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白雪の神子  作者: 日影ヱト
第01章:白雪の少女
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第16話:新たな予感

 ――あたたかい。


 白く霞(かす)んだ意識の底で、白雪姫(こゆき)が最初に感じたのは、そんな曖(あい)昧(まい)な感覚だった。


 誰かの腕。

 誰かの体温。


 重い瞼(まぶた)を、ゆっくりと持ち上げる。


 ――そして、視界に飛び込んできたのは。


「……起きた?」


「……せん、せい」


 自分を抱きかかえたまま、そっと覗き込んでくる翠(み)織(おり)の顔だった。


 包み込むような、穏やかな声。


(……あったかい)


 張り詰めていたものが、するりと解(ほど)けていく。


 まるで――本当の親に抱かれているみたいだ。


 そんなことを思って、白雪姫(こゆき)は少しだけ身を預けた。


 ――だが。


 意識が鮮明になっていくにつれて。


 途切れ途切れの記憶が、奔(ほん)流(りゅう)となって押し寄せてきた。


 黒い翼。

 吹き飛ばされた先生。

 地面に叩きつけられた、蒼(あお)波(ば)。


 ――そして、あの、絶望的な魔力。


「……っ‼」


 白雪姫(こゆき)は、弾かれたように顔を上げた。


 周囲を、必死に見回す。


 抉れた地面。

 砕けたベンチ。

 焼け焦げた土の匂い。


 ――戦いの痕跡は、確かに残っている。


 けれど。


(……いない)


 どこを見ても、あの魔(ま)《じん》神の姿はなかった。


「あの……先生っ……」


 尋ねようと、口を開きかけて。


 ――その、瞬間だった。


「――っ」


 脳の奥底から。


 うっすらとした記憶の断(だん)片(ぺん)が、ふわりと浮かび上がってきた。


 ――舞い上がる、無数の花びら。


 ――炎を斬り裂く、華の刃。


 ――夜空を駆ける、百メートルの、竜。


(……なに、これ)


 覚えている。


 自分は、この光景を知っている。


 ――だが、白雪姫(こゆき)を戦(せん)慄(りつ)させたのは、その内容ではなかった。


 〝視点〟だ。


(……私、見上げてない)


 魔神を、見下ろしていた。


 自分の目で。

 自分の手を、振り下ろして。


 まるで――自分自身が、あれをやったかのように。


(……そんなわけ、ない)


 あんな力、自分にあるはずがない。


 なのに、記憶の手触りは、あまりにも生々しい。


 思わず、自分の胸に右手を置く。


(……もしかして)


 胸の奥で、言葉にならない予感が渦を巻く。


 夢の中の、桜の少女。

 何度も聞こえた、あの声。


『――わかりました』


(…………)


 白雪姫(こゆき)は、開きかけた唇をそっと閉じた。


 訊いてはいけない気がした。


 いや――今訊いても、きっと答えは返ってこない。


 そんな予感が、確かにあった。


「……白雪姫(こゆき)ちゃん?」


「……いえ。なんでも、ないです」


 そう答えた、その時。


 視界の端に、横たわる小さな影を捉えた。


「――蒼(あお)波(ば)ちゃんっ‼」


 白雪姫(こゆき)は翠(み)織(おり)の腕から転がるように抜け出し、必死に駆け寄った。


 膝をつき、顔を覗き込む。


「蒼(あお)波(ば)ちゃん、蒼(あお)波(ば)ちゃん……!」


 ――すぅ――すぅ。


「…………あ」


 小さな呼吸音が、静かに聞こえた。


 胸が、規則正しく上下している。


 あれほど無惨に折れていたはずの手足は、まっすぐに伸びていて。


 制服についていた血の跡すら、どこにもない。


「……よかった」


 安堵が、一気に押し寄せてきた。


 白雪姫(こゆき)はそっと蒼(あお)波(ば)の手を取り、両手で包み込むように握りしめる。


 ――あたたかい。


 さっきは、あんなに冷たくなっていたのに。


「……っ、よかった……」


 ぽたり、ぽたりと。


 こらえきれなくなった涙が、蒼(あお)波(ば)の手の甲に落ちた。


「蒼(あお)波(ば)ちゃんが……無事で……ほんとに、よかった……っ」


 何度も、何度も。


 白雪姫(こゆき)は、そう呟(つぶや)き続けた。


 ――少し離れたところで。


 翠(み)織(おり)は、その背中を黙って見つめていた。


(……ええ。本当に、よかったわ)


