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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第14話:近付く災い

 ――港(みなと)神(じん)社(じゃ)。


「そこ、うちが小さい頃、よう遊びよった神社なんよ」


 玄関前の階段に腰を下ろして、蒼(あお)波(ば)はぽつりとそう言った。


 夕暮れが、行(むか)縢(ばき)の山肌をゆっくりと橙(だいだい)に染めていく。


「うちの実家――那(な)智(ち)山(さん)如(にょ)意(い)輪(りん)寺(じ)から、そんなに離れてないの。歩いていける距離ってわけでもないっちゃけど、子どもの足でも、自転車ならすぐで」


「……お寺の近く、なんやね」


 白雪姫(こゆき)は、隣に腰を下ろす。


「うん」


 蒼(あお)波(ば)は、両手で膝を抱えた。


「五(ご)ヶ(か)瀬(せ)川(がわ)と、北(きた)川(がわ)の二つがちょうど合わさって、海に出ていくところ。そこの河(か)口(こう)に建ってる」


「河口……」


「白雪姫(こゆき)ちゃん、見たことない? 青い鳥(とり)居(い)の写真」


 言われて、白雪姫(こゆき)は記憶をたぐった。


 ――ある。


 テレビか、それとも学校で配られた地域の冊(さっ)子(し)か。


 海を背にして、真っ青ないくつもの鳥居が、砂の上に立っている写真だ。


「あっ、あるある! 青い鳥居!」


「そうそう。延(のべ)岡(おか)やと、結構有名かもね」


 蒼(あお)波(ば)は、少しだけ笑った。


 けれど、その笑みは、頬のあたりで止まってしまっていた。


「潮が引くと、砂浜がずーっと向こうまで出てきてね。妹と、そこで貝殻拾って……」


 言葉が、そこで途切れる。


 夕風が、蒼(あお)波(ば)の後(うし)ろ髪(がみ)のお団子を、かすかに揺らした。


「――蒼(あお)波(ば)ちゃん」


「……ごめん。なんか、うち」


 蒼(あお)波(ば)は、慌てたように顔を上げる。


「思い出話してる場合じゃないっちゃけどね」


 その琥珀色の瞳が、微(かす)かに揺れていた。


 ――遊び場が、魔(ま)力(りょく)に侵(おか)されている。


 それだけでも十分に胸がざわつく話だ。


 けれど、この子が本当に案じているのは、たぶん、そこではない。


(……お寺には、まだ)


 白雪姫(こゆき)は、そこまで考えて、口をつぐんだ。


 蒼(あお)波(ば)の家族は、今もあの寺にいる。


 父と、母と、妹と。


 ――生まれ育った家の、すぐそばなのだ。


「翠(み)織(おり)先生」


 蒼(あお)波(ば)が、階段の上に立つ翠(み)織(おり)を振り返った。


 その声は、綺(き)麗(れい)な敬語に戻っていた。


「……その、異常反応というのは、どの程度のものなんですか」


「そうね」


 翠(み)織(おり)は、端末の画面を指で撫でながら、言葉を選ぶように答える。


「濃度で言えば、こないだの幼稚園の跡地と、そう変わらないくらい。……ただ、今のところ〝溜(た)まっているだけ〟なのよ」


「溜まっている、だけ……?」


「ええ。魔(ま)物(もの)も、魔(ま)蝕(しょく)者(しゃ)も、まだ一体も観測されていないわ」


「――っ」


 蒼(あお)波(ば)の肩から、目に見えて力が抜けた。


 白雪姫(こゆき)も、詰(つ)めていた息をようやく吐き出す。


 魔物は、魔力の濃い場所に転(ころ)がった獣(けもの)の骸(むくろ)や、彷(さ)徨(まよ)う魂(たましい)が、じわじわと侵されて生まれる。


 つまり――魔力が溜まっているというのは、卵(たまご)が置かれているのと同じことだ。


 まだ、孵(かえ)っていないというだけの話でしかない。


「ただ、ね」


 その安堵を、翠(み)織(おり)の声が静かに遮(さえぎ)った。


「いつ出るかは、誰にも分からないの。……一分後かもしれないし、一か月後かもしれない」


「一分後、って……」


「そういうものよ、あれは」


 翠(み)織(おり)は端末を懐(ふところ)へ仕(し)舞(ま)う。


「観測は、引き続き続けてもらうわ。何か動きがあれば、真夜中でも叩き起こしてあげるから、安心してちょうだい」


「……安心、できるんですか、それ」


「できるでしょう? 知らないうちに手遅れになっているより、ずっと」


 冗談めかしてはいるが、その目は笑っていなかった。


 ――白雪姫(こゆき)は、そっと胸に手を当てる。


(……ねえ、白櫻姫(こさき)ちゃん)


『はい』


(今日の朝、言ってたよね。魔(ま)神(じん)の気配を、大きく感じるって)


 しばしの、沈黙があった。


『……ええ』


(それって……もしかして、その魔力異常のこと?)


