」

「テメェもな、猟犬」


 互いに刃を弾く。

 アルトはただ下がらせまいと、弾かれながらも、右足で前蹴りを繰り出す。

 それをハウンドは左腕で受け止め、逆に突進するよう押し込んだ。


「――うおわっと!?」


 片足で立っているところを押され、アルトはバランスを崩し尻餅を付きそうになるのを、後ろにぴょんぴょんと飛んで堪える。


「――フッ」


 短く息を吐く音が聞こえた。

 ハウンドは間合いの外から左手を横に薙ぐと、月明かりに光るナイフを数本、アルトに向かって投擲した。

 同時に、ハウンドは距離を取るよう後ろに跳躍する。

 間合いは差ほど離れていない為、正面から飛んでくるナイフは回避出来ない。

 アルトは舌打ちを鳴らし、両腕でとりあえず身体の急所となる部分だけを守る。

 狙い澄ましたわけでは無い、ただ投擲されただけのナイフに威力と精度は乏しく、庇った腕に浅く刺さったり、顔の脇を掠めただけで大したダメージは無い。

 ハウンドの本命は別にあった。

 刺さったナイフを振り払うと、自分の周囲を取り巻くよう、光る筋のような物がふわりと風に舞っていた。


「これは、鋼糸かッ!?」


 ヤバイ! と、思った瞬間、ハウンドは鋼糸を持つ手を、クイッと手前に引く。

 周囲をふわふわと漂うように舞っていた無数の細い、蜘蛛の巣に似た鋼糸に力が宿り、キュルキュルと独特の音を立てて、アルトの身体や両手足に絡みつく。

 咄嗟に左手で首筋に巻き付こうとした鋼糸を掴んだので、首を落とされることは避けられた。けれど、右手は完全に絡め取られてしまったので、可動範囲が限定され、剣を振るって鋼糸を斬り落とすのは不可能そうだ。

 前回もこれで危うくやられかけたが、その時と違い今回は手元に都合良く竜翔白姫は落ちていない。

 鋼糸自体は以前より細く、強度は弱いのだろうが、それでも素手で引き千切るには難易度が高い。


「クソッ……それならッ!」


 絡んだ腕を引っ張り、無理やり鋼糸を揺らす。

 細い鋼糸が服の上から皮膚に食い込み、露出している腕などはぶちぶちと音を立てて皮膚を裂き、赤い血が流れ落ちる。


「無茶をすれば、貴様の身体がバラバラになるぞ?」

「だが、こうしてこっちから暴れてやりゃ、テメェも自由に動けねぇだろう」

「…………」


 無言のまま、ハウンドは暴れる鋼糸を巧みに操った。

 ハウンドは随分と警戒している様子で、迂闊に近づいて来ようとはしない。前回はこの状況から優位を引っくり返されたので、同じ轍を踏みたくないのだろう。

 このまま、ジワリジワリとアルトの体力を奪うつもりなのだ。

 けれど、同じ手段に二度も手惑うアルトでは無い。


「こっの!」


 皮膚が裂けるのも構わず、アルトは右手をがむしゃらに動かし、鋼糸を引っ張る。

 勿論、拘束が緩まぬよう、ハウンドが巧みに持ち手を操るから、意味のある行為では無い。

 ハウンドの意識を腕に引き付けた隙を狙い、足下に転がるナイフを爪先で蹴り飛ばす。

 蹴り上げられ、ハウンドに向かって飛ぶナイフ。しかし、慌てることなくそれを、数歩足を横にズラすだけて回避した。

 続けて、地面に転がるナイフを、連続で器用に蹴り飛ばすが、それがハウンドに掠ることはなかった。

 アルトは鋼糸を引っ張り牽制するが、主導権を握るハウンドの糸捌きの前には意味をなさす、鋼糸はただ二人の間でピンと張り、月明かりに照らされ銀色に輝く筋を何本にもわたり作り出していた。


