第07話:新たな仲間
――〝気になる反応を感知した〟。
その言葉が、白雪姫の頭の中でぐるぐると回っていた。
月明かりの差し込む技術室。
目の前には、千年を生きたという少女が、静かに立っている。
(気になる反応……気になる反応、って)
思い当たるものは、ひとつしかなかった。
――魔神。
あの夜、桜ケ丘小中学校を呑み込もうとした、災厄そのもののような存在。
そして、それを一人で捻じ伏せた者。
(……もし、魔神の魔力を感知して来たんやったら)
白雪姫は、そっと唇を噛んだ。
(それなら、魔神が倒されたことにも気付いてるはず。だって、あんな大きな気配が消えたっちゃもん)
なのに、紅葉はまだこの街にいる。
まだ、この校舎で〝待って〟いる。
――ならば。
(この子が感知したのは、魔神じゃない)
結論は、静かに落ちてきた。
(――〝魔神を倒したほう〟)
どくん、と心臓が鳴る。
そして、彼女は自分の中の存在へ、そっと呼びかけた。
(……白櫻姫さん)
返事は、少しだけ遅れてやってきた。
『……はい』
いつもの、涼やかな声。
けれど今夜は、その声の端が、わずかに震えていた。
(訊いてもいいですか? ――この子のこと、知っていますよね……?)
『…………』
沈黙。
胸の奥で、また熱がゆっくりと膨らむ。
『……ええ。存じております』
やがて、白櫻姫は静かに答えた。
『わたくしと同じ時代を生きた、神子です。……いいえ』
言葉を、いったん置いて。
『わたくしにとって、たった一人の――親友でございました』
(……っ)
やっぱり、と白雪姫は思った。
思ったのに、なぜか泣きそうになった。
(じゃあ、代わりますか? 私、紅葉ちゃんに――)
『……申し訳ございません』
言い終わる前に、白櫻姫がそれを遮った。
『今は……少し、表に出づらいのです』
(え?)
初めて聞く類の言葉だった。
あの夜、圧倒的な魔神を前にしても、指先ひとつ震わせなかった人が。
(……どうして?)
『……昔の話を、聞いてくださいますか』
(……はい)
白雪姫は、こくりと頷いた。
声には出さない。出せば、目の前の紅葉に不審がられてしまう。
『あの時代にも、災いを撒き散らす魔神が現れました。その力は、この地で現れた者とは桁違いの強さでしたが。……わたくしは、それを討ちに行きました』
『紅葉は、最後まで止めました。袖を掴んで、泣いて、行かないでと』
『それでもわたくしは、行きました』
――淡々とした語り口の裏に、滲むものがあった。
『命からがら、魔神は討ちました。けれど、わたくしはその直後に……神界へ渡ることになったのです』
(しん……かい)
『神々の住まう世界です。天照大神様のもとで、百年近くを過ごしました――ですが』
そこで、声が小さくなった。
『あの子には、何ひとつ、告げられませんでした』
白雪姫の胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
(……それって)
『ええ。今にして思えば――』
白櫻姫は、自嘲するように言った。
『紅葉から見れば、わたくしは、あの日に死んだのでしょうね』
――技術室の空気が、ひどく冷たく感じられた。
『神界にいた頃から、ずっとそう思っておりました。……ずっと、悔やんでおりました』
(……)
『こうして生きていてくれたことは、嬉しく思っております。心から』
けれど、と声が続く。
『……不老不死になど、なってほしくはございませんでした』
(え……?)
『歳を取らないということは、置いていかれ続けるということです』
言葉が、刃のように静かだった。
『出会った人が、皆、先に死ぬのです。それを千年。……あの子は、たった一人で、それを』
白雪姫は、何も言えなかった。
千年という数字が、初めて重さを持って落ちてきた気がした。
『――だから』
そして、白櫻姫は、掠れた声で言った。
『……会うのが、怖いのです』
白雪姫は、目を見開いた。
(白櫻姫さんが……?)
