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【火山転生】目覚めたら火山そのものだった〜マグマの力で最強の聖地を作ったら、麓に国ができていました〜  作者: 尾の長い虎(てぃが)
第一章:建国編

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61.数にない者

いつも誤字脱字報告や評価をありがとうございます。

 敷石が跳ね上がった。


 土埃の中から、灰色の細い腕が伸びる。


 フランが運ぶ光景の中で、続いて現れたのは、子どもほどの背丈しかない魔物だった。


 だが、腕だけが異様に長い。


 節張った指の先には、石の隙間へ引っかけるための鉤爪が並んでいる。


 目は小さく。


 口は、縫い合わせたように細い。


 地の底から這い出てきたにもかかわらず、息遣いさえ聞こえなかった。


(キイナ!)


 俺は、神器へ声を送る。


 けれど、俺と神器を結ぶ焼けた道を通った声は、ひどく遠い。


『……後ろ……!』


 キイナが振り返るより早く、魔物が跳んだ。


 狙ったのは、首ではない。


 胸でもない。


 キイナが両手で抱えている神器だった。


「お母さん!」


 ホムラが、キイナを引き寄せる。


 灰色の爪が、神器の赤い結晶を掠めた。


 きん、と。


 金属にも、石にも似ていない高い音が響く。


 神器から熱が漏れ、魔物の指先を弾いた。


 それでも、灰色の魔物は怯まない。


 両手両足を石床につくと、神器へ向かって再び跳んだ。


 ホムラが、弓を横に構える。


 爪と弓がぶつかった。


 ぎしり。


 長年使ってきた木の弓が、大きくしなる。


「このっ!」


 ホムラは折られる前に弓を引き、魔物の顔へ蹴りを放った。


 魔物が、身を捻って避ける。


 そのまま天幕の支柱へ取りつき、頭上から神器を狙おうとする。


「患者のそばで暴れないでください」


 静かな声がした。


 小さな革袋が、魔物の腕へ当たる。


 袋が破れ、中の水が灰色の皮膚を濡らした。


 その直後。


 淡い青色の魔力が、水を包む。


 濡れた腕の表面へ、薄い氷が張った。


 完全に凍ったわけではない。


 だが、鉤爪を伸ばしていた指と手首が、一瞬だけ硬直した。


 その一瞬で十分だった。


 治療用の短い刃が閃く。


 肘の内側。


 手首へ続く筋の上。


 二か所を正確に切られた魔物の腕が、力を失って垂れ下がった。


 刃を振るった少女が、キイナの前へ立つ。


 セナの孫、サナだ。


 治療用の布を腰へ巻き、薬草袋と小さな杖を下げている。


 手にしているものも、戦うための短剣ではない。


 傷口を切り開き、異物を取り除くための治療刀だった。


「敵にも言うんだ、それ」


 ホムラが尋ねる。


「聞いてくれれば、こちらも助かります」


「聞かなかったら?」


「動けなくします」


 サナの声は変わらない。


「壊れ方を知っていれば、止め方も分かりますから」


(セナの家は、敵に回すと怖いな)


 片腕を使えなくした魔物が、残る三本の手足で跳ぶ。


 ホムラの矢が、至近距離から放たれた。


 矢は魔物の肩へ突き刺さり、身体ごと石床へ縫い止める。


「一体!」


 クライスの声が響いた。


「まだ終わっていません! 上がった敷石は六枚です!」


 祈りの石床の各所で、石が持ち上がっていた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 土煙の中から、同じ灰色の腕が次々と現れる。


