↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白雪の神子  作者: 日影ヱト
第01章:白雪の少女
PR
3/46

第02話:入学式

 朝の光を反射させながら、白いワゴン車が国道を走っていく。


 後部座席の窓に額を寄せて、白雪姫(こゆき)は流れていく景色をぼんやりと眺めていた。


 空はどこまでも青い。

 街路樹の若葉が、風にきらきらと揺れている。


 春だ。

 誰の目にも、間違いなく春だった。


(……なのに、なんで私だけ、こんなに寒いっちゃろ)


 膝の上に置いた鞄の持ち手を、白雪姫(こゆき)はぎゅっと握りしめた。


「白雪姫(こゆき)ちゃん、緊張してる?」


 運転席から、施設の先生が柔(やわ)らかく声をかけてくる。

 入所した日から、何かと親身に世話を焼いてくれている女性職員だ。


「……少し」


「そっか。まあ、無理はせんでいいからね。しんどくなったら、いつでも保健室に行っていいって、先生方にもちゃんと伝えてあるけん」


「……はい」


 本当は、少しどころではなかった。


 心臓は朝からずっと嫌な速さで鳴りっぱなしだし、手のひらは汗で湿(しめ)っている。

 できることなら、このまま車が学校を通り過ぎてしまえばいいのに、とすら思っていた。


「今日は入学式やけん送っていくけど、明日からは自転車通学よ。……まあ、遠いっちゃけどね。天気の悪い日とかは、また私が送るから」


「……ありがとうございます」


 やがて、車は細見町へ入る。


 見慣れた田んぼ。

 見慣れた坂道。

 そして――見慣れた、校舎。


 〝桜(さくら)ケ(が)丘(おか)小中学校〟。


 宮(みや)崎(ざき)県延(のべ)岡(おか)市細(ほそ)見(み)町にある、市立の小中一貫校だ。


 全校生徒の数は多くない。一学年に一クラスしかない、こぢんまりとした学校である。


 運動場の奥には、昼休みによく遊んだ〝さくらがおか〟と呼ばれる小高い丘が広がっていて、その手前には、見上げても頂上が見えないほど大きなイチイガシの大(たい)木(ぼく)が、校舎を見下ろすように聳(そび)え立っている。


 傍らには、古びた旧校舎。

 そして、もう運営を終えて廃園になった〝桜ケ丘幼稚園〟の建物が、静かに佇んでいた。


「――着いたよ」


 車が停まる。


 シートベルトを外す音が、やけに大きく響いた。





❆





 校門をくぐった瞬間、白雪姫(こゆき)は妙な感覚に襲われた。


(……なんか、変な感じ)


 去年まで、毎日のように通っていた場所だ。

 どこに何があるのか、目をつぶってでも歩ける。そのはずなのに。


 まるで、生まれて初めて訪れる、知らない学校の門をくぐっているような気がした。


(半年ぶりだから……? それとも――)


 風が吹いて、白い髪がふわりと舞い上がる。


 視界の端でひらめくその色に、白雪姫(こゆき)はきゅっと唇を噛んだ。


(……私が、こんなふうになっちゃったから、っちゃろか)


