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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第05話:月光に照らされる紅の少女

 ――その日の夕食は、いつもより少しだけ賑やかだった。


「――で、鍵が溶けてたんです」


「溶けていた?」


 箸を止めて、翠(み)織(おり)が顔を上げる。


「はい。飴みたいにドロッと垂れて、そのまま固まってて」


 蒼(あお)波(ば)が、両手で歪(いびつ)な形を作ってみせた。


「焦げた跡もありました。……たぶん、一瞬で、錠の部分だけを狙って熱を通した感じです」


「……ふぅん」


「翠(み)織(おり)先生。そういうのって、普通の人にできますか?」


「――できないわね」


 即答だった。


「バーナーで炙ったなら、周囲の塗装がもっと広く焼けるはずだし、鉄でできた鍵はそんなに簡単に溶けないもの」


 翠(み)織(おり)は味噌汁の椀を置き、指を組んだ。


「火(ひ)の霊(れい)力(りょく)を、極めて狭い範囲に、極めて高い密度で収(しゅう)束(そく)させた……といったところかしら」


「じゃあ、やっぱり」


「ええ。神(み)子(こ)の仕業の可能性は、かなり高いわね」


 ――白雪姫(こゆき)は、そっと蒼(あお)波(ば)と顔を見合わせた。


「あの、先生」


「なあに、白雪姫(こゆき)ちゃん」


「その……お願いが、ありまして」


 白雪姫(こゆき)は、箸を置いて背筋を伸ばした。


「今夜、もう一度あそこへ行ってみたいんです。……でも、私たちだけで勝手に行くのは、危ないし、よくないと思って」


「だから、先生に一緒に来てほしいんです」


 蒼(あお)波(ば)も、隣で頭を下げる。


「――お願いします」


「…………」


 翠(み)織(おり)は、しばらく二人を見つめていた。


 そして。


「……いいわ」


 柔(やわ)らかく、笑った。


「え、いいんですか⁉」


「ええ。正直、私もかなり気になるもの」


 翠(み)織(おり)は、ゆらりと立ち上がった。


「学校の敷地内に、正体不明の神子が出入りしている。……これ、放置していい話じゃないのよ」


「あ……」


「本来なら、私が単独で確認しに行くべき案件ね。……でも」


 彼女は、ちらりと二人を見下ろした。


「勝手に行かずに、ちゃんと相談してくれたでしょう」


「……はい」


「よくできました」


 ――ぽん、と。


 二人の頭が、順番に撫でられた。


「じゃあ、〝夜間の特別訓練〟ということにしましょう」


「と、特別訓練……」


「そう。真夜中に、教え子を連れて霊力反応の調査に行く。……立派な実地訓練でしょう?」


 しれっと言ってのける翠(み)織(おり)に、二人は思わず吹き出した。


「ふふっ、なんですかそれ」


「大人には、いろいろと言い訳が必要なのよ」





❆





 ――夜。


 車のヘッドライトが、暗い山道を切り裂いていく。


 助手席には蒼(あお)波(ば)。後部座席には、白雪姫(こゆき)。


 行きは坂を下るだけなので、あっという間だ。


 窓の外を流れる闇を眺めていると――ふと、頭の中に声が響いた。


『白雪姫(こゆき)』


(……わっ。は、はい)


『少しだけ、お伝えしておきたいことがございます』


(なんですか?)


『翠(み)織(おり)様は、わたくしのことをご存じです』


(………………え?)


 思わず、白雪姫(こゆき)はぱちぱちと瞬(まばた)きをした。


(え、ちょ、ちょっと待ってください。先生が?)


『はい』


(な、なんで⁉)


『先日、魔(ま)神(じん)と戦った夜に。……直接、お話ししましたので』


(――えっ⁉)


 白雪姫(こゆき)は、慌てて運転席のほうを見た。


 翠(み)織(おり)は、涼しい顔でハンドルを握っている。


(そ、そんなの、ひとことも……)


 ――と、そこまで考えて。


(……あ)


 思い出した。


 あの夜、目を覚ました時。


 自分は翠(み)織(おり)の腕に抱かれていた。


 ――つまり。


(……先生のほうが、私より先に起きちょったっちゃ)


 自分が眠っている間、表に出ていたのは白櫻姫(こさき)だ。


 その間に二人が言葉を交わしていたとしても、何もおかしくはない。


(……なるほど)


『黙っていて、申し訳ございません』


(いえ。……というか)


