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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第07話:新たな仲間

 ――〝気になる反応を感知した〟。


 その言葉が、白雪姫(こゆき)の頭の中でぐるぐると回っていた。


 月明かりの差し込む技(ぎ)術(じゅつ)室(しつ)。


 目の前には、千年を生きたという少女が、静かに立っている。


(気になる反応……気になる反応、って)


 思い当たるものは、ひとつしかなかった。


 ――魔(ま)神(じん)。


 あの夜、桜(さくら)ケ(が)丘(おか)小中学校を呑(の)み込もうとした、災(さい)厄(やく)そのもののような存在。


 そして、それを一人で捻(ね)じ伏せた者。


(……もし、魔神の魔(ま)力(りょく)を感知して来たんやったら)


 白雪姫(こゆき)は、そっと唇(くちびる)を噛(か)んだ。


(それなら、魔神が倒されたことにも気付いてるはず。だって、あんな大きな気配が消えたっちゃもん)


 なのに、紅葉(もみじ)はまだこの街にいる。


 まだ、この校舎で〝待って〟いる。


 ――ならば。


(この子が感知したのは、魔神じゃない)


 結論は、静かに落ちてきた。


(――〝魔神を倒したほう〟)


 どくん、と心臓が鳴る。


 そして、彼女は自分の中の存在へ、そっと呼びかけた。


(……白櫻姫(こさき)さん)


 返事は、少しだけ遅れてやってきた。


『……はい』


 いつもの、涼(すず)やかな声。


 けれど今夜は、その声の端(はし)が、わずかに震えていた。


(訊いてもいいですか? ――この子のこと、知っていますよね……?)


『…………』


 沈黙。


 胸の奥で、また熱がゆっくりと膨(ふく)らむ。


『……ええ。存じております』


 やがて、白櫻姫(こさき)は静かに答えた。


『わたくしと同じ時代を生きた、神(み)子(こ)です。……いいえ』


 言葉を、いったん置いて。


『わたくしにとって、たった一人の――親友でございました』


(……っ)


 やっぱり、と白雪姫(こゆき)は思った。


 思ったのに、なぜか泣きそうになった。


(じゃあ、代わりますか? 私、紅葉(もみじ)ちゃんに――)


『……申し訳ございません』


 言い終わる前に、白櫻姫(こさき)がそれを遮(さえぎ)った。


『今は……少し、表に出づらいのです』


(え?)


 初めて聞く類(たぐい)の言葉だった。


 あの夜、圧(あっ)倒(とう)的(てき)な魔神を前にしても、指先ひとつ震わせなかった人が。


(……どうして?)


『……昔の話を、聞いてくださいますか』


(……はい)


 白雪姫(こゆき)は、こくりと頷(うなず)いた。


 声には出さない。出せば、目の前の紅葉(もみじ)に不審がられてしまう。


『あの時代にも、災(わざわ)いを撒(ま)き散らす魔神が現れました。その力は、この地で現れた者とは桁違いの強さでしたが。……わたくしは、それを討ちに行きました』


『紅葉(もみじ)は、最後まで止めました。袖(そで)を掴(つか)んで、泣(な)いて、行かないでと』


『それでもわたくしは、行きました』


 ――淡々とした語り口の裏に、滲(にじ)むものがあった。


『命からがら、魔神は討ちました。けれど、わたくしはその直後に……神界へ渡(わた)ることになったのです』


(しん……かい)


『神々の住まう世界です。天(アマ)照(テラス)大(オオ)神(カミ)様のもとで、百年近くを過ごしました――ですが』


 そこで、声が小さくなった。


『あの子には、何ひとつ、告げられませんでした』


 白雪姫(こゆき)の胸が、ぎゅうっと締めつけられる。


(……それって)


『ええ。今にして思えば――』


 白櫻姫(こさき)は、自(じ)嘲(ちょう)するように言った。


『紅葉(もみじ)から見れば、わたくしは、あの日に死んだのでしょうね』


 ――技(ぎ)術(じゅつ)室(しつ)の空気が、ひどく冷たく感じられた。


『神界にいた頃から、ずっとそう思っておりました。……ずっと、悔(く)やんでおりました』


(……)


『こうして生きていてくれたことは、嬉(うれ)しく思っております。心から』


 けれど、と声が続く。


『……不老不死になど、なってほしくはございませんでした』


(え……?)