 目に見える魔物は、全部で五体。


 最初の一体を含めて、五体だ。


「一体足りない!」


 クライスが周囲を見回す。


「敷石は六枚! 見えているのは五体です!」


 避難民の間から、悲鳴が上がった。


 立ち上がろうとする者。


 子どもを抱え、南へ走ろうとする者。


 負傷者を乗せた担架を運ぼうとして、互いの進路を塞ぐ者。


 灰色の魔物たちは、その混乱へ目を向けなかった。


 五体すべてが、キイナの神器へ顔を向けている。


「神器が狙いだ!」


 レンが、北側の防衛線から振り返る。


 だが、北では隻眼のオーガが金棒を地面へ突き立て、立ち上がろうとしていた。


 その周囲にも、まだ多数の魔物が残っている。


 レンが持ち場を離れれば、第二防衛線が崩れる。


「レンさん、北を!」


 ジンの声が飛ぶ。


「内側へ戻れる者だけで対処します!」


「だが、キイナが!」


「ここで全員がキイナさんへ集まれば、北から入られます!」


 ジンは、祈りの石床へ向き直る。


「外の持ち場を捨てるな! 内側の敵は、内側にいる者で止める!」


 レンの槍を握る手へ、力がこもる。


「お父さん」


 キイナが、神器を抱えたまま呼びかけた。


「北を、お願いします」


「……一歩でも動くな」


「今は立つこともできません」


「なら、絶対にそこから動くな」


「はい」


「ホムラもだ!」


「お母さんから零歩?」


「今は歩数の話をしていない!」


「おじいちゃんが始めたんだよ!」


(こんな時まで続くのか)


 レンは槍を構え直し、北へ向き直った。


 その間にも、灰色の魔物が祈りの石床を駆ける。


 一体が、担架の下をくぐり。


 一体が天幕の布へ爪を立て、高い場所からキイナへ迫る。


 別の一体は、避難民を足場にしようとした。


「通すな!」


 ハロルドが、予備の盾を抱えて石床へ飛び込む。


 魔物と避難民の間へ、盾を滑り込ませた。


 灰色の鉤爪が、盾の表面を引っかく。


「大きな盾は壊されたんじゃなかったの?」


 ホムラが言う。


「小さくても、盾は盾だ!」


「前より身体がはみ出してるよ!」


「そこは見ないで、魔物を見ろ!」


 ハロルドが盾を押し出す。


 灰色の魔物が跳び退いた先へ、ガルクの戦斧が振り下ろされた。


 刃は魔物の身体を外れた。


 だが、逃げ道となる敷石を砕く。


 灰色の足が、石の窪みへ落ちた。


「捕まえた!」


「踏ませただけだろ!」


「逃げられないなら同じだ!」


 ガルクが戦斧の柄で魔物の胸を打ち、地面へ転がす。


 ハロルドの盾が、その上から押さえつけた。


「重い!」


「敵に言え!」


「お前にも言ってる!」


(押さえているのはハロルド一人だぞ)


 ガルドとバルクの家族が駆け寄り、槍の柄で魔物の手足を押さえる。


 ハロルドが盾を持ち上げ、次の魔物へ向かった。


 天幕の上から迫った魔物へ、一本の矢が飛ぶ。


 魔物は、身体を捻って避けた。


 だが、矢は外れたのではない。


 天幕を支える縄を切っていた。


 布が落ち、灰色の魔物を頭から包む。


「今」


 コーレリアが、半壊した屋根の上から告げる。


 ガルクが、布ごと魔物を蹴り倒した。


「矢で狙った方が早くないか!」


「外したら、キイナ様に当たる」


「布ごと斬ったら?」


「キイナ様の前を血だらけにしたいなら」


「……押さえるだけにする」


「賢明」


 近くにいた村人たちが、石材を運ぶための長い棒で、布の上から魔物を押さえ込む。


 コーレリアは、すでに次の矢をつがえていた。


 彼女の視線は、走る魔物だけを追ってはいない。


 揺れる天幕。


 土埃の流れ。


 持ち上がったままの敷石。


 まだ姿を見せていない六体目の痕跡まで探している。


「右の担架、下!」


 コーレリアが叫ぶ。


 担架の下から、灰色の腕が伸びる。


 サナが負傷者を乗せた担架を蹴り、横へ滑らせた。


 鉤爪が空を切る。


「負傷者へ衝撃を与えないでください!」


 担架に乗せられていた男が声を上げる。


「今のは、爪で腹を裂かれるより軽い衝撃です」


「比べるものが怖い!」


「生きているなら、あとで謝ります」


(先に謝ってやってもいいと思う)