あの魔神を、桜の花びらで薙ぎ払った人が。
いつも凛として、背筋を伸ばして、微笑んでいた人が。
(――怖い、って)
それは、初めて見る〝弱さ〟だった。
――白雪姫は、ほんの少しだけ、笑ってしまった。
可笑しかったわけじゃない。
ただ、なんだか、嬉しかったのだ。
この人も、自分と同じなのだと分かって。
(……分かりました)
白雪姫は、胸の奥へ向かって、はっきりと告げた。
(じゃあ、今は私が対応します。無理して出てこなくて大丈夫です)
『……白雪姫』
(ですが)
彼女は、紅葉の横顔を見つめながら続けた。
(心の整理がついたら――そのときは、いつでも体を貸しますから)
『…………』
(ちゃんと、会ってあげてほしいです。……私の、勘ですけど)
白雪姫は、目を細めた。
(紅葉ちゃんはきっと、白櫻姫さんに会うために、千年の時を生きてきたんだと、私は思いますよ)
――返事は、なかった。
ただ、胸の奥がじんわりと、温かくなった。
それだけで、十分だった。
❆
「……ねえ、紅葉ちゃん」
白雪姫は、顔を上げた。
「……なに」
「もしよかったらやけど。――私の――私たちの住んでる場所に、来ない?」
ぱち、と。
紅葉が、瞬きをした。
「……住んでる……場所?」
「うん。行縢の、〝むかばき青少年自然の家〟っていう施設やっちゃけど」
言いながら、白雪姫は慌てて付け足した。
「あ、でも! 翠織先生に許可もらわんといかんっちゃけど……」
「…………」
「でも、少なくとも――こんな埃だらけの技術室で寝るよりは、ずっといいと思う」
紅葉は、しばらく黙っていた。
その黒い瞳が、白雪姫をまっすぐに見つめる。
「……いいの?」
その声は、ほんの少しだけ、揺れていた。
「うん」
「私、戸籍もないのに」
――そんなの、と白雪姫は思った。
そんなのは、この子が悪いわけじゃないのに。
「関係ないよ。それについては、後から先生がなんとかしてくれる」
「…………」
紅葉は、また黙った。
窓の外へ視線を移して、細い月を、しばらく見上げていた。
そして。
「……ごめん。行かない」
静かな、けれど揺るぎのない声だった。
「え……」
「私は、ここで待ちたいの」
――白雪姫は、息を呑んだ。
その横顔には、懇願も迷いもなかった。
ただ、確固とした意志だけがあった。
(……そっか)
紅葉にとっては、この場所こそが、すべてなのだ。
千年かけて、ようやく感じ取れた、たったひとつの痕跡。
――それを、手放せるはずがない。
(……分かる。分かるよ、紅葉ちゃん)
だから、白雪姫は、こう言った。
「――じゃあ、紅葉ちゃんが着いて来てくれないんなら」
ぺたん、と。
彼女は、埃だらけの床に座り込んだ。
「私も、今日はここにいようかな」
「…………は?」
初めて、紅葉の表情が大きく崩れた。
黒い瞳が、まん丸に見開かれている。
「ちょ、ちょっと待って。あなた、霊力の感じからして、他の人と一緒に来てるでしょ」
紅葉は、出入り口のほうを指さした。
「外に二人。……あの人たち、どうするのよ」
「事情は説明する」
あっさりと、白雪姫は答えた。
「……本気で言ってる?」
「本気だよ」
――しばらく、沈黙が落ちた。
やがて、紅葉は眉を寄せた。
「……ねえ。どうして?」
「え?」
「どうして、今日会ったばかりの私に、そこまでするの」
その問いは、責めるようでもあり――どこか、怯えているようでもあった。
白雪姫は、少し考えた。
「……どうしてかなぁ」
正直、自分でもよく分からなかった。
「このまま帰ったら、気になって眠れんくなるし」
「……そんな理由?」
「そんな理由」
白雪姫は、へへ、と笑った。
――それから。
「それに――」
言葉を、探すように。
彼女は、膝の上の手をきゅっと握った。