 夜風が、荒れ果てたグラウンドを吹き抜けていく。


 やがて三人は、静まり返った桜ケ丘小中学校を、そっとあとにした。





❆





 帰りの車内は、不思議な静けさに満ちていた。


 後部座席。


 白雪姫(こゆき)は、まだ目を覚まさない蒼(あお)波(ば)の頭を膝の上に乗せ、その黒髪を何度も撫でていた。


 ――けれど、視線は。


 流れていく車窓の外へと、向けられている。


(……なんか、変)


 世界の見え方が、まるで違っていた。


 窓の外を過ぎていく杉林。

 闇に沈む田んぼ。

 通り抜けていく、夜の空気。


 そのすべてに満ちている〝何か〟を。


 ――今の白雪姫(こゆき)は、はっきりと感じ取ることができた。


(これが……霊力)


 あんなに苦労して、何時間座っても掴めなかったものが。


 今は、呼吸するように分かる。


(……なんで、急に)


 ――そして。


 それだけでは、なかった。


 胸の奥。〝魂〟の、いちばん深いところ。


 そこに。


 ――とくん。


 あたたかい、脈動があった。


(……いる)


 自分の心臓とは違う、もう一つの鼓動のような。


(……そこに、いる)


 白雪姫(こゆき)は、そっと自分の胸元に手を当てた。


 怖くはなかった。


 不思議と、少しも。


 むしろ――どこか、懐かしくて。


 運転席の翠(み)織(おり)にも、膝の上の蒼(あお)波(ば)にも聞こえない、微(かす)かな声で。


 白雪姫(こゆき)は、ぽつりと呟いた。


「……そこにいるんだね」


 街灯の光が、窓の外を流れていく。


「――私の、知らない、私……」


 返事は、なかった。


 けれど。


 胸に当てた手のひらの奥で。


 その脈動が、ほんの少しだけ強くなった気がした。





❆





 車が国道を半分ほど走った頃。


「……ん……」


 膝の上で、蒼(あお)波(ば)が身じろぎした。


「――蒼(あお)波(ば)ちゃん⁉」


「……ここ……どこ……?」


 うっすらと開かれた琥(こ)珀(はく)色の瞳が、ぼんやりと白雪姫(こゆき)を映す。


「気が付いたの⁉ よかった……!」


「気分はどう、蒼(あお)波(ば)ちゃん?」


 バックミラー越しに、翠(み)織(おり)が声をかけた。


「どこか、痛むところはない?」


「あ……翠(み)織(おり)先生……」


 ゆっくりと身を起こしながら、蒼(あお)波(ば)は何度も瞬(まばた)きを繰り返す。


 そして――ふいに、その顔色が変わった。


「――っ‼ うち、グラウンドで……‼」


 記憶が、一気に戻ってきたのだろう。


「魔神が……先生が吹き飛ばされて、白雪姫(こゆき)ちゃんが首を掴まれて、それでうち……っ」


 言いながら、蒼(あお)波(ば)は自分の身体をさすった。


 ――止まる。


「……あれ?」


 脇腹。腕。脚。


「痛くない……?」


 あれほどの激痛があったはずの場所には、傷ひとつ残っていない。


「そんな……骨、絶対に折れとったのに……」


 混乱した顔で、蒼(あお)波(ば)は二人を見た。


「あの、あの魔神は……⁉ どうなったんですか⁉」


 ――白雪姫(こゆき)と翠(み)織(おり)は、一瞬だけ視線を交わした。


「……安心して、蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 ハンドルを握ったまま、翠(み)織(おり)が静かに言う。


