第03話:雪が降り、桜が舞う
――白櫻姫との邂逅を果たした、翌日。
朝の空気はよく晴れていて、自転車で下る坂道は、昨日よりもいくらか快適だった。
もっとも。
「……やっぱり、霊力で強化するのは駄目やったね」
「怒られたもんね、めっちゃ」
――日常生活で霊力を無駄遣いしないの。
朝食の席で、翠織に一刀両断された二人である。
「まあ、坂は坂で鍛えられるらしいよ」
「……先生、絶対それ後付けやと思う」
そんなことを話しながら、二人はいつも通り学校へ辿り着いた。
いつも通り、朝の会が始まって。
いつも通り、一時間目のチャイムが鳴る。
――そして。
❆
(…………)
二時間目の途中から、白雪姫の意識は、完全に窓の外へ向いていた。
黒板の文字は、ちゃんとノートに写している。
――手だけは。
(……やっぱり、感じる)
視線の先。
校舎の裏手、木立の向こうに佇む、煤けた壁の建物。
かつて〝桜ケ丘中学校〟が建っていた頃の名残。
取り壊されないまま、今も一部だけ残されている――旧校舎。
その方角から、微かに。
けれど確かに、澄んだ霊力の気配が漂っていた。
(……昨日と、同じ)
昨日の夢の中で、白櫻姫は言った。
――可能であれば、見に行ってはいただけませんか。
――懐かしい、気がしたのです、と。
(一体、何があるっちゃろ)
シャープペンの先を、ノートの端でくるくると回す。
(誰か学校の事務員の人とかが出入りしてるかも……)
目を瞑り、思考する。
(それだけの話、かもしれんし……まさか、誰かがいるわけでも――)
『そのまさか、かもしれませんよ』
「――ひゃいっ⁉」
――椅子が、ガタンと鳴った。
白雪姫は、勢いよく立ち上がっていた。
「…………」
教室が、静まり返る。
先生含めた二十一人分の視線が、一斉にこちらを向いた。
「……どうかした? 白雪姫さん」
黒板の前で、先生がチョークを持ったまま首を傾げている。
「あ……っ、す、すみません!」
顔から火が出そうだった。
「な、なんでもありません! ちょっと……あの、蚊が! 蚊がおって……!」
「四月に元気な蚊やなあ」
――どっ、と教室が笑いに包まれる。
「す、すみません……」
白雪姫は真っ赤になって、そそくさと着席した。
――と。
右側から、ぽすん、と。
ちぎったノートの切れ端が、机の上に飛んできた。
開いてみると、丸っこい可愛らしい文字で、こう書かれている。
――〝どうしたの?〟
白雪姫は、ちらりと隣を見た。
蒼波が、心配そうな顔でこちらを見ている。
シャープペンを取り、空いた場所に急いで書き込んだ。
――〝あとで話すね〟
先生が黒板に向き直り、こちらへ背中を見せた、その隙に。
ぽい、と紙を隣の机へ放る。
蒼波はそれを素早く手の中に収めて、開いて、小さく頷いた。
(…………)
白雪姫は、そっと息を吐いた。
(……そういえば)
蒼波に、白櫻姫のことを、どう説明しよう。
――だが、それは、あとだ。
今は。
(……ちょっと‼)
白雪姫は、頭の中で叫んだ。
(白櫻姫さん‼ いきなり話しかけてこないでください‼)
『ふふっ――申し訳ございません』
鈴を転がすような、澄んだ声。
耳ではなく、頭の奥に直接響いてくる。
『昨日――起きている間も話しかけられる――と申し上げたでしょう?』
(言いましたけど! 言いましたけども!)
『まさか、あそこまで飛び上がられるとは思わず……』
(そりゃ飛び上がりますよ‼ 心の準備が‼)
『……くすっ』
(笑わないでください‼)
――しん、と静かな教室で。
白雪姫は一人、必死に頭の中で騒いでいた。
傍から見れば、ただ真面目にノートを取っている少女である。
『それにしても』
(なんですか)
『あなたは、何かを考えている時、話し方が変わるのですね』
(……え?)
