第60話 包囲網を突破せよ
「……来ねぇ」
穏やかな昼下がり、緊張感も何も無く、寝転んだアルトは天井を見上げてぼやく。
ミュウと決闘の約束をした翌日、てっきり向こうの方から喜び勇んで乗り込んでくると思い、治った傷口の抜糸を済ませ、軽く準備体操をして体調を整え、万全の態勢で待っていたのだが、待てど暮らせど一向にミュウが訪れる様子は無かった。
すっかりやる気を殺がれたアルトは、ダラダラとシーナ宅でだらけている。
「あの馬鹿、忘れてんじゃねぇだろうなぁ?」
耳を指で穿っていると、苦笑を漏らしながら、エレンが用意したお茶を目の前に置く。
決闘が気になったらしく、朝早くからここを訪れては、食事や手当の手伝いなど甲斐甲斐しく働いてくれた。
エレンの勤勉な姿には、全く頭が下がる。
「何かあったんでしょうか? そう言えば、湖の方でも事件があったらしいですし」
「事件ね……だとしても、それで一々動くほど、勤勉な女かよアイツは」
起き上がると、用意してくれたお茶に口をつける。
家で飲むお茶に比べて、少し味が物足りないと思ってしまうあたり、随分と舌が慣らされてしまったようだ。
「先生も、どうぞ」
部屋の隅で、何やら作業をしていたシーナにも、お茶の入ったカップを渡す。
「ありがとう、エレン」
「そういえばアンタ、一体、何やってんだ?」
立ち上がり、後ろから覗き込むと、何やら特殊な機材を並べていた。
「ああ。医療器具の点検をしていたんだよ。長らく使って無かったんだけど、アルト君の治療をした時に少し思ったんだ。やっぱり、いざって時を考えると、こうして何時でも使えるよう、手入れくらいはした方がいいかなって思って」
「ふぅ~ん、そりゃ、いい心がけなんじゃねぇの」
軽く笑顔を見せて、アルトは元の位置に戻った。
昨夜の会話の影響なのか、朝起きた時から妙にシーナの様子がぎこちなかったのだが、今話した感じだと、何でもなさそうに見えた。
「…………」
作業をするシーナの背中を横目に、アルトはズズッと音を立てお茶を啜った。
何にしても、やることが無いのは困りものだ。
想定していた予定が処理されない内は、動きたくても動けない。
頼んでおいた剣もまだ届かないので、今来られても丸腰で戦う羽目になる為、来ないなら来ない方が嬉しい。けれど、やっぱり手持ち無沙汰は否めない。
つまり、退屈で仕方が無いということだ。
カップ一杯分のお茶など、あっという間に飲み干し、アルトは頭を掻く。
もう一杯貰おうか。
そう言いかけた時、勢いよく戸が開かれた。
「――ッ!?」
驚いた三人の視線が集まり、アルトは咄嗟に腰を浮かせ、戦闘態勢を取った。
室内に飛び込んで来たのは、ボロボロのフェイだ。
「――フェイ!?」
戸に寄り掛かり、崩れ落ちる彼女を、駆け寄ったアルトが抱き留める。
手が身体に触れると、フェイは痛がるように、苦悶の表情を浮かべた。
「おい、大丈夫かよ。何があった?」
「骨が折れているのかも……アルト君、早く中へ……」
「待て。このままで、構わん」
慌てて治療の準備を始めるシーナに促され、室内に運び込もうとするアルトを、傷だらけのフェイは襟首を掴んで制止させる。
抱き留めた腕を振り切るよう乱暴に外すと、フェイは真剣な表情でアルトを見上げた。
「時間が無い……早く、ここから逃げろ」
「どういう意味だ?」
「時間が無いと言っている!」
焦っているのか、大声を張り上げる姿に、余裕の色は一切見られず、アルトは困惑を深めた。
「あ、あの。一先ずは中へ……何もわからないと、対策も立てられません」
「……むっ」
剣幕にオドオドとした様子のエレンだが、確りとした正論で彼女を諌めると、多少の冷静さを取り戻したのか、フェイの表情から僅かながら苛立ちが薄れた。
「わかった……すまない」
「それじゃ、中へ……」
自分を恥じるような顔をするフェイに微笑みかけ、立ち上がるのを手助けする為、エレンな側に寄った瞬間、アルトは鋭い眼光を開かれた戸の向こう側に向けた。
