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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第03話:雪が降り、桜が舞う

 ――白櫻姫(こさき)との邂(かい)逅(こう)を果たした、翌日。


 朝の空気はよく晴れていて、自転車で下る坂道は、昨日よりもいくらか快適だった。


 もっとも。


「……やっぱり、霊(れい)力(りょく)で強化するのは駄目やったね」


「怒られたもんね、めっちゃ」


 ――日常生活で霊力を無駄遣いしないの。


 朝食の席で、翠(み)織(おり)に一刀両断された二人である。


「まあ、坂は坂で鍛えられるらしいよ」


「……先生、絶対それ後付けやと思う」


 そんなことを話しながら、二人はいつも通り学校へ辿り着いた。


 いつも通り、朝の会が始まって。


 いつも通り、一時間目のチャイムが鳴る。


 ――そして。





❆





(…………)


 二時間目の途中から、白雪姫(こゆき)の意識は、完全に窓の外へ向いていた。


 黒板の文字は、ちゃんとノートに写している。


 ――手だけは。


(……やっぱり、感じる)


 視線の先。


 校舎の裏手、木(こ)立(だち)の向こうに佇(たたず)む、煤(すす)けた壁の建物。


 かつて〝桜(さくら)ケ(が)丘(おか)中学校〟が建っていた頃の名(な)残(ごり)。


 取り壊されないまま、今も一部だけ残されている――旧校舎。


 その方角から、微(かす)かに。


 けれど確かに、澄んだ霊力の気配が漂っていた。


(……昨日と、同じ)


 昨日の夢の中で、白櫻姫(こさき)は言った。


 ――可能であれば、見に行ってはいただけませんか。


 ――懐(なつ)かしい、気がしたのです、と。


(一体、何があるっちゃろ)


 シャープペンの先を、ノートの端でくるくると回す。


(誰か学校の事務員の人とかが出入りしてるかも……)


 目を瞑り、思考する。


(それだけの話、かもしれんし……まさか、誰かがいるわけでも――)


『そのまさか、かもしれませんよ』


「――ひゃいっ⁉」


 ――椅子が、ガタンと鳴った。


 白雪姫(こゆき)は、勢いよく立ち上がっていた。


「…………」


 教室が、静まり返る。


 先生含めた二十一人分の視線が、一斉にこちらを向いた。


「……どうかした? 白雪姫(こゆき)さん」


 黒板の前で、先生がチョークを持ったまま首を傾げている。


「あ……っ、す、すみません!」


 顔から火が出そうだった。


「な、なんでもありません! ちょっと……あの、蚊(か)が! 蚊がおって……!」


「四月に元気な蚊やなあ」


 ――どっ、と教室が笑いに包まれる。


「す、すみません……」


 白雪姫(こゆき)は真っ赤になって、そそくさと着席した。


 ――と。


 右側から、ぽすん、と。


 ちぎったノートの切れ端が、机の上に飛んできた。


 開いてみると、丸っこい可愛らしい文字で、こう書かれている。


 ――〝どうしたの?〟


 白雪姫(こゆき)は、ちらりと隣を見た。


 蒼(あお)波(ば)が、心配そうな顔でこちらを見ている。


 シャープペンを取り、空いた場所に急いで書き込んだ。


 ――〝あとで話すね〟


 先生が黒板に向き直り、こちらへ背中を見せた、その隙に。


 ぽい、と紙を隣の机へ放る。


 蒼(あお)波(ば)はそれを素早く手の中に収めて、開いて、小さく頷いた。


(…………)


 白雪姫(こゆき)は、そっと息を吐いた。


(……そういえば)


 蒼(あお)波(ば)に、白櫻姫(こさき)のことを、どう説明しよう。


 ――だが、それは、あとだ。


 今は。


(……ちょっと‼)


 白雪姫(こゆき)は、頭の中で叫んだ。


(白櫻姫(こさき)さん‼ いきなり話しかけてこないでください‼)


『ふふっ――申し訳ございません』


 鈴を転がすような、澄んだ声。


 耳ではなく、頭の奥に直接響いてくる。


『昨日――起きている間も話しかけられる――と申し上げたでしょう?』


(言いましたけど! 言いましたけども!)


『まさか、あそこまで飛び上がられるとは思わず……』


(そりゃ飛び上がりますよ‼ 心の準備が‼)


『……くすっ』


(笑わないでください‼)


 ――しん、と静かな教室で。


 白雪姫(こゆき)は一人、必死に頭の中で騒いでいた。


 傍から見れば、ただ真面目にノートを取っている少女である。


『それにしても』


(なんですか)


『あなたは、何かを考えている時、話し方が変わるのですね』


(……え?)