「私ね。半年前に、お父さんとお母さんを亡くしたの」
紅葉の肩が、わずかに動いた。
「気付いたら、病院のベッドの上で、一人になってた」
あの日のことを、白雪姫はよく覚えている。
真っ白な天井。真っ白な自分の髪。
――誰も、迎えに来ない病室。
「毎日、悲しくて。ずっと俯いてて……」
その声は、震えてはいなかった。
「でも、蒼波ちゃんが友達になってくれて。翠織先生が引き取ってくれて。クラスのみんなも、話しかけてくれて」
そして――と、白雪姫は、そっと胸に手を当てた。
(……白櫻姫さんも、いてくれた)
声には出さない。
それでも、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……そのおかげで、私はここにいる」
顔を上げる。
「だから、紅葉ちゃんが一人でいるのは、なんだか放っておけなくて」
「…………」
「ま、まあ! 私のなんて、千年に比べたら大したことないっちゃろうけど……」
照れ隠しのように、白雪姫は頬を掻いた。
――紅葉は、俯いていた。
長い黒髪が、顔を隠していて、表情は見えない。
そして。
「――ふっ」
小さく、息が漏れた。
「……やっぱり、似てる」
「え?」
今度は、はっきりと聞こえた。
白雪姫は、思わず身を乗り出す。
「今、なんて――」
「なんでもない」
紅葉は、髪を払って顔を上げた。
その表情は、初めて見る、穏やかなものだった。
「……分かった。行くわ、あなた達のところに」
「――ほんと⁉」
ぱっと、白雪姫の顔が明るくなる。
「じゃあ、行こ!」
勢いよく立ち上がって、埃を払って。
――そして、彼女は、紅葉に向かって手を差し伸べた。
「…………っ」
その瞬間。
紅葉の時間が、止まった。
――千年前。
落ちこぼれと嗤われ、庭の隅でうずくまっていた自分に。
真っ白な髪をなびかせた少女が、まったく同じように手を差し伸べたのだ。
――どうしたのですか、そんなところで蹲って。
「…………」
紅葉は、ゆっくりと、その手を取った。
小さくて、少し冷たくて――けれど、確かに生きている、人の手だった。
❆
校舎の扉が開いた瞬間、二つの影が同時に動いた。
「白雪姫ちゃん!」
駆け寄ってきた蒼波が、そのまま足を止める。
その隣で、翠織の指先に、淡い緑の光が灯った。
――白雪姫の背後から現れた、見知らぬ少女。
その姿を認めて、二人の空気が張りつめる。
――だが。
「……あら」
翠織が、ふっと息を吐いた。
光が、静かに霧散する。
二人が、しっかりと手を繋いでいたからだ。
「そういうこと、なのね」
「……えへへ。ただいま、です」
白雪姫は、照れくさそうに笑った。
「白雪姫ちゃん、その子……」
「うん。紅葉ちゃんっていうの。……この校舎に住んでたみたい」
「す、住んでた⁉」
蒼波が、素っ頓狂な声を上げた。
「はじめまして」
紅葉が、小さく頭を下げる。
「〝不死原紅葉〟です。……勝手に使わせてもらっていました。すみません」
「八雲翠織よ。この子たちの先生をしているの」
翠織は、柔らかく微笑んだ。
「神子を管理・育成する組織の、延岡地区担当よ。……あなたも、神子ね?」
「はい」
紅葉は、臆することなく頷いた。
「古閑蒼波と申します。白雪姫ちゃんと同じ、中学部一年です」
ぺこり、と丁寧に頭を下げた蒼波に、紅葉も律儀に頭を下げ返す。
それから、紅葉はぽつぽつと語った。
気になる反応を感知して、この街に来たこと。
泊まる場所がなく、無人の校舎を使っていたこと。
――そして、自分が千年以上を生きてきた、不老不死の神子であること。
「せ……せんねん⁉」
蒼波の琥珀色の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。