「――あぶねぇ!」
叫び、アルトは入口にいる二人に飛び付きながら、足で開きっ放しになっている戸を蹴り、スライドさせて閉める。
「――キャッ!?」
「――ッ!?」
急な行動に驚き、悲鳴を上げる二人を胸に抱き抱え床に転がる。
一瞬遅れて、閉められた木製の戸を突き破り、数本の鏃が顔を覗かせた。
「矢!? 一体、何処の誰が!?」
驚いた様子で頭を抱え、身を低くするシーナが問う。
アルトの肩越しから突き出た鏃を目にして、フェイが悔しげに舌打ちを鳴らした。
「天楼だ。もう、動き出したのか」
「天楼って、ミュウの馬鹿か? アイツ、一対一とかいいながら、兵隊引き連れて攻めてきやがったのかよ」
「違う。これは、シド様の指示を受けたボルドの兵隊だ」
アルトは思い切り、顔を顰めた。
「はぁ?」
「ミュウは東街に向かった。魔女狩りをする為に」
「……どういう意味だ?」
途端、アルトの声色が低くなり、気配に鋭利さを増す。
その声は、下にいるフェイが青ざめるほどの殺気が籠り、見惚れるほど蠱惑的だった。
一瞬、フェイは言葉を忘れるが、すぐに我に返り、アタフタと説明を続けた。
「あ、う、んんッ! し、心配の種は先に取り除いておこう。結論を先に言えばミュウは失敗した。魔女は無事だ。当然、東街の人間にも被害は出ていない」
「……さよか」
アルトの気配が、露骨に緩んだのがわかった。
ほんの僅かに、フェイは残念そうな顔をする。
「あ、あの……とりあえず、お話は後回しにした方が、いいと思うんですけど……」
同じく下に敷かれたエレンが、申し訳なさげに口を挟む。
顔がボッと音が出るくらい赤らんだフェイは、ワザとらしく咳払いをした。
「とにかく! アルト。今、お前に抹殺指示が出ている。取り囲まれる前に、早くここを脱出するんだ」
「なるほど」
二人の上から退くと、アルトは戸の方に視線を向ける。
矢の第二射は無く、踏み込んでくる気配も無い。
恐らくは様子見。同時に、逃げ場を塞ぐように兵隊達を展開しているのだろう。
「さぁて、どんなモンなのかな?」
壁の隙間から覗き、外の様子を伺う。
見える位置に、人影が複数あるのが確認出来る。
ワザとらしい配置から、これは、「俺達はお前らを監視しているぞ!」という牽制の意味があるのだろう。
「こりゃ、時間をかけるのは不味いな」
一人二人なら問題は無いが、大勢で囲まれると不利は否めない。こっちには非戦闘員がいるし、フェイは満身創痍。口には出さないし、戦う気は満々のようだが、実力の三割も発揮出来れば良い方だろう。
それに、アルトは丸腰だ。
「アルト」
逡巡する様子に気がつき、フェイが声をかける。
振り向くと、目の前に何かを投げつけてきた。
軽く驚きながら受け取ると、手の中に馴染みのある感触と重みが宿る。
「……これ、俺の剣じゃんか」
渡されたのは、アルトが昔から愛用している片手剣だった。
フェイは両腕を組み、若干渋い表情をする。
「許可を取らず、黙って持ち出してしまったのは不本意だがな……しかし、おかげで有益な情報を得ることが出来た」
有益な情報というのは、今回の襲撃のことだろう。
アルトは渡された剣と、不機嫌そうな表情の中に、僅かな哀愁を漂わせるフェイを見比べた。
「いいのか? 尊敬するシド様を裏切ることになるんだぜ?」
「構わん。覚悟は出来た……私にとって天楼は、北街は守るべき大切な場所。だが、その為に誰かの大切な場所を踏み躙る行為は、やはり私には許容出来ない」
力強く、アルトを見つめる。
その視線に、以前のような迷いは無かった。
「気に入らないんだよ。シド様やボルドがやろうとしていることは……それだけだ」
らしくない不遜な物言いに、アルトはフッと笑みを零した。
「サンキュ。やっぱ、頼りになるよ」
「……ふん」
軽薄な礼に眉を顰め、フェイはそっぽを向いた。
アルトは剣を腰のベルトに繋げる。
