表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/40

第7話 気づいたこと

 本屋で会った次の週、私は前より少しだけ星野くんを意識してしまうようになった。


 前から意識していなかったわけじゃない。

 でも今は、講義室に入る前に、今日はいるだろうかと思う。

 昼休みに一人でいると、見つかるかもしれないと思う。

 スマホが震えると、もしかしてと思う。


 そういう小さな変化が、生活のあちこちに入り込んでいた。


 それを認めるのはまだ少し恥ずかしい。

 でも、もう気づかないふりは難しかった。


「相沢さん」

「……なに」

「今日、三回目」

「何が」

「俺のこと探した」

「探してない」

「今の間が怪しい」


 三限終わりの廊下で、星野くんはそう言って笑った。

 私は鞄の紐を持ち直して、少しだけ目をそらす。


「気のせい」

「便利だなあ、それ」

「そっちこそ」

「俺は正直だから」

「自分で言うんだ」

「言うよ」


 そのまま並んで階段を下りる。

 窓の外は少し曇っていて、風が強そうだった。


「今日バイト?」

「ない」

「じゃあ、駅まで?」

「……うん」

「やった」


 そんなことで喜ぶのかと思う。

 でも、その軽さに少し救われる自分もいる。


 正門を出て、駅までの道を歩く。

 人の流れにまぎれながら、私は何度か周囲の頭上を見た。


 最近はもう、見ないようにするほうが難しい。


 大きな星。

 小さな星。

 何もない人。


 その中で、前を歩く女子高生二人のうち、一人の頭上に小さな星が見えた。

 もう一人には何もない。


 私は少しだけ視線を止める。


 二人は笑いながら話している。

 それなのに、小さな星だけが妙に引っかかった。

 胸の奥が、わずかにざわつく。


「また遠く行ってる」


 隣から声がして、私ははっとした。


「行ってない」

「行ってたよ」

「……少しだけ」

「今日は認めた」


 星野くんは少しうれしそうに言った。

 私はそれに返さず、前を向く。


「何見てたの」

「人」

「やっぱり」

「別に変な意味じゃない」

「うん、変な意味だとは思ってない」

「……そう」


 その言い方が少しだけやさしくて、私は続きを飲み込んだ。


 本当は、変な意味だ。

 少なくとも普通ではない。

 人の頭の上に見える星を見て、意味を探しているなんて。


 でも、星野くんの前では、そういう自分を少しだけ隠しきれなくなっている気もした。


 駅前の信号で立ち止まる。

 赤信号のあいだ、向かい側の歩道に小さな子どもを連れた母親がいた。

 母親の頭上には大きな星がある。

 子どもには何もない。


 私はその光景を見て、少しだけ考える。


 大きい星。

 まだしばらく消えなさそうな光。

 それを見ていると、不思議と少しだけ安心する。


「何考えてるの」


 不意に聞かれて、私は少し肩を揺らした。


「……別に」

「またそれ」

「考えてないわけじゃないけど」

「じゃあ、考えてるんだ」

「うるさい」


 星野くんは笑う。

 信号が青に変わって、人の流れが動き出す。


「相沢さんって、たまにすごい遠く見るよね」

「そう?」

「うん。今ここにいるのに、別のこと考えてる顔する」

「失礼」

「悪い意味じゃないよ」

「じゃあ何」

「ちゃんと自分の中で考えてる感じ」


 私は少しだけ黙る。

 そういうふうに見えているのかと思った。


「考えすぎるの、悪いことじゃないと思うけど」

 と星野くんが言う。

「疲れるけど」

「……それはそう」

「自分でも面倒?」

「少し」

「でも、相沢さんのそういうとこ嫌いじゃないよ」


 私は思わず足を止めた。


「……今、何て」

「え」

「嫌いじゃないって」

「言った」

「軽い」

「軽くないけど」


 星野くんは少しだけ困ったように笑った。


「好きとかそういう意味で今言ったわけじゃなくて」

「分かってる」

「ならいいけど」

「……でも、そういう言い方、ずるい」

「ずるい?」

「びっくりするから」

「ごめん」


 謝りながら、少しも悪いと思っていなさそうな顔をしている。

 私はそれ以上何も言えなくなって、また歩き出した。


 駅に着く手前で、商店街の入口にある花屋の前を通る。

 店先には季節の花が並んでいて、店員と客が何か話していた。


 その客の頭上に、小さな星が見えた。


 私は反射的に足を止めそうになる。


 客は年配の女性で、店員は若い男性だった。

 親しそうに話している。