「ふん。その程度で……」

「なぁに、狙い通りさ」


 ニヤリと笑うアルトが笑うと、ハウンドは引く鋼糸に微妙な違和感を覚える。

 視線を二人のちょうど中間に向けると、蜘蛛の巣に引っかかった虫のように、一本のナイフが無数の鋼糸に絡みついていた。

 蹴り飛ばしたナイフの内の一本を、細い無数の鋼糸で絡め取ったのだ。

 二人の力が拮抗する真ん中に絡まった鋭い刃は、キリキリと耳触りな音を立てる。

 瞬間、ブチブチッと、数本の鋼糸が弾け飛んだ。

 右手の拘束が緩み、腕の可動域が広がったことで、自由に剣が振るえるようになった。

 素早く身体に巻き付いた鋼糸を、剣で斬り裂いて、拘束から抜け出す。


「――今度はこっちから行くぞッ!」


 仕切り直す間を与えず、剣を両手で構え千切れた鋼糸を握るハウンドに突貫した。

 素早く斬り裂かれた鋼糸を捨て、投げナイフで牽制するが、アルトの突進を止めることは出来ない。


「――ッ!?」


 速度の緩めないアルトに、ハウンドは間合いを離す機会を見失ってしまう。

 飛来するナイフを、刃で全て弾き飛ばし、そのまま上段から一撃を振り下ろす。

 空気を裂く一太刀に、ハウンドは大きく仰け反った。

 切っ先に僅かな手応えはあったが、触れた程度でダメージは無いだろう。

 身を反らし一撃をギリギリのところで回避したハウンドは、グルリとその場で一回転し、何時の間に手の持っていたのか、大振りのナイフをアルトの胸、心臓のある位置に狙いを定めていた。

 そしてアルトの切り上げた刃がハウンドの喉元、切っ先が顎を捕える。

 互いに互いの急所を狙い、動きを牽制し、その場に静止した。


 僅かな沈黙の中、最初それを破った音は、ピシッと仮面に入った罅だ。

 上段からの一撃で感じた手応えは、仮面を掠めた感触だったらしい。

 罅は上から徐々に下へと一直線に伸び、白い仮面は左右に裂けるよう割れた。

 露わになるハウンドの素顔。

 それを見たアルトに、驚きの表情は無かった。


「……やっぱり、アンタだったか。シーナ」

「気づいていたか……何時からだ?」


 怪我をしたアルトを治療してくれた恩人、シーナはナイフで心臓を狙ったまま、ハウンドの口調で問うた。

 晒した素顔に、シーナの時のような人の良さそうな笑顔は皆無だった。


「割と最初から……と、言ったら大袈裟だが、確信を持ったのは昨日の夜だな」

「……ふん」


 思い当る節があるのか、ハウンドは僅かに顔を顰めた。


「天楼に居たのは、スパイの為か?」

「そうだ」


 てっきり黙殺されるかと思いきや、ハウンドはあっさりと認める。


「俺はハイドの指示のより、以前からシーナとして天楼の本拠地に入り込み、動向を観察していた。監視目標は、シドでは無くボルドだがな」

「シドじゃなく、ボルド?」

「ハイドとシドは、立場上は敵対こそしているが、根底にある北街を大切に思う信念は一緒だ。ただ、向いている方向性が別と言うだけ……だが、ボルドは違う。あの男の存在は、北街に、いや、王都に害悪しか齎さない」

「そこまで言っておきながら、あの野郎を野放しにしていたのか? 伝説の暗殺者が聞いて呆れるぜ」


 アルトの言葉に、悔しげに唇を噛む。


「国崩しや神崩しの明確な絵を描いているのはボルドだ。奴を迂闊に殺せば、計画は不完全な形で実行される。そうなれば、待っているのは自滅のみ」

「神崩しってのが行われても、結果は同じだろう。多くの人間が死ぬ」

「そうだ。だが、北街ではこの四十年間、多くの人間が死んできた」


 冷静だったハウンドの口調に熱が籠る。


「老若男女問わず、病気で、餓えで、暴力で、多くの人間が死に至った。地獄の釜の底だとわかっていても、北街の人間はそこでしか生きられない……暗部組織だと息巻いてみても、地の底からでは天上に声は届かない」