「あの魔神はね。……通りすがりの、強い神(み)子(こ)の方が倒してくださったのよ」


「…………え?」


「怪我も、その方が治してくださったの」


「通りすがりの……強い、神子……?」


 蒼(あお)波(ば)は、しばらく無言だった。


(……いや、いやいや)


 どう考えても、都合が良すぎる。


 漫画でももう少し捻るだろう、という話だ。


(絶対、なんか隠してる)


 ――だが。


 隣を見る。


 白い髪の少女が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。


 自分は、生きている。

 彼女も、生きている。


 ――それが、すべてだった。


「…………はぁ」


 蒼(あお)波(ば)は、大きく息を吐いて。


 そして。


「――っ、ふぇ……」


 ぼろり、と。


 琥珀色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。


「え、蒼(あお)波(ば)ちゃん⁉」


 止める間もなかった。


 蒼(あお)波(ば)は、隣に座る白雪姫(こゆき)に思い切り抱きついた。


「うわっ……⁉」


「よかったぁ……っ‼」


 首元に顔を埋(うず)め、ぎゅう、と力を込めて。


「白雪姫(こゆき)ちゃんが、無事で……ほんとに、よかったぁ……っ!」


 その声は、震えていた。


「……っ」


 白雪姫(こゆき)は、目を丸くした。


 ――同じだ。


 ついさっき、グラウンドで自分が言った言葉と、まったく同じ。


(……ふふ)


 胸の奥から、あたたかいものが込み上げてくる。


 白雪姫(こゆき)はそっと腕を回し、その背中を抱き返した。


「……うん」


 小さく、けれどはっきりと。


「私の方こそ、ありがとう」


「……え?」


「あんなに怖かったのに。動けんかったのに。……それでも、私を助けようとしてくれたやん」


「…………」


「嬉しかった。……ほんとに、嬉しかったよ。蒼(あお)波(ば)ちゃん」


 ――しばらく、車内には啜(すす)り泣く音だけが響いていた。


 バックミラー越しにその様子を見て、翠(み)織(おり)はそっと目を細める。


 窓の外では、細い月が、夜の山あいをどこまでも追いかけてきていた。





❆





 ――そして、同じ頃。




 白雪姫(こゆき)たちのいる場所から、遥か遠く離れた土地で。


「…………」


 一人の少女が、夜空を見上げていた。


 風になびく、腰まで届く艶(つや)やかな黒髪。

 黒曜石のように深い、静かな瞳。


 ――ふと、その瞳が揺れた。


 遠く、遥か遠くから。


 風に乗って届いた、微(かす)かな――それでいて、あまりにも濃密な霊力の残(ざん)滓(し)。


 千年。


 千年、忘れたことのない気配。


「……この霊力」


 声が、震えた。


 喉が、うまく動かない。


「……まさか」


 少女は、胸元をぎゅっと握りしめた。


「――白櫻姫(こさき)ちゃん……?」


 その呟きは、誰に届くこともなく。


 春の夜風に、溶けて消えた。





❆





 ――さらに、時を同じくして。




 場所は変わり。


 轟(ごう)々(ごう)と滝の音が響き渡る、薄暗い洞窟の奥。


 濃密な霊気が満ちる、凍(い)てついた静寂の中。


 岩肌に寄りかかるようにして、一人の少女が眠っていた。


 純白の、長い髪。

 小花柄の着物(きもの)。


 ――その瞼が。


 ――ぱちり、と。


 開いた。


「――……っ⁉」


 水色の瞳が、大きく見開かれる。


 胸元を、両手で押さえた。


 震えている。


 喜びなのか、戦慄なのか、自分でも分からないまま。


「……これは……この、あったかい気配は……」


 少女は、ゆらりと立ち上がった。


 滝の轟音の中へ、ほとんど掻き消えそうな声で。


 ――呟く。


「……白櫻姫(こさき)様……なの……?」





ここまで読んでいただきありがとうございます!

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