『先ほども。〝一体、何があるっちゃろ〟と』
(――っ、)
白雪姫の頬が、じわりと熱を持った。
(ほ、方言です! 私、この土地の子なので!)
『存じております』
(じゃあ言わないでください……!)
『いいえ。とても、可愛らしいと思ったのです』
(――‼)
顔を伏せる。
机に突っ伏したい衝動を、白雪姫は必死に堪えた。
(……この人、思ってたよりずっと、意地悪かも……)
❆
(……あの、白櫻姫さん)
『はい』
(ひとつ、聞いてもいいですか)
ノートの端に、意味のない丸を描きながら。
白雪姫は、静かに問いかけた。
(蒼波ちゃんに――あなたのこと、話してもいいですか?)
『…………』
(あの子、私の大事な友達なんです)
――隣の席で、真剣にノートを取っている横顔。
初めて〝友達になりたい〟と言ってくれた人。
あの夜、震えながら自分を助けようとしてくれた人。
(だから、隠し事はしたくなくて)
『……あなたが、お決めください』
(え)
『それは、あなたが決めるべきことです』
(……で、でも)
白雪姫は、ためらった。
(一応、白櫻姫さんのことやし……勝手に人に話すのは、なんか、その……許可なく誰かの秘密を喋るのって、駄目なことやと思うから)
『……ふふ』
――やわらかい、笑い声。
『あなたは、本当に律義な子ですね』
(う……)
『では、こう申し上げましょう』
声が、少しだけ真剣な色を帯びた。
『今のわたくしは、あなたです』
(……私?)
『ええ。この身体はあなたのもので、わたくしはそこに間借りをしている身。……ですから、あなたの判断に従います』
(そんな、間借りだなんて……)
『それに』
白櫻姫は、静かに続けた。
『純粋で、優しいあなたが決めたことなら』
(……)
『どんな判断であろうと、わたくしは信じます』
――平然と。
けれど、確かな覚悟をもって、そう言い切った。
(…………)
白雪姫は、シャープペンを握りしめた。
なんだろう。
急に、面映ゆくなってきた。
(……信じるって、そんな簡単に言われても……私、まだ会って二日目やのに)
『二日でも、千年でも。分かる時には、分かるものです』
(――っ、心、読まんでください‼)
『同じ場所におりますので』
(理不尽‼)
――それでも。
胸の奥が、じんわりと温かかった。
(……ありがとうございます、白櫻姫さん)
『いいえ』
――蒼波に、いつ、どう伝えるべきか。
同じ神子として戦う仲間であり、たった一人の親友。
自分の中に、もう一つの魂が宿っているという、あまりに突飛な事実を。
(……ちゃんと、考えんとね)
それは、また後で、ゆっくり。
❆
(あ。そういえば、さっきの話ですけど)
『さっきの、とは』
(――そのまさかかもしれない――って、言いましたよね)
白雪姫は、再び窓の外へ視線を向けた。
木立の向こうの、色あせた壁。
(あそこに、人がいるかもって……本気ですか?)
『はい』
――即答だった。
『あの気配。おそらく、生きた人間のものです』
(……人間の)
『ええ。土地や建物に染みついた古い霊力ではありません。あれは、確かに脈打っております』
(え、でも)
白雪姫は、思わず眉を寄せた。
(なんで、そんなことが分かるんですか? 私には、なんとなくとしか……)
『経験の差、としか申し上げようがございませんね』
白櫻姫の声は、あくまで穏やかだった。
『わたくしはこれでも、それなりの数の魂と向き合ってまいりましたから』
(……千年分の、経験)
『それに――』
(それに?)
『昔、出会った者の気配に、少し似ているのです』
――どくり、と。
白雪姫の心臓が、小さく跳ねた。
(……昔って――白櫻姫さんの、〝昔〟ですか?)