 冷めた視線に、光が宿る。

 怒りに満ちた言葉は暗殺者ハウンドでは無く、医者崩れだったシーナのモノなのだろう。


「ならば、無理やりにでも届かせるしか方法な無い。少なくとも、シドはそう考えている」

「……アンタも、その考えに同調してんのか?」

「まさか。俺は奈落の杜の人間だぞ」


 ハウンドは薄く笑った。


「俺に、ハウンドに主義主張は無い。敵を打ち払い、成すべきことを成すのみ」

「じゃあ聞くが、ハウンド様の成すべきことってなんだんだよ」

「ハイドをこの国の王に据える」


 淀みなく、そう言った。


「炎神の焔による神崩し。大量の結晶体を起爆剤に、炎神の焔の魔力を解き放つ。だが、発動しれば近くにいる発動者は確実に命を落とす……そして、その発動方法を知っているのは、シド一人だけだ」

「なるほど、な。その為の、天楼と奈落の社か」


 北街は頂点に立つカリスマがいてこそ、その現状を維持していられる。

 シドが天楼を立ち上げた最大の理由は、何等かに理由で計画がとん挫したり、騎士団に見咎められたりした場合、自分一人が責任を取ることで、北街を守ろうとしたのだ。

 ハイドが残れば、北街を維持出来る。そう考えてたのだろう。


「神崩しが発動しれば、否応なく王都は混乱に包まれる。その時に皆を率いる、明確なカリスマが必要なのだ。そしてそれは、北街の王であるハイド以外に役割をこなせない」

「そりゃ、大した自信だな。北街以外の連中には、迷惑極まりない話だぜ」

「ボルドが王となるよりマシだろう」

「ハッ。どっちもどっちだよ」


 ハウンドは怒りを覚えるように睨みつけて来るが、すぐに何か思うとところがあるのか、僅かに視線を細めた。


「野良犬。俺は、お前に……いや、問答は無用か」

「……ケッ」


 一人で納得する姿に、アルトは不機嫌そうに吐き捨てる。


「何だかよくわからんが、納得したんなら、そろそろ始めようぜ」

「その点は、同意しよう」


 殺気を帯びた視線が交差する。

 一瞬の沈黙の後、添えられた刃が同時に動く。


「――ッ!?」

「――フッ!?」


 互いに身体を横にずらし、首筋を、胸を刃が滑り肌を裂く。

 二人の身体は交差し、振り返ると同時に、互いの剣と刃がぶつかりあった。

 激しく火花が散る。


「サッ!」


 バックステップで地を蹴りながら、ハウンドは数回にわけナイフを投擲する。

 一呼吸の内に素早くアルトはナイフを弾く。その速度は、先ほどの非では無い。


「――ッ!?」


 ナイフは全て弾いた。が、アルトの肩や腕に激痛が走る。

 視線を上に向けると、ハウンドの手から放たれたナイフの一部は、回転しながら楕円状の軌道を描きアルトを襲う。

 それだけでは無い。

 左右からも、クルクルブーメランのように回転してナイフが飛ぶ。

 刺さったナイフの形状は、小さいが僅かにくの字に曲がっていて、この刃の形があのような不規則な軌道を描いているのだろう。


「チッ、避ける隙間がねぇ!」


 視線を上下左右に散らし、素早く剣を振るう。

 高速で振るわれた刃が舞うように飛ぶナイフを次々と叩き落とすが、独特の軌道もあって全てを捌ききれず数本、アルトの身体に突き刺さった。


「――痛ッ」


 鋭い刃の痛みに苦悶の声と血を散らす。

 それでも急所を狙わせない辺り、流石はアルトだろう。

 しかし、このナイフの軌道は面倒だ。


