第11話:月明かりの語らい
消灯の時間は、とっくに過ぎていた。
むかばき青少年自然の家の三階。その一室に、白雪姫たちの部屋はある。
二段になった木製の寝台が四つと、奥にある窓際にささやかな畳スペース。
そのひとつの寝台の下段で、蒼波は、すでに寝息を立てていた。
今日は魔物との戦いがあった。
あれだけ霊力を絞り出して、地面に叩きつけられて、それでも帰ってきてから宿題を広げ、大浴場に浸かって――。
部屋に戻るなり、頭が枕についた瞬間には、もう眠りに落ちていた。
「……ふふっ」
白雪姫は、思わず小さく笑ってしまう。
半分だけ口を開けて、琥珀色の瞳をしっかり閉じて。
昼間、――うちがもっと強くなります――なんて凛々しいことを言っていた顔と、同じ顔だとは思えない。
(……蒼波ちゃんって、寝顔だけはちっちゃい子みたいっちゃね)
布団を肩まで引き上げてやってから、白雪姫は枕元の電気を消した。
部屋が、青く沈む。
けれど、思ったほど暗くはならなかった。
カーテンの隙間から、行縢の山の上に昇った月が、床に細長い光の帯を落としている。
白雪姫は足音を殺して、そっと立ち上がった。
畳スペースには、先客がいる。
紅葉だ。
彼女は窓枠に片肘をついて、外の暗い稜線をじっと眺めていた。
腰まで届く、漆黒の髪。
貸してあげた部屋着の袖が少しだけ余っていて、その指先が布を軽く握り込んでいる。
白雪姫は、そんな彼女の正面に静かに腰を下ろした。
月明かりが、二人のあいだに落ちる。
雪のように白い髪と、夜そのもののような黒髪。
淡いのに、はっきりとしたコントラストだった。
「……起こしちゃった?」
「ううん。私、そもそも寝ないから」
紅葉は視線だけをこちらに向けて、それから小さく首を傾げた。
「あなたも、今日は魔物と戦ったんでしょ?」
声は、押し殺した囁きだ。眠っている蒼波への、彼女なりの配慮なのだろう。
「疲れていないの?」
「ううん、全然平気だよ。私はそんなに疲れてないかな」
白雪姫は、正直にそう答えた。
実際、体はどこも重くない。
あれだけ全力で氷を作って、五メートルの巨体を殴り飛ばして、それでも今、こうして普通に起きていられる。
むしろ寝つけないくらいには、頭が冴えていた。
「……やっぱり」
紅葉は、そう呟いた。
窓の外から視線を外し、まっすぐにこちらを見る。
黒曜石のような瞳が、月の光を細く反射した。
「あなた、霊力の量がおかしいのよ」
「……え?」
「白雪姫。あなた、自分の霊力の量を測ったことある?」
白雪姫は、ぱちぱちと瞬きをした。
「霊力の……量?」
考えたこともなかった。
翠織からは、感じ取ること、留めること、放つこと――そういう〝使い方〟ばかりを教わってきた。
自分の中にどれだけ入っているのか、なんて、水筒の中身を気にしないのと同じくらい、意識の外だったのだ。
「私って……そんなに霊力が多いの?」
「ええ」
紅葉の返事は、迷いがなかった。
そして、その一言に、静かに言葉を継ぐ。
「私、千年生きてるの。その間に、神子には何十人も会った。会ったっていうか……勝手にすれ違って、勝手に見送ってきただけだけど」
膝の上で、彼女は指を組み替える。
「その中で、あなたが一番。断トツで」
「……断トツ」
「桁が違うのよ、器の大きさが。今日だって、あなた、ずっと身体強化をかけっぱなしで、そのうえ氷を撃って、それでまだ余ってる」
白雪姫は、自分の手のひらを見下ろした。
小さな手だ。
この中に、そんなにたくさんのものが入っているという実感は、正直、まるでない。
「翠織先生も、蒼波ちゃんも、何も言わなかったけど……」
「あの人たちの感じ方だと、たぶん〝多い〟で止まるから」
紅葉は、少しだけ言いにくそうに目を伏せた。
「私は、そこそこ長く生きてる分、目盛りをたくさん持ってるだけ」
――そういう言い方をする子なのだ、この子は。
自分の千年を、まるで、ただの物差しみたいに扱う。
「……ねえ」
と、紅葉が口を開いた。
その声が、ほんの少しだけ低くなる。
「あくまで、私の勝手な推測だけど」
「うん」