『分かりません』


 答えは、嘘のない、正直なものだった。


『わたくしの魂に刺さったものは、方角も、距離も教えてはくれません。ただ疼(うず)くだけの、厄(やっ)介(かい)な羅(ら)針(しん)盤(ばん)でございます』


(……そっか)


『ただ』


 声が、わずかに硬(かた)くなる。


『――この疼(うず)きは、まだ強くなってはおりません。それだけは、確かです』


(……うん)


 少しだけ、安(あん)堵(ど)した。


 少しだけしか、安堵できなかった。


「白雪姫(こゆき)ちゃん?」


「あ、ううん。なんでもない」


 白雪姫(こゆき)は、隣の友達の袖(そで)を、きゅっと摘(つま)んだ。


「……大丈夫だよ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


「……うん」


 蒼(あお)波(ば)は、頷(うなず)いた。


 頷いては、くれた。





❆





 翌日は、月曜日だった。


 週の始まりというのは、それだけで気が重い。


 まして、あんな話を聞いた翌朝ともなれば、なおさらだ。


 それでも自転車のペダルを漕(こ)いで、二人はいつも通り、桜(さくら)ケ(が)丘(おか)小中学校の坂(さか)道(みち)を上った。


 ――そして、一時間目。


「じゃあ、次のところ。……蒼(あお)波(ば)さん」


「…………」


「蒼(あお)波(ば)さん?」


「……えっ? あっ、はいっ」


 教室に、小さな笑いが起こった。


 慌てて立ち上がった蒼(あお)波(ば)の手の中で、教科書のページが、ばさりとめくれる。


「……どこですか、先生」


「三十六ページの、四行目から」


「す、すみません」


 斜め前の席で、白雪姫(こゆき)はそっと友達を窺(うかが)っていた。


 読み始めた声は、いつも通り綺(き)麗(れい)だ。


 寺育ちのせいだろうか、蒼(あお)波(ば)の音読は、抑(よく)揚(よう)がやわらかくて、聞いていて心地がいい。


 ――けれど。


 その視線は、文字の上を滑(すべ)っているだけだった。


 声は文章をなぞっているのに、心はまるで別のところにある。


(……全然、ここにいないね)