 姿を現した魔物の顔へ、サナが薬草の粉を投げつける。


 魔物が、初めて声を上げた。


 短く、甲高い悲鳴。


 目と鼻を押さえたところへ、ハロルドの盾が横からぶつかる。


 身体が浮いた。


 ガルクが、戦斧の柄で地面へ叩き落とす。


「四体目!」


 クライスが叫ぶ。


「残り二体! 一体は西側の石柱!」


「見えてる」


 コーレリアの矢が放たれた。


 矢は、石柱の陰へ消える。


 一拍遅れて、灰色の魔物が転がり出た。


 太腿を射抜かれている。


 逃げようとした先へ、ハロルドが回り込む。


 盾で押し返し。


 ガルクが、戦斧の柄を魔物の腰へ押し当てた。


「五体!」


 クライスの声。


「見えていた五体、すべて止めました!」


 祈りの石床へ、短い静けさが落ちた。


 倒れた灰色の魔物。


 押さえつける盾と槍の柄。


 布で包まれたまま動く影。


 サナに片腕を使えなくされ、矢で石床へ縫い止められた一体。


 一体ずつ、クライスが指で数えていく。


「一、二、三、四、五」


 その指が止まる。


「足りない」


 誰も動かなかった。


「敷石は六枚、上がりました。ここにいるのは、五体だけです」


 ◇ ◇ ◇


 風が、土煙を南へ流していく。


 北では、武器同士がぶつかる音が続いている。


 レンたちが、第二防衛線を守っていた。


 俺には、その細かな位置が分からない。


 地脈へ伸ばしていた感覚は、隻眼のオーガの火によって焼かれたままだ。


 フランが運ぶ光景も、煙と入り乱れる人影に遮られ、断片的になっている。


(どこだ)


 俺は、焼かれていない岩盤から意識を伸ばす。


 祈りの石床の下。


 古い排水路。


 砕けた石材置き場から続く、細い空洞。


 だが、何も感じ取れない。


 音を立てず。


 魔力も使わず。


 灰色の魔物は、俺の耳が届かない場所を進んでいる。


「煙の流れは?」


 ホムラが、コーレリアへ尋ねる。


「止まった」


「じゃあ、下にはいない?」


「分からない」


 コーレリアは弓を下ろさない。


「煙を吸い込んでいた穴が、土で塞がっただけかもしれない」


「虫は?」


「さっきの爆発で、全部逃げた」


「草は?」


「石床に草は生えてない」


「こういう時だけ、何も教えてくれないんだね」


「自然は、あなたの都合では動かないから」


(厳しいが、その通りだな)