 白雪姫(こゆき)は、苦(く)笑(しょう)した。


(先生、私にずっと気を遣ってくれてたんですね)


『ええ。……あなたに話すのは、わたくしの口からにさせてほしいと。そうお願いしたのです』


(……そっか)


 バックミラー越しに、翠(み)織(おり)と目が合った。


 彼女は、何も知らないような顔で、小さく微(ほほ)笑(え)んだ。


 ――白雪姫(こゆき)も、微笑み返した。





❆





 二十時。


 誰もいない校門の前に、車が停まった。


 ――夜の学校は、しん、と静まり返っていた。


 昼間の喧(けん)騒(そう)が嘘のようだ。


 校舎の窓は真っ黒で、風に揺れる木々の影だけが、地面をゆらゆらと這っている。


「……こっちです、先生」


 懐中電灯の光を頼りに、三人は校舎裏へと回り込んだ。


 木(こ)立(だち)を抜けた先。


 月明かりに照らされた旧校舎が、静かに立っている。


「――ここです」


 白雪姫(こゆき)が、扉の錠前を指さす。


 翠(み)織(おり)は膝をつき、懐中電灯を近づけて、その部分をじっと観(かん)察(さつ)した。


「……なるほど」


 指先で、溶(よう)融(ゆう)した金属の跡をなぞる。


「これは、確かに人間の業(わざ)じゃないわね」


「……やっぱり、ですか」


「切断でも、破壊でもない。〝溶かして開けた〟のよ。しかも、必要最小限の範囲だけを」


 翠(み)織(おり)は立ち上がり、目を細めた。


「相当、火の扱いに習(しゅう)熟(じゅく)しているわね。……荒っぽく見えて、恐ろしく繊細だわ」


「……」


 二人は、無言で顔を見合わせた。


 ――と。


「……そういえば」


 蒼(あお)波(ば)が、ふと辺りを見回した。


「うち、なんで平気やっちゃろ」


「え?」


「いや……夜の学校って、もっと怖いもんやん?」


 言われて、白雪姫(こゆき)も気がついた。


「……確かに」


 昨日までの自分なら――いや、一週間前の自分なら。


 こんな場所、一分だっていたくなかったはずだ。


 夜の学校。廃校舎。誰かが忍び込んだ形跡。


 ――怖い要素しかない。


 それなのに。


(……全然、怖くない)