 二時間目も、三時間目も、同じだった。


 休み時間になると、蒼(あお)波(ば)は窓際に立って、ぼんやりと東の空を眺めていた。


 ――東。


 海の、ある方角だ。


「蒼(あお)波(ば)ちゃん、購買行こっか」


「……ん? あ、うん」


 返事までに、ワンテンポ。


 昼休みの焼きそばパンは、半分ほど残された。





❆





 それは、帰ってからも変わらなかった。


 食堂の夕食――今日は鯖(さば)の味(み)噌(そ)煮(に)だった――を、蒼(あお)波(ば)は、箸(はし)の先で崩(くず)しては、口に運ぶことを繰り返していた。


 味わっている顔ではない。


 食べているという自覚すら、あるかどうか。


 部屋に戻ってからは、もっとひどかった。


 宿題にも手をつけず、畳スペースの縁に座り込んで、じっと窓の外を眺めている。


 月が出ていた。


 その光が、蒼(あお)波(ば)の横顔を、青白く縁(ふち)取っている。


 ――こつん。


 白雪姫(こゆき)は、隣に立つ紅葉(もみじ)の肘(ひじ)を、そっとつついた。


 紅葉(もみじ)が、無言で振り向く。


 白雪姫(こゆき)は、自分の頬を親指と人差し指で摘(つま)んで、きゅ、と横に引っ張ってみせた。


 そして、蒼(あお)波(ば)を指差す。


 ――紅葉(もみじ)の眉が、ほんのわずかに動いた。


 彼女は、その一秒で意図を理解したらしい。


 こくり、と頷く。


 足(あし)音(おと)を殺して、二人は畳の上を進んだ。


 白雪姫(こゆき)は左から。


 紅葉(もみじ)は右から。


 そして。


「――えいっ」


「――ほい」


 蒼(あお)波(ば)の両頬が、同時に横(よこ)へ引き伸ばされた。


「いふぁい……」


 情けない声が上がった。


 白雪姫(こゆき)は、ぱっと手を離して笑う。


「やっと、こっち見た」


「いひゃい、いひゃいって、紅葉(もみじ)ひゃんもっ」


「……ん」


 紅葉(もみじ)も、指を離した。


 赤くなった頬を両手で押さえながら、蒼(あお)波(ば)が恨(うら)めしそうに二人を見上げる。


「……なんね、もう」


「蒼(あお)波(ば)ちゃんが、ずーっと窓の外見とるから」


 白雪姫(こゆき)は、そのまま蒼(あお)波(ば)の正面に座り込んだ。


 紅葉(もみじ)も、その隣に、ぺたんと腰を下ろす。


 三人で、膝(ひざ)を突き合わせる形になった。


「――やっぱり、気になる? 魔力異常のこと」


「…………」


 蒼(あお)波(ば)は、しばらく黙っていた。


 やがて、観念したように、深く息を吐く。


「……うん」


 その一言に、白雪姫(こゆき)は静かに頷いた。


「気にしちょってもしょうがないっていうのは、分かってるんよ。うちがここでやきもきしたところで、魔力異常がなくなるわけでもないし」


 膝を抱え直して、蒼(あお)波(ば)は続ける。


「先生も、観測は続けてくれるって言ってたし。……頭では、分かってるっちゃけどね」


 言葉が、尻(しり)すぼみになる。


「……どうしても、気になっちゃって」


 月明かりの中で、蒼(あお)波(ば)は小さく笑った。


 ――ああ、この顔だ。


 白雪姫(こゆき)は思う。


 いつも自分を引っ張ってくれる子が、こんなに小さく見えるのは、嫌(いや)だった。


「……ねえ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


「ん?」


「見に行ってみる? 港神社」


「え」


「翠(み)織(おり)先生に頼んだら、連れてってくれるんじゃないかな。この目で見たら、少しは安心できるかもしれんし」


 言ってから、白雪姫(こゆき)は自分で言葉を噛み潰した。


 ――だめだ。


 今日は月曜日で、週の始まりだ。


 明日も明後日も、学校がある。


 週末ならまだしも、今から一時間近く車を出してもらうなんて、到底できる話ではない。


「……行縢から港神社って、車でどのくらいなんやったっけ」


「三十分は、かかると思う」


 蒼(あお)波(ば)が、静かに答えた。


「往復で一時間。それを、毎日……なんて、先生に言えんよ」


「……やね」


 蒼(あお)波(ば)は、また窓のほうへ視線を戻しかけて――やめた。


 代わりに、無理やり口の端を持ち上げる。


「大丈夫。明日にはけろっとしてるって。ごめんね、変な空気にして」


「――なら」


 それまで、一言も口を挟まなかった声が、落ちた。


 二人が、同時に紅葉(もみじ)を見る。


 黒曜石のような瞳が、真(ま)っ直(す)ぐに蒼(あお)波(ば)を見返していた。


「私が行くわ」


「……え?」


「港神社に泊まり込んで、私が見張る」


 ――たっぷり三秒。


 部屋の中の時間が、止まった。


