↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白雪の神子  作者: 日影ヱト
第01章:白雪の少女
PR
16/46

第15話:戦いが終わって――

 ――静寂が、戻ってくる。


 つい今(いま)し方(がた)まで世界を塗り潰していた、あの禍(まが)々(まが)しい魔力の渦。


 その痕跡すら、もうどこにも残っていない。


 聞こえるのは、行(むか)縢(ばき)の森を渡ってくる夜風の音だけだった。


(……勝った、の……?)


 翠(み)織(おり)は、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。


 全身を縛りつけていた緊張が解けていく。指先が、じん、と痺れていた。


 ――魔(ま)神(じん)。


 自分が全霊を注いでも、傷ひとつ与えられなかった存在。


 それを、目の前の少女は。


 傷どころか、髪の一筋すら乱すことなく、葬り去ってしまった。


 舞い落ちる花びらの中を、白櫻姫(こさき)がゆっくりと歩いてくる。


 白と桜の羽衣が、夜風に静かに揺れていた。


「……あなたは――」


 声が、震えた。


 姿かたちは、間違いなく白雪姫(こゆき)だ。


 自分が引き取り、この数日、確かに見守ってきた少女のもの。


 ――なのに。


 その瞳に宿る桜色の光も。

 背筋の伸びた優雅な所作も。

 魂の底から漂う、圧倒的な〝格〟も。


 どれ一つとして、あの引っ込み思案な子のものではなかった。


(この子の中に……こんな存在が、いたっていうの……?)


 ――だが。


 その問いに、少女はすぐには答えなかった。


 薄紅の唇に柔らかな笑みを浮かべ、代わりに、こう尋ねてきた。


「……蒼(あお)波(ば)様は、ご無事でしょうか?」


「――あっ‼」


 翠(み)織(おり)の顔から、血の気が引いた。


(しまった……‼)


 魔神との戦いに、意識を根こそぎ持っていかれていた。


 ――あの子は、蹴り飛ばされたのだ。


 骨の砕ける音を、確かに聞いた。


(指導者失格じゃない、私……‼)


 弾かれたように駆け出そうとした翠(み)織(おり)を。


「大丈夫ですよ」


 鈴のような声が、そっと引き留めた。


「え……?」


「焦る必要はございません。……参りましょう」


 落ち着き払ったその声に、翠(み)織(おり)は戸惑いながらも足を緩めた。


 二人は並んで石段を上り、第一グラウンドへと戻る。


 ――そして、そこで。


「……これは」


 翠(み)織(おり)は、言葉を失った。


 芝生の上に横たわる、蒼(あお)波(ば)。


 その身体を包み込むように。


 幾千、幾万もの花びらが――半球の天(ドー)蓋(ム)を、形作っていたのだ。


 淡い桜色の霊気を帯びた花びらが、滑らかに円を描いて旋回している。


 美しく。

 そして、隙(すき)がなかった。


 外からのいかなる衝撃も通さない、完璧な防壁だった。


「先ほどの戦いの間、念のため守らせていただきました」


 白櫻姫(こさき)がそっと指先をかざす。


 ――ふわり。


 ドームを成していた花びらが宙へ舞い上がり、光の粒となって夜空へ溶けていった。


 現れた蒼(あお)波(ば)の顔には、傷ひとつない。


 ただ、心地よさそうに寝息を立てているだけだった。


「…………」


 翠(み)織(おり)は、その場に膝をついた。


 脈を確かめる。呼吸を確かめる。


(あの怪我が治ったなんて)


 ――どちらも、驚くほど安らかだった。


(……待って)


 そして、改めて背筋が冷えた。


(あの戦いをしながら?)


 魔神との、一瞬の油断も許されない死闘。


 その最中に、数百メートル離れたこの場所へ意識を割き。


 これほど緻密な霊力構造を、展開し続けていたというのか。


(並列制御……それも、この精度で)


 一流の術者でも、まず不可能だ。


(……この方は、一体どこまで)


 翠(み)織(おり)は、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、焦げ茶色の瞳に決意を込めて、目の前の少女を見つめた。