『歳を取らないということは、置(お)いていかれ続けるということです』


 言葉が、刃(やいば)のように静かだった。


『出会った人が、皆、先に死ぬのです。それを千年。……あの子は、たった一人で、それを』


 白雪姫(こゆき)は、何も言えなかった。


 千年という数字が、初めて重さを持って落ちてきた気がした。


『――だから』


 そして、白櫻姫(こさき)は、掠(かす)れた声で言った。


『……会うのが、怖いのです』


 白雪姫(こゆき)は、目を見(み)開(ひら)いた。


(白櫻姫(こさき)さんが……?)


 あの魔神を、桜の花びらで薙(な)ぎ払った人が。


 いつも凛として、背(せ)筋(すじ)を伸ばして、微(ほほ)笑(え)んでいた人が。


(――怖い、って)


 それは、初めて見る〝弱さ〟だった。


 ――白雪姫(こゆき)は、ほんの少しだけ、笑ってしまった。


 可(お)笑(か)しかったわけじゃない。


 ただ、なんだか、嬉(うれ)しかったのだ。


 この人も、自分と同じなのだと分かって。


(……分かりました)


 白雪姫(こゆき)は、胸の奥へ向かって、はっきりと告げた。


(じゃあ、今は私が対(たい)応(おう)します。無理して出てこなくて大丈夫です)


『……白雪姫(こゆき)』


(ですが)


 彼女は、紅葉(もみじ)の横顔を見つめながら続けた。


(心の整理がついたら――そのときは、いつでも体を貸しますから)


『…………』


(ちゃんと、会ってあげてほしいです。……私の、勘ですけど)


 白雪姫(こゆき)は、目を細めた。


(紅葉(もみじ)ちゃんはきっと、白櫻姫(こさき)さんに会うために、千年の時を生きてきたんだと、私は思いますよ)


 ――返事は、なかった。


 ただ、胸の奥がじんわりと、温(あたた)かくなった。


 それだけで、十分だった。





❆





「……ねえ、紅葉(もみじ)ちゃん」


 白雪姫(こゆき)は、顔を上げた。


「……なに」


「もしよかったらやけど。――私の――私たちの住んでる場所に、来ない?」


 ぱち、と。


 紅葉(もみじ)が、瞬(まばた)きをした。


「……住んでる……場所?」


「うん。行(むか)縢(ばき)の、〝むかばき青少年自然の家〟っていう施設やっちゃけど」


 言いながら、白雪姫(こゆき)は慌てて付け足した。


「あ、でも! 翠(み)織(おり)先生に許(きょ)可(か)もらわんといかんっちゃけど……」


「…………」


「でも、少なくとも――こんな埃だらけの技術室で寝るよりは、ずっといいと思う」


 紅葉(もみじ)は、しばらく黙っていた。


 その黒い瞳が、白雪姫(こゆき)をまっすぐに見つめる。


「……いいの?」


 その声は、ほんの少しだけ、揺れていた。


「うん」


「私、戸(こ)籍(せき)もないのに」


 ――そんなの、と白雪姫(こゆき)は思った。


 そんなのは、この子が悪いわけじゃないのに。


「関係ないよ。それについては、後から先生がなんとかしてくれる」


「…………」


 紅葉(もみじ)は、また黙った。


 窓の外へ視線を移して、細い月を、しばらく見上げていた。


 そして。


「……ごめん。行かない」


 静かな、けれど揺(ゆ)るぎのない声だった。


「え……」


「私は、ここで待ちたいの」


 ――白雪姫(こゆき)は、息を呑(の)んだ。


 その横顔には、懇(こん)願(がん)も迷(まよ)いもなかった。


 ただ、確(かっ)固(こ)とした意志だけがあった。


(……そっか)


 紅葉(もみじ)にとっては、この場所こそが、すべてなのだ。


 千年かけて、ようやく感じ取れた、たったひとつの痕(こん)跡(せき)。


 ――それを、手放せるはずがない。


(……分かる。分かるよ、紅葉(もみじ)ちゃん)