 受付を済ませ、施設の先生とともに中学部の職員室へ向かう。

 書類の提出や、今後の連絡についての手続きを済ませるためだった。


「失礼します」


 ガラガラ、と扉を開ける。


 その瞬間、職員室のざわめきが、すっと引いた。


 教師たちの視線が、一斉に集まる。


 驚き。

 戸惑い。

 そして、慌ててそれを隠そうとする、ぎこちない笑顔。


「……っ」


 白雪姫(こゆき)は思わず肩をすくめ、先生の背中に半歩隠れた。


 ただ一人、事情を聞かされていたらしい若い女性教師だけが、まっすぐに歩み寄ってきてくれた。


「柊(ふき)野(の)さん、おはよう。今日から一年一組の担任になります。よろしくね」


「……あ……よろしく、お願いします」


 声は、ちゃんと出ただろうか。


 手続きの間、白雪姫(こゆき)はずっと下を向いていた。




 職員室を出ると、施設の先生が肩をぽん、と叩いた。


「私は入学式の準備で第一体育館の方に行っちょくね。また後で」


「……はい」


「あ、そうそう。――入学、おめでとう。白雪姫(こゆき)ちゃん」


 そう言い残して、先生は行ってしまった。


 残されたのは、静かな廊下と、白雪姫(こゆき)一人だけ。


 中学部の校舎は、小学部の頃も行事で何度か使ったことがある。どの階に何の教室があるかは、だいたい頭に入っていた。


 ――だから、迷うことはない。


 迷うことはないのに、階段を上る足は、鉛のように重かった。





❆





 〝一年一組〟。


 その札の下で、白雪姫(こゆき)の足はぴたりと止まった。


 扉の向こうから、賑やかな声が漏れ聞こえてくる。


 ――久しぶりやね。

 ――同じクラスやん!

 ――中学の制服、なんか変な感じせん?


 小学部からの、変わらない顔ぶれ。変わらない声。


(……開けたくない)


 喉が渇いていた。


 扉に手をかけたまま、白雪姫(こゆき)は動けなかった。


(開けたら、みんな、こっちを見る。……見て、それで――)


 息が浅くなる。


 このまま逃げてしまいたい。保健室に行って、気分が悪いと言えばいい。

 そんな考えが頭をよぎる。


 けれど。


(……逃げても、明日が来るだけ、やもんね)


 勇気を出したのか、それとも諦めたのか。

 自分でもよく分からないまま、白雪姫(こゆき)は震える手で、そっと扉を横に滑らせた。


 ――ガラガラ。


 教室の音が、ぴたりと止まった。


 約二十人分の視線が、一斉にこちらを向く。


「……っ、ぁ」


 突き刺さるような沈黙。


 覚悟していたはずなのに、白雪姫(こゆき)の身体は勝手に竦(すく)み上がった。


 ――気味悪い。

 ――なにあれ。

 ――かわいそう。


 次に来る言葉を、白雪姫(こゆき)は目をつぶって待った。


 けれど。


「――白雪姫(こゆき)ちゃんっ!」


「え……?」


 弾かれたように顔を上げる。


 窓際の席から立ち上がった女子が、こちらへ駆け寄ってきていた。


「よかったぁ、ほんとに来た! もう身体は大丈夫と⁉」


「あ、ずるい、私も言おうと思っちょったのに!」


「白雪姫(こゆき)ちゃん、席こっちよ!」


「なんかしんどくなったら、すぐ言ってね。荷物とか持つし」


 ――言葉が、降ってくる。


 悪意ではなく。

 好奇でもなく。


 ただ、まっすぐな気遣いとして。


「…………え、と」


 頭が、まったく追いつかなかった。


 どうして。

 どうして、誰も驚かないのだろう。

 どうして、誰も、私の髪を見て顔を歪(ゆが)めないのだろう。


「あー、白雪姫(こゆき)ちゃん、びっくりしてる」


 最初に駆け寄ってきた女子が、へへ、と笑った。


「あんな、先生が春休みに全員集めて、話してくれたとよ。白雪姫(こゆき)ちゃんが目を覚ましたこと。……その、事故のことも」


「……先生が……?」


「うん。髪とか目の色が変わっちょっけど、病気とかじゃないし、白雪姫(こゆき)ちゃんは白雪姫(こゆき)ちゃんやからって。……あと、めっちゃ頑張って戻ってくるんやから、みんなで待っちょってあげてって」


 ぐらり、と視界が揺れた気がした。


 ――担任の先生。


 さっき職員室で、まっすぐに歩み寄ってきてくれた、あの人。


(……先生が、私のために……?)


