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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第02章:不死の炎
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第01話:いつもの日常?

 春の朝の空気は、山の匂いがする。


 まだ人の気配のない〝つどいの広場〟に、白雪姫(こゆき)はぽつんと一人で立っていた。


 朝の集(つど)いや夕べの集いが行われる、石段状に組まれた広場。


 今はただ、鳥の声と葉擦れの音だけが満ちている。


「…………よし」


 小さく息を吐いて、白雪姫(こゆき)は両手を前に突き出した。


 ――昨夜のことが、まだ夢のようだった。


 魔(ま)蝕(しょく)者(しゃ)。

 魔(ま)神(じん)。

 そして、自分の中の〝誰か〟。


(ちょっとだけ……確かめたい)


 目を閉じる。


 身体の内側へ、意識を落としていく。


 ――途(と)端(たん)に。


(……ある)


 あっけないほど、すぐに見つかった。


 冷たく、澄んだ、大きなうねり。


 昨日まで、何時間座っても掴めなかったもの。


 それが今は、呼吸をするように、そこにある。


(……いく、よ……っ)


 霊(れい)力(りょく)を、手のひらへ。


 ――ゴォッ‼


「わっ⁉」


 ――猛(もう)烈(れつ)な突風だった。


 雪の粒を巻き込んだ白い奔(ほん)流(りゅう)が、広場を吹き抜けていく。


 完全に気を抜いていた下半身が、反動に負けた。


「うわ、わ――っ、きゃっ!」


 ――どすん。


 尻もちを、ついた。


「……いった……」


 しばらく、白雪姫(こゆき)はぺたんと座り込んだまま、自分の手のひらを見つめていた。


(……こんなに、簡単に?)


 魔蝕者に放った時。

 魔神に放った時。


 あの時は、全身を捻(ね)じ切るような思いで、必死に絞り出したのだ。


 それが今は――蛇口をひねるように、するりと出た。


(これが、〝制御〟が上がったってこと……?)


 立ち上がり、スカートの土を払う。


 次に目についたのは、広場の隅に据えられた大きめの岩だった。


 装飾用に置かれているものだろう。


「……ん、しょ……っ」


 両腕を回し、持ち上げようとする。


 ――びくともしない。


「……やっぱり」


 当然だ。自分は十二歳の、しかも小柄な女子である。


 ――だが。


(……たしか、翠(み)織(おり)先生は)


 ――これくらいなら霊力を使えば朝飯前よ。


 あの日、片手でタンスを持ち上げた細腕を思い出す。


(体に、纏わせる感じ……かな)


 目を閉じ、身体の中を巡るものを、腕と脚へ意識して流し込む。


 ――じん、と。


 指先が、熱を持った。


「……もう一回」


 岩に手をかける。


 力を込めた、その瞬間。


 ――ぬるり。


「……えっ」


 持ち上がった。


 あまりにも、あっさりと。


 まるで、発泡スチロールの塊でも抱えているような手応えのなさ。


「わ、わ、わっ⁉」


 さすがに怖くなって、数センチ浮かせたところで、白雪姫(こゆき)は慌てて岩を下ろした。


 ――ゴトン。


 朝の広場に、鈍い音が響く。


「…………すごい」


 自分の手のひらを、まじまじと見つめる。


 昨日までは、第一段階の〝感知〟すら怪しかった。


 蒼(あお)波(ば)がすぐにできることを、何時間かけてもできなくて。


 ――足を引っ張るんじゃないかと、あんなに俯(うつむ)いていたのに。


(それが今は……第二段階も、第三段階も)


 考えるより先に、身体が勝手にやってしまう。


(……なんで、急に?)