「なら」


 一つの方法を思いつき、アルトは真横へと走る。


「ふん」


 顔を顰めたハウンドが、ナイフの投擲を止める。

 楕円を描く軌道故、左右の動きは捉え辛いのだ。


「ふっ、はっ、ほっ!」


 身体を左右に散らし、狙いを絞らせないようにしながら、ハウンドとの距離を縮める。

 ハウンドも投擲は諦め、大振りのナイフを構える。今度は、両手にだ。

 ある程度、間合いを詰めると一気に速度を上げ、アルトは打ち込みながら踏み込んだ。

 逆手にもったナイフで薙ぎ、火花が散り、剣の一撃は弾かれた。

 互いにバランスを崩し、片足が宙から軽く浮く。

 それを切っ掛けに、アルトの脳裏で素早く戦略が組み立てられる。

 ハウンドも同じだろう。

 一瞬の内に様々な剣筋、攻略法を導きだし、最善の一手を判断する。同時に、相手がどんな手段を取るかを読み合い、更に組み立てた戦略に修正を加える。


 これを、瞬きをする間に行うのだ。

 浮いた足が再び地に着いた瞬間、思い描いた戦略が現実のモノとなる。

 跳躍、斬撃、回避、連撃、見切り。

 高速で動く二人の身体は、忙しなく立ち位置や態勢を入れ替えて行く。

 互いに振るう刃が血と火花を撒き散らし、闇夜を銀色の閃光と金属音で彩った。


「――ハァッ!」


 正面で不規則な軌道を描き、ハウンドの振るったナイフが舞う。

 後ろにステップを踏むと、正面の空間を削るように舞い踊った刃は、ハウンドの手の平から離れ足下へと突き刺さる。

 無意識に視線がそれを追ってしまい、しまったと口の中で呟く。

 反射的に自分の左手を顎の下に差し込むと、鈍い衝撃が手の平を通して顎、脳天へと突き抜けた。


「――グウッ!?」


 足元の投げつけたナイフで一瞬だけ注意を逸らし、それを踏み台にしてアルトの顔面に膝蹴りを叩き込んできたのだ。

 寸でのところで防御したが、ハウンドの攻勢はまだ終わらない。

 グルンと、首にハウンドの腕が巻き付く。


「……ふぎっ」


 ハウンドが上から覆い被さるよう、アルトの首を締め上げているのだ。

 息が詰まる。

 体重がかかり前方へと倒れ込みそうになるが、足腰に力を込めて何とか踏ん張る。この状態で倒れたら、余計に抜けられなくなる。


「ふぎぎぎ……」


 ギリギリと首が締め付けられ、圧迫された骨が軋み、激しい頭痛が襲ってきた。

 絞め殺すなんて悠長なことをするつもりは無く、このまま首の骨をへし折るつもりだ。


「ふっ」


 ハウンドは短く息を吐き、掴んだ首を引き抜くかのよう、体重を後ろへと傾けた。

 酸素が不足し、血液が止められていることで、下半身に思うよう力が入らない、

 倒れる。

 ならば一層のことと、手に持った剣を離して、ハウンドを抱えた。


「!? 何をするつもりだ?」

「ごう、ずるんだよッ!」


 全身の筋肉を弛緩させて、ダイブでもするように後ろへと飛んだ。

 そのまま、垂直に背中から倒れ込む。

 ハウンドの身体はアルトの頭より高い位置にあるので、このまま倒れれば顔面から固い地面に叩きつけられる。


「――チッ!」


 舌打ちを鳴らし、首に巻き付いた腕を解くと、地面に衝突する寸前に顔をガード。そのまま抜け出す。

 絞め技から解放されたアルトも掴んでいた足を離し、素早く身体を起こして剣を拾った。