 クライスは、押さえられた五体の魔物から目を離さない。


「本当に六体だったのか?」


 避難民の一人が尋ねる。


「見間違いじゃないのか」


「見間違いなら、そう言います」


「でも、誰も六体目を見てないんだろ?」


「見ていないから、いないことにはなりません」


 クライスは、上がった敷石の位置をもう一度数える。


「六か所。間違いありません」


 北側から、ジンが叫ぶ。


「止めた魔物と敷石の位置を合わせろ!」


「五体は合っています!」


「なら、六体目は姿を出さずに移動したはずだ!」


「どこへ?」


 ホムラが言った。


 その問いに、誰も答えられなかった。


 サナだけが、キイナの手首へ指を当てたまま、周囲を見ていない。


 脈を数えている。


 キイナの呼吸。


 神器から漏れる熱。


 腕に浮かんだ赤い線。


 一つずつ確かめていた。


「サナ?」


「静かにしてください」


「何か分かった?」


「もう少し」


 キイナが、苦しそうに笑う。


「私は大丈夫です」


「大丈夫な人は、脈が三度に一度乱れたりしません」


「……分かるんですか?」


「数えていますから」


 サナが、キイナの腕を持ち上げる。


 赤い線は、肘を越えていた。


 爆発の直後より薄くなってはいる。


 だが、消えてはいない。


「神器を、いったん地面へ置けますか」


「それは……」


 キイナの指が、神器を強く握る。


「離れません」


「手が?」


「いいえ」


 キイナは、赤い結晶を見る。


「私が、離したくないんです」


 その言葉が終わるより早く。


 神器の赤い結晶が、一度だけ脈打った。


 どくん。


 キイナの腕に浮かんだ線が、肩へ向かって伸びる。


「お母さん!」


 ホムラが身を寄せる。


「離れて!」


 サナが叫んだ。


 だが、遅かった。


 キイナのすぐ後ろ。


 倒れた天幕の布が、内側から膨らんだ。


 その下で、閉じていた敷石がわずかにずれる。


 隙間から、灰色の鉤爪が伸びた。


 六体目だ。


 あいつは、最初に腕だけを地上へ出し、再び排水路へ潜っていた。


 そして。


 神器が脈打つ瞬間を待っていた。


 俺とキイナの道へ、最も強い熱が流れる時を。


 その熱を、目印にして。


「キイナ!」


 レンの声。


 灰色の魔物が、神器へ飛びかかる。


 ホムラが弓を構えた。


 距離が近すぎる。


 矢を放てば、キイナへ当たる。


 それでも、ホムラは退かなかった。


 弓を横へ向け、魔物の爪を受ける。


 ぎしり。


 木が裂ける音。


「この弓、気に入ってたのに!」


 鉤爪が、弓の中央へ食い込む。


 ホムラは、両手で押し返す。


 だが、灰色の魔物の細い身体には、不釣り合いな力があった。


 弓の片側が折れる。


 弦が切れ、ホムラの頬を掠めた。


 赤い線が一本、皮膚へ浮かぶ。


 魔物が、折れた弓ごとホムラを突き飛ばした。


「ホムラ!」


 キイナが、反射的に神器を前へ出す。


「駄目です!」


 サナの声。


 赤い結晶が光った。


 透き通る赤金色の盾が、一枚だけ現れる。


 先ほどの六枚ではない。


 キイナと魔物の間へ、花弁が一枚。


 鉤爪が花弁へぶつかった。


 盾の表面に、亀裂が走る。


 同時に。


 キイナの手から伸びていた赤い線が、肩を越えた。


 胸元へ向かう。


「やめてください!」


 サナが、キイナの腕をつかむ。


「今度こそ、本当に死にます!」


「でも、ホムラが――」


「もう大丈夫です!」


 石床へ倒れていたホムラが、折れた弓を投げ捨てる。


 矢筒から一本の矢を抜いた。


 弓へつがえるためではない。


 矢を、短い槍のように両手で握る。


 灰色の魔物は、赤金色の花弁を爪で削り続けていた。


 亀裂が広がる。


 キイナの身体が震える。


「お母さんから、離れろ!」


 ホムラが魔物へ飛びついた。


 矢の先端を、魔物の肩へ突き立てる。


 灰色の魔物が振り向き、残る腕を振るった。


「右!」


 クライスの声が飛ぶ。


 ホムラが、右へ身体を沈める。


 鉤爪が髪を掠めた。


 その腕へ、コーレリアの矢が突き刺さる。


「一射分、褒めてあげる」


「今言うの!?」


「積み重ねは大事だから」


 灰色の魔物が、矢を抜こうとする。


 ハロルドの盾が、その横からぶつかった。


 魔物の身体が、花弁から離れる。


「ガルク!」


「見えてる!」


 ガルクは、戦斧を振り下ろさなかった。


 重い刃で斬れば、すぐそばにいるホムラまで巻き込む。


 戦斧を短く持ち、石床を薙ぐように振るう。


 柄が、魔物の両脚を払った。


 灰色の身体が宙へ浮く。


 サナが前へ出た。


 冷たい魔力をまとわせた布を、魔物の手へ巻きつける。


 鉤爪が硬直した。


「患者のそばで」


 サナの治療刀が、手首の筋を正確に断つ。


「暴れないでください」


 魔物の指が開いた。


 最後に。


 ホムラが、両手で握った矢を押し込む。


 灰色の魔物が、音にならない息を吐いた。


 身体から力が抜ける。


 ハロルドが盾で押さえ。


 ガルクが、戦斧の柄をその背へ乗せた。