 知らないところで、誰かが、自分のために準備をしていてくれた。


 そんなことは、生まれて初めてだった。


 よく見れば、クラスメイトたちの表情には、やっぱりどこかぎこちなさが残っている。

 どう接すればいいのか、迷っているのが分かる。


 ――それでも。


 誰一人として、白雪姫(こゆき)を気味悪がってはいなかった。

 誰一人として、白雪姫(こゆき)から離れようとはしなかった。


「……っ」


 胸の奥。


 半年間、ずっと氷が張っていた場所に、ぽたりと、温かいものが落ちた気がした。


「……あの」


 喉に力を込める。


 病院を出てから、こんなに大きな声を出そうとしたのは初めてだった。


「……みんな……ありがとう」


 小さな声だった。

 けれど、確かに教室に届く声だった。


 一瞬の静寂のあと、教室がわっと沸いた。


「うわ、白雪姫(こゆき)ちゃん喋った!」

「こら、失礼やろ!」

「ごめんごめん、なんか感動しちゃって……!」


(……変なの)


 わあわあと騒ぐクラスメイトたちを見ながら、白雪姫(こゆき)は目元を擦(こす)った。


 学校という場所が、ほんのちょっぴりだけ、怖くなくなった気がした。


 ――けれど。


 この日の試練は、まだ終わっていなかった。





❆





 入学式である。


 クラスメイトはいい。事情を知っていてくれるから。


 問題は、それ以外だ。


 中学部の先輩たち。小学部の子どもたち。

 そして――今日は、小学一年生の保護者と、中学一年生の保護者までもが体育館に集まっている。


 生徒数が何百人もいるような学校なら、群衆に紛れることもできただろう。

 けれど、この学校の人数では、一人一人の姿が嫌でも目立ってしまう。


(……やっぱり、無理かも)


 入場を待つ廊下で、白雪姫(こゆき)は俯いていた。


 そこへ、進行役の教師の声が響く。


「はい、中学一年生の皆さんは、小学一年生さんと手を繋(つな)いで入場しますよー! 二列に並んでくださいねー!」


「……手を、繋ぐ……?」


 言われてみれば、去年もそうだった。

 毎年恒例の、この学校の入場スタイルだ。


 ――でも。


 ぱたぱたと小さな足音を立てて、ぶかぶかの制服を着た小学一年生たちが並んでいく。


 やがて、白雪姫(こゆき)の隣にも、一人の女の子がちょこんと立った。


 ランドセルよりも小さな肩。

 真新しい上履き。


 そして、その子は――じーっと、白雪姫(こゆき)を見上げていた。


 白い髪を。

 白いまつ毛を。

 白い瞳を。


(……見られてる)


 ぞわり、と背中が冷えた。


 子どもの好奇心は、時に刃物よりも鋭い凶器になる。

 悪意がないぶん、容(よう)赦(しゃ)がないのだ。


 ――お姉ちゃん、なんで白いの。

 ――こわい。

 ――おばけみたい。


 白雪姫(こゆき)は、ぎゅっと目を閉じた。


 言われる。

 絶対に、言われる。


「――お姉ちゃん」


「……っ、はい」


「すっごく、きれいだね!」


「…………え?」


 目を開ける。


 女の子は、こぼれ落ちそうなくらい大きな目をきらきらさせて、白雪姫(こゆき)を見上げていた。


「お店に飾ってある、お人形さんみたい! 髪も、まつげも、ぜんぶ白くて、きらきらしてる!」


「…………」


「あのね、わたし、白いの、だいすき!」


 そう言って、女の子は――他の新入生たちと同じように、ごく当たり前のように。


 ぎゅっと、白雪姫(こゆき)の手を握った。


「……あ」


 小さな、小さな手だった。


 ぷにぷにと柔らかくて、少し汗ばんでいて。


 そして、びっくりするほど、あたたかかった。


(……あったかい)