久しぶりの重さに、ようやく本調子が戻って来た気がした。
「さて、んじゃとっとと脱出したいんだが……壁、ぶち破っていい?」
「んっ!? ま、まぁ、緊急事態みたいだし……仕方ない、よね」
とは言うものの、やはり自宅を壊されるのは嫌らしく、シーナの態度が煮え切らない。
「お前も付いて来た方がいいな。アルトの協力者として認識されている以上、捕まればただでは済むまい……この家も、引き払い、暫くは天楼の外で身を隠すのが得策だ。ボルドとて、無関係な貴様を探し出してまで、どうこうするつもりは無いだろう」
「……だね」
フェイの忠告に頷いて、シーナは力無く苦笑した。
「んじゃ、話がまとまった所で、天楼脱出作戦と参りましょう」
アルトはそう言い、外の気配を探って一番薄い位置の壁に、抜いた剣の切っ先を添えた。
★☆★☆★☆
上手いこと包囲網が引かれる前に脱出することが出来たらしく、意外なほどあっさりと天楼の門を突破したアルト達。
が、流石に連中も甘くは無かった。
天楼の本拠地から出れば、追手の追撃もてっきり緩むモノと思い込んでいた。
しかし、実際には外に出てからが一苦労。むしろ、中の警備の方がザルでは無いかと思うくらい、連中の動きは統率が取れていた。その上に数が多く、一々相手にしていられないと逃げるアルト達は、北街の中を縦横無尽に走り回った。
その途中、シーナとは別れることになる。
ある区画に差し掛かったところで、どうやら彼の知り合いが近くにいるらしく、信用出来る人間だからと、知人宅に匿って貰うことを提案してきた。
流石のアルトも、その提案には首を左右に振る。
追ってくる連中の様子を見る限り、ボウガンなどを躊躇なく撃つなど、形振り構わない行動が見受けられる。これ以上、無関係な人間を巻き込むのはよろしくないと、アルトは判断した。
本音の部分では、ロザリンや東街の状況が気にかかり、一刻も早く東街に戻りたいのもある。
それ故に同じくウェインが心配だろうエレンに、別行動を取ることは進めなかった。
無関係といえば、シーナも同じこと。
アルトはシーナ一人だけで友人宅に匿って貰うことを提案。
人の良い彼は、眉根を顰めて渋るが「俺達は逃げてんだぜ? 悪いが、足手まといは少ない方がいい」と言うと、反論出来ず、最終的にシーナは頷いた。
そんな訳で現在、アルト達は三人で行動している。
北街の薄汚れた狭い路地を、三人が並んで疾走する。
二人広がっては通れない狭い路地を、全速力で走り抜ける。下に落ちている瓦礫やゴミは蹴飛ばされ、偶然いた宿無し連中は、剣幕に驚いて壁に張り付き道を譲る。
これを曲がり角があれば左へ右へと曲がり、網の目のような動きを飽きるほど繰り返してきた。
決闘の為に体調を万全にしてきたアルトはともかく、怪我人のフェイや小柄なエレンの表情には疲れが浮かんでいた。
本人な全力のつもりなのだろうが、走る速度も大分遅くなっている。
先頭を走るアルトがチラッと後ろを振り返り、死にそうな顔で走る二人を見て、どうしたモンかと頭を掻く。
「こりゃ、流石に限界かぁ……お前ら、この辺が何処かわかるか?」
走る速度を気づかれないよう緩めながら、アルトは問いかける。
苦しげな息遣いで周囲を見回し、フェイが吐息交じりに答えた。
「ここは、西よりの路地だな。もう少し先に行けば、西側の大河に出る」
「西側かぁ……ちと、不味いな」
北街から西街に続く大橋は、基本的に封鎖されているので、他の街に逃げ込むには渡し船か、グルリと東側まで戻らなくてはならない。
何が不味いかと言えば、基本的に北街の西側は、天楼の勢力圏なのだ。
渡し船を営業している連中も、天楼の息がかかっている可能性が高い。
「一先ず、休める場所を探すか」
「何を悠長な……!」
「俺はともかく、お前らは限界だ。報酬を貰っちまった以上、俺はエレンを無事に連れ帰る義務がある。足を引っ張る要素は、少しでも減らしたいんだよ」
