よくわからなくなってしまったのです
エリオットはベラの出した答えに短く言葉を返した。
「そうか」
差し出された手を取らずベラはエリオットの申し出を断ったが、エリオットは一切動じていなかった。それは最初からエリオットはベラが自身の申し出を受け入れないことを予想していたからだ。
むしろここで受け入れていた場合、エリオットはベラに待ったをかけるつもりだった。
自身が、王族の婚約者になれる。それが分かった瞬間、すぐにそれを受け入れてしまうような相手では、少々浅慮であると判断せざるを得ない。
王宮内外問わず、王族の婚約者、もしくは伴侶という立場は他者の思惑に晒されやすいのだ。故に、この場ですぐ頷いてしまうような思慮の浅い者を選ぶことは避けたい。
「私は君を試してばかりだ」
「え?」
差し出した手を静かに戻しながらエリオットがそう言葉を出す。
これまでエリオットはベラに対しいくつか反応を見るために行動を起こしていた。今の告白もそうだが、試験前の発言やそれまで図書室の中での会話の中にもそれは含まれていた。
「王族の婚約者というのは並みの者には務まらない」
「はい」
その言葉を聞いてベラはその通りだろうと小さく頷く。
「婚約者になれば終わりではない。それはどの貴族でも同じだが、王族の場合は一般的な貴族とは違う部分が多く、他国の者と関わることもある。
私の王位継承権は、現在継承権を持っている者の中でも下位だ。故に次期王になることはないだろうし、華やかな舞台に立つこともないだろうが、代わりに王宮の業務に関わることが多くなる。そしてそれは私の伴侶になる者も同じだ」
王子や王女は他家へ嫁ぐことが無ければ学園を卒業した後、王宮内の業務の一部を担うことが多い。卒業してすぐに重要な部分に関わることはないが、いずれその責任を負う立場になる。
この場合、婚約者は王子もしくは王女の補佐をする立場になることが多い。
「王宮での業務は学園での学びが活かせない内容の仕事をする場合が多い。故に努力のできる者、思慮が深い者が私の婚約者として望ましいと思っている。それを確認するために、度々君のことを試すための行動をしていた」
「そうでしたか」
思い返せばいくつか思い当たるエリオットの行動があった。今まで関わりのなかった自身にいきなり関わるようになり、試験の前に激励に来たというのは今思えば不自然ではあった。
エリオットの行動に打算的な理由があったことを知り、それが必要なことだと理解しながらもベラは少し悲しく思った。
楽しく思っていた時間の一部に別の思惑が含まれていた、それはベラにとってその楽しかった時間が本当のものではなかった、そう否定された気持ちになったのだ。
「ただ、勘違いしないで欲しいのは、私は君と図書室でやり取りをするのを毎度楽しみにしていた。それは嘘ではない」
ベラの思考を否定するようにエリオットは優しくそう伝えた。
しかし、その言葉を聞いてもベラは完全に悲しさを拭うことはできなかった。
返事をしなければとベラは思いながらも、ベラの口は気持ちを押し込むことを優先し言葉を紡ぐことが出来ず、目の前に居るエリオットの顔を少し潤んだ瞳で見つめることしかできなかった。
「申し訳ない。少し早急だったうえ、余計なことを言ってしまった」
エリオットの言葉に返事をすることもできなくなってしまったベラの様子を見て、さすがに焦りを浮かばせた表情のエリオットが、今にも涙があふれだしそうなほどに瞳を潤ませたベラに謝罪を入れた。
「申し訳ありません。どうしてよいかわからなくなってしまって」
「謝るのはこちらだ。君は何も悪いことをしていないのだから謝る必要はない」
ベラの顔を見上げる形で申し訳ない表情をしたエリオットがベラの謝罪を否定する。
そのエリオットの横を、今まで様子を見ていたルカが静かに横切ると、そのままベラにハンカチを渡してきた。
「こちらをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
普段のベラであれば受け取ることはなかったはずだが、今は素直にその厚意を受け取った。
悲しかった。それは間違いない。しかし、本来のベラであれば泣くほど悲しかったわけではなかった。
その感情を無理に押し込めようとした結果、その感情をどう処理してよいかわからなくなってしまったのだ。
エリオットはベラが落ち着くまでの間、静かにベラの傍でその様子を見つめていた。
ベラの様子も落ち着き、いつものように会話が出来るようになったところでエリオットは先ほどまで座っていた席に戻った。
「本当にすまなかった。父上から許可が出たことで気が急いていたのだ」
「よくないですよ。エリオット王子は昔から焦ると雑な行動を取りがちなのですから、そこは自覚しませんと」
「わかってはいるがなかなか難しい」
同じように席に戻ったルカにエリオットが諫められていた。
この2人は王族と公爵令嬢という近い親戚関係であり、かつ、年齢も近かったことで小さいころから親交があった。
そのため、互いの良い点や欠点をしっかり把握していた。
「お二人はやはり親しいですね」
エリオットとルカの気兼ねないやり取りを眺めていたベラがそう言葉を漏らす。
「小さいころからの付き合いだからな」
「そうですね。家も近く年齢も近かったですから、行事があるごとに関わることが多かったのですよ」