「あなた、昔――一度、死ぬような出来事があったんじゃない?」
息が、止まった。
心臓が、肋の内側で大きく跳ねる。
月明かりの中、白雪姫は目を丸くしたまま、紅葉を見つめていた。
――どうして。
どうして、この子が、それを。
(……知らないはず、よね)
自分は、まだ話していない。
事故のことも、半年間の眠りのことも、両親のことも。
なのに、紅葉の言葉は、まるで自分の背骨を指でなぞるように、正確に一番奥へ届いていた。
「……図星、みたいね」
その顔を見て、紅葉は静かに息を吐いた。
「ごめんなさい。踏み込みすぎたわ。答えなくていい」
「……ううん」
白雪姫は、ゆっくりと首を横に振った。
膝の上で、部屋着の裾をきゅっと握る。
この子には、話してもいい。
――いや。話しておかなければいけない気が、なぜだかした。
「私ね。ここに来る前は……普通の小学生だったの」
自分の声が、思ったより落ち着いていて、少し驚いた。
「ほんとに、普通で。髪も目も、みんなと同じ黒で。神子とか、霊力とか、そんなの一個も知らなかった」
「……黒」
「うん。肩くらいの長さの、まっすぐな黒髪。目もみんなと同じ黒」
紅葉の眉が、わずかに動いた。
「でも、半年前――事故に遭って」
言葉が、そこでひとつつかえる。
喉の奥に、まだ形の残らない何かが引っかかっている感じがした。
「気がついたら、病院のベッドにおって。……そのときにはもう、半年経ってたの」
窓の外で、夜の木々がざわりと鳴った。
「お父さんとお母さんは、その事故で死んじゃって。私だけ、ずっと眠ってた」
白雪姫は、自分の髪をひと房、指ですくい上げた。
月明かりを吸って、それは白銀に光る。
「それで、目が覚めたら――こうなってた。髪も、目も、全部真っ白に」
しばらく、紅葉は何も言わなかった。
ただ、その黒い瞳が、大きく見開かれていく。
「……待って」
ようやく出てきた声は、彼女にしては珍しく、揺れていた。
「その髪も、その眼も。神子になったのも――全部、後天的なの?」
「こ、こうてんてき?」
白雪姫は、きょとんとして訊き返した。
聞いたことはある気がするけれど、意味がすぐには出てこない。
「生まれつきの見た目じゃなくて、あとからそういう見た目になったか、ってこと」
紅葉は、短くそう言い直した。
「反対は先天的。生まれたときから持ってるもののこと」
「……うん。じゃあ、後天的。生まれたときは、ほんとに、なんもなかったから」
「……そう」
そう答えたきり、紅葉は口元に指を当てて、しばらく黙り込んだ。
千年を生きた少女が、考え込んでいる。
その沈黙が、白雪姫には少しだけ怖かった。
「あの……そんなに、おかしいこと?」
「おかしいわ」
即答だった。
「あのね、白雪姫。神子っていうのは、あとからなれるものじゃないの」
紅葉は、指を一本立てる。
「神子の家系に生まれるか、そうじゃないなら、ずっと昔の血が隔世遺伝みたいに出てくるか。どっちにしても、生まれたときには魂の中に入ってる。それが、あとから〝開く〟だけ」
「開く……」
「そう。霊力の開花。私も、それだった」
彼女は、そこで一度言葉を切った。
「でも、あなたの場合は――入っていなかったものが、入ってる」
その言い方に、白雪姫の背筋がすっと冷えた。
「……それ、翠織先生も言ってた」
思い出す。
この施設に来たばかりの頃、翠織が絶句していた顔を。
あの人はいつも穏やかで、いつも余裕があるのに、あのときだけは、白雪姫の話を聞きながら何度も何度も言葉を選び直していた。
「――人として生まれて、途中から神子になった例は、記録にない――って。私が、たぶん初めてだって」
「……そうでしょうね」
紅葉は静かに頷き、それから、白雪姫の顔をじっと見つめた。
いや、正確には――その髪と、瞳を。
「もうひとつ、変なことがある」
「変なこと?」
「その、色」
紅葉は、自分の黒髪の毛先を指で示してみせた。
「夕飯のとき、あなた言ってたでしょ。――まだ髪の色のことがあるから、買い物は怖いけど――って」
「……あ」
思わず、白雪姫の肩が縮こまる。
