第61話 神崩し
現場に現れたボルドは、不機嫌さを示すように歯を鳴らす。
アルト達を見つけたという部下の報告を聞き、とり急いで現場に急行してみると、そこに目的の人物はおらず、代わりにいた男の姿を目にした途端、ボルドの機嫌は目に見えて悪くなった。
その場を仕切っていた部下の一人が慌てて側に寄ってくると、困り顔で事の経緯を耳打ち。ボルドはあからさまな不快感を滲ませ、報告した男を拳で殴りつけてから、不敵な笑みを浮かべるその男の前に立った。
「ハイド……貴様、何のマネだ」
「んん? なぁんのことかなぁ?」
あからさまにすっ呆けると、ボルドは髪が逆立つほどの怒りを露わにする。
冗談が通じそうの無い様子に、ソフト帽を押さえ、首を左右に振った。
「別に、何ってわけじゃないさ。ただ、オタクの大将に用事があってね。アポを取ろうと思ったら、丁度いいところに天楼の皆々様がいらっしゃったもんで、ついでにご挨拶にと伺っただけさ」
「ふん。都合のいい言い回しを」
「いやいや、何やら捕物の途中だったとか。邪魔をして申し訳ない」
帽子を脱ぎ、頭を下げて謝罪する。
奈落の杜の主が謝罪する姿に、後ろに控える天楼の人間達がどよめく。
実質的、北街の支配者が頭を下げる。それだけでも、大変なことなのだ。
ハイド自ら頭を下げ、謝罪をされてしまっては、ボルドとしてもこれ以上、グチグチと文句を垂れるのは面子に関わる。
シドに従い、奈落の杜と抗争を続けてきた天楼の面々は、驚くと同時にハイドが頭を下げたとこに対して優越感を抱いただろう。
しかし、実利主義のボルドは違う。面子を立てるという暗部組織独特の慣習の所為で、この場を納めざる得なくなってしまった。
「……随分と、彼を買っているようだな」
「はて? 俺には若大将の言っている意味が、とんと理解出来んな」
「白々しいマネを」
飄々とボルドの質問をかわす姿に、苛立ちが募る。
その姿に、ハイドはふぅと鼻から息を抜いた。
「……ま、本来は俺がやるべきことを、丸投げにしちまったからな。これくらいしてやらんと、割に合わんだろうさ」
「野良犬風情にそこまで目を掛けるとは、やはりあの男は放っては置けないな?」
挑戦的に視線を細める。
安っぽい挑発に当然、ハイドが乗る筈が無かった。
「好きにすればいいさ。俺には、関係無いことだからね」
チッと、ボルドは舌打ちを鳴らす。
「いいだろう。ここは君の顔を立てようじゃないか……父さんとの会談、色好い返事が頂けると考えてよろしいのかな?」
「せっかちだねぇ。その結論を出す為の、話し合いじゃあないか」
結論を迫るボルドの言葉を、ハイドは笑顔で回避する。
が、ボルドとて、やられっぱなしでは終れない。
「国崩しが阻止された以上、戦火は免れない……君は北街が、王都が潰される様を黙って見ているのかい?」
問いかけに対して、ハイドは帽子を目深に被り直す。
「……そうなるなら、俺らも腹を決めるしかねぇだろうな」
「だったら……」
「――ただし! ……俺はその結論をこの場で出すつもりは無い。まだ、張ったチップの答えが出て無いんだからな」
「なに? どういう意味だ?」
訝しげに問いかけるボルドに、直ぐには答えずサングラス越しの視線を、朽ち果てた建物の上に向けた。
ほんの一瞬だけ、影が揺らめくのが、ハイドにだけ確認出来た。
訝しげな表情で睨み付ける、ボルドに視線を戻した。
「ま、心配すんな若大将」
ポンと、ボルドの肩に手を置く。
「アンタらの計画が始まっちまったら、無条件で手を貸してやるさ。それしか方法は無いからな……だから」
ギュッと、手を置いた肩を握り締めた。
サングラスを手で下にズラし、鋭い裸眼が向けられる。
