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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第11話:月明かりの語らい

 消灯の時間は、とっくに過ぎていた。


 むかばき青少年自然の家の三階。その一室に、白雪姫(こゆき)たちの部屋はある。


 二段になった木製の寝台が四つと、奥にある窓際にささやかな畳(たたみ)スペース。


 そのひとつの寝台の下段で、蒼(あお)波(ば)は、すでに寝息を立てていた。


 今日は魔物との戦いがあった。


 あれだけ霊(れい)力(りょく)を絞り出して、地面に叩きつけられて、それでも帰ってきてから宿題を広げ、大浴場に浸かって――。


 部屋に戻るなり、頭が枕についた瞬間には、もう眠りに落ちていた。


「……ふふっ」


 白雪姫(こゆき)は、思わず小さく笑ってしまう。


 半分だけ口を開けて、琥(こ)珀(はく)色(いろ)の瞳をしっかり閉じて。


 昼間、――うちがもっと強くなります――なんて凛々しいことを言っていた顔と、同じ顔だとは思えない。


(……蒼(あお)波(ば)ちゃんって、寝顔だけはちっちゃい子みたいっちゃね)


 布団を肩まで引き上げてやってから、白雪姫(こゆき)は枕元の電気を消した。


 部屋が、青く沈む。


 けれど、思ったほど暗くはならなかった。


 カーテンの隙間から、行(むか)縢(ばき)の山の上に昇った月が、床に細長い光の帯を落としている。


 白雪姫(こゆき)は足音を殺して、そっと立ち上がった。


 畳スペースには、先客がいる。


 紅葉(もみじ)だ。


 彼女は窓枠に片肘をついて、外の暗い稜(りょう)線(せん)をじっと眺めていた。


 腰まで届く、漆黒の髪。


 貸してあげた部屋着の袖が少しだけ余っていて、その指先が布を軽く握り込んでいる。


 白雪姫(こゆき)は、そんな彼女の正面に静かに腰を下ろした。


 月明かりが、二人のあいだに落ちる。


 雪のように白い髪と、夜そのもののような黒髪。


 淡いのに、はっきりとしたコントラストだった。


「……起こしちゃった?」


「ううん。私、そもそも寝ないから」


 紅葉(もみじ)は視線だけをこちらに向けて、それから小さく首を傾げた。


「あなたも、今日は魔物と戦ったんでしょ?」


 声は、押し殺した囁(ささや)きだ。眠っている蒼(あお)波(ば)への、彼女なりの配慮なのだろう。


「疲れていないの?」


「ううん、全然平気だよ。私はそんなに疲れてないかな」


 白雪姫(こゆき)は、正直にそう答えた。


 実際、体はどこも重くない。


 あれだけ全力で氷を作って、五メートルの巨体を殴り飛ばして、それでも今、こうして普通に起きていられる。


 むしろ寝つけないくらいには、頭が冴えていた。


「……やっぱり」


 紅葉(もみじ)は、そう呟(つぶや)いた。


 窓の外から視線を外し、まっすぐにこちらを見る。


 黒曜石のような瞳が、月の光を細く反射した。


「あなた、霊力の量がおかしいのよ」


「……え?」


「白雪姫(こゆき)。あなた、自分の霊力の量を測ったことある?」


 白雪姫(こゆき)は、ぱちぱちと瞬(まばた)きをした。


「霊力の……量?」


 考えたこともなかった。


 翠(み)織(おり)からは、感じ取ること、留(とど)めること、放つこと――そういう〝使い方〟ばかりを教わってきた。


 自分の中にどれだけ入っているのか、なんて、水筒の中身を気にしないのと同じくらい、意識の外だったのだ。


「私って……そんなに霊力が多いの?」


「ええ」


 紅葉(もみじ)の返事は、迷いがなかった。


 そして、その一言に、静かに言葉を継ぐ。


「私、千年生きてるの。その間に、神(み)子(こ)には何十人も会った。会ったっていうか……勝手にすれ違って、勝手に見送ってきただけだけど」


 膝の上で、彼女は指を組み替える。


「その中で、あなたが一番。断トツで」


「……断トツ」


「桁が違うのよ、器の大きさが。今日だって、あなた、ずっと身体強化をかけっぱなしで、そのうえ氷を撃って、それでまだ余ってる」


 白雪姫(こゆき)は、自分の手のひらを見下ろした。


 小さな手だ。


 この中に、そんなにたくさんのものが入っているという実感は、正直、まるでない。


「翠(み)織(おり)先生も、蒼(あお)波(ば)ちゃんも、何も言わなかったけど……」


「あの人たちの感じ方だと、たぶん〝多い〟で止まるから」


 紅葉(もみじ)は、少しだけ言いにくそうに目を伏せた。


「私は、そこそこ長く生きてる分、目盛りをたくさん持ってるだけ」


 ――そういう言い方をする子なのだ、この子は。


 自分の千年を、まるで、ただの物差しみたいに扱う。


「……ねえ」


 と、紅葉(もみじ)が口を開いた。


 その声が、ほんの少しだけ低くなる。


「あくまで、私の勝手な推測だけど」


「うん」


「あなた、昔――一度、死ぬような出来事があったんじゃない?」


 息が、止まった。


 心臓が、肋(あばら)の内側で大きく跳ねる。


 月明かりの中、白雪姫(こゆき)は目を丸くしたまま、紅葉(もみじ)を見つめていた。


 ――どうして。


 どうして、この子が、それを。


(……知らないはず、よね)