「……蒼(あお)波(ば)ちゃんを守ってくださって、ありがとうございます」


「いいえ」


「その上で、改めてお尋ねします」


 深く、息を吸う。


「あなたは――一体何者なのですか」


 ――風が、二人の間を吹き抜けた。


 白い髪が、優雅に靡(なび)く。


 少女は静かに目を伏せ、胸元にそっと手を添えると。


「……改めまして、お初にお目にかかります」


 深く、礼(れい)を。


「わたくしは、〝椿(つばきの)宮(みや)白櫻姫(こさき)〟と申します」


 その声には、長い時を生きた者だけが持つ重みがあった。


「神(しん)名(めい)を――〝椿(ツバキノ)宮(ミヤノ)白(ハク)櫻(オウ)姫(キノ)神(カミ)〟」


「……しん、めい?」


 翠(み)織(おり)の声が裏返った。


「か、神の名前……⁉ それって、つまり……白櫻姫(こさき)様は――」


「ああ、〝様〟などと呼んでくださらなくて結構です」


 白櫻姫(こさき)は、困ったように小さく首を振った。


「今のわたくしは、ただの魂の同居人に過ぎませんので」


 そして、彼女は夜空を仰いだ。


「わたくしはかつて、神々の住まう地――〝神(しん)界(かい)〟におりました」


「神界……」


「ですが、とある罪により、罪人の丘で処刑されました。……命を落としたはずなのです」


「――処刑⁉」


「ええ。それなのに、目覚めてみれば」


 白櫻姫(こさき)は、自分の小さな手のひらを見下ろした。


「なぜか、この子の中に魂が宿っておりました」


「なぜ……そんなことが」


「それが、わたくしにも分からないのです」


 少女は、正直に肩をすくめた。


「奇跡なのか、あるいは何者かの悪戯(いたずら)なのか。……未だに、見当もつきません」


「…………」


 翠(み)織(おり)は、返す言葉を失っていた。


 神界。処刑。神の名。


 どれもこれも、常人が聞けば戯(たわ)言(ごと)として切り捨てる類(たぐい)の話だ。


 ――だが。


 たった今、目の前で見せつけられた光景が、それを真実だと告げていた。


「……あの子の記憶を、少しだけ覗かせていただきました」


 白櫻姫(こさき)は、懐かしむように目を細める。


「先日、学校とやらの授業で目にしたという――〝へいあんじだい〟という絵図と、その説明」


「……あ」


 翠(み)織(おり)の胸が、どくりと鳴った。


「あれを見て、確信いたしました。……わたくしが命を落としてから、この人間界では、すでに千年の歳月が流れていたのだと」


 ――千年。


「わたくしは、千年前に処刑された、過去の神に過ぎません」


「せん、ねん……」


 掠れた声が漏れた。


 あまりに、途方もない。


 ――半信半疑の思いが、胸をよぎるのは否定できなかった。


 けれど。


「……驚かない、と言えば嘘になります」


 翠(み)織(おり)は、深く息を吐いた。


「ですが」


「ですが?」


「実は、前々から感じてはいたんです。あの子の中に――私たちの知る白雪姫(こゆき)ちゃんとは別の、もっと大きな〝何か〟がいるのではないか、と」


 行縢の道路に残されていた、異常な戦闘痕。

 訓練中に見せる、ちぐはぐな才能。

 顕(けん)現(げん)もしていないのに、白いままの髪と瞳。


 ――ばらばらだったピースが、今、綺麗に嵌(は)まった。


「だから、正直に申し上げると……納得した、というのが本音です」


「……さすがは、翠(み)織(おり)様」


 白櫻姫(こさき)は、くすりと微笑んだ。


 その笑みは、年相応の少女のようでもあり――どこか、母親のようでもあった。





❆





「……ひとつ、お聞きしても?」


「なんなりと」


「白雪姫(こゆき)ちゃん自身は、このことを知っているのですか」


 白櫻姫(こさき)は、静かに首を横に振った。


「いいえ。まだ、何も」


「……話していないのですね」


「ええ。……ですが、そう遠い話でもないと思っております」


「といいますと?」


「今日の戦いです」


 白櫻姫(こさき)は、指を一本立てた。


「魔(ま)蝕(しょく)者(しゃ)との激闘。魔神の威(い)圧(あつ)。そして――わたくしが、この体で神(じん)器(ぎ)を顕現させたこと」


「……っ」


「それらによって、あの子の魂と霊力の〝感知〟は、急激に引き上げられました」


「急激に、って……」


「おそらく、もう」


 白櫻姫(こさき)は、こともなげに言った。


「あなたや、蒼(あお)波(ば)様よりも上かもしれません」


「――」


 翠(み)織(おり)は、二の句が継げなかった。


 昨日まで、感知ひとつできずに肩を落としていた子が。


 たった一晩で。


「そう遠くないうちに、あの子は意識の奥で、わたくしと直接言葉を交わせるようになるでしょう」


 白櫻姫(こさき)は、自分の手をそっと握りしめた。


 愛(いと)おしむように。


「その時が来ましたら、わたくし自身の口から、すべてを打ち明けるつもりです」


「……ええ」


「ですので――翠(み)織(おり)様」


 桜色の瞳が、まっすぐに向けられる。


「それまでは、どうか。このことを、あの子には黙っていていただけませんか」