「あんま、遊び半分にチョロチョロすんなよインテリ坊主が。テメェの命も張れねぇ輩が、デカい面ぶら下げられるほど、俺の、俺達の街は甘くねぇぞ?」
低く、脅しつけるように囁く。
流石は北街のドン。あのボルドですら、その迫力にゴクリと喉を鳴らした。
睨み付ける視線を再びサングラスで隠すと、握って皺になった肩口を叩き整える。
「んじゃ、ちょっくら行ってきますわ」
手をひらひら振って、部下達を率い、天楼へと向かう。
立ち尽くすボルドは、握られた肩を乱暴に払うと、側にいた自分の部下に八つ当たりをするよう殴りつけ、倒れた身体に何度も蹴りを叩き込んだ。
★☆★☆★☆
ようやくアルト達が安堵の息をついた頃には、外はもう茜色に染まっていた。
西街にあるラサラの屋敷。
前回の仕事を終えて、まだそれほど日は立っていないのだが、その間に色々と事件が立て続いていた所為か、随分と久し振りに訪れる気がしていた。
話し合いと言えば、ラサラ邸の応接間だ。
レオンハルトが淹れたお茶を頂きながら、ラサラを上座にアルトとフェイが並んでソファーに座る。
そして、壁際には何故か席に座らないルン=シュオン。
エレンは先に休ませている。
普通の女の子が武器を持った男達に追いかけ回されて、心臓が破裂するかのような緊張感の中、限界まで街中を走り回ったのだから、彼女の体力を考慮して、一足早く休ませることにした。
その点でいえば、満身創痍のフェイも同じなのだが、彼女はまだアルト達に伝えたいことがあるらしく、こうして無理を押し話し合いに参加している。
応急処置として施した包帯が、痛々しさを増す。
けれど、辛そうな表情を一切見せず、折れていた左腕を包帯で吊るしたまま、右手でティーカップを取る。
とりあえず、落ち着く為にお茶を啜った。
「ハーブティーでございます。皆様方の疲労を考え、リラックス効果のある茶葉を用意させて頂きました」
一口飲んだけで、身体がポカポカと温かくなる。
気分としてはこのまま、ベッドの中に潜り込んでぐっすりと眠りたいのだが、追い込まれたようなフェイの悲痛な表情を見れば、それどころで無いのは直ぐにわかり、言いかけた冗談を引込めた。
「さて、と……拉致監禁されていた身としては、現状がどうなってんのか知りたいわけ何だが……」
「では、まずはボクから話させて貰います」
口火を切ったのは、ラサラだ。
「昨日の夜、東街の頭取、という方から連絡が入りまして……まぁ、詳しい概要は端折りますが、要するに王都とアルトさんがピンチだということと、助力が欲しいということが、文面に書かれていました」
少し間を置いて、お茶を一口。
「先の騒動で商業ギルドはゴタゴタが継続して続いていますから、頼るなら次いで力のある我が社をと思ったのでしょう。ボクとしても王都が災害に見舞われるのは困りますし、何よりアルトさんの名前を出されては、断り辛いですからね」
そう言って意味深な視線をアルトに向ける。
ゴタゴタが続いているのは、ラサラカンパニーとて同じだろうに。
アルトは素知らぬ顔で、ワザと音を立ててお茶を飲んだ。
「頼み事は件の国崩し結界が発動した場合の、避難経路、必要物資の確保など金銭面でのバックアップ。そして、天楼内部の情報収集と、可能ならアルトさんの確保です」
「……なるほど。それで、アイツがいるわけか」
チラッと、壁際にいるルン=シュオンに目を向けた。
王都における情報収集なら、シエロ達特務騎士団を除けば、彼女の情報網が一番正確で確実だ。そして内容な北街に関することなら、その情報精度の高さは、特務騎士団を凌ぐだろう。
「ラサラカンパニー、ギルドかたはねは、二つともルンにとっては大口の顧客だからね。そのトップ二人に依頼されたのでは、少々難儀な仕事でも快く引き受けるさ……それに、個人的な問題もあるしね」
