表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/40

第37話 聞きたいこと

 昨夜は、なかなか眠れなかった。


 ノートを閉じたあとも、胸の奥のざわつきが消えなくて、ベッドの中で何度も寝返りを打った。

 目を閉じるたびに浮かぶのは、あの一文だった。


『星野くんに、ちゃんと好きって言う』


 自分で書いたはずの言葉なのに、まるで誰か別の人の気持ちを覗いてしまったみたいだった。


 私はこの人を好きだったらしい。

 でも、その気持ちを、今の私は思い出せない。


 それが苦しくて、少しだけ泣いた。


 朝になっても、気持ちはあまり整理できていなかった。


 カーテンの隙間から差し込む光をぼんやり見つめながら、私は枕元のスマホに手を伸ばす。

 画面を開くと、昨夜のやり取りがそのまま残っていた。


『来てくれてありがとう。星野くんも休んでね』


 そこから先は、何も増えていない。


 私はトーク画面を見つめたまま、指を止めた。


 聞くしかない。

 そう思った。


 でも、いざとなると、何をどう聞けばいいのか分からない。


 私、前にあなたのこと好きだったみたい。

 知ってた?

 どう思ってた?

 私たち、どういう関係だったの?


 頭の中で言葉を並べてみる。

 どれも不自然で、どれも重すぎる気がした。


 こんなことを急に聞かれたら、星野くんは困るだろうか。

 それとも、もう覚悟しているんだろうか。


 分からない。

 分からないことばかりだった。


 私は一度スマホを伏せて、深く息を吐いた。

 けれど数秒後には、また手に取ってしまう。


 開いて、閉じる。

 打って、消す。

 それを何度も繰り返した。


 結局、送れたのはたった一言だった。


『今日、少し会える?』


 送信した瞬間、心臓が嫌なくらい大きく鳴った。


 早すぎたかもしれない。

 やっぱりやめればよかったかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、画面に既読がつく。


『会えるよ』

『無理ない場所のほうがいいよな。大学の中にする?』


 私はその文を見て、少しだけ唇を噛んだ。


 こういうところだ、と思った。

 返事を急がせない。

 無理をさせない。

 相手の様子を先に気にする。


 ノートに書いてあった通りだ。


『うん、大学で』

『ありがとう』


 送ると、すぐに返事が来る。


『じゃあ、昼すぎにいつものベンチ……は違うか』

『中庭のベンチにしよう』

『来られそうになったらでいいから』


 “いつものベンチ”という言葉に、胸が小さく揺れた。

 でも星野くんはすぐに言い直した。

 たぶん、今の私が分からないことを分かっているからだ。


『分かった』


 それだけ返して、私はスマホを置いた。


 約束をしただけなのに、ひどく疲れた気がした。


 昼すぎ、私は少し早めに大学へ向かった。


 まだ慣れない通学路を歩きながら、何度も深呼吸する。

 聞きたいことはたくさんあるはずなのに、頭の中は妙に静かだった。

 静かなまま、落ち着かない。


 中庭のベンチには、星野くんが先に来ていた。


 私に気づくと、軽く手を上げる。

 その仕草だけで、胸の奥がまた小さく揺れた。


「ごめん、待った?」


「いや、俺も今来たとこ」


 たぶん少し前からいたんだろうな、と思う。

 でもそれを言わないところも、なんだか星野くんらしい気がした。


「座る?」


「うん」


 少し距離を空けて、ベンチに腰を下ろす。

 沈黙が落ちる。


 気まずい、というより、何を言えばいいのか分からなかった。


「体調、大丈夫?」


 先に口を開いたのは星野くんだった。


「昨日よりは」


「そっか。ならよかった」


 それだけの会話なのに、妙にやさしい。

 やさしいからこそ、苦しい。


 私は膝の上で指先を組んだ。

 そのとき、視界の端で、星野くんがペットボトルを指先でくるりと回した。


 ――ペットボトルを膝の上で回す癖。


 ノートの一文が、頭の中によみがえる。


 思わずそちらを見ると、星野くんが少し首をかしげた。


「どうした?」


 ――少し首をかしげる。


「……ううん」


 まただ、と思った。

 ノートに書いてあった通りだ。

 本当に、私はこの人をよく見ていたんだ。


「何か、話したいことあった?」


 急かさない声だった。

 責める感じもない。

 ただ、待ってくれている。