 自分は、まだ話していない。


 事故のことも、半年間の眠りのことも、両親のことも。


 なのに、紅葉(もみじ)の言葉は、まるで自分の背骨を指でなぞるように、正確に一番奥へ届いていた。


「……図星、みたいね」


 その顔を見て、紅葉(もみじ)は静かに息を吐いた。


「ごめんなさい。踏み込みすぎたわ。答えなくていい」


「……ううん」


 白雪姫(こゆき)は、ゆっくりと首を横に振った。


 膝の上で、部屋着の裾をきゅっと握る。


 この子には、話してもいい。


 ――いや。話しておかなければいけない気が、なぜだかした。


「私ね。ここに来る前は……普通の小学生だったの」


 自分の声が、思ったより落ち着いていて、少し驚いた。


「ほんとに、普通で。髪も目も、みんなと同じ黒で。神子とか、霊力とか、そんなの一個も知らなかった」


「……黒」


「うん。肩くらいの長さの、まっすぐな黒髪。目もみんなと同じ黒」


 紅葉(もみじ)の眉が、わずかに動いた。


「でも、半年前――事故に遭って」


 言葉が、そこでひとつつかえる。


 喉の奥に、まだ形の残らない何かが引っかかっている感じがした。


「気がついたら、病院のベッドにおって。……そのときにはもう、半年経ってたの」


 窓の外で、夜の木々がざわりと鳴った。


「お父さんとお母さんは、その事故で死んじゃって。私だけ、ずっと眠ってた」


 白雪姫(こゆき)は、自分の髪をひと房、指ですくい上げた。


 月明かりを吸って、それは白銀に光る。


「それで、目が覚めたら――こうなってた。髪も、目も、全部真っ白に」


 しばらく、紅葉(もみじ)は何も言わなかった。


 ただ、その黒い瞳が、大きく見開かれていく。


「……待って」


 ようやく出てきた声は、彼女にしては珍しく、揺れていた。


「その髪も、その眼も。神子になったのも――全部、後天的なの?」


「こ、こうてんてき?」


 白雪姫(こゆき)は、きょとんとして訊き返した。


 聞いたことはある気がするけれど、意味がすぐには出てこない。


「生まれつきの見た目じゃなくて、あとからそういう見た目になったか、ってこと」


 紅葉(もみじ)は、短くそう言い直した。


「反対は先天的。生まれたときから持ってるもののこと」


「……うん。じゃあ、後天的。生まれたときは、ほんとに、なんもなかったから」


「……そう」


 そう答えたきり、紅葉(もみじ)は口元に指を当てて、しばらく黙り込んだ。


 千年を生きた少女が、考え込んでいる。


 その沈黙が、白雪姫(こゆき)には少しだけ怖かった。


「あの……そんなに、おかしいこと?」


「おかしいわ」


 即答だった。


「あのね、白雪姫(こゆき)。神子っていうのは、あとからなれるものじゃないの」


 紅葉(もみじ)は、指を一本立てる。


「神子の家系に生まれるか、そうじゃないなら、ずっと昔の血が隔(かく)世(せい)遺(い)伝(でん)みたいに出てくるか。どっちにしても、生まれたときには魂の中に入ってる。それが、あとから〝開く〟だけ」


「開く……」


「そう。霊(れい)力(りょく)の開花。私も、それだった」


 彼女は、そこで一度言葉を切った。


「でも、あなたの場合は――入っていなかったものが、入ってる」