 でも、小さな星だけが妙に目に残る。


 胸の奥が、また少しだけ冷える。


 小さい星を見ると、いつも少しだけ落ち着かない。

 何が違うのか、何を意味しているのか、まだ分からない。

 ただ、見ていると胸の奥がざわつく。


「相沢さん?」


 呼ばれて、私はまた我に返る。


「……ごめん」

「今日はほんとによく飛ぶね」

「飛んでない」

「飛んでるって」


 星野くんは少しだけ心配そうに私を見る。


「疲れてる?」

「そういうわけじゃ」

「じゃあ、考えすぎ?」

「……それは、そうかも」


 認めると、少しだけ楽になる。

 星野くんは「そっか」とだけ言った。


「無理しないでね」

「してない」

「ならいいけど」

「……心配しすぎ」

「するよ」

「なんで」

「相沢さんだから」


 その返事があまりに自然で、私は言葉を失った。


 どうしてそんなふうに言えるんだろうと思う。

 特別な意味があるようで、ないようで。

 でも、少なくともどうでもいい相手には言わない気がした。


 駅前で別れて、一人で電車に乗る。

 窓の外を流れる景色を見ながら、私は今日見た星のことを思い返していた。


 小さい星。

 大きい星。

 何もない人。


 違いはある。

 意味もたぶんある。

 でも、まだ分からない。


 分からないままなのに、気になる。

 見つけるたびに、少しずつ心に残っていく。


 家に帰ってから、私はすぐにノートを開いた。


 新しいページに、少し迷ってから「気づいたこと」と書く。


 星には意味がある

 小さい星は見ていて落ち着かない

 大きい星は少し安心する

 でも何の差なのかは分からない

 人と人のあいだにある何かに関係している気がする


 そこまで書いて、私は少しだけ手を止めた。


 最後の一行は、観察というより、ほとんど気持ちだった。


 星野くんに星がないことだけは、なぜかほっとする


 書いたあとで、私はその一行をしばらく見つめた。

 やっぱり、これはもうただの記録じゃない気がした。


 本屋にいたあの親子のことが、どうしても頭から離れない。


 あの子の頭の上に見えた小さな星。

 隣にいた母親の大きな星。


 もしもう一度会えたら、同じ星なんだろうか。

 確かめたい、と思った。


 私はページの端に、小さく書き足す。


 本屋の親子

 もう一度見たら同じか確かめたい


 星のことを知りたいと思っているはずなのに、

 気づけば私は、星野くんのことばかり考えている。


 講義の合間に見つけること。

 駅まで一緒に歩くこと。

 何気ない言葉に、いちいち心が揺れること。


 そういうことが、前より少しずつ増えている。


 夜、ベッドに入ってからも、私はノートに書いた最後の一行を思い出していた。


 星野くんに星がないことだけは、なぜかほっとする。


 なぜか、なんて書いたけれど、本当は少し分かっている。

 見えないから安心する。

 見えないままでいてほしいと思う。


 でも、その理由をまだちゃんと言葉にはしたくなかった。


 そのとき、スマホが震えた。


 星野くんからだった。


 『今日の相沢さん、いつもより考えてたね』


 私は少しだけ笑う。


 『いつも考えてる』


 送ると、すぐに返事が来る。


 『知ってる』

 『でも今日は、いつもより遠かった』


 私は画面を見つめたまま、少しだけ息を止めた。


 遠かった。


 そんなふうに見えていたんだと思う。

 隠しているつもりでも、少しずつ伝わってしまっているのかもしれない。


 私は少し迷ってから返す。


 『少しだけ』


 既読がついて、少し間が空く。


 『そっか』

 『じゃあ、戻ってきたくなったら呼んで』


 私はその文を何度も読み返した。


 やさしい言い方だと思った。

 無理に聞かない。

 でも、離れたままにもしておかない。

 そういう言葉だった。


 私はすぐには返せなかった。

 でも、しばらくしてから打つ。


 『気が向いたら』


 送ると、またすぐ返ってくる。


 『待つのは得意』


 私はスマホを胸の上に置いて、目を閉じた。


 待つのは得意。

 その言葉が、暗い部屋の中で静かに残る。


 星の意味も、自分の気持ちも、まだ分からないことばかりだ。


 それでも、ひとつだけ分かる。


 星野くんの頭の上には、今日もまだ何もない。


 その空白を見て安心する気持ちは、たぶん前より少しだけ大きくなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