「……だったら、私も置いて行けばいい」
速度を落とし、横に並ぶアルトの言葉に、フェイは視線を逸らして自棄気味に言い捨てる。
「悪いが俺は、テメェの為に命を懸けてくれる奴を見捨てられるほど、器用な生き方は出来ねぇんだよ」
真剣なアルトの物言いに、フェイの頬がサッと赤らむ。
「べ、別にこの怪我は、貴様を庇って出来たモノでは無い」
「だとしても、お前が仲間を裏切ってでも情報を教え、剣を持ってきてくれたのは事実だ。それに報いなきゃ、俺の矜持が廃るんだ。諦めろ」
背中をバンと叩かれ、フェイは軽く咳き込む。
「馬鹿者……貴様がそんな言い方ばかりするから、私がこんな苦労をするんじゃないか」
憂い交じりに呟いた言葉は、アルトの耳に届かなかった。
ことにする。
悩むフェイは後ろを向き、苦しげな表情をしながらも、懸命に足を動かすエレンを見る。
「……わかった。手頃な廃屋を探して、暫し休むことにしよう」
フェイが納得したことで、一先ずの方針が決定する。
ここらだと人目に付くので、まずは人の出入りの少ないスラム側へ行こうとした矢先、人生というモノのままならなさに直面した。
路地を飛び出した途端、天楼の兵隊達の一団とかちあってしまう。
「――貴様らッ!? 見つけたぞ!」
ちょうど真横にいた天楼の兵隊達と接触しかけ、驚きながらもよく訓練されている兵隊の一人は、大声を張り上げて透かさず武器に手を伸ばす。
「クソッ、引きが悪すぎだろうッ!」
吐き捨てながら、アルトの身体はすぐさま戦闘態勢に移行した。
兵隊が腰に差した剣を抜くより早く、手近な男の顎を肘で打ち上げ、更に裏拳を顔面に叩き込み背後へと打ち飛ばす。
「――フッ!」
透かさずフェイがアルトの肩に片手を乗せ、反動をつけて飛び上がると、もう一人の首筋に蹴りを叩き込む。グルンと白目を向いて、膝が抜けかけたところ、胸板を押し込むように蹴り飛ばし、後ろで武器を構えようとした連中を巻き込み押し倒した。
地面に降り立ったフェイは、傷が痛むのか、僅かに顔を顰める。
「――走れッ!」
アルトは叫ぶと、足が止まり、壁に手を当てて息を整えているエレンの腕を引っ張り、男達とは逆方向へと疾走した。
大きな通りと言っても、繁華街のように店が構えてあるわけでも無いので、賑わいは無く人はまばら。両脇にはボロボロになった家屋や壁が、並んで立っているだけだ。
「はぁはぁはぁはぁ……!」
すぐ後ろを走るエレンの呼吸の間隔が短く、息遣いが酷く苦しげだ。
横のフェイも表情こそ平静を保とうとしているが、時折走る足をもつれさせている。
二人共、体力的にはもう限界だ。
不運なことに、今走っている通りは正面に大きく伸びていて、先ほど出て来た場所以外に飛び込める路地が、全て瓦礫などで塞がっていた。
後ろから、笛を吹く音が聞こえてくる。
ここで逃がすまいと、周辺に散っている兵隊達を呼び集め、追い詰める寸法だろう。
「おいおい。アイツら、何時から警備隊になったんだ。これじゃ、俺達が悪者みてぇじゃねぇか」
「……彼らは縄張りの自治も管理している。あながち、間違いでは無いな」
「そ、そんなつっこみ、いらない、ですよぉぉぉ」
ヘロヘロになりながら、エレンが律義につっこんだ。
一度、足を止めて気力が途切れたのか、エレンの速度が見る間に落ちて行く。
腕を掴んでいるアルトも、同じように速度が鈍る。
後ろを振り向けば、数を増した追手が、我先にと迫って来ていた。
「……本気で、不味いな」
フェイがポツリと呟く。
正面の十字路まで届けば、逃げ道が増えることで、追手を撒ける可能性も出てくる。
逆に正面を塞がれれば、アルト達は逃げ道を失い、敵に囲まれてしまう。
ならばいっそのこと、追手が集まり切らない内に、後ろの連中を潰して置くべきか。
「……無理っぽいよなぁ」
走ること自体限界なのに、戦うなんてもっと無理だ。
偉そうに啖呵を切った手前、どちらかを人質に取られたら、見捨てることが出来ない。