 立ち上がる時間も省略して、座ったまま身体を入れ替え、斬撃を繰り出す。

 硬い感触と音が響き、何度目になるのか、刃同士が正面から噛み合う。

 ギギッと刃が耳触りな音と共に軋み、二人は鍔迫り合いを続けて立ち上がった。

 互いに自然と理解する。

 次のぶつかり合いが最後だと。


「――フッ」

「――ハッ」


 刃を弾き、二人の間合いが離れる。

 一呼吸の間。

 両手にナイフを逆手に持ち、地を蹴って真正面から攻める。

 アルトはその場から動かず、剣を正面に構えた。

 オーソドックスな、正当剣術の構えだ。

 ハウンドの姿が間合いに入った瞬間、お手本のような動作で、鋭く上段から一撃を打ちこんだ。

 流れるような美しい型から放たれた斬撃は、疾走するハウンドを脳天から一直線に斬り裂いた。


 残像を。

 同時に、アルトの真上から鋭い殺気が迫る。

 だが、アルトは動かない。

 鋭い視線で消え去る残像の揺れを追い、上段から落とした剣を最後まで確りと振り抜いた。

 凶刃が、アルトを貫く。

 上空から落とされたナイフが、アルトの左肩に刺さる。

 けれど、それは残像を残して消える直前、フェイントととしてハウンドが上空に投げたナイフが、真下に落ちただけのこと。

 本命のハウンドは、アルトの真後ろに立ち、ナイフを構えた。


「終わりだ」


 鋭く振るわれた刃。

 アルトの後頭部を裂こうとする冷たい刃は、肉を裂く事無く空を切る。


「――ッ!?」


 驚きに表情を崩したのは、ハウンドの方だった。

 視線を落とすと、腹部に深々と刃が突き立てられていた。

 剣を真下まで振り抜いたアルトは、その勢いを殺さず膝を屈伸させてナイフを回避すると、手の中で回転させ後ろに向けた刃を、背後に立つハウンドに向けて突き立てたのだ。

 言葉で説明するほど、簡単な動作では無い。

 全力で振り下ろした一撃を、直後に持ち変えて背後に突き出す。

 それを淀みなく行うことなど、咄嗟に出来る技では無い。

 紛れも無く、何百、何千と繰り返した修練の末、体得出来る剣術の型だ。

 トドメとばかりに、更に剣を後ろへと押し込む。


「――ッグッ!?」


 呻き声が耳元に届くと、ナイフを落としたのか、カランという金属音が聞こえた。

 手応えは十分。

 それでも相手はハウンド。油断することなくアルトは剣を抜くと、振り返り血を流して膝を突く彼の鼻先に、血の滴る刃を突きつけた。


「……俺の勝ちだな」

「そのよう、だな」


 とめどなく血の流れる腹部を手で押さえ、ハウンドは悔しげに呟いた。

 終わってみれば、あっさりとした決着かもしれない。

 しかし、実際は紙一重だった。

 アルトが繰り出した上段からの一撃は、剣術を習う子供が、最初に教わる単純な打ち込みだ。ただ、真正面から真っ直ぐに剣を振り抜く。基本中の基本だが、常に相手を翻弄する剣術を得意とするアルトとは、真逆の剣術だろう。


 あえて基本を使ったのは、ハウンドの本気を引き出す為。

 全身全霊を込めた打ち込みに対して、ハウンドも最高速の動きで、確実にアルトを倒せる手段を講じる。

 暗殺者ハウンドなら、騎士や剣士のように、真正面から挑みはしないだろう。

 背後に放ったあの一撃。アレは本来、前後に挟まれた場合に使う型。本来なら相手が後ろにいる前提で使う技で、今回のように一か八かの賭けに使うような、危なっかしい技では無い。