 答えは、出ない。


 ――だが。


「……ふふっ」


 思わず、笑みが零(こぼ)れた。


 嬉しかったのだ。


 できなかったことが、できるようになる。


 たったそれだけのことが、こんなにも。


 ――と。


 その時、施設の窓に朝日が反射した。


「……あ。もうこんな時間」


 もう少し練習したいところだが、そろそろ出発しなければ遅刻してしまう。


 白雪姫(こゆき)は広場に向かって小さくお辞儀をすると、小走りで宿泊棟へ戻っていった。





❆





「――今日から自転車通学、で合ってる?」


 玄関先で自転車のスタンドを蹴り上げながら、蒼(あお)波(ば)が首を傾げた。


「うん。翠(み)織(おり)先生がそう言っちょった」


 昨日は、車での送迎だった。


 あの時は理由を知らされなかったが――今なら分かる。


 学校の周辺で観測されていた、魔力の異常。


 ――それも、昨夜で消えた。


「魔蝕者も魔神も倒したから、もう反応はないって」


「……なるほどね」


「だから、今日から普通に通っていいって」


「よし。じゃあ、行こっか」


 二人はヘルメットを被り、ペダルに足をかけた。





❆





 ――行(むか)縢(ばき)からの道は、まず長い下り坂で始まる。


「うわ、はやっ……!」


「白雪姫(こゆき)ちゃん、ブレーキ! ブレーキ!」


 春の風が、ごうごうと耳元を鳴らしていく。


 少し冷たくて、でも心地よくて。


 白い髪が、ヘルメットの下から後ろへ長くたなびいた。


「気持ちいいねぇ……!」


「たしかに気持ちいいっちゃけど」


 蒼(あお)波(ば)が、げんなりした声で言った。


「……帰り、これ上(のぼ)るとよね?」


「…………」


「……ねえ、白雪姫(こゆき)ちゃん?」


「……その話は、帰りにしよ」


 二人は、そろって遠い目になった。


 坂を下りきると、道はゆるやかな平地へと変わる。


 右手に見えてきたのは、木の看板を掲げた小さな喫茶店。


 ――〝しふぉんかふぇ早春〟。


「あ、ここ。ケーキ屋さん……?」


「和食のお店だったかな。私がちっちゃい頃からあるよ」


「へえ。……今度、行ってみたいな」


「うん、行こ行こ」


 しばらく行くと、行縢公民館の前を通り過ぎた。


 そこから先は、どこまでも広がる田園地帯だ。


 水を張ったばかりの田んぼが、朝日を受けて鏡のように光っている。


 あぜ道には、名も知らぬ小さな花。

 電線には、並んだ燕(つばめ)。


(……こんなに、綺麗やったんや)


 白雪姫(こゆき)は、ペダルを踏みながら思った。


 小学生の頃、この道は基本的に車で通っていた。


 窓の外を流れていくだけだった景色。


 それが今は、風の匂いも、鳥の声も、土の湿り気も、全部が肌に届く。


(……いつも通ってた道なのに)


 新鮮だった。


 まるで、初めて訪れる場所のように。


 やがて、下(しも)舞(まい)野(の)橋(ばし)を渡る。


 橋の下を流れる川が、朝日をきらきらと弾いていた。


 橋を越えると――ぱっと、視界が黄色に染まった。


「……わあ」


 下舞野神社の前に広がる、菜の花畑。


 一面の黄色が、風にゆっくりと波打っている。


「白雪姫(こゆき)ちゃん、すごいねこれ」


「うん。この時期だけなんよ」


 春だった。


 どこを切り取っても、疑いようもなく、春だった。





❆





 やがて二人は、小学部の通学路に差しかかった。


 小学部の生徒は、入学式や運動会などの行事を除いて、車での送迎はここまでと決められている。


 ――もっとも、体調が悪い時などは、その限りではないが。


 だから、ここから先の道には。


 黄色い帽子とランドセルが、ずらりと連なっていた。


「あ」


「……見られちょんね」


 ヘルメットは被っている。


 それでも、その下から溢れて風にたなびく、腰までの白い髪は。


 ――どうしようもなく、目立った。


「ねえ、あの人……」


「入学式のときの、白いお姉ちゃんや!」


「うわ、ほんとに真っ白」


 ひそひそと、声が届いてくる。


(……うん。まあ、そうなるよね)