『……ええ』
(……)
白雪姫は、ゆっくりと考えた。
白櫻姫が生きていたのは、平安時代。
千年前だ。
その〝昔出会った者〟に、気配が似ている。
――ということは。
(……あの旧校舎にいる誰かも、千年前から生きてる……? いやいや。そんなこと、あるわけ――)
そこまで考えて、白雪姫は思わず口の中で呻いた。
(……ないとは、言えないんやった)
だって。
自分の中には、千年前の神様が住んでいる。
一昨日は魔神と戦った。
その前は、手のひらから雪を出した。
(……常識、とっくに壊れてるやん)
『順応が早くて助かります』
(喜ばしくないです……)
それにしても、と白雪姫は考えを進めた。
(あんなところに、人が……)
立ち入り禁止のロープが張られた、老朽化した建物。
(もしかして、近所の子が秘密基地にしてるとか?)
――昔、そういう噂は確かにあった。
肝試しをした、探検した、幽霊を見た。
小学生の頃、そんな話を何度も聞いた気がする。
(でも……)
白雪姫は、そっと目を閉じた。
あの方角から漂ってくる気配に、意識を澄ませる。
――違う。
(……普通の人の霊力とは、なんか、違う)
どう違うのか、うまく言葉にできない。
ただ、質が違う。密度が違う。
まるで――
(……あ)
思い当たって、白雪姫は息を呑んだ。
(もしかして、あそこにいるのって……――神子、ですか?)
『…………』
しばしの沈黙。
そして。
『確証はございません』
白櫻姫は、静かに言った。
『……ですが、おそらくは』
(……やっぱり)
白雪姫は、ぐっと唇を結んだ。
(……もしかして、白櫻姫さん、最初から、気づいてたりしました?)
『……さて。どうでしょう』
(……ずるい)
『ふふ』
――笑って、はぐらかされた。
(……まあ、いいです。結局、見に行ってみんことには、何も分からんもんね)
❆
――さて、問題はそこからだった。
(どうやって、見に行こう)
三時間目、四時間目と過ぎていく間も、白雪姫はそのことばかり考えていた。
旧校舎があるのは、校舎の裏手。
そしてその近くには――第二グラウンドがある。
(放課後は、部活の子たちがいるとよね)
中学部の運動部が、毎日そこを使っている。
あんな場所へ二人でこそこそ入っていけば、まず間違いなく誰かに見られる。
(……夜中に行けば、誰もおらんっちゃろうけど)
――そこまで考えて、白雪姫はぶんぶんと首を振った。
(駄目駄目! 夜中に学校に忍び込むとか、完全に不審者やん!)
『わたくしは構いませんが』
(構ってください‼)
そもそも、立ち入り禁止の場所に勝手に入るというのが、白雪姫の性分にはまるで合わなかった。
悪いことをしている、という感覚が、どうしても拭えない。
(……翠織先生に、相談してみる?)
それが、いちばん真っ当な手だ。
先生は組織の人間で、大人で、学校側にも顔が利く。
――だが。
(――霊力の反応がある――ってだけで、動いてくれるかな……? それに、また心配かけるかも……)
目を瞑り、うーん、と心の中で唸る。
――そして、白雪姫はひとつの結論に辿り着いた。
(……よし)
目を開く。
(まずは、放課後、蒼波ちゃんを誘って、外から見てみよう)
中に入らなければいい。
遠くから、そっと様子を窺うだけ。
それなら、誰にも迷惑はかからないはずだ。
(うん。それなら、大丈夫)
『……ずいぶん、慎重ですね』
(当たり前です。悪いこととか、あんまりしたくないですし)
『くすっ。……ええ、そういうところが、あなたらしいです』
――キーンコーン、と。
四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「――白雪姫ちゃん」
隣から、蒼波が身を乗り出してくる。
「さっきの、なに? 急に立ち上がってさ」
「あ、あー……うん。その」
白雪姫は、少しだけ言葉を選んで。
そして、こう言った。
「……ねえ、蒼波ちゃん」
「うん?」
「放課後、ちょっとだけ付き合ってくれん?」
窓の外。
木立の向こうの、静かな旧校舎を見つめながら。
「――見てみたいところが、あるとよね」
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