「え、ええっ⁉」


「紅葉(もみじ)ちゃん、それ本気で言ってると⁉」


 跳ね上がった二人の声にも、紅葉(もみじ)はまるで動じない。


 それどころか、指を一本立ててみせた。


「理由は二つ。……一つ目」


 ぴん、と伸びた人差し指。


「私は、まだ学校に入ってない。翠(み)織(おり)さんの話だと、転入は五月からになるって」


「……あ」


「つまり、四月いっぱいは、私の時間は丸ごと空いてるってこと。あなたたちと違って、朝に起きて坂を上る必要もないの」


 二本目の指が立つ。


「二つ目。――私は、不老不死よ」


 あまりにも平然と、紅葉(もみじ)はそう言った。


「食べなくても死なない。眠らなくても倒れない。雨(あま)曝(ざら)しでも風邪ひとつひかない。……見張りに、これ以上向いてる人間がいる?」


「……そ、それは」


「いないでしょう」


 紅葉(もみじ)は、こともなげに言い切った。


 確かに、理屈の上では筋が通っている。


 千年以上、森の中や洞窟で寝起きしてきた少女だ。


 一か月やそこら、神社の軒(のき)下(した)で過ごすくらい、彼女にとっては何のこともないだろう。


 ――それでも。


「だめっ!」


 叫んだのは、蒼(あお)波(ば)だった。


 畳に手をついて、身を乗り出している。


「そんなん、絶対だめよ!」


「……どうして」


「どうしてって……っ」


 蒼(あお)波(ば)は、言葉に詰まる。


 それから、絞り出すように続けた。


「うちが勝手にそわそわしてるだけやのに、紅葉(もみじ)ちゃんが一人で、あんなとこに行くなんて」


「勝手じゃないでしょう。実際に、異常は出てるんだから」


「そういう話じゃなくて!」


 声が、跳ねた。


 自分でも驚いたのか、蒼(あお)波(ば)は口を噤(つぐ)み、それから、うつむいたまま小さく言った。


「……危ないじゃん。紅葉(もみじ)ちゃんが」


「――」


「うち、そんなの耐えられん」


「……私も」


 白雪姫(こゆき)も、膝(ひざ)の上で拳(こぶし)を握った。


「紅葉(もみじ)ちゃんを一人で神社に行かせたら、今度は私が、蒼(あお)波(ば)ちゃんみたいになっちゃうもん」


「……あなたが?」


「うん。授業中もぼーっとして、ご飯もぼーっと食べて、窓の外ばっかり見て」


 白雪姫(こゆき)は、真面目な顔で蒼(あお)波(ば)を指差した。


「ちょうど今の蒼(あお)波(ば)ちゃんみたいに」


「うちで例えんでよっ⁉」


「――待って」


 紅葉(もみじ)が、二人を制した。


 その表情は、怒(いか)っているわけでも、呆(あき)れているわけでもない。


 ただ、純粋に。


 ――理解が、できていなかった。


「……意味が分からないわ」


「え?」


「私は、あなたたちより歴が長いの。千年以上、この力と付き合ってきた」


 紅葉(もみじ)は、静かに続ける。


「神(じん)器(ぎ)も顕現できる。霊(れい)術(じゅつ)もいくつか使える。……平たく言えば、私のほうが、あなたたちより強い」


「……うん」


「なのに、どうして心配するの?」


 まっすぐな問いだった。


 ごまかしも、謙(けん)遜(そん)も、そこには一切なかった。


「魔物の一体や二体、私なら片手で終わるわ。首を飛ばされたって、一瞬で元通り。……私を心配する理由なんて、どこにもないはずよ」


 ――しん、と部屋が静まる。


 窓の外で、行縢の森が、ざあ、と鳴った。


 その音が消えるのを待って、白雪姫(こゆき)は口を開いた。


「するよ」


「……え」


「心配するよ、紅葉(もみじ)ちゃんのことは。だって――」


 言いかけた白雪姫(こゆき)の言葉を、隣から蒼(あお)波(ば)が引き継いだ。


「――友達やから」


「…………」


 紅葉(もみじ)の目が、まん丸に見開かれた。


 友達。


 その二文字が、耳の奥で、ゆっくりと転(ころ)がっていく。


 ――友達。


(……そう、なの?)


 確かに、この二人といるのは、居(い)心(ごこ)地(ち)がいい。


 服を選ばれるままにされているときも、あの鶏肉料理を食べたときも、悪くはなかった。


 けれど。


 友達だなんて、思ったことは――。


 そう考えかけて。


 ――ああ、違う。


 紅葉(もみじ)は、心の中で首を振った。


 違うのだ。


 思ったことがないのではない。


 自分は、それを何と呼ぶのかを、ただ忘れていただけなのだ。


 千年前。


 落ちこぼれと嗤(わら)われ、家の者にすら疎(うと)まれた自分の隣に、当たり前の顔をして座っていた白い髪の少女。


 あの子といるときの、この感じ。


 胸の奥が、ほんの少しだけ温(あたた)かくなる、あの感じ。


 ――今、それと同じものを、この二人から感じている。


(……そもそも)