 だから、白雪姫(こゆき)は、こう言った。


「――じゃあ、紅葉(もみじ)ちゃんが着いて来てくれないんなら」


 ぺたん、と。


 彼女は、埃だらけの床に座り込んだ。


「私も、今日はここにいようかな」


「…………は?」


 初めて、紅葉(もみじ)の表情が大きく崩れた。


 黒い瞳が、まん丸に見開かれている。


「ちょ、ちょっと待って。あなた、霊(れい)力(りょく)の感じからして、他の人と一緒に来てるでしょ」


 紅葉(もみじ)は、出入り口のほうを指さした。


「外に二人。……あの人たち、どうするのよ」


「事情は説明する」


 あっさりと、白雪姫(こゆき)は答えた。


「……本気で言ってる?」


「本気だよ」


 ――しばらく、沈黙が落ちた。


 やがて、紅葉(もみじ)は眉(まゆ)を寄(よ)せた。


「……ねえ。どうして?」


「え?」


「どうして、今日会ったばかりの私に、そこまでするの」


 その問いは、責(せ)めるようでもあり――どこか、怯(おび)えているようでもあった。


 白雪姫(こゆき)は、少し考えた。


「……どうしてかなぁ」


 正直、自分でもよく分からなかった。


「このまま帰ったら、気になって眠れんくなるし」


「……そんな理由?」


「そんな理由」


 白雪姫(こゆき)は、へへ、と笑った。


 ――それから。


「それに――」


 言葉を、探すように。


 彼女は、膝の上の手をきゅっと握(にぎ)った。


「私ね。半年前に、お父さんとお母さんを亡くしたの」


 紅葉(もみじ)の肩(かた)が、わずかに動いた。


「気付いたら、病院のベッドの上で、一人になってた」


 あの日のことを、白雪姫(こゆき)はよく覚えている。


 真っ白な天井。真っ白な自分の髪。


 ――誰も、迎えに来ない病室。


「毎日、悲しくて。ずっと俯(うつむ)いてて……」


 その声は、震えてはいなかった。


「でも、蒼(あお)波(ば)ちゃんが友達になってくれて。翠(み)織(おり)先生が引き取ってくれて。クラスのみんなも、話しかけてくれて」


 そして――と、白雪姫(こゆき)は、そっと胸に手を当てた。


(……白櫻姫(こさき)さんも、いてくれた)