聞かれていないと思っていた。あれは、ほとんど独り言のつもりだったのに。
「あのとき、ちょっと引っかかってたのよ。神子なんだから、そんなの慣れてるはずなのにって」
紅葉は、ふ、と息を吐いた。
「でも、後天的だっていうなら納得。あなた、半年前までみんなと同じだった側の子なんだもの」
「…………」
言葉が出なかった。
その通りだったからだ。
クラスの子たちが、廊下ですれ違いざまにこちらを見て、慌てて目を逸らす。
あの一瞬の間が、まだ怖い。
「でも、それだけじゃないの」
紅葉は、少しだけ身を乗り出した。
「白雪姫。神子の体に、色の変化みたいな〝異常〟が出るのはね。普通、神器を出してるあいだだけなのよ」
「神器を、出してるあいだ……」
「神器を顕現をすると、髪や瞳の色が変わる。翼が生えたり、尻尾が生えたりする子もいる。私も、顕現すれば目が紅くなるわ」
彼女は自分の目元を軽く指で叩いた。
「でも、それは顕現してる間だけ。解けば、ちゃんと元の色に戻る」
そこで、その視線がまっすぐに刺さる。
「あなたは?」
「……ずっと、白いまま」
「そう。ずっと、白いまま」
紅葉は、ゆっくりと頷いた。
「神器も出していない。術も使っていない。ただ座って笑ってるだけなのに、髪も、瞳も、真っ白」
その声が、少しずつ低くなっていく。
「そんなの、普通はあり得ないの」
部屋の空気が、ひやりとした。
――いや、実際に冷えたのかもしれない。
白雪姫は慌てて、自分の内側で疼きかけた霊力を押さえ込んだ。
「……普通は、っていうことは」
喉の奥から、なんとか声を絞り出す。
「他にも、おったの? 私みたいな人」
問いかけに、紅葉は、すぐには答えなかった。
その視線が、白雪姫を通り越して、どこか遠くへ落ちる。
千年の向こう側へ。
「……一人だけ」
やがて、紅葉は言った。
「私が知る限り、神器なしで異常が出ていた神子は、たった一人だけ」
(――白櫻姫さん)
白雪姫の胸の奥が、きゅうと縮む。
雪のように白い髪。
桜色の、燈のような瞳。
自分の中に眠る、その人のことを。
言えない。
まだ、言ってはいけない。
言った瞬間、この子は千年ぶんの何かを、いっぺんに零してしまうかもしれないから。
だから白雪姫は、膝の上で手を握りしめて、別の言葉を選んだ。
「……神器」
そう、呟くように。
そして、その単語を口にした瞬間、今日の昼間の声が、耳の奥で甦った。
――猪の魔物と向き合いながら、自分が投げかけた疑問への、答え。
『あなたが秘めているのは、水の気だけではありませんよ?』
(……あれ、結局教えてもらえんかったんよね)
含みのある、けれど確かに意味のある言葉だった。
自分の中には、まだ知らないものがある。
白雪姫は、意を決して顔を上げた。
「紅葉ちゃん。ちょっと、聞いてもいい?」
「なに」
「翠織先生からね、私の霊力は〝水〟の気だって言われてるの。蒼波ちゃんと同じ」
言いながら、自分の右の手のひらを開いてみせる。
「でも、私の手から出てくるのは、水じゃなくて、雪とか氷とか、冷たい風で。……なんか、ちょっと違和感があって」
「……ええ」
「神子の属性って、五行……木、火、土、金、水、だよね?」
「そうよ」
紅葉は、あっさりと肯定した。
「みんな、自分の魂に入ってる気のどれかしか扱えない。私は火」
その手のひらの上に、ぽ、と小さな灯が生まれる。
オレンジ色のちいさな炎が、紅葉の顔を下から照らした。
「わ……」
「――生まれてから十二年間は、私、これっぽっちも出せなかったのよ」
炎を見つめる彼女の横顔に、ほんの少しだけ影が差す。
「藤原の家に生まれておいて、落ちこぼれって、ずっと言われてた。兄も、姉も、弟も、みんな何かしら出せたのに」
「…………」
「それが、あるとき急に開花した。それは、まあ、いいの。神子ってそういうものだから」
ふっと息を吹きかけると、炎はあっけなく消えた。
夜が、また戻ってくる。
「でも、私は――そのとき、不老不死になった」
「……うん」
「それが分からない……。火の気は、五行の火。それは分かる。じゃあ、〝死ななくなる〟のは、五行のどこ?」