「せ、千年って! 平安時代⁉ じゃあ、源氏物語とか読んだと⁉」
「……読んだけど」
「うわあああ!」
興味津々といった様子で、蒼波が紅葉の周りをぐるぐると回り始める。
紅葉は、その勢いに少し圧されて、一歩下がった。
――そんな中。
「…………」
翠織の視線が、ちらりと白雪姫へ向いた。
――〝千年前〟。
その意味を、この場で正しく理解できるのは、翠織と白雪姫だけだ。
(……あ)
視線に気付いた白雪姫は、眉を下げて、少しだけ困った顔をした。
――翠織は、それ以上何も訊かなかった。
ただ小さく頷いて、紅葉へ向き直る。
「紅葉ちゃん。……あなた、戸籍は?」
「ありません」
「そうよね」
あっさりと、翠織は受け止めた。
(千年も生きているのだもの。あるはずがないわ)
むしろ、と彼女は思う。
(――どうやって、今日まで人の世に紛れてきたのかしら)
「決まりね」
翠織は、車のキーを指先で回した。
「今日から、あなたも〝むかばき〟の子よ。乗りなさい」
「……いいんですか」
「あそこは、そういう子を匿うための場所だもの」
――夜の山道を、車が走る。
窓の外を流れる、真っ暗な杉林。
紅葉は、後部座席の窓に、そっと額を寄せていた。
(……速い)
千年前は、この距離を歩いていたのに。
❆
浴場は、湯気で真っ白だった。
高い天井に、湯を掬う音がこだまする。
「……本当に、入らなくてもいいのに」
紅葉が、ぽつりと呟いた。
「私、術で汚れは落とせるから。お風呂なんて、何百年も入ってないわよ」
「そういう問題じゃないよ」
白雪姫が、唇を尖らせる。
「お風呂は、汚れを落とすためだけのものじゃないもん。……あったかいし、気持ちいいし」
「うちも同じ意見」
蒼波が、うんうんと頷いた。
「それに、みんなで入ったほうが楽しいよ」
「……楽しい?」
紅葉は、不思議そうに首をかしげた。
その言葉の意味が、本当に分からないという顔だった。
「……私、誰かと一緒にお風呂に入ったこと、ないの」
その一言に、三人が同時に動きを止めた。
――千年。
その間ずっと、この子は一人だったのだ。
森で。洞窟で。誰の声も聞かずに。
「……じゃあ、今日が初めてやね」
白雪姫は、柔らかく笑った。
「怖くないよ。おいで、紅葉ちゃん」
「…………」
紅葉は、しばらく黙っていた。
それから、こくり、と小さく頷いた。
「……うん」
❆
「あの。……これ、なに?」
湯気の向こうで、紅葉が容器を持ち上げていた。
「シャンプーだよ! 髪を洗うと」
「髪を洗う……液?」
「そうそう。手のひらで泡立てて――」
「あっ、紅葉ちゃん、それリンス! 順番が逆っ!」
「ややこしいわね……」
珍しく、紅葉が心底困った声を出した。
千年を生きた不老不死が、ボトル二本に翻弄されている。
その光景が可笑しくて、白雪姫と蒼波は、声を上げて笑った。
――やがて、四人は湯船に浸かった。
身体の芯まで沁みるように温かい。
「……はあ」
思わず、紅葉の口から息が漏れた。
「あっ、今、気持ちいいって思ったやろ!」
「……別に」
――そして、そこからは質問攻めだった。
「紅葉ちゃんは、今までどこに住んでたと?」
「白雪姫にも言ったけど、森とか、洞窟」
紅葉は、湯に顎まで沈めながら答える。
「人が来ないところ。山を移りながら、ずっと」
「年齢は? 千年以上って言ってたけど……」
蒼波の問いに、紅葉は少し考えた。
「覚えてない。数えるの、途中でやめたから」
「え、えぇ……」
「でも――不老不死になったのは、十二歳のとき」
――ぴたり、と。
二人の動きが止まった。
「「十二歳⁉」」
声が、綺麗に重なった。
「……なによ」
「私も十二歳よ!」
「うちも!」
白雪姫と蒼波が、ずいっと身を乗り出す。