 私は唇を開きかけて、閉じた。


 聞きたい。

 でも、怖い。


 もし私だけが好きだったのだとしたら。

 もしもう終わった話なのだとしたら。

 もし聞いたことで、今のこの距離まで壊れてしまったら。


 そんなことばかり考えてしまう。


「……昨日、部屋でノート見たの」


 やっとそれだけ言えた。


 星野くんの表情が、ほんの少しだけ変わる。

 驚いたような、でも予想していたような顔だった。


「ノート?」


「うん。机の上にあったやつ」


 星野くんは何も言わない。

 続きを待っている。


「星のこと書いてあるノートと……星野くんのこと書いてあるノート」


 そこまで言うと、喉の奥が少し詰まった。


「……そっか」


 返ってきたのは、短い相づちだけだった。


 否定しない。

 ごまかさない。

 でも、先回りして何かを言うこともしない。


 それがありがたいのに、少しだけ残酷だった。

 たぶん、私が自分で言えるのを待ってくれている。


「いろいろ書いてあった」


 私は膝の上を見つめたまま続ける。


「第一印象とか、よく言うこととか、しぐさとか」

「一緒にしたこととか、気になったこととか」

「……すごく細かく書いてあって」


 声が少しずつ小さくなる。


「私、あんなに見てたんだって思った」


 風が、木の葉を揺らした。

 少しだけ間が空く。


「うん」


 星野くんは、それだけ言った。


 私は顔を上げられなかった。


「読んでたら、なんか……途中で泣きそうになって」

「自分でも、なんでか分からないのに」


 言葉にすると、昨夜の感覚がまた胸の奥に戻ってくる。


「最後のほうに、書いてあったの」


 そこで、私はようやく顔を上げた。


 星野くんは静かにこちらを見ていた。

 逃げない目だった。


「……『ちゃんと伝えたい』って」

「そのあとに」


 喉が震える。


「『星野くんに、ちゃんと好きって言う』って、書いてあった」


 言ってしまった瞬間、胸の奥が強く鳴った。


 もう引き返せない、と思った。


 星野くんはすぐには何も言わなかった。

 驚いているようにも見えたし、言葉を選んでいるようにも見えた。


 沈黙が落ちる。


 怖かった。

 返事を聞くのが怖い。

 でも、ここで目をそらしたくなかった。


「私……」


 声が少しだけ揺れる。


「この人を好きだったらしい、って思った」

「でも、思い出せないの」

「好きだったことは分かるのに、そのときどんな気持ちだったのか、全然分からなくて」


 言いながら、自分でも情けなくなる。

 こんな曖昧な言い方しかできない。


「ごめん」

「変なこと言ってるの、分かってるんだけど」


「変じゃない」


 星野くんが、静かに言った。


 その声は思ったより近くて、私は思わず息を止めた。


「変じゃないよ」


 繰り返す声は、やわらかかった。


「……そっか」


 それしか言えなかった。


 また少し沈黙が落ちる。

 でも今度の沈黙は、さっきより少しだけ息がしやすかった。


 私は勇気を振り絞るように、次の言葉を押し出した。


「ねえ、星野くん」


「うん」


「私たちって……前、どんな感じだったの?」


 聞いた瞬間、胸の奥がひどく熱くなった。


 それは、答えが怖いからなのか。

 それとも、やっと聞けたからなのか。

 自分でも分からなかった。


 星野くんは少しだけ目を伏せ、それから困ったように笑った。


 その表情もまた、ノートに書いてあった通りで、胸が痛くなる。


「それ、たぶん一言じゃ言えない」


「……うん」


「でも、ちゃんと話すよ」


 私はその言葉を聞いて、膝の上で握っていた手の力を少しだけ抜いた。


 ちゃんと話す。

 その言葉だけで、救われる気がした。


「今日は、どこまで聞きたい?」


 急がせない聞き方だった。

 答えを押しつけない声だった。


 私は少しだけ考えてから、息を吸う。


「……まずは」

「私が、星野くんのことを好きだったって、星野くんは知ってたのか聞きたい」


 言い終えた瞬間、また心臓が大きく鳴る。


 星野くんは私を見つめたまま、すぐには答えなかった。


 その沈黙の長さに、胸が苦しくなる。


 けれど、もう目はそらさなかった。


 知りたいと思った。

 怖くても、ちゃんと。


 星野くんが、ゆっくりと口を開く。


 その瞬間、私は無意識に息を止めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