「六体目、確保!」


 クライスが叫ぶ。


 一体。


 二体。


 三体。


 四体。


 五体。


 六体。


 今度こそ、数が合った。


 赤金色の花弁が、音もなく砕ける。


 キイナの身体が、神器とともに石床へ倒れた。


 ◇ ◇ ◇


「お母さん!」


 ホムラが、キイナを抱き起こす。


 キイナの目は開いている。


 呼吸もある。


 だが、神器を握っていた手は震え、指を自分の意思で開くことができなくなっていた。


「サナ!」


 レンが、北側の戦列から駆け戻ろうとする。


「レンさん、北を!」


 ジンが止める。


「中の敵は止めました! 隻眼のオーガが立ちます!」


 煙の向こうで、巨大な影が動いていた。


 傷ついた右脚へ力を入れ。


 金棒を杖代わりにしながら。


 隻眼のオーガが、ゆっくりと立ち上がる。


 周囲の魔物も、再び第二防衛線へ集まり始めていた。


「くそっ……!」


 レンは、キイナを見た。


 北の敵を見た。


 槍を握る手が、震えている。


「お父さん」


 キイナが、かすかな声を出す。


「北を……お願いします」


「今のお前を置いて行けるか」


「置いていくんじゃありません」


 キイナは、ホムラとサナを見る。


「二人が、いてくれます」


 レンが目を閉じる。


 一度だけ。


 すぐに開いた。


「……必ず呼べ」


「はい」


「何かあれば、一歩ではなく零歩で戻る」


「それだと、走れませんよ」


「例えだ!」


(この状況でも、そこは訂正するんだな)


 レンが戦列へ戻る。


 ジンは、祈りの石床へ残る者たちへ指示を出した。


「ハロルド。南側の穴を塞いでくれ」


「もう塞いでる!」


「ガルクは、上がってくる魔物がいないか見張る!」


「斧を置いてもいいか?」


「持ったままで!」


「分かりやすい!」


「コーレリアは高い場所から、排水路と北側を!」


「もう見てる」


「クライスは、祈りの石床と戦列の人数を両方!」


「できます!」


「サナは、キイナさんを!」


「言われなくても」


 五人は、指示を待って役目を選んだわけではない。


 ハロルドの盾が前へ立ち。


 ガルクの刃が、その横へつく。


 コーレリアの目が、高い場所から周囲を見渡す。


 クライスが、誰も欠けていないか確かめる。


 サナが、傷ついた者のそばへ残る。


 その中心に。


 キイナとホムラがいた。


 俺には、今も北側の地面が感じ取れない。


 それでも、五人が守る場所だけは分かる。


 声が。


 足音が。


 神器を通して届く、かすかな熱が。


 そこに誰がいるのかを教えてくれる。


(キイナ)


 俺は、細くなった道へ声を送る。


『……聞こえるか』


『はい』


 返事は弱い。


 遠い。


 それでも、キイナの声だった。


『まだ、聞こえます』


(もう神器を使うな)


『分かっています』


(絶対にだ)


『御山様まで、お父さんみたいになっていますよ』


(今は、歩数の話はしてない)


 キイナの笑いが、ほんの少しだけ届いた。


 サナが、キイナの腕に浮かんだ赤い線を確認する。


 指先。


 手首。


 肘。


 肩。


 最後の盾を使ったことで、線は鎖骨のすぐ下まで伸びていた。


「ナキアさん」


 サナが呼ぶ。


 ナキアが駆け寄り、神器へ直接触れないよう金属板を近づける。


 板へ刻まれた細い線が、赤く光った。


 すぐに、何本かが黒く変わる。


「道が焼けてる」


 ナキアの声が沈む。


「御山様の力を通していた場所が、身体の内側まで傷ついてる」


「治りますか」


 ホムラが尋ねる。


「傷そのものは、時間をかければ」


「じゃあ――」


「でも、同じ道へもう一度、御山様の力を通したら」


 ナキアは、その先を言わなかった。


 サナが代わりに答える。


「赤い線が、心臓まで届きます」


「届いたら?」


 ホムラの声が小さくなる。


 サナは、しばらく黙っていた。


「私に、それを言わせないでください」


 神器の結晶が、弱く明滅する。


 キイナの指は、まだ柄を握っていた。


 だが。


 神器からキイナへ流れていた熱は、ほとんど途切れかけている。


「お母さん」


「うん」


「今じゃなくても、いいと思ってた」


「私もだよ」


「もう少し先で」


「うん」


「私が、もう少しちゃんとした巫女になってから」


 キイナが、わずかに眉を上げる。


「ちゃんと、お風呂へ入る巫女?」


「今、その話する?」


「大事なことだから」


「村を守ることより?」


「巫女の周りにいる人の鼻も、守ってあげて」


「毎日、泥だらけなわけじゃないよ!」


(否定する場所は、そこなのか)


 キイナは笑い。


 すぐに、苦しそうな息を吐いた。


「本当は、もっと時間をかけて教えるつもりだった」


「祈り方?」


「それも」


「神器の使い方?」


「それも」


「長い話を短くする方法?」


「それは、フランさんに教えてあげて」


「かしこみかしこみ。短きを尊ぶ御心を次代へ伝えんとする、巫女母娘の深き――」


「フランさん」


「かしこみかしこみ。黙ります」


(本当に短くなったな)