 その言い方に、白雪姫(こゆき)の背筋がすっと冷えた。


「……それ、翠(み)織(おり)先生も言ってた」


 思い出す。


 この施設に来たばかりの頃、翠(み)織(おり)が絶句していた顔を。


 あの人はいつも穏やかで、いつも余裕があるのに、あのときだけは、白雪姫(こゆき)の話を聞きながら何度も何度も言葉を選び直していた。


「――人として生まれて、途中から神子になった例は、記録にない――って。私が、たぶん初めてだって」


「……そうでしょうね」


 紅葉(もみじ)は静かに頷き、それから、白雪姫(こゆき)の顔をじっと見つめた。


 いや、正確には――その髪と、瞳を。


「もうひとつ、変なことがある」


「変なこと?」


「その、色」


 紅葉(もみじ)は、自分の黒髪の毛先を指で示してみせた。


「夕飯のとき、あなた言ってたでしょ。――まだ髪の色のことがあるから、買い物は怖いけど――って」


「……あ」


 思わず、白雪姫(こゆき)の肩が縮こまる。


 聞かれていないと思っていた。あれは、ほとんど独り言のつもりだったのに。


「あのとき、ちょっと引っかかってたのよ。神子なんだから、そんなの慣れてるはずなのにって」


 紅葉(もみじ)は、ふ、と息を吐いた。


「でも、後天的だっていうなら納得。あなた、半年前までみんなと同じだった側の子なんだもの」


「…………」


 言葉が出なかった。


 その通りだったからだ。


 クラスの子たちが、廊下ですれ違いざまにこちらを見て、慌てて目を逸らす。


 あの一瞬の間が、まだ怖い。


「でも、それだけじゃないの」


 紅葉(もみじ)は、少しだけ身を乗り出した。


「白雪姫(こゆき)。神子の体に、色の変化みたいな〝異常〟が出るのはね。普通、神(じん)器(ぎ)を出してるあいだだけなのよ」


「神器を、出してるあいだ……」


「神(じん)器(ぎ)を顕(けん)現(げん)をすると、髪や瞳の色が変わる。翼が生えたり、尻尾が生えたりする子もいる。私も、顕現すれば目が紅くなるわ」


 彼女は自分の目元を軽く指で叩(たた)いた。


「でも、それは顕現してる間だけ。解けば、ちゃんと元の色に戻る」


 そこで、その視線がまっすぐに刺さる。


「あなたは?」


「……ずっと、白いまま」


「そう。ずっと、白いまま」


 紅葉(もみじ)は、ゆっくりと頷いた。


「神器も出していない。術も使っていない。ただ座って笑ってるだけなのに、髪も、瞳も、真っ白」


 その声が、少しずつ低くなっていく。


「そんなの、普通はあり得ないの」


 部屋の空気が、ひやりとした。


 ――いや、実際に冷えたのかもしれない。


 白雪姫(こゆき)は慌てて、自分の内側で疼(うず)きかけた霊力を押さえ込んだ。


「……普通は、っていうことは」


 喉の奥から、なんとか声を絞り出す。


「他にも、おったの? 私みたいな人」


 問いかけに、紅葉(もみじ)は、すぐには答えなかった。


 その視線が、白雪姫(こゆき)を通り越して、どこか遠くへ落ちる。


 千年の向こう側へ。


「……一人だけ」


 やがて、紅葉(もみじ)は言った。


「私が知る限り、神器なしで異常が出ていた神子は、たった一人だけ」


(――白櫻姫(こさき)さん)