白雪姫は、答えられなかった。
木、火、土、金、水。
どこにも、〝死なない〟なんて場所はない。
「分からないの。千年経っても」
紅葉の声は、恨みも自嘲もなく、ただ淡々としていた。
「この千年、いろんな神子に会って、そのたびに訊いたわ。神社の人にも、陰陽師の家の人にも。……誰も知らなかった」
誰も、知らなかった。
その一言が、白雪姫の胸に重く落ちる。
千年ぶんの〝分からない〟を、この子はずっと一人で抱えてきたのだ。
(白櫻姫さん)
思わず、白雪姫は心の中で呼びかけた。
(白櫻姫さん、聞こえてる? ……ねえ)
返事は、ない。
いつもならすぐに『はい』と返ってくる、あの涼やかな声が、今夜はどこにもなかった。
(……寝てるっちゃろうか)
昼間、あれだけ表に出て、蒼波ちゃんに稽古をつけて、魔物と戦って。
疲れて眠っているのかもしれない。
――それとも。
目の前にいる、千年ぶんの友達の声を聞いているから、出てこられないのかもしれない。
どちらなのかは、白雪姫にも分からなかった。
「――まあ、それより」
と、紅葉が姿勢を正した。
畳の上で膝を揃え、まっすぐに背を伸ばす。
その仕草だけは、どこか古い時代の匂いがした。
「話を戻すわ」
「え?」
「あなたの、事故のこと」
ぴくり、と。
白雪姫の指先が、わずかに動いた。
「それって、どんな事故だったの?」
――どんな。
その三文字が、白雪姫の頭の中で、空っぽの音を立てた。
「……えっと」
思い出そうとする。
目を閉じて、半年前へ手を伸ばす。
車。
病院の天井。
白い部屋。
消毒の匂い。
誰かの、泣き声。
――そこまでだ。
その手前に、何もない。
いや、違う。
(……思い出せない、っていうか)
白雪姫は、自分の思考に、自分でぞっとした。
(――私、知らないっちゃ)
どんな事故だったのか。
どこで起きたのか。
何が原因だったのか。
お父さんとお母さんが、どうやって死んだのか。
誰も、教えてくれなかった。
目が覚めたばかりの子どもに、そんな話をする大人はいなかった。
施設の職員も、翠織も、みんな言葉を選んで、選びすぎて、結局、輪郭だけが残った。
――〝ご両親は、事故で亡くなりました〟。
そして自分も、それ以上を訊かなかった。
訊いてしまえば、目を逸らしていたものが、全部こっちを向いてしまう気がして。
「……知らない」
ようやく出てきたのは、そんな声だった。
「思い出せないんじゃなくて。私、そもそも、知らない。……自分の親が死んだ事故のこと、なんも」
言ってしまってから、白雪姫は自分が震えていることに気づいた。
半年間。
自分は、半年間もそれを放置していたのだ。
「……そう」
紅葉は、責めなかった。
同情もしなかった。
ただ、事実を確かめるように、静かに頷いただけだった。
「半年前の新聞とか、ニュースとか。……あと、あれ、網目みたいなやつ」
「……インターネット?」
「そう、それ。そういうのに載っていれば、分かるかもね」
「……記憶力はいいんじゃなかった?」
「【永遠記憶】は、あくまでも同じ記憶力を保持するってだけだから」
千年生きていても、カタカナには時々つまずくらしい。
こんなときなのに、白雪姫は少しだけ、泣きそうな気持ちで笑ってしまった。
そして。
紅葉は、まっすぐにこちらを見て、言った。
「――おそらくそこに、あなたが神子になってしまった理由も、あるはずよ」
月が、雲に隠れた。
部屋が、ふっと暗くなる。
「……理由」
「生まれつきじゃない子が、神子になった。髪も、瞳も変わった。霊力の量は、私が見てきた誰よりも多い」
紅葉は、指を折るようにして数えていく。
「その全部が、半年前のその日に、いっぺんに起きてる。……偶然だと思う?」
「…………」
思わない。
思えるはずが、なかった。
――でも。
白雪姫の頭の中は、もう、ぐちゃぐちゃだった。
(違う。私が神子になったのは、たぶん、白櫻姫さんが私の中にいるからで)
そう思う。
そう思うのに、紅葉の言葉が、その考えを裏側から突き上げてくる。
(……じゃあ、なんで白櫻姫さんは、私の中に入ったっちゃろ?)