「やっぱり同い年やったんやね!」
「じゃあ、これからも紅葉ちゃんって呼ぶね!」
「……別に、構わないけど」
紅葉は、ふい、と目を逸らした。
――その耳が、湯のせいだけではない色をしていたことに、二人は気付かなかった。
「紅葉ちゃん」
そこへ、翠織が静かに口を挟んだ。
「あなたの神子としての力、聞いてもいいかしら」
「はい」
紅葉は、姿勢を正した。
――白雪姫たちには砕けた口調なのに、翠織には、きちんと敬語になる。
「〝不老不死〟と、〝火〟です。霊力を込めれば込めるほど、炎の威力が上がります」
「……なるほど。五行でいう、火の気ね。じゃあ……神子としては、どこまで戦えるの?」
その質問に、紅葉は少しだけ間を置いた。
「神器の顕現まで」
――蒼波が、息を呑んだ。
「……独学で?」
「教えてくれる人なんて、いませんでしたから」
紅葉は、なんでもないことのように言った。
「千年もあれば、嫌でも覚えます……といっても、神器の顕現は、神子の力が目覚めたときから使えたので、努力で使えるようになったわけではないですよ」
「…………」
翠織は、しばらく言葉を失っていた。
――霊力の開花。
感知、制御、そして出力。
通常、行き着けるのは第三段階まで。第四段階の神器顕現は、運すら絡む領域だ。
(それを、たった一人で――誰にも教わらずに)
「……あなた、とんでもない子ね」
「そうですか?」
「ええ、とっても」
翠織は、ふふ、と笑った。
「うわぁ……! うち、今度稽古つけてもらってもいい⁉」
「……別に、いいけど」
三人に囲まれて、紅葉は少しだけ目を細めた。
湯気の向こうで、そこには確かに、微笑みがあった。
(……賑やか)
人の声が、こんなに温かいものだったなんて。
(……何百年ぶりだろう)
❆
「――やばいっ、宿題!」
時刻が二十二時に差しかかろうという頃。
部屋に戻った白雪姫が、悲鳴のような声を上げた。
「うち、まだ数学のプリント終わっちょらん!」
「わ、私も⁉」
蒼波と二人、畳の上に突伏すようにしてシャープペンを走らせる。
その様子を、紅葉は不思議そうに眺めていた。
「……何をしてるの?」
「宿題! 明日出さんと、怒られると!」
「……ふうん。なんか大変ね」
結局、二人が布団に潜り込んだのは、二十二時を大きく回った頃だった。
「紅葉ちゃん、ほんとに寝らんでいいと?」
布団の中から、白雪姫が眠そうに訊く。
「うん。寝なくても平気だから。……おやすみ」
「……おやすみ、紅葉ちゃん」
やがて、規則正しい寝息が二つ、部屋に落ちた。
❆
――静寂。
常夜灯の橙色だけが、部屋を淡く照らしている。
紅葉は、畳スペースに一人で座り、窓の外を眺めていた。
白雪姫に借りた部屋着は、少しだけ袖が長い。
――その袖口を、紅葉はきゅっと握りしめた。
柔らかい。
温かい。
誰かの匂いがする。
こんなものを、千年ぶりに纏っている。
窓の外には、行縢山の稜線が、夜空を切り取るように黒く横たわっていた。
千年前と、同じ形の月。
千年前と、同じ星。
――変わらないのは、いつだって、それだけだ。
「…………」
紅葉は、ゆっくりと目を閉じた。
――確かに、感じたのだ。
この街で。あの夜。
千年、忘れたことのない、陽溜まりのような気配を。
なのに、それきり。
どこにも、見つからない。
袖を握る指に、少しだけ力がこもる。
「――どこにいるの?」
その声は、誰にも届かないほど、小さかった。
「白櫻姫ちゃん――」
――同じ部屋の、すぐそこ。
白雪姫の胸の奥で。
千年前の魂が、声を殺して泣いていたことを。
紅葉は、まだ、知らない。
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