 紅葉(もみじ)は、ふと思った。


 なぜ自分は、あんなにも自然に――泊まり込む――などと言い出したのだろう。


 誰に頼まれたわけでもない。


 異常反応が出た場所は、自分にとっては縁もゆかりもない、海辺の小さな神社だ。


 千年のあいだ、そんなものは腐るほど見てきたし、そのたびに黙って通り過ぎて、気まぐれに倒して……くらいのはずだった。


 ――答えは、すぐに出た。


 簡単なことだ。


 見たくなかったのだ。


 目の前のこの子が、窓の外ばかり見ている姿を。


 噛み殺したような笑い方をする、その顔を。


 ――この人のために、自分ができることを、何かしたい。


 それは。


 あの日、袖を掴んで泣くことしかできなかった自分には、決してなかった感情だった。


 止めることも、追いかけることも、隣に立つこともできなかった、あの日の自分には。


「…………」


 気がつけば。


 紅葉(もみじ)の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。


「……あれ?」


 目ざとく、白雪姫(こゆき)がそれを見つける。


「紅葉(もみじ)ちゃん、なんで笑ってると?」


「――なんでもないわ」


「ええーっ、絶対なんかあるやん!」


「なんでもない」


 紅葉(もみじ)は、すいと視線を逸(そ)らした。


 その耳が、ほんの少しだけ赤い。


 白雪姫(こゆき)と蒼(あお)波(ば)は、顔を見合わせた。


 ――そして、二人して、噴(ふ)き出した。





❆





 結局。


 紅葉(もみじ)が行くのは却下、かといって自分たちが通うのも無理。


 答えは、一向に出なかった。


 三人が向かったのは、二階の〝第一研修室〟――翠(み)織(おり)の部屋だった。


「あら。三人揃って、どうしたの?」


 扉を開けた翠(み)織(おり)は、書類の束を片手に目を瞬(しばたた)かせた。


 部屋の中には、コーヒーの匂いが漂(ただよ)っている。


「先生。……あの、変なこと聞いてもいいですか」


 白雪姫(こゆき)が、おずおずと切り出す。


「どうぞ?」


「神子を管理してる組織って……そこって、こういうときに、お願いってできるんですか?」


「お願い、というと?」


「港神社の見張りを、してもらえないかなって」


 翠(み)織(おり)の眉が、ぴくりと動いた。


「……自分たちで行こうとして、無理だと気づいた、というところかしら」


「うっ」


「顔に書いてあるわ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 蒼(あお)波(ば)が、頬を押さえて狼狽(うろた)える。


 その様子に、翠(み)織(おり)はふ、と口元を緩(ゆる)めた。


「安心なさい。叱(しか)ってるわけじゃないの」


 書類を机に置いて、彼女は三人に向き直る。


「神子管理組織というのはね、要(よう)するに、この国の神子を束(たば)ねて、育てて、必要なところへ回すための組織よ。……こういう案件のためにこそ、あるところなの」


「じゃあ」


「ええ。私のほうから、掛(か)け合ってみるわ」


「――っ、ほんとですか!」


「あなたたちは中学生で、うちの管轄の神子。他(ほか)の地区に応援を頼むのは、地区担当の仕事のうちよ」


 翠(み)織(おり)は、なんでもないことのようにそう言った。


「むしろ、もっと早く言ってくれてよかったのに」


「……すみません」


「謝らないの。……ただ、これだけは覚えておいてちょうだい」


 三人の顔を、ゆっくりと見渡す。


「頼るというのは、甘えることじゃないわ。使える手を全部使うっていう、立派な判断よ」


 ――その一言に、三人の肩から、ようやく力が抜けた。


 そして、そこからは早かった。


 翌日には、もう組織から人が回されていた。


 港神社の周辺に、常時二名。交代で、二十四時間。


 定期的な報告が、翠(み)織(おり)のもとへ届くようになった。


「……ずいぶん早かったですね」


 夕食の席で、蒼(あお)波(ば)がそう言うと、翠(み)織(おり)は少しだけ声を潜めた。


「この前の一件があったでしょう。……あれ以来、上のほうがピリピリしているのよ」


「魔神の、ですか」


「ええ。市街地の目と鼻の先に、あれが出たんだもの。前例がないわけじゃないけれど、前例があるからこそ、怖いのよ」


 だから、異例の速さで人が動いた。


 ――それは、有(あり)難(がた)い話だ。


 同時に、背筋が冷える話でもあった。


 組織が本気になるほどの何かが、この街に近づいているということなのだから。


 それでも。


 監視の目が入ったという事実は、確かに三人の心を軽くした。


 蒼(あお)波(ば)は、また授業中に手を挙げるようになった。


 夕食も、きちんと味わって食べるようになった。


 夜には三人で畳スペースに集まって、宿題をしたり、紅葉(もみじ)に千年前の話をせがんだりした。


 白雪姫(こゆき)は、毎晩のように精神世界で木刀を握り、蒼(あお)波(ば)と一緒に、休みの日には山を登った。


 ――何事もない、日々が過ぎていく。


 過ぎていって、しまう。


 そう、思っていた。


 そして。


 一週間後の、日曜日。


 ――港神社に、魔物の発生が確認された。





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