 翠(み)織(おり)は、迷わなかった。


「――分かりました」


 深く、頷く。


「私からは、何も言いません。……あなたの口から伝えるのが、きっと一番でしょうから」


「感謝いたします」


 白櫻姫(こさき)は、ほっとしたように胸を撫で下ろした。


 ――そこで、翠(み)織(おり)は足元へ視線を落とした。


 静かに眠り続けている、蒼(あお)波(ば)。


「……この子には、どうするおつもりですか」


「蒼(あお)波(ば)様、ですか」


「ええ。彼女もまた、白雪姫(こゆき)ちゃんと共に歩み始めた、彼女の仲間ですから」


 白櫻姫(こさき)の表情が、少しだけ真剣なものに変わった。


「蒼(あお)波(ば)様は、白雪姫(こゆき)にとって、かけがえのないご友人です」


「……はい」


「ですから、それを打ち明けるかどうかは――わたくしではなく、あの子自身が決めるべきことだと考えております」


 迷いのない答えだった。


「あの子が話したいと望むなら、それが正解なのでしょう」


「…………」


 ――と。


 そこで白櫻姫(こさき)は、ふっと視線を逸(そ)らした。


 そして、少しだけ困ったような苦笑を浮かべる。


「……ただ、わたくし個人の本心を申し上げるなら」


「はい?」


「先に知っておいていただいたほうが、後々の混乱が少なくて済むのではないか、とも」


「……ふふっ」


 思わず、翠(み)織(おり)は吹き出してしまった。


「なんですか、それ。案外ちゃっかりしていらっしゃるのね」


「あら。神とて、面倒事は避けたいものです」


 ――張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。


 千年前の神と、現代の神子。


 その間に、ほんの一瞬だけ、あたたかいものが流れる。


「……友とは、大事なものですから」


 ぽつり、と白櫻姫(こさき)が呟(つぶや)いた。


 その脳裏に浮かんでいたのは、遠い日の――黒髪の、一人の少女だった。


 圧倒的な才を持つゆえに孤立していた自分の隣に、いつもいてくれた、たった一人の友。


「――もっとも」


 白櫻姫(こさき)は、目を細めて微笑む。


「それは、白雪姫(こゆき)が一番よく分かっていることでしょうけれど」





❆





 ――と、その時。


「……っ」


 白櫻姫(こさき)が、ふと自分の身体を見下ろした。


 桜色の瞳の光が、ゆらり、と揺らぎ始めている。


「……そろそろ、限界のようですね」


「え……」


「白雪姫(こゆき)の意識が、浮上してきております」


 白櫻姫(こさき)は、名(な)残(ごり)惜しそうに――けれど穏やかに、微笑んだ。


「後は、お任せいたしますね、翠(み)織(おり)様」


「あ……」


「あの子を、どうか」


 深く、頭を下げる。


「よろしくお願いいたします」


 ――祈るような言葉を残して。


 少女は、静かに瞼を閉じた。


 次の瞬間。


 全身を包んでいた神聖な気配が、引き潮のように退いていく。


 桜色の瞳が、白へと戻る。


 纏っていた〈千年霞の羽衣〉が光の粒に解け――現れたのは、見慣れた濃(のう)紺(こん)のセーラー服だった。


「……っ」


 支えを失った小さな身体が、ぐらりと前に傾ぐ。


「――っと」


 翠(み)織(おり)は素早く一歩踏み込み、その華(きゃ)奢(しゃ)な身体を抱きとめた。


 ――軽い。


 腕の中に収まったそれは、驚くほど軽く、小さく、そして温かかった。


 ついさっきまで魔(ま)神(じん)を圧倒していた威厳など、どこにもない。


 ただ、疲れ果てて眠る、十二歳の女の子がいるだけだった。


「……本当に。無茶ばっかりして」


 翠(み)織(おり)はそっと手を添え、雪のように白い髪を撫でた。


 ――千年前の神を宿した少女。


 これから彼女を待ち受けるであろう、あまりに過酷な運命。


 守り切れるだろうか。

 導いてやれるだろうか。


「……はぁ」


 深い溜息が漏れた。


 ――けれど。


 その溜息とは裏腹に、白雪姫(こゆき)を見つめる翠(み)織(おり)の顔には。


 穏やかな笑みが、浮かんでいた。


(大丈夫。……何が来ようと、私が全力で守るわ。それに、この子の中には――あの方がいる)


 夜風が、二人の髪を撫でていく。


 空を見上げれば、雲の切れ間から、細い月が覗いていた。


 腕の中の寝顔を見つめて、翠(み)織(おり)は静かに唇を開く。


「――ありがとう」


 風に溶けて消えた、その一言。


 それが、命を懸けて自分たちを守ってくれた〝白雪姫(こゆき)〟へ向けたものなのか。


 それとも、千年の時を越えて奇跡を起こした〝白櫻姫(こさき)〟へ向けたものなのか。


 ――それを知る者は、この夜空の下に、ただ一人しかいなかった。





ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白い・続きが気になると思っていただけたら、【ブックマーク登録】やページ下部の【評価】を押していただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。