 白雪姫(こゆき)の胸の奥が、きゅうと縮む。


 雪のように白い髪。


 桜色の、燈(ひ)のような瞳。


 自分の中に眠る、その人のことを。


 言えない。


 まだ、言ってはいけない。


 言った瞬間、この子は千年ぶんの何かを、いっぺんに零(こぼ)してしまうかもしれないから。


 だから白雪姫(こゆき)は、膝の上で手を握りしめて、別の言葉を選んだ。


「……神器」


 そう、呟くように。


 そして、その単語を口にした瞬間、今日の昼間の声が、耳の奥で甦(よみがえ)った。


 ――猪(いのしし)の魔物と向き合いながら、自分が投げかけた疑問への、答え。


『あなたが秘めているのは、水の気だけではありませんよ?』


(……あれ、結局教えてもらえんかったんよね)


 含みのある、けれど確かに意味のある言葉だった。


 自分の中には、まだ知らないものがある。


 白雪姫(こゆき)は、意を決して顔を上げた。


「紅葉(もみじ)ちゃん。ちょっと、聞いてもいい?」


「なに」


「翠(み)織(おり)先生からね、私の霊力は〝水〟の気だって言われてるの。蒼(あお)波(ば)ちゃんと同じ」


 言いながら、自分の右の手のひらを開いてみせる。


「でも、私の手から出てくるのは、水じゃなくて、雪とか氷とか、冷たい風で。……なんか、ちょっと違和感があって」


「……ええ」


「神子の属性って、五(ご)行(ぎょう)……木、火、土、金、水、だよね?」


「そうよ」


 紅葉(もみじ)は、あっさりと肯定した。


「みんな、自分の魂に入ってる気のどれかしか扱えない。私は火」


 その手のひらの上に、ぽ、と小さな灯が生まれる。


 オレンジ色のちいさな炎が、紅葉(もみじ)の顔を下から照らした。


「わ……」


「――生まれてから十二年間は、私、これっぽっちも出せなかったのよ」


 炎を見つめる彼女の横顔に、ほんの少しだけ影が差す。


「藤(ふじ)原(わら)の家に生まれておいて、落(お)ちこぼれって、ずっと言われてた。兄も、姉も、弟も、みんな何かしら出せたのに」


「…………」


「それが、あるとき急に開花した。それは、まあ、いいの。神子ってそういうものだから」


 ふっと息を吹きかけると、炎はあっけなく消えた。


 夜が、また戻ってくる。


「でも、私は――そのとき、不(ふ)老(ろう)不(ふ)死(し)になった」


「……うん」


「それが分からない……。火の気は、五行の火。それは分かる。じゃあ、〝死ななくなる〟のは、五行のどこ?」


 白雪姫(こゆき)は、答えられなかった。


 木、火、土、金、水。


 どこにも、〝死なない〟なんて場所はない。


「分からないの。千年経っても」


 紅葉(もみじ)の声は、恨(うら)みも自(じ)嘲(ちょう)もなく、ただ淡々としていた。


「この千年、いろんな神子に会って、そのたびに訊いたわ。神社の人にも、陰(おん)陽(みょう)師(じ)の家の人にも。……誰も知らなかった」


 誰も、知らなかった。


 その一言が、白雪姫(こゆき)の胸に重く落ちる。


 千年ぶんの〝分からない〟を、この子はずっと一人で抱えてきたのだ。


(白櫻姫(こさき)さん)


 思わず、白雪姫(こゆき)は心の中で呼びかけた。


(白櫻姫(こさき)さん、聞こえてる? ……ねえ)