 アルトはハウンドの持つ暗殺者としての矜持を信じ、最初から背後の一撃に全てを賭けていた。


「上からの一撃がアンタだったら、俺は負けていた」

「ふん……俺は臆病なのでな。曲芸染みた戦い方は、得意では無い」


 震える膝で、立ち上がったハウンドは、よろけるように橋の欄干に背を預けた。

 あれだけ纏っていた、刺すような殺気はもう無い。

だからアルトは追い打ちをかけることはせず、刃に付着した血を払い落とし、剣を鞘へと納めた。

 欄干で自分の身体を支えながら、ハウンドは頭を下げる。


「北街を、頼む……」


 その姿に、アルトは不機嫌そうに舌を鳴らすと、背を向けてしまう。


「知るかよ。人の背中に勝手なモン乗せんな……俺ぁ、そういうモン背負わねぇって決めてんだよ」


 頭を掻く仕草に、ハウンドは僅かに苦笑を漏らした。


「……真っ直ぐ、シドの元へ向かうのか?」

「まさか。腹減ったから、一端家に帰るんだよ」

「そうか」


 肩口の傷が痛むのか、手で揉み込みながら、何事も無かったかのような足取りで、アルトは橋の上を渡り切った。

 背中を見送り、ハウンドは苦悶の表情を浮かべると、ズルズル地面へ座り込む。

 腹部の血は止まらない。傷は、内臓にまで達しているだろう。


「ふっ……容赦の無い奴め」


 アルトと戦う理由など、本当は無かった。

 彼が天楼に攻め込むより早く、第一騎士団長を暗殺し、騎士団が動けぬ内にその戦力を殺ぐ方が、効率的だったろうし、それを成せる実力も経験も兼ね備えていた。

 だが、その前にどうしても、アルトと決着を付けたかった。

 本人に語った通り、アルトを最大の障害と判断したこともある。

 口には出さなかったが、理由は二つある。


「嫉妬……羨ましかったんだな。戦場の影を生きる俺は、騎士のように、矜持を持って戦い、生きることは無い。この手に掴むのは、何時だって薄汚れた栄誉だけ」


 ハウンドは、力なく笑う。


「だが、それを求めて戦っておいて、最後は、暗殺者としての戦い方に準じた……いいさ、認めよう。暗殺者ハウンドが、俺の矜持だ」


 息遣いが細くなっていく。


「悪いな、ハイド。どうやら俺は、完璧に負けてしまった、らしい」


 ゆっくりと瞳を閉じる。

 呼吸はまだある。

 もう一つの理由は、何となく、彼が気に入ってしまったからだ。

 誰よりも過去を引き摺っている癖に、それでも前を向いて飄々と堂々と、日の下で生きている姿は、ハウンドには眩しく、憧れでもあった。

 もしかしたら、彼なら道を間違えた自分達を止めてくれるかもしれない。

 そんな勝手な期待を抱いていたのだ。

 戦って得た答えは、やっぱり何も無い……けれど。

 眠りにつくよう穏やかな息遣いの中、その表情はとても満足げだった。




 ★☆★☆★☆




 同時刻。

 水晶宮の最奥、王家の間に続く回廊。そこを抜けると、限られた者達のみしか足を踏み入れることを許されない、水晶宮の心臓部、王家の居住区がある。

 王家の間と回廊の間は広いホールになっていて、騎士達に守護された扉の向こうに、王家の方々は暮らしている。

 騎士団長や上級貴族達でも、おいそれと立ち入ることは許されない。

 その筈のホールに、大勢の騎士達が詰めかけていた。

 先頭に立つのは、第六騎士団団長アレハンドロ・フォレストだ。

 神聖な領域に武器を持って踏み込んだアレハンドロに、神妙な面持ちは無く、何処か高揚とした笑みすら浮かべていた。

 本来なら許されざる蛮行。


 だが、今宵は太陽祭前日。

 前夜祭として恒例の祝宴が開かれ、騎士団の面々や貴族達も含めて、沢山の料理や酒が振る舞われた。

 その中に、特殊な睡眠薬が盛られていたのだ。

 更に門番を担当していた騎士達も、アレハンドロ一派の貴族達に買収され、水晶宮内部の気配が薄まったのを見計らい、そっと持ち場を離れ、現在この場は無人。誰もアレハンドロを咎められる者は存在しない。


「ふむ。王家の方々は、この先におられるのだな?」


 薄い青色をした扉を見上げ、アレハンドロは顎髭を撫でる。

 明日からの太陽祭、エンフィール王を始めとした王家の方々は、数日間多忙を極めている。なので祝宴も途中で退席し、今は薬の効果もあってぐっすりとベッドの上で、夢も見ないほど深い眠りに落ちているだろう。