 声には出さない。


 それでも、胸の奥がじんわりと熱(あつ)くなった。


「……そのおかげで、私はここにいる」


 顔を上げる。


「だから、紅葉(もみじ)ちゃんが一人でいるのは、なんだか放っておけなくて」


「…………」


「ま、まあ! 私のなんて、千年に比(くら)べたら大したことないっちゃろうけど……」


 照れ隠しのように、白雪姫(こゆき)は頬(ほお)を掻(か)いた。


 ――紅葉(もみじ)は、俯(うつむ)いていた。


 長い黒髪が、顔(かお)を隠(かく)していて、表情は見えない。


 そして。


「――ふっ」


 小さく、息が漏(も)れた。


「……やっぱり、似てる」


「え?」


 今度は、はっきりと聞こえた。


 白雪姫(こゆき)は、思わず身を乗り出す。


「今、なんて――」


「なんでもない」


 紅葉(もみじ)は、髪(かみ)を払(はら)って顔を上げた。


 その表情は、初めて見る、穏(おだ)やかなものだった。


「……分かった。行くわ、あなた達のところに」


「――ほんと⁉」


 ぱっと、白雪姫(こゆき)の顔が明るくなる。


「じゃあ、行こ!」


 勢いよく立ち上がって、埃を払(はら)って。


 ――そして、彼女は、紅葉(もみじ)に向かって手を差し伸べた。


「…………っ」


 その瞬間。


 紅葉(もみじ)の時間が、止まった。


 ――千年前。


 落ちこぼれと嗤(わら)われ、庭(にわ)の隅(すみ)でうずくまっていた自分に。


 真っ白な髪をなびかせた少女が、まったく同じように手を差し伸べたのだ。


 ――どうしたのですか、そんなところで蹲(うずくま)って。


「…………」


 紅葉(もみじ)は、ゆっくりと、その手を取った。


 小さくて、少し冷たくて――けれど、確かに生きている、人の手だった。





❆





 校舎の扉(とびら)が開いた瞬間、二つの影が同時に動いた。


「白雪姫(こゆき)ちゃん!」


 駆け寄ってきた蒼(あお)波(ば)が、そのまま足を止める。


 その隣で、翠(み)織(おり)の指先に、淡い緑の光が灯(とも)った。


 ――白雪姫(こゆき)の背後から現れた、見知らぬ少女。


 その姿を認めて、二人の空気が張りつめる。


 ――だが。


「……あら」


 翠(み)織(おり)が、ふっと息を吐いた。


 光が、静かに霧(む)散(さん)する。


 二人が、しっかりと手を繋(つな)いでいたからだ。


「そういうこと、なのね」


「……えへへ。ただいま、です」


 白雪姫(こゆき)は、照(て)れくさそうに笑った。


「白雪姫(こゆき)ちゃん、その子……」


「うん。紅葉(もみじ)ちゃんっていうの。……この校舎に住んでたみたい」


「す、住んでた⁉」


 蒼(あお)波(ば)が、素(す)っ頓(とん)狂(きょう)な声を上げた。


「はじめまして」


 紅葉(もみじ)が、小さく頭を下げる。


「〝不(ふ)死(じ)原(わら)紅葉(もみじ)〟です。……勝手に使わせてもらっていました。すみません」


「八(や)雲(くも)翠(み)織(おり)よ。この子たちの先生をしているの」


 翠(み)織(おり)は、柔(やわ)らかく微笑んだ。


「神(み)子(こ)を管理・育成する組織の、延(のべ)岡(おか)地(ち)区(く)担(たん)当(とう)よ。……あなたも、神子ね?」


「はい」


 紅葉(もみじ)は、臆(おく)することなく頷いた。


「古(こ)閑(が)蒼(あお)波(ば)と申します。白雪姫(こゆき)ちゃんと同じ、中学部一年です」


 ぺこり、と丁寧に頭を下げた蒼(あお)波(ば)に、紅葉(もみじ)も律儀に頭を下げ返す。


 それから、紅葉(もみじ)はぽつぽつと語った。


 気になる反(はん)応(のう)を感知して、この街に来たこと。


 泊まる場所がなく、無人の校舎を使っていたこと。


 ――そして、自分が千年以上を生きてきた、不老不死の神子であること。


「せ……せんねん⁉」


 蒼(あお)波(ば)の琥(こ)珀(はく)色(いろ)の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。


「せ、千年って! 平安時代⁉ じゃあ、源(げん)氏(じ)物(もの)語(がたり)とか読んだと⁉」


「……読んだけど」


「うわあああ!」


 興味津々といった様子で、蒼(あお)波(ば)が紅葉(もみじ)の周りをぐるぐると回り始める。


 紅葉(もみじ)は、その勢いに少し圧(お)されて、一歩下がった。


 ――そんな中。


「…………」


 翠(み)織(おり)の視線が、ちらりと白雪姫(こゆき)へ向いた。


 ――〝千年前〟。


 その意味を、この場で正しく理解できるのは、翠(み)織(おり)と白雪姫(こゆき)だけだ。


(……あ)


 視線に気付いた白雪姫(こゆき)は、眉(まゆ)を下げて、少しだけ困った顔をした。


 ――翠(み)織(おり)は、それ以上何も訊かなかった。


 ただ小さく頷いて、紅葉(もみじ)へ向き直る。


「紅葉(もみじ)ちゃん。……あなた、戸(こ)籍(せき)は?」


「ありません」


「そうよね」


 あっさりと、翠(み)織(おり)は受け止めた。


(千年も生きているのだもの。あるはずがないわ)


 むしろ、と彼女は思う。


(――どうやって、今日まで人の世に紛れてきたのかしら)


「決まりね」


 翠(み)織(おり)は、車のキーを指先で回した。


「今日から、あなたも〝むかばき〟の子よ。乗りなさい」


「……いいんですか」


「あそこは、そういう子を匿(かくま)うための場所だもの」


 ――夜の山(やま)道(みち)を、車が走る。


 窓の外を流れる、真っ暗な杉(すぎ)林(ばやし)。


 紅葉(もみじ)は、後部座席の窓に、そっと額(ひたい)を寄せていた。


(……速い)