 むしろ、不思議なくらい落ち着いている。


「あら」


 二人の会話を聞いて、翠(み)織(おり)がくすりと笑った。


「それはね。あなたたちが、霊力を感知できるようになったからよ」


「……感知?」


「ええ。……いい機会だから、教えておきましょうか」


 翠(み)織(おり)は、懐中電灯の光を旧校舎の壁へと向けた。


「こういう廃屋や、深い森。あるいは古いトンネル。……そういう場所って、なぜか怖いでしょう?」


「はい」


「あれはね、実は理由があるの」


 ――光の輪が、ゆっくりと壁を這っていく。


「そういう場所には、霊力が溜まりやすいのよ。人の手が入らないぶん、流れが滞(とどこお)るから」


「あ……」


「そして、霊力を感知できない普通の人がそこへ立ち入ると、どうなると思う?」


「……えっと」


 白雪姫(こゆき)は、少し考えた。


「感じ取れないはずのものを……無理やり、感じてしまう?」


「そのとおり」


 翠(み)織(おり)は、満足そうに頷いた。


「処理できない情報が、身体に流れ込んでくるの。それが〝寒気〟や〝悪寒〟、〝恐怖〟という感覚になって表に出てくるわけ」


「……なるほど」


「言ってしまえば、動物の本能みたいなものね」


 ――白雪姫(こゆき)は、思わず旧校舎を見上げた。


 なんてことはない、古い建物だ。


「でも、今のあなたたちは違う」


 翠(み)織(おり)の声が、少しだけ誇らしげになった。


「霊力を感知できるし、制御もできる。だから、無理やり流し込まれることもない」


「じゃあ……」


「ええ。こんなところ、怖いどころか――何日泊まっても平気なはずよ」


「「……いや、それは嫌です」」


 二人の声が、綺麗に重なった。


「あら、残念」





❆





 ――そこで、白雪姫(こゆき)はふと思いついて、口を開いた。


「あの、先生」


「なあに?」


「……幽霊って、いるんですか?」


「――んん?」


 蒼(あお)波(ば)が、ぎょっとした顔でこちらを見た。


「えっと、白雪姫(こゆき)ちゃん……? なんでこのタイミングで……?」


「い、いや、だって」


 白雪姫(こゆき)は、慌てて弁解した。


「〝霊力〟って、〝霊〟の字が入ってるやん? それに、こういう場所には霊力が集まりやすいって……」


「……あ」


「だから、もしかして……幽霊も、いるんかなって」


 ――ふむ、と。


 翠(み)織(おり)が顎に指を添えた。


 そして、あっさりと言った。


「いるわよ」


「「――えっ⁉」」


 二人の声が、また綺麗に重なった。


「そんなに驚くこと? あなたたち、魂(たましい)の存在はもう知っているでしょう」


「そ、そうですけど……!」


「幽霊というのはね。単純に、亡くなった方の魂が、この世に漂っている状態のことよ」


 翠(み)織(おり)は、淡々と続けた。


「多くは、ただそこにあるだけ。……害はないわ」


「た、ただ、そこにあるだけ……」


「ええ。……でも」


 ――そこで、声が一段低くなった。


「もし、その漂っている魂が、魔(ま)力(りょく)に浸(しん)食(しょく)されてしまったら?」


「…………あ」


 白雪姫(こゆき)の背筋が、ぞくりとした。


「……それが」


「そう。それが――〝魔(ま)蝕(しょく)者(しゃ)〟よ」


「……っ」


 脳裏に浮かぶのは、あの夜の異形。


 黒い瘴気を噴き上げていた、人型の化(ば)け物(もの)。


 ――あれは、元は人間の魂だったのだ。


「ちなみに、動物の魂が浸食された場合は」


「……魔物、ですか」


「そのとおり」


 白雪姫(こゆき)は、そっと自分の胸に手を当てた。


 ――魂。


 その存在は、もう疑いようがない。


 なにしろ、自分の中には今、千年前の神様の魂が宿っているのだから。


(……幽霊のほうが、よっぽど普通に思えてきた)


『失礼ですね』


(あっ、す、すみません)





❆





「――さて」


 翠(み)織(おり)が、ぱん、と手を打った。


「そろそろ、中を確認しましょうか」


 三人は、扉の前に立った。


 ――白雪姫(こゆき)は、そっと意識を澄ませる。


(……いる)


 昼間よりも、はっきりと。


 建物の奥。


 一階の、手(て)前(まえ)から二つ目の部屋あたり。


 そこに、確かな霊力の脈動があった。


「……先生。たぶん、今、中にいます」


「……そう」


 翠(み)織(おり)の表情が、引き締まった。


「じゃあ、方針を決めましょう」


 彼女は、二人を交互に見た。


「――中へ入るのは、白雪姫(こゆき)ちゃん。あなた一人よ」


「「……えっ⁉」」


「せ、先生⁉」


 蒼(あお)波(ば)が、真っ先に声を上げた。


「なんで一人なんですか……⁉ 危ないですよ……!」


「落ち着きなさい、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 翠(み)織(おり)は、静かに旧校舎を見上げた。


「この建物の中の気配、思っていたよりずっと強(きょう)固(こ)なの。……相当、感知能力が高い相手よ」


「……」


「三人でぞろぞろ入っていったらどうなると思う? ――間違いなく、警戒される」


「あ……」


「逃げられるか、隠れられるか。どちらにせよ、二度と会えなくなるかもしれないわ」


 翠(み)織(おり)は、蒼(あお)波(ば)の肩をぽんと叩いた。


「それに、もしここへ誰かが来たら――警(けい)備(び)の人でも、近所の方でもね。誰かが外で事情を説明しないと、大騒ぎになるでしょう」


「……それは、そうですけど」


「私と蒼(あお)波(ば)ちゃんは、外で見張り。……それが一番いいと思うの」


 ――白雪姫(こゆき)は、扉を見つめた。


「……あの、先生」


「なあに?」


「私で、大丈夫でしょうか」


 正直な、不安だった。


 自分はまだ、神子になって一週間も経っていない。


「……あら」


 翠(み)織(おり)は、少し呆れたように笑った。


「そもそも、あそこの気配に最初に気づいたのは誰かしら?」


「……私、です」


「そうよ。あなたが見つけて、あなたが気にして、ここまで来た」


「…………」


「だったら、最初に会うのはあなたであるべきだと思うの」


 ――そして。


 翠(み)織(おり)はそっと身を屈めて、白雪姫(こゆき)の耳元に唇を寄せた。


 蒼(あお)波(ば)には聞こえないほどの、微(かす)かな声で。


「――それに」


「……」


「あの方がついているんだもの。……安心でしょう?」


「……っ」


 白雪姫(こゆき)は、目を見開いた。


 そして、こくりと頷く。


(……先生)


