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第15話 見ても、分からない

 次に小さい星の人を見つけたのは、三日後だった。


 講義を終えて駅へ向かう途中、夕方の人通りの中で、ふと視界の端に引っかかった。


 頭の上に、小さな星がある。


 思わず足が止まる。


 前にも何度か見たことはあった。

 でも、そのたびに私は見ないふりをしてきた。

 見たところで何ができるわけでもないし、知ったところで怖くなるだけだと思っていたからだ。


 なのに今日は、目をそらせなかった。


 その人は三十代くらいの女性で、ベージュのカーディガンに黒いスカートを穿いていた。

 肩にかけたバッグを押さえながら、駅前の通りをゆっくり歩いている。


 星は、やっぱり小さい。


 胸の奥がざわつく。


 追いかけるつもりなんてなかった。

 ただ、もう少しだけ見ていたいと思っただけだった。


 でも気づけば、私はその人のあとを歩いていた。


 一定の距離を空けて、足音を紛らわせるみたいに人の流れに混ざる。

 自分が何をしているのか分からなくて、途中で何度もやめようと思った。


 こんなの、よくない。

 知らない人を追うなんて、よくないに決まっている。


 それでも足は止まらなかった。


 女性は駅前の横断歩道を渡り、コンビニに入った。

 ガラス越しに見える姿を、私は店の外からぼんやり追う。


 飲み物を一本取って、少し迷ってからおにぎりも手に取る。

 レジに並んで、財布を出して、袋を受け取る。


 それだけだった。


 何も起こらない。


 私は自分の肩から少しだけ力が抜けるのを感じた。


 店を出た女性は、また普通に歩き出す。

 信号で止まり、スマホを見て、少しだけ口元をゆるめた。


 その頭の上にある小さな星だけが、場違いみたいに浮いている。


 どうして誰も見ないんだろう、と思う。


 すぐ隣を歩く人も、

 自転車で通り過ぎる人も、

 コンビニの店員も、

 誰ひとり、あの星に気づいていない。


 見えているのは、やっぱり私だけだ。


 その事実を、改めて突きつけられた気がした。


 もし今ここで、

「あの人の頭の上に星が見える」

と誰かに言ったら、きっと変な顔をされる。


 星野くんにも、言えない。


 言ったところで困らせるだけだし、

 信じてもらえるとも思えなかった。


 女性は駅前の広場を抜けて、小さな公園の脇で立ち止まった。

 待ち合わせをしているみたいだった。


 私は少し離れた自販機の横に立って、見えないふりをしながら様子をうかがう。


 女性はスマホを見て、顔を上げて、また周囲を見回す。

 落ち着かないような、でも少しだけ期待しているような顔だった。


 頭の上の星は、小さいまま変わらない。


 やっぱり、私の思い込みだったのかなと思う。


 小さい星を見たからって、

 すぐに何か悪いことが起きるわけじゃない。


 この人は普通に歩いて、

 普通に買い物をして、

 普通に誰かを待っている。


 それだけだ。


 胸の奥に張りついていた緊張が、少しだけほどける。


 そのとき、公園の向こうから一人の男性が走ってきた。


 女性はその姿を見つけた瞬間、はっとしたように目を見開いた。


 男性は息を切らしながら女性の前で立ち止まる。

 何か言う。

 ここからでは聞こえない。


 女性は一瞬だけ泣きそうな顔をして、それから笑った。


 その表情を見た瞬間だった。


 頭の上の星が、ほんの少しだけ小さくなった。


 私は息を止める。


 見間違いじゃない。


 確かに、さっきより小さい。


 女性は何かを言って、男性も何か返す。

 次の瞬間、女性はうつむいて、片手で目元を押さえた。

 泣いているようにも見えたし、笑っているようにも見えた。


 男性は困ったように笑って、でも少し安心したような顔で、女性の肩にそっと手を置いた。


 その光景は、遠目にはやさしい再会に見えた。


 でも、星は小さくなった。


 どうして、と思う。


 うれしそうだった。

 会えてよかったみたいに見えた。

 少なくとも、事故でも不幸でもなかった。


 なのに、どうして。


 女性はしばらくして顔を上げ、男性に何か言って笑った。

 二人は並んで歩き出す。


 その後ろ姿を見送りながら、私はその場から動けなかった。


 何も起こらなかった。


 それなのに、何かが変わった。


 それがいちばん怖かった。


 悪いことが起きる前触れなら、まだ分かりやすい。

 避けられるかどうかは別としても、少なくとも怖がり方は決められる。


 でも、意味が分からないまま変わるものは、

 どう怖がればいいのかも分からない。


 私は自販機の横で、無意識に自分の腕を押さえていた。


 見なければよかった、と思おうとした。


 でも、思えなかった。


 知ってしまったことは怖い。

 それでも、見たこと自体を後悔はしていなかった。


 むしろ、見たからこそ分からなくなった。


 小さい星は何なんだろう。


 何が減っているんだろう。


 何の前触れなんだろう。


 答えはひとつも出ないまま、胸の奥にざらついたものだけが残る。


 帰りの電車の中でも、私はずっとそのことを考えていた。


 女性の泣きそうな笑顔。

 走ってきた男性。

 再会した瞬間。

 そして、ほんの少しだけ小さくなった星。


 どれを思い返しても、意味がつながらない。


 家に着いて部屋に入ると、私は鞄を下ろしてすぐ机に向かった。


 机の上には、いつもの星のノートがある。


 椅子に座って開いたページに、私は今日見たことを書き留めていく。


 小さい星の人を見た。

 初めて追いかけた。

 誰も星を見ていなかった。

 その人は普通に過ごしていた。

 事故にも遭わなかった。

 倒れもしなかった。


 そこまで書いて、少し止まる。


 それから、続きを書く。


 誰かと会ったとき、星が少し小さくなった。


 ペン先が止まる。


 どうして、とは書けなかった。

 分からないからだ。


 私はその一文の下に、少し迷ってからもう一行だけ足した。


 意味は分からない。


 書いてみても、何も整理された気はしなかった。


 むしろ、前より分からなくなっただけだった。


 ノートを見つめたまま、私は小さく息を吐く。


 星が見えることにも、

 見えた星が変わることにも、

 まだ何ひとつ慣れない。


 それでも、もう前みたいに見ないふりはできない気がした。


 怖かった。


 でも、目をそらしたくなかった。


 ノートを閉じる前に、私は最後にもう一度だけ今日のページを見た。


 意味は分からない。


 その言葉は、答えじゃなくて、

 今の私にいちばん近い事実みたいに見えた。


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