 千年前は、この距離を歩いていたのに。





❆





 浴場は、湯気で真っ白だった。


 高い天井に、湯を掬(すく)う音がこだまする。


「……本当に、入らなくてもいいのに」


 紅葉(もみじ)が、ぽつりと呟(つぶや)いた。


「私、術で汚れは落とせるから。お風呂なんて、何百年も入ってないわよ」


「そういう問題じゃないよ」


 白雪姫(こゆき)が、唇(くちびる)を尖(とが)らせる。


「お風呂は、汚れを落とすためだけのものじゃないもん。……あったかいし、気持ちいいし」


「うちも同じ意見」


 蒼(あお)波(ば)が、うんうんと頷(うなず)いた。


「それに、みんなで入ったほうが楽しいよ」


「……楽しい?」


 紅葉(もみじ)は、不思議そうに首をかしげた。


 その言葉の意味が、本当に分からないという顔だった。


「……私、誰かと一緒にお風呂に入ったこと、ないの」


 その一言に、三人が同時に動きを止めた。


 ――千年。


 その間ずっと、この子は一人だったのだ。


 森で。洞窟で。誰の声も聞かずに。


「……じゃあ、今日が初めてやね」


 白雪姫(こゆき)は、柔(やわ)らかく笑った。


「怖くないよ。おいで、紅葉(もみじ)ちゃん」


「…………」


 紅葉(もみじ)は、しばらく黙っていた。


 それから、こくり、と小さく頷いた。


「……うん」





❆





「あの。……これ、なに?」


 湯気の向こうで、紅葉(もみじ)が容(よう)器(き)を持ち上げていた。


「シャンプーだよ! 髪を洗うと」


「髪を洗う……液?」


「そうそう。手のひらで泡立てて――」


「あっ、紅葉(もみじ)ちゃん、それリンス! 順番が逆っ!」


「ややこしいわね……」


 珍しく、紅葉(もみじ)が心底困った声を出した。


 千年を生きた不老不死が、ボトル二本に翻(ほん)弄(ろう)されている。


 その光景が可笑しくて、白雪姫(こゆき)と蒼(あお)波(ば)は、声を上げて笑った。


 ――やがて、四人は湯船に浸(つ)かった。


 身(み)体(からだ)の芯まで沁(し)みるように温かい。


「……はあ」


 思わず、紅葉(もみじ)の口から息が漏れた。


「あっ、今、気持ちいいって思ったやろ!」


「……別に」


 ――そして、そこからは質問攻めだった。


「紅葉(もみじ)ちゃんは、今までどこに住んでたと?」


「白雪姫(こゆき)にも言ったけど、森とか、洞窟」


 紅葉(もみじ)は、湯に顎(あご)まで沈めながら答える。


「人が来ないところ。山を移りながら、ずっと」


「年齢は? 千年以上って言ってたけど……」


 蒼(あお)波(ば)の問いに、紅葉(もみじ)は少し考えた。


「覚えてない。数えるの、途中でやめたから」


「え、えぇ……」


「でも――不老不死になったのは、十二歳のとき」


 ――ぴたり、と。


 二人の動きが止まった。


「「十二歳⁉」」


 声が、綺麗に重なった。


「……なによ」


「私も十二歳よ!」


「うちも!」


 白雪姫(こゆき)と蒼(あお)波(ば)が、ずいっと身(み)を乗り出す。


「やっぱり同い年やったんやね!」


「じゃあ、これからも紅葉(もみじ)ちゃんって呼ぶね!」


「……別に、構わないけど」


 紅葉(もみじ)は、ふい、と目を逸(そ)らした。


 ――その耳が、湯のせいだけではない色をしていたことに、二人は気付かなかった。


「紅葉(もみじ)ちゃん」


 そこへ、翠(み)織(おり)が静かに口を挟んだ。


「あなたの神子としての力、聞いてもいいかしら」


「はい」


 紅葉(もみじ)は、姿勢を正した。


 ――白雪姫(こゆき)たちには砕(くだ)けた口調なのに、翠(み)織(おり)には、きちんと敬(けい)語(ご)になる。


「〝不老不死〟と、〝火〟です。霊(れい)力(りょく)を込めれば込めるほど、炎の威(い)力(りょく)が上がります」


「……なるほど。五(ご)行(ぎょう)でいう、火の気(け)ね。じゃあ……神子としては、どこまで戦えるの?」