『ふふ。頼りにされておりますね』


(……どちらかというと、白櫻姫(こさき)さんのほうだと思いますけど……)


 翠(み)織(おり)は身を起こすと、自分の手のひらへ視線を落とした。


 ――淡い緑の光が、静かに滲み出す。


「私は、いつでも飛び込めるように霊力を練って待機しているわ。……何かあれば、遠慮なく叫びなさい」


「はい」


「白雪姫(こゆき)ちゃん」


 蒼(あお)波(ば)が、ぎゅっと手を握ってきた。


「……気をつけてね」


「うん。ありがと、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 ――白雪姫(こゆき)は、深く息を吸った。


 そして、扉の取っ手に指をかける。


 ――すう。


 昼間と同じように、それは音もなく、スムーズに開いた。





❆





 埃と、古い木の匂い。


 冷たい空気が、頬を撫でた。


 懐中電灯の光が、暗い廊下を細く切り取っている。


 ――白雪姫(こゆき)は、そっと一歩を踏み出した。


 ぺしっ、とコンクリートでできた床が鳴る。


 まずは、手前の部屋。


 〝調理室〟と書かれたプレートが、傾いたまま貼りついていた。


「……失礼、します」


 小さく呟いて、引き戸を開ける。


 ――途(と)端(たん)に、埃が舞い上がった。


「けほっ……」


 中は、想像通りだった。


 並んだ調理台の上に、段(だん)ボールが山積みになっている。

 床には、脚を上に向けた椅子がいくつも重ねられていた。


 足の踏み場も、ほとんどない。


 ――かつては、生徒たちが並んで包丁を握っていたのだろう。


 その面影は、もうどこにもなかった。


(……ここじゃ、ない)


 気配は、もっと奥。


 白雪姫(こゆき)は、段(だん)ボールの隙間を縫うように歩き、部屋の奥にある扉へ向かった。


 入ってきた側ではなく、隣(となり)の部屋へ直接続いているらしい扉だ。


 ――ノブに、手をかける。


 その瞬間。


 ――ぞわり。


(……っ、濃い)


 空気が、違った。


 この扉一枚を隔てた向こうに、確かな〝命〟の気配がある。


 澄んでいて。

 熱くて。


 そして、途方もなく――古(ふる)い。


(……いる)


 白雪姫(こゆき)は、胸に手を当てて、ゆっくりと息を整えた。


 とはいえ、埃がはいるので深呼吸はできない。


 ――一回。


 ――二回。


(……よし)


 そして。


 彼女は、扉を開けた。





❆





 ――月の光が、零(こぼ)れ落ちていた。


 窓ガラスを通り抜けた青白い光が、埃の粒をきらきらと照らしている。


 その光の中に。


 ――一人の、少女が立っていた。


「…………」


 白雪姫(こゆき)の足が、止まる。


 窓のほうを向いて、じっと外を眺めている、小柄な後ろ姿。


 腰まで届く、豊かな黒髪。


 月光を受けて、それは絹のように滑らかな艶を放っていた。


 ――そして。


 ゆっくりと、その少女が振り返る。


 深い、黒曜石のような瞳。


 あどけなさの残る顔立ちなのに、その表情には、感情のさざ波ひとつない。


 ――ただ。


 振り向いた一瞬。


 月の光が横切ったその瞳が。


 ――紅(くれない)に、燃えたように見えた。


「…………」


 少女は、白雪姫(こゆき)を見た。


 白い髪を。

 白い瞳を。


 そして、その内側にあるものを、見(み)透(す)かすように。


「…………違う」


 ぽつり、と。


 小さな声だった。


「え……?」


「……あなたは、誰?」


 ――その、瞬間だった。


「――っ、あ」


 白雪姫(こゆき)の胸が、軋(きし)んだ。


(……なに、これ)


 張り裂けそうな、悲しみ。


 喉の奥が焼けるような、切(せつ)なさ。


 それと同時に。


 ――今すぐ駆け寄って、この子を抱きしめたい。


 そんな、狂(くる)おしいほどの懐(なつ)かしさが、胸(むね)を突き上げてきた。


 自分の感情では、ない。


「…………」


 白雪姫(こゆき)は、思わず。


 自分の胸に、そっと手を置いた。





ここまで読んでいただきありがとうございます!


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