珍しく、ルン=シュオンの口調は鋭さを帯びる。
アルトが訝しげな視線を向けると、彼女は誤魔化すように薄笑みを浮かべる。
「本当に、個人的な問題さ。野良犬君は野良犬君の役割を果たしてくれれば、なぁんの問題も無い」
「……ま、別に興味ねぇからいいけどな」
嘆息して、アルトは顔を正面に戻した。
話は戻され、ラサラの口から現状が簡潔に説明される。
国崩し結界に関する顛末。打破の為にロザリンが主導で逆計術式を提案し、頭取の指揮の元、警備隊や東街の面々のみならず、西、南の人間達にも協力を仰ぎ、結果、予定通り国崩しを逆計術式で打ち破る。
途中、ミュウと名乗る女性の襲撃など、危うい場面は何度があったらしいが、最悪の事態は免れることは出来た。
表面上は。
話を聞き終えたアルトの表情に笑みは無く、非常に渋い顔付きで顎を摩る。
「これでめでたしめでたしってんなら、俺ぁ楽でいいんだけどね」
「ええ。ボクも最初に報告を聞いた時は、安堵の息を吐いたモノですが……」
話を聞き終えてアルトが真っ先に思ったことは、計画が順調に成功しすぎている。
仮にも悪党ではあるが切れ者のボルドを要する天楼が、長い年月を積み重ねて計画してきた国崩しを、こうも簡単に破られるのは不自然すぎる。
勿論、ロザリンの知識や頭取の知略が、天楼の予想を上回った部分もあるだろう。
けれど、それを差し引いても、抵抗が少なすぎだ。
「連中、最初からその国崩しってのを、そんなに守る気は無かったんじゃねぇか?」
一つの推測が頭に浮かぶ。
その証拠に、アルト達が天楼に襲撃され追い回された時、話を聞く限りだと、国崩しを阻止されてまだ間もない頃だ。今後を賭けた大勝負の時に、アレだけの数を本拠地に残して置くのは、今考えるとあまりに不自然に思える。
アルトとラサラの視線が、黙って話を聞いているフェイに向けられた。
バツが悪そうな表情で、フェイは軽く目を伏せる。
「……その通りだ。天楼は、国崩しに裏の手を仕込んでいる」
「裏の手?」
アルトの言葉に頷き、決意を固めるように、フェイは数回深呼吸をする。
「裏の手の名前は神崩し。炎神の焔を用いた、特殊術式だ」
「はぁ!? 炎神の焔って、彼らの手に渡っていたんですかぁ!?」
キッとラサラに睨まれるが、そんなの俺だって知らねぇよと、アルトは慌てて両手と首を左右に振る。
「天楼の地下には、膨大な結晶体が埋蔵している。初めて貴様が天楼に訪れた時、天楼は大きな魔力溜りになっていると、説明した筈だ。実際に聞いたわけでは無いが、シド様はそこで結晶体を見つけ、今回の計画を思いついたのだろう」
「だとしたら、ロザリンは何故、国崩しのことを知った時に、真っ先に天楼の本拠地を疑わなかったのでしょうか?」
ラサラが手をあげ、疑問を口にする。
確かに魔力溜りに関して言えば、真っ先に挙がって良い場所だろう。
けれど、実際にロザリンは天楼の本拠地をさほど重要視していなかった。
「それは恐らく、天楼地下の魔力溜りが、古い貯水池だからだ」
アルトとラサラは、意図が読めず同時に首を傾げた。
つまり、フェイが言うにはこういうことだ。
天楼地下の貯水池の歴史は古く、王都が現在の形に落ち着く五十年以上前には、既に存在していたらしい。
しかし、四十年前の戦争の影響で、リュシオン湖から貯水池に続く水路は閉鎖。忘れ去られてしまった。その上で、新たな水路を作る計画が持ち上がり、貯水池周辺を考慮しないで水路が作られた結果、あの場所だけ流れが停滞し、膨大な魔力溜りに変化した。
現在使われている水路を記した王都の地図に、貯水池周辺の記述は無い。