 その質問に、紅葉(もみじ)は少しだけ間(ま)を置いた。


「神(じん)器(ぎ)の顕(けん)現(げん)まで」


 ――蒼(あお)波(ば)が、息(いき)を呑(の)んだ。


「……独学で?」


「教えてくれる人なんて、いませんでしたから」


 紅葉(もみじ)は、なんでもないことのように言った。


「千年もあれば、嫌(いや)でも覚えます……といっても、神器の顕現は、神子の力が目覚めたときから使えたので、努力で使えるようになったわけではないですよ」


「…………」


 翠(み)織(おり)は、しばらく言葉を失(うしな)っていた。


 ――霊(れい)力(りょく)の開花。


 感知、制御、そして出(しゅつ)力(りょく)。


 通常、行き着けるのは第三段階まで。第四段階の神器顕現は、運(うん)すら絡(から)む領(りょう)域(いき)だ。


(それを、たった一人で――誰にも教わらずに)


「……あなた、とんでもない子ね」


「そうですか?」


「ええ、とっても」


 翠(み)織(おり)は、ふふ、と笑った。


「うわぁ……! うち、今度稽(けい)古(こ)つけてもらってもいい⁉」


「……別に、いいけど」


 三人に囲(かこ)まれて、紅葉(もみじ)は少しだけ目を細めた。


 湯気の向こうで、そこには確かに、微(ほほ)笑(え)みがあった。


(……賑やか)


 人の声が、こんなに温かいものだったなんて。


(……何百年ぶりだろう)





❆





「――やばいっ、宿題!」


 時刻が二十二時に差(さ)しかかろうという頃。


 部屋に戻った白雪姫(こゆき)が、悲鳴のような声を上げた。


「うち、まだ数学のプリント終わっちょらん!」


「わ、私も⁉」


 蒼(あお)波(ば)と二人、畳(たたみ)の上に突(とっ)伏(ぷ)すようにしてシャープペンを走らせる。


 その様子を、紅葉(もみじ)は不思議そうに眺めていた。


「……何をしてるの?」


「宿題! 明日出さんと、怒(おこ)られると!」


「……ふうん。なんか大変ね」


 結局、二人が布団に潜(もぐ)り込んだのは、二十二時を大きく回った頃だった。


「紅葉(もみじ)ちゃん、ほんとに寝らんでいいと?」


 布団の中から、白雪姫(こゆき)が眠(ねむ)そうに訊(き)く。


「うん。寝なくても平気だから。……おやすみ」


「……おやすみ、紅葉(もみじ)ちゃん」


 やがて、規則正しい寝(ね)息(いき)が二つ、部屋に落ちた。





❆





 ――静寂。


 常夜灯の橙(だいだい)色だけが、部屋を淡(あわ)く照らしている。


 紅葉(もみじ)は、畳スペースに一人で座り、窓の外を眺めていた。


 白雪姫(こゆき)に借りた部屋着は、少しだけ袖が長い。


 ――その袖口を、紅葉(もみじ)はきゅっと握(にぎ)りしめた。


 柔らかい。


 温かい。


 誰かの匂(にお)いがする。


 こんなものを、千年ぶりに纏(まと)っている。


 窓の外には、行(むか)縢(ばき)山(やま)の稜(りょう)線(せん)が、夜空を切(き)り取(と)るように黒(くろ)く横(よこ)たわっていた。


 千年前と、同じ形の月。


 千年前と、同じ星。


 ――変わらないのは、いつだって、それだけだ。


「…………」


 紅葉(もみじ)は、ゆっくりと目を閉(と)じた。


 ――確(たし)かに、感じたのだ。


 この街で。あの夜。


 千年、忘れたことのない、陽(ひ)溜(だ)まりのような気(け)配(はい)を。


 なのに、それきり。


 どこにも、見つからない。


 袖を握る指に、少しだけ力がこもる。


「――どこにいるの?」


 その声は、誰(だれ)にも届(とど)かないほど、小(ちい)さかった。


「白櫻姫(こさき)ちゃん――」


 ――同(おな)じ部(へ)屋(や)の、すぐそこ。


 白雪姫(こゆき)の胸の奥で。


 千年前の魂(たましい)が、声を殺(ころ)して泣(な)いていたことを。


 紅葉(もみじ)は、まだ、知らない。





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