 返事は、ない。


 いつもならすぐに『はい』と返ってくる、あの涼(すず)やかな声が、今夜はどこにもなかった。


(……寝てるっちゃろうか)


 昼間、あれだけ表に出て、蒼(あお)波(ば)ちゃんに稽古をつけて、魔物と戦って。


 疲れて眠っているのかもしれない。


 ――それとも。


 目の前にいる、千年ぶんの友達の声を聞いているから、出てこられないのかもしれない。


 どちらなのかは、白雪姫(こゆき)にも分からなかった。


「――まあ、それより」


 と、紅葉(もみじ)が姿勢を正した。


 畳の上で膝を揃え、まっすぐに背を伸ばす。


 その仕草だけは、どこか古い時代の匂いがした。


「話を戻すわ」


「え?」


「あなたの、事故のこと」


 ぴくり、と。


 白雪姫(こゆき)の指先が、わずかに動いた。


「それって、どんな事故だったの?」


 ――どんな。


 その三文字が、白雪姫(こゆき)の頭の中で、空(から)っぽの音を立てた。


「……えっと」


 思い出そうとする。


 目を閉じて、半年前へ手を伸ばす。


 車。


 病院の天井。


 白い部屋。


 消毒の匂い。


 誰かの、泣き声。


 ――そこまでだ。


 その手前に、何もない。


 いや、違う。


(……思い出せない、っていうか)


 白雪姫(こゆき)は、自分の思考に、自分でぞっとした。


(――私、知らないっちゃ)


 どんな事故だったのか。


 どこで起きたのか。


 何が原因だったのか。


 お父さんとお母さんが、どうやって死んだのか。


 誰も、教えてくれなかった。


 目が覚めたばかりの子どもに、そんな話をする大人はいなかった。


 施設の職員も、翠(み)織(おり)も、みんな言葉を選んで、選びすぎて、結局、輪郭だけが残った。


 ――〝ご両親は、事故で亡くなりました〟。


 そして自分も、それ以上を訊かなかった。


 訊いてしまえば、目を逸らしていたものが、全部こっちを向いてしまう気がして。


「……知らない」


 ようやく出てきたのは、そんな声だった。


「思い出せないんじゃなくて。私、そもそも、知らない。……自分の親が死んだ事故のこと、なんも」


 言ってしまってから、白雪姫(こゆき)は自分が震えていることに気づいた。


 半年間。


 自分は、半年間もそれを放置していたのだ。


「……そう」


 紅葉(もみじ)は、責めなかった。


 同情もしなかった。


 ただ、事実を確かめるように、静かに頷いただけだった。


「半年前の新聞とか、ニュースとか。……あと、あれ、網(あみ)目(め)みたいなやつ」


「……インターネット?」


「そう、それ。そういうのに載っていれば、分かるかもね」


「……記憶力はいいんじゃなかった?」


「【永遠記憶】は、あくまでも同じ記憶力を保持するってだけだから」


 千年生きていても、カタカナには時々つまずくらしい。


 こんなときなのに、白雪姫(こゆき)は少しだけ、泣きそうな気持ちで笑ってしまった。


 そして。


 紅葉(もみじ)は、まっすぐにこちらを見て、言った。


「――おそらくそこに、あなたが神子になってしまった理由も、あるはずよ」


 月が、雲に隠れた。


 部屋が、ふっと暗くなる。


「……理由」


「生まれつきじゃない子が、神子になった。髪も、瞳も変わった。霊力の量は、私が見てきた誰よりも多い」


 紅葉(もみじ)は、指を折るようにして数えていく。


「その全部が、半年前のその日に、いっぺんに起きてる。……偶然だと思う?」


「…………」


 思わない。


 思えるはずが、なかった。


 ――でも。


 白雪姫(こゆき)の頭の中は、もう、ぐちゃぐちゃだった。


(違う。私が神子になったのは、たぶん、白櫻姫(こさき)さんが私の中にいるからで)


 そう思う。


 そう思うのに、紅葉(もみじ)の言葉が、その考えを裏側から突き上げてくる。


(……じゃあ、なんで白櫻姫(こさき)さんは、私の中に入ったっちゃろ?)