その所為でロザリンは、あの魔力溜りは水路とは関係無いと思い込んでしまったのだ。
「なるほどな。んで、その神崩しってのは、具体的にはどういった計画なんだ?」
「……それは」
言い辛いのか、フェイは一瞬だけ口籠る。
「貯蔵された結晶体で炎神の焔をブーストし、放射された膨大な炎の魔力で、水晶宮や寝所に張り巡らされた結界を吹き飛ばす」
フェイの言葉に、沈黙が訪れる。
驚くよりも困惑が先に来て、ラサラは疑うような視線をフェイに向けた。
「それ、正気で言ってるんですか?」
「失礼ながら、結晶体が王都の魔力を元にしているのなら、属性は水の筈。水属性で炎をブーストしても、互いに反発して期待通りの効果がるとは思えぬのですが?」
訝しげな主人の意見を代弁するよう、レオンハルトが口を挟む。
「それこそが、神崩しの真骨頂だよ」
答えたのは、壁に背を預けたままのルン=シュオンだった。
「炎神の焔は、見た目以上に内包されている魔力が膨大だ。解き放てば、王都の半分が炎上するほどにね……けれど、仮にも神の炎。おいそれと操れるモノではないし、一度結晶化した炎は、そう簡単に砕くことは出来ない。ならば、どうするか……」
「――あっ!?」
勿体ぶった言葉に、ラサラは答えに行きついたらしく、途端に顔が青ざめる。
「反属性をぶつけることで暴走を誘発すれば、炎神の焔に内包された魔力を解放することが出来る」
「その通り」
ルン=シュオンは手を叩き正解を讃えるが、答えたラサラに笑顔がある筈が無かった。
「計算では暴走した炎は、封鎖された水路から真っ直ぐリュシオン湖に向かい、結界を打ち消す。反属性をぶつけることで、炎神の焔本来の力は半減するだろうが、それでも余波として生み出された炎は、湖周辺を焼き払うだろう」
フェイの補足に、危機が現実味を帯びてきて、室内に緊張感が満ちる。
今は太陽祭の前日で人が多く集まっている。そんなことになれば、どれだけの被害が出るか想像もつかない。
重く圧し掛かる現実に、追い打ちをかけるよう、フェイは言葉を続ける。
「そして決行日だが、変更が無ければ明日の明朝。太陽が昇る時刻……太陽祭開催日で、水属性が最も弱まり、火属性がもっとも強まる時期」
炎神の焔を使うと言っても、相手するのは同じく水神の結界。
考えてみれば、当然の日程なのかもしれない。
「と、とにかく早急に対策を考えないと……!」
「まぁ、待て」
慌てて立ち上がるラサラを、冷静な口調でアルトが窘める。
「何を悠長な!? 王都の一大事なんですよ!?」
「だからだよ。一大事だからこそ、我らエンフィール王国が誇る精鋭、騎士団の方々が活躍する時なんじゃねぇか。俺らが気づいてるんだ。アイツらがボサッとして、何も手を打ってねぇと思うか?」
「そ、それは、まぁ、確かに」
王都の民にとって、騎士団は特別な想いが深い。
ある種の信仰と言っても、差支えは無いだろう。
「今回、俺の前にシリウスやシエロが現れないのだって、事前に情報を掴んで行動を開始しているからさ。だから、心配ないない。この一件は、騎士団の連中が奮闘してそれで解決。寝て起きたら、楽しくて忙しい太陽祭の始まりだ」
大袈裟に、極めて明るい口調で楽観視した言葉を口にする。
「む、むぅ……そう、なんですかねぇ?」
「そうなんです。ま、ヤバくなったら、事前にシエロ辺りから連絡があるだろうさ。俺達は蜂の巣を突っつくようなマネはせず、もしもの事態だけに備えておけばいいんだよ」
完璧には納得出来ないが、ラサラはコクッと首を縦に振った。
それが元騎士で、現騎士団長達と親交のあるアルトの言葉ならと、ラサラも不安は残るが渋々と上げた腰を下す。
だが、納得出来ない人物が、ここに一人。