「さてと……貴様ら、準備をしろ」


 アレハンドロの指示の元、部下の騎士達は術式が施された、特殊な銀板を数枚用意する。

 王家の扉は硬く閉ざされていて、アレハンドロ達が如何に上手く立ち回っていても、鍵を入手することは出来なかった。

 銀板は扉を破壊する為の術式が刻まれていた。


「よし、設置しろ。急げよ」


 アレハンドロの命令で、銀板を持った騎士達が行動を開始する。

 その時、鋭い声がホールに響き、第六騎士団の面々は動きを止めた。


「――動くな。それ以上扉に近づけば、敵対行動と見なす」


 警告と共に、扉の直ぐ横にある水神を象った石像の影から、白銀の甲冑を纏った一人の女性が姿を現す。

 女性騎士の姿に、アレハンドロは舌打ち交じりに表情を歪めた後、すぐに張り付けたような笑顔を作る。


「これはこれは。シリウス団長閣下ではありませんか。こんな場所で、一体、何をなさっておいでかな?」

「それは私の台詞よフォレスト団長。ここは王都の聖域。貴方の立ち入りが許される場所では無いわ」

「はっは。流石は三傑の一角を担う英雄。言うことが違いますなぁ」


 棘のある口調に、シリウスの鋭い視線が飛ぶ。


「腹芸も大概にしておきなさい。貴方が天楼と組んで、騎士団の動きを牽制する為に、水晶宮を占拠しようとしていることは、全てバレているわ」


 厳しい口調で断罪すると、第六騎士団の面々に動揺が走る。

 だが、アレハンドロは余裕の面持ちでシリウスを見据える。


「なるほど……しかし、時既に遅しだ。我らの動きを警戒していたようだが、大部分は祝宴の料理を口にした所為で動けまい。アレは、僅かでも摂取すれば、数時間は眠ってしまう強力な薬だからな……貴様が一人で足止めに来たのが、良い証拠だ」

「勘違いしないで」


 傲慢な態度に、シリウスは微笑を返した。


「貴方達のような三下。私一人で十分というだけ。総団長が本隊を動かさなかったのは、そう判断したからよ」


 アレハンドロの柳眉が釣り上がる。


「……英雄だ何だと持て囃され、のぼせ上った小娘めがッ……いいだろう。全員、抜刀準備!」


 怒声と共に指示を飛ばす。

 よく訓練された第六騎士団の面々は、一糸乱れることの無い動きで、腰の剣を抜き放つ。


「後ろで待機している連中もホールへと集めろ。我が第六騎士団精鋭の力、あの勘違いをした英雄殿に見せつけてやるのだ」

「――ハッ!」


 部下の一人がそう敬礼をして、急ぎ指示を飛ばす。

 すると、見る間にホールはアレハンドロ率いる、第六騎士団の騎士達によって埋め尽くされていく。

 その数は、五十や六十どころでは無い。

 何より恐るべきことは、彼らの瞳が皆、青く輝いていることだ。

 シリウスは長く嘆息して、ゆっくりと首を左右に振る。


「情けない。騎士を名乗る者が、安易な力に頼るなんて」

「在るべき物を使って何が悪い。我らは精鋭な上、ブースターを使用しているのだ。北街のチンピラや偽ハウンドのような傭兵崩れと、一緒にして貰っては困るな。エンフィール王国最強の呼び声が高い貴様でも、この数は手に余るだろう」


 アレハンドロは勝ち誇ったように笑う。

 耳触りな笑い声に、シリウスは眉間に皺を寄せ、腰の両手剣を抜くと、正面に刃を突き立てた。


「――黙れ下郎!」


 ホールがビリビリと震えるほどの一喝に、アレハンドロを始めとする騎士達は一瞬にして黙り込んだ。


「貴様ら如き小物が、我を凌駕するなど笑止千万! 我の白き髪に、剣に、誇りに、仲間に掛けて、貴様らの蛮行を許す訳には断じていかない!」


 突き立てた剣を持ち上げ、音を鳴らすように、もう一度床に突きつけた。


「これは闘争に非ず、断罪である! 貴様らにまだ一片でも騎士の誇りが残っているのはら、せめてもの慈悲として我が剣によって死ね!」


 女性とは思えぬ気迫あふれる言葉に、数名の騎士達は戦意を喪失したよう、後ろへと下がってしまう。

 これこそが、英雄と言われるシリウスの気概なのだろう。


「ぐっ、ぬぐぐぐ……ええいっ、恐れるな! 相手はたった一人、一騎当千の噂なぞ、戦場で広まった与太話にすぎん! かかれぇい、かかれぇぇぇぇい!」


 腐っているとはいえ、アレハンドロも騎士団長の端くれ。

 部下達を鼓舞し、落ちかけた士気を何とか保つと、自ら剣を抜いて切っ先をシリウスへと定めた。


「英雄の首を旗印に、我らが神崩しを成就させるのだッ!」


 アレハンドロの言葉に闘争心を沸き起こした騎士達は、自らを奮い立たせる為に声を上げて武器を振り上げる。

 まさに、ここは戦場。

 一対およそ百人の騎士達。

 シリウス・M・アーレン。戦女神と呼ばれた英雄が、今再び舞い踊る。






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