 白雪姫(こゆき)は、心の中で小さく苦笑した。


 ――前ほど、怖(こわ)くはない。


 ある程度は、慣れた。


 それでも、気にならないと言えば、やっぱり嘘になる。


「……大丈夫?」


 前を走る蒼(あお)波(ば)が、ちらりとこちらを振り向いた。


「うん。……ありがと」


 ――と。


「白雪姫(こゆき)おねえちゃーん!」


「……え?」


 沿道の列の中から、小さな手がぶんぶんと振られていた。


 ランドセルが歩いているような、小さな女の子。


 ――入学式で、手を繋いだあの子だった。


「あ……!」


 白雪姫(こゆき)の顔が、ぱっと明るくなる。


「おはよう! 気をつけて行くとよ!」


「はーい!」


 手を振り返して、二人はその横を走り抜けていった。


「……ふふ」


「なに?」


「なんでもない」


 蒼(あお)波(ば)は前を向いたまま、ちょっとだけ笑った。





❆





 学校に着いて――白雪姫(こゆき)が最初に驚いたのは、校(こう)庭(てい)だった。


「……え、うそ」


 自転車を停めて、思わず立ち尽くす。


 第一グラウンド。


 あれほど抉(えぐ)れていた地面が、綺麗に均(なら)されている。


 炎で焼け焦げた土も。

 砕け散ったベンチも。

 一面に降りていた霜も。


 ――何ひとつ、残っていなかった。


「……ほんとに、跡形もないね」


 隣で、蒼(あお)波(ば)も目を丸くしている。


 昨夜のあれが、まるごと夢だったと言われても信じてしまいそうだ。


 ――今朝、出がけに翠(み)織(おり)はこう言っていた。


 ――学校みたいな公共施設や、人目につく場所の戦闘痕はね。組織が可能な限り消してしまうのよ。


 ――そうしないと、私たちの存在そのものが表に出てしまうから。


(……組織の人たちが、夜のうちに)


 自分たちが眠っている間に、誰かがここへ来て、これを直したのだ。


(……すごい。というか)


 白雪姫(こゆき)は、そっとグラウンドを見渡した。


(そこまでして、隠さんといかん世界なんやね)


 新しい日常が始まる場所で。


 昨夜の非日常だけが、綺麗に拭い去られていた。





❆





 そして――いつも通りの授業が始まった。


 一時間目。国語。


 教科書を朗読する声。

 黒板にチョークが走る音。

 誰かがくしゃみをして、小さく笑いが起きる。


 昨日の夜、あんなことがあったなんて。


 この教室の誰も知らない。


(……なんか、不思議な感じ)


 ノートに文字を書きながら、白雪姫(こゆき)はぼんやりとそう思った。


 ――その、時だった。


 ――とくん。


「……っ」


 背筋を、微(かす)かな漣(さざなみ)が撫でた。


(え……?)


 思わず、白雪姫(こゆき)は顔を上げた。


 教室は、何も変わっていない。


 先生の声も、隣の席のペンの音も、いつも通り。


 ――だが。


(……なにか、ある)


 窓の外。


 校舎の裏手。


 ――かつて〝桜(さくら)ケ(が)丘(おか)中学校〟が建っていた場所に、今も一部だけ取り残されている、あの旧校舎。


 あの方角から。


 澄んだ、けれど確かに濃い〝霊力〟が、じわりと漂ってきていた。


(……昨日の、あれとは違う)


 魔物や魔神が纏っていた、あの粘着く重さはない。


 どちらかといえば、清(きよ)らかな気配。


(……だったら、危なくは、ないんかな)


 少しだけ肩の力を抜いて、それでも白雪姫(こゆき)は窓の外を見つめ続けた。


 ――と。


(……あれ?)


 妙なことに、気がついた。


(……気になっちょっと、私……?)


 胸の奥。


 自分の意思とは別のところが、その気配へ引き寄せられている。


 まるで、内側からそっと袖を引かれているような。


(……この感じ)


 昨日、車の中で感じたのと同じだ。


 自分の中にいる――〝もう一人の私〟。


(……あなたが、気にしちょっと?)