せめてアルト一人だけなら、どうとでも切り抜けられるのだが……。
逡巡している内にも、追手との距離はどんどん縮まっていく。
「――あっ!?」
迫る緊張感からか、無理に動かない足を動かそうとした所為で、エレンは足を絡ませて転んでしまう。
当然、腕を引くアルトの動きも止まる。
「――おい、大丈夫かッ!」
「馬鹿! お前まで止まんなッ!」
驚いて足を止めるフェイに、慌ててそう怒鳴る。
無視して走り続けていれば、アルトは強引にエレンを引き起こして後を追えた。
だが、フェイは足を止めてしまい、アルトは彼女に指示を出さざる得なくなった。
ほんの数秒。だが、そのほんの数秒の隙が、命取りになる。
「ボウガン、構えろ!」
足が止まった隙を狙い、追手の一部が指示に従いボウガンを構える。
一度撃ったら、再装填に時間がかかる武器だけに、狙いどころを絞っていたのだ。
「クッ、狙い撃ちにされる……フェイ!」
「仕方あるまい!」
エレンを守るようにして、二人はそれぞれの武器に手を伸ばす。
剣でボウガンの射撃を防いでも、一度動きを止められてしまった以上、戦うしか方法は無い。
覚悟を決め、飛んでくるボウガンの矢を狙い、タイミングを計る。
「――てぇぇぇ!」
リーダーらしき男の掛け声が響く。
背筋の凍るような風切り音が、複数響いた。
周囲に、静寂が訪れる。
アルト達は剣を振るうどころか、抜くことも無かった。
何故なら矢は発射されず、代わりにボウガンを構えていた兵隊達は、一斉のその態勢のまま崩れ落ちた。
首には皆、同じようなナイフが刺さり、絶命していた。
「な……なにが、起こったんだ?」
状況がさっぱりわからず、流れる血に驚き後ずさるリーダーは、唖然とした声を漏らす。
「……美味しいとこ持ってきやがって」
アルトはジト目で、ナイフが飛んで来たであろう、廃屋の屋根を見上げた。
人の姿は形も無く、ほんの僅かに、黒い残影だけが日差しの前を横切った。
何はともあれ、ここはチャンスだ。
横にいるフェイの腰を抱き寄せ肩の上に担ぐと、腕を持ったエレンを引っ張り上げ、小脇に抱きかかえる。
「なッ!? ちょ、おまッ!?」
「ひゃん!?」
「この隙に、一気に逃げるぞ!」
女性を、一人は子供とはいえ、二人を両手に抱えて、アルトは全速力で走り出す。
重く無いわけでは無いが、疲れている二人に合わせて走るよりはずっと早い。
追手たちも突然の出来事に混乱しているようで、すぐに指示が出せずその場で右往左往していた。
アルトは逃げながら、投擲されたナイフの形を思い出す。
「……あのナイフは、やっぱ、アイツか」
見覚えがあった。が、今は逃げることが先決だ。
更にスピードを上げて、一直線に十字路まで目指す。
あまりに早すぎで怖いのか、抱えた二人が仕切りに何かを叫んで、背中や太ももをパシパシ叩いているが全て無視する。
後僅かで十字路に差し掛かる、その直前、数名の人影が道を塞ぐよう現れた。
「――ッ!?」
走る速度が緩む。
「――どうした!?」
後ろ向きの為、正面の様子はわからないが、速度が緩んだことで異変を察知したフェイが、慌てた口調で問いかける。
同じく正面を向いているエレンからは、絶句したような気配が伝わる。
「……いや」
緩んでいた速度を、元に戻す。
「何でも無い」
そのまま正面に立つ男達の列に、速度を落とさず突っ込んだ。
列の真ん中、先頭に立つ男とアルトがすれ違う。
「ま、ここは任せときな、兄弟」
「けっ。礼は言わねぇぞ日和見野郎」
交差した瞬間、二人は視線も合わさず軽口を叩き合う。
何事も無く列をすり抜け、フェイは目撃した光景に、我が目を疑った。
三人を見送るように手を上げた男の後ろ姿、ファーのついたド派手な革製コート。この北街で、あのような悪趣味なコートを着ている人物は、一人しかいない。
「奈落の社……!? な、何故、奴らがこんなところに?」
「さぁてな。連中の事情なんぞ、わかるかよ」