『先ほども。〝一体、何があるっちゃろ〟と』


(――っ、)


 白雪姫(こゆき)の頬が、じわりと熱を持った。


(ほ、方言です! 私、この土地の子なので!)


『存じております』


(じゃあ言わないでください……!)


『いいえ。とても、可愛らしいと思ったのです』


(――‼)


 顔を伏せる。


 机に突っ伏したい衝動を、白雪姫(こゆき)は必死に堪(こら)えた。


(……この人、思ってたよりずっと、意地悪かも……)





❆





(……あの、白櫻姫(こさき)さん)


『はい』


(ひとつ、聞いてもいいですか)


 ノートの端に、意味のない丸を描きながら。


 白雪姫(こゆき)は、静かに問いかけた。


(蒼(あお)波(ば)ちゃんに――あなたのこと、話してもいいですか?)


『…………』


(あの子、私の大事な友達なんです)


 ――隣(となり)の席で、真剣にノートを取っている横顔。


 初めて〝友達になりたい〟と言ってくれた人。


 あの夜、震えながら自分を助けようとしてくれた人。


(だから、隠し事はしたくなくて)


『……あなたが、お決めください』


(え)


『それは、あなたが決めるべきことです』


(……で、でも)


 白雪姫(こゆき)は、ためらった。


(一応、白櫻姫(こさき)さんのことやし……勝手に人に話すのは、なんか、その……許可なく誰かの秘密を喋(しゃべ)るのって、駄(だ)目(め)なことやと思うから)


『……ふふ』


 ――やわらかい、笑い声。


『あなたは、本当に律義な子ですね』


(う……)


『では、こう申し上げましょう』


 声が、少しだけ真剣な色を帯びた。


『今のわたくしは、あなたです』


(……私?)


『ええ。この身体はあなたのもので、わたくしはそこに間(ま)借(が)りをしている身。……ですから、あなたの判断に従います』


(そんな、間借りだなんて……)


『それに』


 白櫻姫(こさき)は、静かに続けた。


『純粋で、優しいあなたが決めたことなら』


(……)


『どんな判断であろうと、わたくしは信じます』


 ――平然と。


 けれど、確かな覚悟をもって、そう言い切った。


(…………)


 白雪姫(こゆき)は、シャープペンを握りしめた。


 なんだろう。


 急に、面(は)映(ゆ)ゆくなってきた。


(……信じるって、そんな簡単に言われても……私、まだ会って二日目やのに)


『二日でも、千年でも。分かる時には、分かるものです』


(――っ、心、読まんでください‼)


『同じ場所におりますので』


(理(り)不(ふ)尽(じん)‼)


 ――それでも。


 胸の奥が、じんわりと温かかった。


(……ありがとうございます、白櫻姫(こさき)さん)


『いいえ』


 ――蒼(あお)波(ば)に、いつ、どう伝えるべきか。


 同じ神子として戦う仲間であり、たった一人の親友。


 自分の中に、もう一つの魂が宿っているという、あまりに突飛な事実を。


(……ちゃんと、考えんとね)


 それは、また後で、ゆっくり。





❆





(あ。そういえば、さっきの話ですけど)


『さっきの、とは』


(――そのまさかかもしれない――って、言いましたよね)


 白雪姫(こゆき)は、再び窓の外へ視線を向けた。


 木立の向こうの、色あせた壁。


(あそこに、人がいるかもって……本気ですか?)


『はい』


 ――即答だった。


『あの気配。おそらく、生きた人間のものです』


(……人間の)


『ええ。土地や建物に染みついた古い霊力ではありません。あれは、確かに脈打っております』


(え、でも)


 白雪姫(こゆき)は、思わず眉を寄せた。


(なんで、そんなことが分かるんですか? 私には、なんとなくとしか……)


『経験の差、としか申し上げようがございませんね』


 白櫻姫(こさき)の声は、あくまで穏やかだった。


『わたくしはこれでも、それなりの数の魂と向き合ってまいりましたから』


(……千年分の、経験)


『それに――』


(それに?)


『昔、出会った者の気配に、少し似ているのです』


 ――どくり、と。


 白雪姫(こゆき)の心臓が、小さく跳ねた。


(……昔って――白櫻姫(こさき)さんの、〝昔〟ですか?)