 どうして、あの日だったのか。


 どうして、自分だったのか。


 あの事故と、白櫻姫が自分の中に宿ったことは、どちらが先で、どちらが後なのか。


 考えれば考えるほど、糸が絡まっていく。


 どこが結び目で、どこが端なのかも分からない。


「……ごめん」


 紅葉(もみじ)が、ぽつりと言った。


「余計なこと、言った」


「ううん」


 白雪姫(こゆき)は、首を横に振る。


 絡まった糸は、確かに苦しい。


 でも、その糸があることに気づかせてくれたのは、目の前のこの子だ。


「ありがとう、紅葉(もみじ)ちゃん」


「……なんでお礼を言うのよ、こんな話で」


「だって、誰も言ってくれんかったから」


 白雪姫(こゆき)は、少しだけ笑った。


 うまく笑えたかどうかは、自分でも分からない。


「みんな、優しいから。私が痛がるようなことは、言わんでおこうってしてくれる。……それは嬉しいっちゃけど」


 白い髪を耳にかけて、白雪姫(こゆき)は続けた。


「たぶん私、そろそろ、ちゃんと知らないといかん気がする」


 しばらく、紅葉(もみじ)はその顔を見つめていた。


 それから、ほんの少しだけ目を細める。


「……やっぱり、似てる」


「え?」


「なんでもない」


 紅葉(もみじ)は視線を窓の外へ戻した。


 雲が流れ、また月が顔を出す。


 白い光が、二人の膝の上に降りてくる。


「調べるなら、翠(み)織(おり)さんに訊くのが早いと思うわ」


「……先生に?」


「あの人、あなたを引き取ったんでしょう。役所の書類くらい、全部見てるはず」


 ――なるほど、と白雪姫(こゆき)は思った。


 そして同時に、胸(むね)の奥がちくりとした。


 もし翠(み)織(おり)が全部知っていて、そのうえで、何も言わずにいてくれたのだとしたら。


 それは、優しさなのだろうか。


 それとも――。


「……うん。今度、訊いてみる」


 背後の寝台で、蒼(あお)波(ば)が寝返りを打った。


「ん……こゆき、ちゃん……たるたる、いっぱい……」


「……何の夢っちゃろ」


 思わず白雪姫(こゆき)が吹き出すと、紅葉(もみじ)も、口元をわずかに緩めた。


 千年を生きた少女の、ほんのささやかな笑み。


 それを見られただけで、この重たい夜も悪くないと思えた。


「もう寝なさい」


 紅葉(もみじ)が、顎(あご)で寝台のほうを示す。


「明日も学校でしょ。それに、明後日は買い物なんだから」


「……あ、そっか」


 そうだ。


 明後日は、四人で街へ出る日だ。


 服を買って、紅葉(もみじ)のセーラー服を仕立ててもらって。


 白い髪と白い瞳のまま、たくさんの人の中を歩く日。


 少し前まで、それが怖くて仕方がなかった。


 でも今は――怖さの種類が、少し変わった気がする。


「おやすみ、紅葉(もみじ)ちゃん」


「ええ。おやすみ」


 白雪姫(こゆき)は、そっと立ち上がって寝台へ戻る。


 布団に潜り込むと、蒼(あお)波(ば)の穏やかな寝息が、すぐ近くで聞こえた。


 目を閉じる。


 瞼(まぶた)の裏に浮かぶのは、真っ白な自分の髪と、まだ形の見えない〝あの日〟。


(……白櫻姫(こさき)さん)


 もう一度だけ、呼んでみる。


 やっぱり、返事はなかった。


 窓辺では、紅葉(もみじ)がまた、暗い山を見つめている。


 千年前に別れた友達の名前を、口の中だけで転がしながら。


 解けない謎を、それぞれの胸に抱えたまま。


 ――夜は、静かに更けていく。


 そして、週末に入った――。





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