一気に駆け抜け、遠ざかるハイド達とアルトの後頭部を見比べながら、慌てた様子で喋るフェイとに、少しだけ不機嫌な声を返す。
「にゃろう……人に面倒押し付ける、選別のつもりか?」
一つだけ思い当る節はあるが、この場は追手を遮ってくれることに、素直にとは言い難いが、感謝はしておこう。
十字路を抜けたアルトは、素早く小さな路地へと飛び込んだ。
再び狭苦し路地に入り、女の子を二人担いだ怪しすぎる風体で、アルトは額に汗を浮かべながら疾走する。
遠くの方から騒々しい声が聞こえるけれど、アルト達を追ってくる気配は無い。
「追ってはこない、ようだな……しかし、まだ油断は出来ん」
「ま、二度目はなさそうだからな……どん詰まりになる前に、何とか北街を脱出しなけりゃ、こっちの身体が持たんぞ」
げんなりとして呟く。
せめて、逃げている方向が東側なら、何とかなったのだが。
色々と悩みは尽きないが、当面の危機は回避した……と、思ったのだが。
何も考えず飛び込んだ細い路地。
妙に薄暗いその先に、人の気配を感じた。
「……誰かいるな」
「敵か?」
後ろ向きのまま、フェイの緊張したような小声が聞こえる。
足を止めず警戒心を強めながら、アルトは薄暗い路地の先に目を凝らす。
足音を立てて現れたその姿に、思わず息を飲み込んだ。
「やぁ、野良犬君。奇遇だね」
「テメェは……!?」
アルトは足を止める。
薄暗い路地の先から、微笑を湛えて現れたのは、男性用の貴族服を身に纏った眼帯の少女……ルン=シュオンだ。
顔見知り。だが、アルトは警戒を緩めない。
その様子に、ルン=シュオンは悲しげな態度で、肩を大きく竦めた。
「おやおや。久方ぶりの再会なのに、随分とつれない態度じゃないか」
「普段、根城から顔を出さねぇテメェと面合わせて、偶然ってのは出来過ぎだろう?」
アルトは抱えた二人を下すと、前に出て剣に手を添える。
「誰の差し金だ?」
「怖い怖い」
睨み付けられ、ルン=シュオンは大袈裟に怖がりながら、無抵抗を示すよう両手を上げた。
「ルンはただ、お仕事を果たしに来ただけだよ」
「仕事、だぁ? お前、情報屋じゃなかったのか?」
「人探し、と、言うのは情報の一環さ。勿論、普段は請け負わないのだけれど、お得意様のたっての頼みでは、ルンも断るわけにはいかなくってね」
「頼まれたって、誰にだよ?」
一瞬、ロザリンや頭取辺りが頭に浮かんだが、響いた声がそれを否定した。
「それは、ボクですよ」
聞き覚えのある声と共に、執事を連れて現れた背の低い少女。
場に不釣り合いなその姿を見たアルトの顔は、よっぽど間抜けだったのだろう。
少女は思い切り顔を顰めた。
「なんですかその顔は? 全く。駄犬はやはり駄犬。ご主人様に対して挨拶も無しとは、やはりボクが飼ってあげないと駄目駄目ですね」
随分と久し振りな気がする毒舌に、アルトは思わず苦笑を漏らした。
「おいおい。仕事、忙しいんじゃないのかよ」
「そう思うなら、手間をかけさせないでください」
少女は薄い胸を張って、大きく嘆息した。
そして、少し照れ臭そうな笑顔を見せる。
「お久しぶり……と、言うほど、間が空いていたわけじゃありませんね」
「ああ、元気そうで何よりだラサラ。それに、レオンハルトも」
「恐縮でございます」
後ろに控えているレオンハルトが、恭しく一礼した。
ラサラは表情を引き締める。
「この先の水路に、船を用意しています。ラサラカンパニーが用意した船ですから、安全です。とりあえず、ボクの家まで逃げましょう」
突然の助っ人に、事情の呑み込めないフェイとエレンはポカンとしていた。
驚いたという意味では、アルトも同じだが、当面の問題が一気に片付いたことは素直に喜ばしい。
大きく、安堵の息を吐きだしながら、アルト達は助けに来てくれたラサラ達に導かれ、何とか北街を脱出することに成功した。
だが、再びここに戻ってくることになるだろう。
全ての決着をつける為に。