『……ええ』


(……)


 白雪姫(こゆき)は、ゆっくりと考えた。


 白櫻姫(こさき)が生きていたのは、平安時代。


 千年前だ。


 その〝昔出会った者〟に、気配が似ている。


 ――ということは。


(……あの旧校舎にいる誰かも、千年前から生きてる……? いやいや。そんなこと、あるわけ――)


 そこまで考えて、白雪姫(こゆき)は思わず口の中で呻(うめ)いた。


(……ないとは、言えないんやった)


 だって。


 自分の中には、千年前の神様が住んでいる。


 一昨日は魔神と戦った。

 その前は、手のひらから雪を出した。


(……常識、とっくに壊れてるやん)


『順応が早くて助かります』


(喜ばしくないです……)


 それにしても、と白雪姫(こゆき)は考えを進めた。


(あんなところに、人が……)


 立ち入り禁止のロープが張られた、老(ろう)朽(きゅう)化(か)した建物。


(もしかして、近所の子が秘密基地にしてるとか?)


 ――昔、そういう噂は確かにあった。


 肝試しをした、探検した、幽霊を見た。


 小学生の頃、そんな話を何度も聞いた気がする。


(でも……)


 白雪姫(こゆき)は、そっと目を閉じた。


 あの方角から漂ってくる気配に、意識を澄ませる。


 ――違う。


(……普通の人の霊力とは、なんか、違う)


 どう違うのか、うまく言葉にできない。


 ただ、質が違う。密度が違う。


 まるで――


(……あ)


 思い当たって、白雪姫(こゆき)は息を呑んだ。


(もしかして、あそこにいるのって……――神(み)子(こ)、ですか?)


『…………』


 しばしの沈黙。


 そして。


『確証はございません』


 白櫻姫(こさき)は、静かに言った。


『……ですが、おそらくは』


(……やっぱり)


 白雪姫(こゆき)は、ぐっと唇を結んだ。


(……もしかして、白櫻姫(こさき)さん、最初から、気づいてたりしました?)


『……さて。どうでしょう』


(……ずるい)


『ふふ』


 ――笑って、はぐらかされた。


(……まあ、いいです。結局、見に行ってみんことには、何も分からんもんね)





❆





 ――さて、問題はそこからだった。


(どうやって、見に行こう)


 三時間目、四時間目と過ぎていく間も、白雪姫(こゆき)はそのことばかり考えていた。


 旧校舎があるのは、校舎の裏手。


 そしてその近くには――第二グラウンドがある。


(放課後は、部活の子たちがいるとよね)


 中学部の運動部が、毎日そこを使っている。


 あんな場所へ二人でこそこそ入っていけば、まず間違いなく誰かに見られる。


(……夜中に行けば、誰もおらんっちゃろうけど)


 ――そこまで考えて、白雪姫(こゆき)はぶんぶんと首を振った。


(駄目駄目! 夜中に学校に忍び込むとか、完全に不審者やん!)


『わたくしは構いませんが』


(構ってください‼)


 そもそも、立ち入り禁止の場所に勝手に入るというのが、白雪姫(こゆき)の性分にはまるで合わなかった。


 悪いことをしている、という感覚が、どうしても拭えない。


(……翠(み)織(おり)先生に、相談してみる?)


 それが、いちばん真っ当な手だ。


 先生は組織の人間で、大人で、学校側にも顔が利く。


 ――だが。


(――霊力の反応がある――ってだけで、動いてくれるかな……? それに、また心配かけるかも……)


 目を瞑り、うーん、と心の中で唸(うな)る。


 ――そして、白雪姫(こゆき)はひとつの結論に辿り着いた。


(……よし)


 目を開く。


(まずは、放課後、蒼(あお)波(ば)ちゃんを誘って、外から見てみよう)


 中に入らなければいい。


 遠くから、そっと様子を窺(うかが)うだけ。


 それなら、誰にも迷惑はかからないはずだ。


(うん。それなら、大丈夫)


『……ずいぶん、慎重ですね』


(当たり前です。悪いこととか、あんまりしたくないですし)


『くすっ。……ええ、そういうところが、あなたらしいです』


 ――キーンコーン、と。


 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「――白雪姫(こゆき)ちゃん」


 隣から、蒼(あお)波(ば)が身を乗り出してくる。


「さっきの、なに? 急に立ち上がってさ」


「あ、あー……うん。その」


 白雪姫(こゆき)は、少しだけ言葉を選んで。


 そして、こう言った。


「……ねえ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


「うん?」


「放課後、ちょっとだけ付き合ってくれん?」


 窓の外。


 木立の向こうの、静かな旧校舎を見つめながら。


「――見てみたいところが、あるとよね」





ここまで読んでいただきありがとうございます!

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