 キイナの手が、神器の柄を撫でる。


「でも、一番伝えたかったことは、もう知ってると思う」


「何?」


「巫女は、一人で守る人じゃない」


 キイナは、周囲を見た。


 盾を構えるハロルド。


 戦斧を持つガルク。


 高所で矢をつがえるコーレリア。


 木札を数えるクライス。


 傷を診るサナ。


 北では。


 ジンとレンが戦列を立て直し。


 クローシュとナキアが、魔法を扱える者へ指示を出している。


 村人たちが水を運び。


 避難民たちも、動ける者は負傷者を支えていた。


「巫女は、皆の間をつなぐ人」


 キイナの顔が、俺の山体へ向けられる。


「御山様へ、皆の声を届ける人」


『……キイナ』


「御山様」


 キイナは、俺の声を聞くように目を閉じた。


「そんな、お別れみたいな声を出さないでください」


『でも』


「私は死にません」


 弱いが。


 はっきりとした声だった。


「神器を扱う巫女ではなくなるだけです」


 神器を扱うことは、もうできない。


 今までのように、俺の声を直接聞くこともできなくなるかもしれない。


 それでも。


 キイナは、火守村に残る。


 母として。


 ヒナノの娘として。


 この山で暮らす、一人の人間として。


「御山様の声が聞こえなくなったら」


 キイナが、ホムラを見る。


「あなたが教えてね」


「全部?」


「できれば、フランさんの長い説明は短くして」


「そこは任せて」


「かしこみかしこみ。二代の巫女による神託簡略化の密議が――」


「聞こえていますよ」


「かしこみかしこみ。失礼いたしました」


 ホムラが、鼻を啜る。


 泣いているのか。


 笑っているのか。


 俯いた顔は、フランが運ぶ光景からも見えない。


 ただ、神器へ近づいた手の温かさだけが伝わってくる。


「怖い?」


 キイナが尋ねた。


「怖いよ」


 ホムラは迷わず答えた。


「でも、逃げたいとは思わない」


 あの日。


 神器から細い熱が触れた時と、同じ言葉だった。


 キイナが頷く。


「なら、大丈夫」


「お母さんみたいにできるかな」


「同じでなくていいよ」


「本当に?」


「同じだったら、御山様が二人を呼び間違えるでしょう」


(さすがに、それはないと思う)


「ホムラ」


 キイナの声から、笑いが消える。


 母ではなく。


 今代の巫女として。


 次代へ言葉を渡す声へ変わった。


「次に御山様を呼ぶのは、私じゃない」


 震える手で、神器を持ち上げる。


 ホムラが、その下へ両手を添えた。


「あなたです」


 赤い結晶が脈打った。


 どくん。


 キイナから届いていた細い熱が揺れる。


 そのすぐそばへ。


 別の熱が触れた。


 勢いがあり。


 落ち着きがなく。


 それでも、まっすぐ俺へ届こうとする温かさ。


(ホムラ)


 神器の柄へ、赤金色の線が走る。


 真っすぐだった杖がしなり、両端が外へ開いた。


 緩やかな弧を描く。


 弦はない。


 それでも、その形は弓に似ていた。


 だが、次の瞬間には、再び真っすぐな杖へ戻った。


「今、曲がった?」


 ホムラが目を丸くする。


「たぶん、あなたに合わせようとしたんだと思う」


「壊れたんじゃなくて?」


「神器へ最初に言うことが、それなの?」


「だって、お母さんが無茶させたあとだし」


(それは、少し心配だな)


 キイナの手が、ホムラの手へ重なる。


 まだ、神器は完全には渡っていない。


 俺とキイナの道も、完全には消えていない。


 だが。


 その隣で。


 新しい道が、確かに火山核へ触れていた。


 北から、隻眼のオーガの咆哮が響く。


 戦いは終わっていない。


 むしろ。


 守りの中心が傷ついた今こそ、敵は攻めてくる。


 それでも、神器の赤い光は消えなかった。


 キイナと。


 ホムラ。


 二人の手の間で。


 杖にも。


 弓にもなろうとする光が、次の形を選び始めていた。

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