エリオットとルカは親戚関係もかなり近く、実はルカの父親はエリオットの祖父の弟にあたるため、エリオットからすると血縁上ルカは従妹叔母に当たる関係だ。
過去にそのことを指摘した際、ルカが悲しそうな表情をしたため、それ以降エリオットからその話題を出したことはない。
この理由により、エリオットとルカの仲は良かったものの婚約者に選ばれることはなかった。
「そうだったのですね」
互いを理解している姿を見たベラはほんの少しだけ嫉妬した。
自身の立場を鑑みれば嫉妬することも無駄なことだと理解しつつも、まだ少し不安定なベラの心ではその感情を完全に抑制することはできなかった。
(立場を考えれば、エリオット様の申し出は断らなければなりません。エリオット様が望まれたとしても、周囲の方たちはお認めにならないでしょうし、受け入れたとしても迷惑をかけるだけです)
膝に添えられた手に力が入ったことで、ベラは先ほどルカから渡されたハンカチのことを思い出した。
「ああ、そうでした。申し訳ありません、セケット様。ハンカチは後日お返しします」
「いいのですよ。それはこうなることを見越して持って来ていた物なのですから」
ルカが渡したハンカチは今回に限らず、何かあった際にすぐ渡せるように常備している物だ。自身で使うためではなく、渡すためだけのために持っていた物のため回収するつもりは最初からない。
「アルコットも本当に申し訳なかった。あそこまで追い込んでしまうとは想像していなかった」
「私の方こそ申し訳ありませんでした。エリオット様の申し出を断ったうえ、ご迷惑をおかけしました。泣くつもりはなかったのですが、感情がこんがらがってしまって、どうしたらよいかわからなくなってしまったのです」
感情の処理が上手くいかなかった。
ベラにとってエリオットの申し出は非常にうれしかった。しかし、自分の立場ではその申し出を受けるわけにはいかない。
そしてその反する気持ちを必要以上に意識してしまっている最中、これまで何度も試されていたという情報で追い打ちをかけられ、感情の歯止めが掛けられなくなったという状態だった。
おそらく、もう少しゆっくりエリオットが話を進めていればこのようなことにはならなかっただろう。
ベラも心の折り合いをつけたうえで、試されていたという話を聞いていたのなら、特に悲しいと思うことなくその事実を受け入れることが出来ていたはずだ。
結局のところルカが言った通り、少しことを急いたエリオットの行動が今回の結果に繋がってしまったのだ。
「泣かせてしまった手前申し訳ないが、今回の婚約の話について君の中ではすでに終わったことと捉えているようだが、別に私は諦めたわけではない」
「え?」
ベラはエリオットの申し出を断ったことで、今回の話はこれで終わりだと思っていた。しかし、エリオットはまだ諦めたわけではなかった。そもそも最初から1度目は断られると予想していたのだ。
「君は先ほど自分では不相応だと断ってきたが、今回の件は君の父親であるアルコット子爵にも話を通してある」
「え?」
「言ったであろう。父上から許可を得たと。その許可を得るための条件の1つとしてアルコット子爵の説得が含まれていたのだ。他にも条件があったが、この条件が一番骨が折れた」
現アルコット子爵の説得をしたところで、ベラとエリオットの身分差は変わらない。しかし、当然ではあるが婚約する際、両家の両親に許可を取ることは当たり前のことだ。
貴族間の婚約、婚姻は両家に影響を与える。それは相手が王族である場合でも同じだ。
王族と婚約する、それはベラとエリオットだけの問題ではなく、王家にもアルコット家にも影響を及ぼす。そして相手が王家となれば子爵の位であるアルコット家にかかる負担というのは相当なものになる。
「娘のためとはいえ、私相手にあれだけの啖呵が切れるのはなかなかのものだ」
エリオットがベラとの婚約について許可を取るために説得に行った際、ベラがエリオットの申し出を断ったように、アルコット子爵は家の負担、さらにベラの負担を考えすぐに断りを入れていた。
今回、エリオットがこのようにベラへ婚約の申し出をしたことからわかるように、最終的にアルコット子爵側が折れたわけだが、それに至るまで相当な回数話し合いが行われていた。
「それはどういうことでしょうか」
「最初に伺った際、君の負担を考えていないと指摘されてしまった。その点について全く考えていなかったわけではないが、改めていろいろ考えさせられた。君の父上はいいな。なかなか居ない良い人材だ」
父親を褒められて少し嬉しく思うベラだったが、エリオットから出てくる父親がエリオットにした発言などを聞いて、本当に大丈夫だったのかベラは心配になった。
「君に1つ聞きたいことがあるのだがいいだろうか」
「何でしょうか」
「君は先ほど自分では不相応だと断りを入れてきたが、それは君が子爵家の出だからということだとこちらは認識している」
「その通りです」
「なら、もし立場を考えずに答えを出すとしたら、君は私との婚約を受け入れてくれるだろうか」
エリオットの問いにベラは素直に答えるべきか悩んだ。
ベラの子爵令嬢という立場、そしてエリオットの王子という立場を無視してよいのであれば答えは決まっている。
「答え難いのは理解できる。だが、できれば教えて欲しい」
「……そうですね、おそらく私はエリオット様の申し出を喜んで受け入れていたと思います」
エリオットの願いに推され、ベラはゆっくりと間を空けてからそう答えた。