「待て! 天楼を甘く見るな。奴らは……」
「落ち着けって怪我人」
笑みを浮かべ横にいるフェイの方へ身体を向けて、ポンポンと肩を叩く。
その呑気な態度が癇に障ったのか、キッと睨み付けると、肩を叩く手を強く払った。
「貴様はっ……ッ!?」
言いかけた言葉が、途中で止まる。
フェイは唇を震わせ、大きく見開いた目でアルトを睨み付けると、そのままポスンと肩口に顔を埋めた。
自分の身体を盾にしている為、対面のラサラには見えないが、フェイの腹部にはアルトの拳が添えられている。注意が肩を叩く手に向いた瞬間、周囲に気づかれぬよう死角を作り、彼女を気絶させたのだ。
体力の限界も近かったようなので、差ほど力を込めずとも、あっさり意識を刈り取れた。
「……?」
状況がわからず、ラサラは不思議そうに首を傾げた。
気絶したフェイの肩を抱き留め、アルトは大袈裟に声を上げる。
「全く無茶ばかりしやがる。限界なら限界って言えって……おいラサラ。こいつ、ベッドで休ませてやってくれないか?」
「えっ、は、はい。わかりました」
「では、吾輩が彼女を運びましょう。お嬢様、申し訳ありませんが、用意している部屋まで先導を願えませんでしょうか?」
突然のレオンハルトの言葉に、「はっ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
「ボ、ボクがですか?」
「はい。我輩は両手が塞がってしまいますし、当家には他に使用人はおりません。それに、アルト様方はお客様、お手を煩わせるわけには……」
「それは、そうですが……ボクだって、久しぶりにアルトさんに会ったからのだから、お話を……」
「お嬢様。お願いいたします」
「……わかりました」
有無を言わせぬレオンハルトに、ラサラは大きく息を吐いて立ち上がる。
眠るように気絶したフェイを、レオンハルトに託し抱きかかえると、扉を開閉するラサラの先導の元、応接間を後にした。
残されたのは、アルトとルン=シュオンの二人きり。
手を振って見送ったアルトは、扉が閉められると、その手で自らの頬を掻く。
「ありゃ、気付かれちまったかな」
「彼は一流の執事だ。意図まで気づかなくても、空気を読むことに長けている」
そう言うルン=シュオンも、アルトの行動の意味に気がついているらしい。
「ルンの情報では騎士団は動けないよ。天楼は水晶宮内部でも色々と手を広げているらしく、その牽制で手一杯だそうだ。秘密裏に動けるのは、第一騎士団のみ。精鋭である彼らが動けば、武力による衝突は避けられないだろうね」
「騎士団が北街に武力行使を仕掛けりゃ、流石の奈落の杜も黙ってねぇだろうな」
天楼と敵対しながら、状況の静観を続ける奈落の社。
だが、騎士団が彼らの領域である、北街に土足で踏み入るなら、彼らも容赦なく牙を剥くだろう。
敵の敵は味方。では無いが、彼らが騎士団の味方をする理由は無い。
ハイドが何処まで事態を把握しているのか、もしくは全てを知っているのかはわからない。けれど、北街の現状を憂いているのはハイドも、奈落の杜の幹部、構成員連中も同じのだろう。
天楼と奈落の社。
この二つが手を組めば、精鋭揃いの騎士団でも、被害は免れない。
確実に、王都は戦火に包まれる。
アルトは立ち上がると、無言のままルン=シュオンの横を通り過ぎた。
「一人で全部、片を付けるつもりかい?」
「まさか。俺を何だと思ってんだよ……心配無いさ。一部を除き、騎士団の連中は俺みたいな野良犬より、ずっと強くて優秀な連中ばかりだ」
「そうかい……一応、ラサラと話をして、万が一の状況にも対処出来るようにしておくよ」
手を振りながら、アルトは扉を開けて応接間を出て行く。