 半年間、冷え切っていた指先に、その熱がじんわりと染み込んでいく。


 胸の奥から、熱いものが込み上げてきた。

 鼻の奥がつんとして、視界が滲む。


 ――嬉しい。


 ただ、それだけの感情なのに。

 どうしてこんなに、涙が出そうになるのだろう。


「……ふふ」


 気づけば、白雪姫(こゆき)の口元は、綻(ほころ)んでいた。


 あの日以来――両親の死を告げられたあの日以来、一度も浮かべることのできなかった、笑顔だった。


 制服の裾が汚れるのも構わず、白雪姫(こゆき)はその場にしゃがみ込み、女の子と目線を合わせる。


「……ありがとう。あなた、優しいっちゃね」


「えへへ」


「私、柊(ふき)野(の)白雪姫(こゆき)。……今日は、よろしくね」


「うん! こゆきおねえちゃん、よろしくおねがいします!」


 ――繋いだ手から伝わる小さな勇気を、白雪姫(こゆき)は決して離さなかった。





❆





 入学式は、つつがなく進んだ。


 新入生入場の際、体育館にはたしかにざわめきが走った。

 保護者席から、他学年の生徒たちから、白雪姫(こゆき)の白い髪に驚きの視線が向けられたのが分かった。


 けれど、それは。


 ――パチパチパチパチ!


 体育館いっぱいに響き渡る、盛大な拍手の音にかき消された。


 誰かの囁(ささや)きよりも、拍手のほうが、ずっとずっと大きかった。


(……大丈夫。歩ける)


 繋いだ手をほんの少しだけ握り返して、白雪姫(こゆき)は前を向いて歩いた。


 その後の教室での帰りの会も、白雪姫(こゆき)は最後まで乗り越えることができた。





❆





 すべてが終わり、校門を出ると、施設の先生が待っていた。


「お疲れさま、白雪姫(こゆき)ちゃん。……どうやった?」


 心配と優しさの入り混じった目で、そう問いかけてくる。


 白雪姫(こゆき)は一度だけ、校庭の桜を見上げた。


 ひらり、ひらりと、花びらが青空に舞っている。


「……すごく、怖かったです」


「……うん」


「でも」


 白雪姫(こゆき)は先生の目をまっすぐに見て、静かに答えた。


「……来て、よかったです」


 その言葉に、先生は心底ほっとしたように胸を撫で下ろし、柔(やわ)らかく笑った。


「そっか。……そっかぁ」


 そして、少し考えるような素振りを見せてから、こう続けた。


「ねえ、白雪姫(こゆき)ちゃん。せっかく細見町まで来たんやし……このまま、行(むか)縢(ばき)町まで行ってみん?」


「……行縢……」


「白雪姫(こゆき)ちゃんのおうちから、生活用品とか思い出の品を持ち出す手筈になっちょったでしょ。今日は入学式で早く終わったし、時間もあるっちゃけど……どうやろ?」