どうして、あの日だったのか。
どうして、自分だったのか。
あの事故と、白櫻姫が自分の中に宿ったことは、どちらが先で、どちらが後なのか。
考えれば考えるほど、糸が絡まっていく。
どこが結び目で、どこが端なのかも分からない。
「……ごめん」
紅葉が、ぽつりと言った。
「余計なこと、言った」
「ううん」
白雪姫は、首を横に振る。
絡まった糸は、確かに苦しい。
でも、その糸があることに気づかせてくれたのは、目の前のこの子だ。
「ありがとう、紅葉ちゃん」
「……なんでお礼を言うのよ、こんな話で」
「だって、誰も言ってくれんかったから」
白雪姫は、少しだけ笑った。
うまく笑えたかどうかは、自分でも分からない。
「みんな、優しいから。私が痛がるようなことは、言わんでおこうってしてくれる。……それは嬉しいっちゃけど」
白い髪を耳にかけて、白雪姫は続けた。
「たぶん私、そろそろ、ちゃんと知らないといかん気がする」
しばらく、紅葉はその顔を見つめていた。
それから、ほんの少しだけ目を細める。
「……やっぱり、似てる」
「え?」
「なんでもない」
紅葉は視線を窓の外へ戻した。
雲が流れ、また月が顔を出す。
白い光が、二人の膝の上に降りてくる。
「調べるなら、翠織さんに訊くのが早いと思うわ」
「……先生に?」
「あの人、あなたを引き取ったんでしょう。役所の書類くらい、全部見てるはず」
――なるほど、と白雪姫は思った。
そして同時に、胸の奥がちくりとした。
もし翠織が全部知っていて、そのうえで、何も言わずにいてくれたのだとしたら。
それは、優しさなのだろうか。
それとも――。
「……うん。今度、訊いてみる」
背後の寝台で、蒼波が寝返りを打った。
「ん……こゆき、ちゃん……たるたる、いっぱい……」
「……何の夢っちゃろ」
思わず白雪姫が吹き出すと、紅葉も、口元をわずかに緩めた。
千年を生きた少女の、ほんのささやかな笑み。
それを見られただけで、この重たい夜も悪くないと思えた。
「もう寝なさい」
紅葉が、顎で寝台のほうを示す。
「明日も学校でしょ。それに、明後日は買い物なんだから」
「……あ、そっか」
そうだ。
明後日は、四人で街へ出る日だ。
服を買って、紅葉のセーラー服を仕立ててもらって。
白い髪と白い瞳のまま、たくさんの人の中を歩く日。
少し前まで、それが怖くて仕方がなかった。
でも今は――怖さの種類が、少し変わった気がする。
「おやすみ、紅葉ちゃん」
「ええ。おやすみ」
白雪姫は、そっと立ち上がって寝台へ戻る。
布団に潜り込むと、蒼波の穏やかな寝息が、すぐ近くで聞こえた。
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、真っ白な自分の髪と、まだ形の見えない〝あの日〟。
(……白櫻姫さん)
もう一度だけ、呼んでみる。
やっぱり、返事はなかった。
窓辺では、紅葉がまた、暗い山を見つめている。
千年前に別れた友達の名前を、口の中だけで転がしながら。
解けない謎を、それぞれの胸に抱えたまま。
――夜は、静かに更けていく。
そして、週末に入った――。
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