その後姿を、ルン=シュオンは、芝居がかった素振りで、恭しい一礼で見送った。
★☆★☆★☆
日が落ちた街並み。
時は一刻一刻過ぎて行く中、アルトは一人、王都の街を歩く。
高級な店構えの店舗が並ぶ大通り。
道行く人も装いが小奇麗で、塵一つ無く清掃され舗装された道を歩く。
時折、横を走り抜けていくのは、御者が操る箱馬車だ。チラリと窓から覗いた、世間知らずそうなお嬢様が、飄々と歩くアルトの姿を目に止め、優雅な笑顔を讃えながら小さく手を振っている。
西街の普段より賑やかな日常。
アルトには差ほど縁が無い光景だが、見目麗しい街並みは、見物するには丁度いい。
橋を渡り、南街に入ると、風景はまた一片する。
遠くに見える、白くモクモクと伸びた煙に、段になった街並みには、オレンジ色の灯火が夜の闇を照らす。
アレは南街にある様々な工房から漏れる灯りだ。
太陽祭前夜。日頃の成果や、出し物を披露する為、今日は徹夜で作業する工房が殆どなのだろう。
鉄の溶ける臭いや、薬品の刺激臭。
道行く住人はガタイの良い職人や、色白の学者と幅が落差が激しく、この混沌とした雰囲気が南街の醍醐味だろう。
ラサラ邸を出て、南側から王都をグルリと半周。徒歩で歩くには距離のある道行を、数時間かけて踏破する。
時刻はもうすぐ、日付が変わるのを知らせる鐘の音が聞こえるだろう。
見慣れた東街の灯火が、大河の向こうに見える。
南街から東街に繋がる橋の一つ。その中で、もっとも人通りの少ない大橋に通りかかった時、真ん中で佇む人影を目にして、アルトは足を止めた。
無機質な仮面に黒衣を着た男……ハウンドだ。
表情の読めない仮面でジッとアルトを見据え、ハウンドは暗殺者とは思えない堂々とした立ち姿で、一人待ち構えていた。
アルトは軽い口調で、まるで友人に挨拶するよう片手を上げた。
「よう。あの時は助かったぜ、猟犬」
「…………」
ハウンドは何のリアクションも取らず黙殺する。
ただ、夏場の風にしては、妙に肌寒い殺気だけが、彼の方から漂っていた。
受け答えは無くとも、アルトは構わず一人で会話を続ける。
「アンタ、奈落の杜の人間だったのか……ったく、人からかっぱらったんなら、あっさり炎神の焔を盗られるんじゃねぇよ」
「……長話をするつもりは無い」
軽い悪態にハウンドは、冷めた口調を短く返した。
「明日の夜明け前、第一騎士団が神崩し阻止の為に天楼への襲撃を開始する」
「……なに?」
「俺は襲撃を阻止する為に、団長のライナ・マクスウェルの首を取る……その上で、水晶宮攻略の道筋を立てるつもりだ」
ハウンドの発言に、アルトは無言で視線を細める。
「奈落の社は、天楼に着くってわけか?」
「騎士団が踏み込んでくるならそうなる。そうなれば俺の仕事は、障害となりうる全てを取り除くことだ」
腰に右手を添えると、ナイフを抜き放ち逆手に持ち変える。
「野良犬騎士アルト。俺が睨む最大の障害は貴様だ。強い力を持ちながら、何者にも寄らない自由奔放な振る舞いは、危険過ぎる……我ら奈落の杜の未来、いや、俺自身の矜持の為、猟犬の牙にかかって散れ」
「ハッ! 言うじゃねぇか」
アルトも腰の剣を抜いた。
「アンタと戦いたく無い、何て温い台詞を口にする気はねぇ。俺の邪魔をするなら、恩があるアンタでも叩き斬る……決着もまだ、ついてなかったしな」
刃を後ろに引いて、脇構えの態勢を取る。
ハウンドはそれに答えるよう、腰を落としてナイフを構えた。
二人の本気の殺気が、橋の上に満ちる。
その殺気はさながら、互いに構える刃のように鋭い。
息が詰まる睨み合いの中、日付が変わる鐘の音を切っ掛けに、神崩しの行く末を占う前哨戦が今始まった。