 その地名を聞いた瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。


 行縢町。

 父と、母と、三人で暮らしていた家がある町。


 少しの沈黙のあと、白雪姫(こゆき)は静かに頷いた。


「……行きたいです。お願いします」





❆





 車は細見町を抜け、舞(まい)野(の)町へ、そして行縢町へと走っていく。


 車窓を流れる景色は、半年前と何一つ変わっていなかった。


 青々とした山。

 どこまでも続く田畑。

 陽射しを弾いて光る、川の水面。



 ――あの家、いつ建ったんだろう。

 ――あの〝サトウ工(こう)務(む)店(てん)〟の看板、昔は〝サトウエ務(む)店(てん)〟って呼んでたっけ。

 ――この公民館でよく一人で遊んじょったっけ。

 ――ここの木、ちょっと伐(き)られたっちゃ。


 覚えている。

 全部、覚えている。


 自分の姿だけが変わってしまったのに、町はこんなにも、あの頃のままだった。


 それが嬉しいような、少しだけ苦しいような、不思議な気持ちだった。


 やがて車は、深い森に囲まれた集落へと入る。


 近所に家は数軒しかない、静かな田舎町。


 その一角に――柊(ふき)野(の)の家は、立っていた。


「……着いたわ」


 車を降りる。


 鳥のさえずりと、木々のざわめきだけが響いていた。


 半年間、誰も手入れをしていない我が家。

 庭の草は伸び放題になり、ポストからは色あせたチラシが数枚はみ出している。


「…………ただいま」


 誰も答えない玄関に、白雪姫(こゆき)はそう呟いた。


 鍵を開けて、中へ入る。


 ――ひやり、と。


 沈んだ冷たい空気と、埃の匂いが鼻をついた。


 かつて、家族三人の笑い声で満ちていたリビング。

 今はただ、しん、と静まり返っている。


 テーブルの上には、あの日のまま置きっぱなしになったマグカップ。

 カレンダーは、半年前の月をめくったまま止まっていた。


 時間だけが、この家に置き去りにされている。


「……お母さん、片付けんまま出かけたんやね」


 白雪姫(こゆき)は薄く笑って、そっとマグカップに触れた。


 冷たかった。


 ――と、その時。


 リビングの棚に置かれた、一つの写真立てが目に留まった。


「……あ」


 吸い寄せられるように歩み寄り、そっと手に取る。


 指先で、うっすらと積もった埃を払った。


 現れたのは――


 満面の笑みを浮かべる父。

 その隣で、少し照れくさそうに笑う母。

 そして二人の間で、はしゃぐように笑っている、まだ髪の黒い、幼い日の自分。


「…………」


 止まった。


 息も、指も、思考も、全部が止まった。


 ――ああ。


 埃をかぶった家。

 止まったカレンダー。

 冷たいマグカップ。


 そして、写真の中で笑っている、二人。


 それらがひとつに繋がって、逃げようのない現実が、白雪姫(こゆき)の胸をまっすぐに貫いた。


 ――本当に、いないんだ。


 ――お父さんも、お母さんも。もう、どこにも。


「……あ……」


 喉の奥から、掠(かす)れた音が漏れた。


 ぽたり、と。


 写真立てのガラスの上に、雫が落ちる。


 それが自分の涙だと気づくまでに、少しかかった。


「……っ、う……」


 膝から、力が抜けた。


 その場に崩れ落ち、白雪姫(こゆき)は写真立てを胸にきつく抱きしめる。


「うぁ……っ、あああぁぁぁぁっ……!」


 ――泣けた。


 病院で両親の死を告げられて以来、白雪姫(こゆき)はずっと泣けなかった。

 悲しむことも、嘆(なげ)くことも忘れて、感情を失った人形のように過ごしてきた。


 けれど今日、教室でクラスメイトの声に触れて。

 小さな手のぬくもりに触れて。


 固く閉ざされていた心の扉が、ほんの少しだけ、開いてしまったのだ。


 その隙間から、半年分の悲しみが、濁(だく)流(りゅう)となって溢れ出す。


「お父さん……っ! お母さんっ……! なんで……なんでいなくなったの……っ‼」


 誰もいない、汚れたリビング。


 真っ白な少女は、小さな子どもに戻ったように、声を上げて泣きじゃくった。


 ボロボロと零れる涙が、白い頬を伝い、抱きしめた写真立てを濡らしていく。


 ――でも。


 激しい悲しみに引き裂かれながら、白雪姫(こゆき)の心の片隅で、微かな灯りのようなものが揺れていた。


(……この悲しさも)


 あんなに怖かった教室の扉を、ほんの少しだけ開けられたように。


(……いつか、乗り越えられる日が……くるっちゃろか)


 答えは、まだ出ない。


 駆け寄ってきた施設の先生が、その小さな背中を、静かに、そして強く抱きしめる。


 窓の外では、名前も知らない誰かが植えた庭の桜が、ひらひらと花びらを散らしていた。


 ――この平穏が、あと数時間で終わることを。


 この時の白雪姫(こゆき)は、まだ知らない。





ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白い・続きが気になると思っていただけたら、【ブックマーク登録】やページ下部の【評価】を押していただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。