 答えはない。


 ただ、脈動が少しだけ強くなった気がした。


 白雪姫(こゆき)は、そっと右隣を窺った。


 蒼(あお)波(ば)は、真面目な顔で板書を写している。


 ――気づいて、いない。


(……そっか)


 昨日までは、逆だった。


 感知でも制御でも、蒼(あお)波(ば)のほうがずっと先を歩いていたのに。


(今は、私のほうが……感じ取れてる)


 それに、使われなくなった校舎や建物というのは、そもそも霊力が溜まりやすい。


 だから多少の反応くらいでは、蒼(あお)波(ば)も気に留めないのだろう。


(……確かめに、行ってみたいな)


 ――だが。


 旧校舎の周りは、立入禁止のロープで囲まれている。


 老朽化した建物だ。当たり前の話である。


(そもそも、どこから入るんかも分からんし……)


 結局、白雪姫(こゆき)はノートに視線を戻した。


 ――胸の内の、小さな疼(うず)きを抱えたまま。





❆





 放課後。


 ――そして。


「……し、しんど……っ」


「蒼(あお)波(ば)ちゃん、あとちょっと……!」


「あとちょっとが、一番、しんどい……っ」


 噂の、帰りの坂道である。


 朝あれほど快適に下ってきた勾配は、上りになった瞬間、ただの拷問装置と化した。


 ペダルが、重い。

 太腿が、悲鳴を上げる。


 結局、二人は途中から自転車を降りて、押して歩くことになった。


「……ねえ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


「なあに」


「これ、霊力で身体強化したら、楽になるっちゃない?」


「…………」


 蒼(あお)波(ば)が、ぴたりと足を止めた。


「……天才かも、白雪姫(こゆき)ちゃん」


「でしょ?」


「明日、やってみよ。絶対」


「うん、やってみよ」


 ――ちなみに後日、これを翠(み)織(おり)に話したところ。


「日常生活で霊力を無駄遣いしないの」


 と、まっとうに叱られることになるのだが。


 それは、また別の話である。





❆





 自然の家に帰り着いた後は、いつも通りの夜だった。


 食堂で夕食を食べて。

 大浴場で汗を流して。

 部屋に戻って、二人並んで宿題を広げて。


「……ここ、どうやって解くと?」


「あ、それはね――」


 消灯の時間になると、二人はそれぞれのベッドに潜り込む。


「おやすみ、白雪姫(こゆき)ちゃん」


「おやすみ、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 電気が消える。


 ――窓の外では、行縢の森が静かに揺(ゆ)れていた。





❆





 ――ひらり。


 頬を、何かが撫でた。


「…………ん」


 目を開ける。


 ――そこは、ベッドの上ではなかった。


「…………え」


 視界いっぱいに、桜が咲いていた。


 どこまでも。

 どこまでも。


 空の色さえ見えないほどに枝が広がり、風が渡るたび、薄紅の花弁が雪のように降り注いでいる。


 足元にも、花びらが厚く積もっていた。


 踏むと、さくり、と柔らかい音がする。


(……ここ)


 知っている。


 前にも、来たことがある。


 あの夜――行縢で、初めて霊力の気配を掴んだ、あの朝の前に。


(……でも)


 あの時とは、違う。


 あの時は、すべてが霞(かすみ)のようにぼやけていた。


 目が覚めた瞬間、輪郭ごと溶けて、桜の匂いしか残らなかった。


 ――なのに、今は。


(……はっきり、見える)


 花びらの一枚一枚の筋まで。

 風の温度まで。


 まるで、現実そのもののように。


 白雪姫(こゆき)は、ゆっくりと顔を上げた。


 ――そして。


「…………あ」


 息を、呑んだ。


 舞い狂う桜吹雪の、中央。


 ――一人の少女が、静かに佇(たたず)んでいた。


 光を弾くような、真っ白な髪。


 自分と同じ、雪の色。


 ――けれど。


 その瞳は、白くなかった。


 透き通るように澄んだ、桜(さくら)色の瞳。


 穏やかで、儚げで。


 それでいて、どこまでも気高い。


 白雪姫(こゆき)は、動けなかった。


 怖くはない。


(……あなたが)


 なのに、胸がどうしようもなく震えていた。


(……あなたが、私の中に――)


 少女が、ふわりと微笑む。


 薄紅の唇が、静かに開かれた。


「――ようやく、お会いできました」


 鈴を転がすような、澄んだ声で。


「白雪姫(こゆき)」





ここまで読んでいただきありがとうございます!

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