58.御山の盾
いつも誤字脱字報告や評価をありがとうございます。
二つ目の炎が、隻眼のオーガの拳を離れた。
フランが運ぶ光景の中で、北の空を、昼の光さえ塗り潰す赤が走る。
俺には、空を飛ぶ炎そのものは見えない。
それでも、押し固められた魔力が大気を震わせ、その重圧が地面まで届いてくるのが分かった。
火山である俺が、外から来る火を恐れるというのも、少し妙な話かもしれない。
だが、あれは人を温める火ではない。
焼き尽くすために形を与えられた炎だ。
「かしこみかしこみ。炎塊、火守村の中央へ向けて飛来しております!」
フランが運んできた光景へ意識を集中させる。
(狙いは?)
「かしこみかしこみ。祈りの石床。わずかに北寄りでございます」
避難民が集められている場所だ。
老人も、子どもも。
負傷して動けない者もいる。
(やっぱり、あいつは分かって狙ってる)
炎の行方を見上げていたナキアが叫ぶ。
「直撃まで、二十も数えられない!」
「全員、北から離れろ!」
レンの声が響く。
「祈りの石床にいる者は伏せろ! 荷車は動かすな。今からでは間に合わない!」
逃げようとして人が重なれば、かえって被害が広がる。
ジンが木板を抱えたまま、クライスへ向き直った。
「北側に出ている者は?」
クライスは、並べた木札を素早く繰る。
「見張り役、畑仕事、救援隊――全員、門の内側へ戻っています!」
「放牧地は!」
「最後の二人も、さきほど門を通りました。北門より外に味方はいません!」
その返事を、キイナが神器を通して俺へ送ってくる。
『御山様。北の放牧地から村まで、人はいません』
『……分かった』
なら、迷う必要はない。
俺は北側の地脈へ、力を流し込んだ。
火守村の前で、地面が割れる。
一枚目の岩壁は、炎へ正対させない。
北へ傾け、空へ向けて斜めに突き出す。
続いて、その村側へ二枚目。
さらに村へ近い場所へ、最も厚い三枚目を押し上げた。
三つの岩壁が、進路をずらして並ぶ。
炎を一枚で止めるのではない。
一度に受ければ、爆発のすべてが村へ届く。
だから、削る。
逸らす。
最後に、残ったものだけを受け止める。
「来ます!」
見張り台から声が上がった。
一枚目の岩壁へ、炎が触れた。
轟音。
火球の下半分が岩壁へ食い込み、壁の上部が一瞬で赤熱する。
岩が溶けきるより早く、内側へ押し込められていた炎が弾けた。
一枚目の壁が砕ける。
だが、斜めに立てた壁へ押し上げられ、炎の進路はわずかに空へ逸れた。
ずれた進路へ合わせて立てた二枚目に、形を崩した炎が正面からぶつかる。
岩壁の中央へ、赤い亀裂が走った。
そこから炎が左右へ裂け、二条の尾となって空へ散る。
残った中心だけが、三枚目へ向かってくる。
(まだ、大きい)
俺は三枚目の壁を、さらに下から押し上げた。
壁の両端を炎の側へ張り出させ、火球を受け止める岩の窪みを作る。
炎の中心が、その窪みへ落ちた。
一瞬。
音が消えた。
次の瞬間。
フランが運んでいた光景が、白一色に染まった。
爆発が岩壁を内側から砕き、炎と石片が空高く吹き上がる。
衝撃が地面を走る。
火山核の奥まで、重い振動が突き抜けた。
(くっ……!)
三枚目の岩壁が、中央から崩れた。
それでも、炎の中心は村へ届いていない。
だが、終わりではなかった。
燃えた岩片が、雨のように火守村へ降り注ぐ。
「水を広げて!」
ナキアが腰に提げていた金属板を地面へ並べ、簡易の魔法陣を組む。
「全部を消そうとしないで! 家よりも人の上を優先! 水を作ろうとせず、桶と水路から引いて!」
杖を持つ者たちが、井戸の前へ並べられていた水桶へ魔力を流す。
持ち上げられた水が薄い膜となり、必要な場所を選ぶように広がった。
布の天幕。
盾。
荷車。
避難民の頭上を、水が覆っていく。
「風を上へ!」
クローシュも短い杖を振る。
「横へ流すな! 隣の家を燃やしたいなら別だが!」
「そんなつもりありません!」
「なら、上だ! 煙と小さい火だけを押し返せ!」
二人の若者がクローシュに合わせ、上空へ風を送る。
隻眼のオーガが放った炎そのものを押し返せるほどの力ではない。
だが、落ちてくる火の粉を遅らせ、煙を避難場所から逸らすことはできる。
それだけで、濡らした布を持つ者たちが火を消す時間が生まれた。
「左へ来るぞ!」
ガルドの声が響いた。
大きな岩片が、炎をまとったまま石床の端へ落ちてくる。
その下には、動けない老人を乗せた担架と、子どもたちがいた。
「ハロルド、左を支えろ!」
「分かった!」
一人の若者が、大盾を抱えて飛び出した。
ガルドの孫、ハロルドだ。
地面へ盾の下端を突き立て、その後ろへ身体を押し込む。
ガルドの家に受け継がれてきた大盾は、ハロルドの身体をすべて隠しても、なお両側へ余るほど大きい。
燃えた岩片が盾へ激突した。
盾の表面に張られていた水が、一瞬で白い蒸気へ変わる。
ハロルドの靴が、固められた地面の上を滑った。
「ぐっ……!」
「腰を落とせ!」
ガルドが、すぐ隣から自分の盾を重ねる。
「落としてる!」
「もっとだ!」
「これ以上落としたら、じいちゃんより腰が曲がる!」
「俺の腰を基準にするな!」
(こんな時まで言い合うのか)
それでも、二枚の盾は倒れなかった。
燃えた岩片が地面へ転がり、待っていた者たちが濡れた布を被せる。
担架も、子どもたちも無事だ。
衝撃で尻餅をついたハロルドが、焦げた盾の陰から顔を出した。
「じいちゃん、腰は大丈夫?」
「お前こそ、先に立て」
「じいちゃんが立ってるなら、大丈夫だね」
「誰に似たんだ、その口は」
「家族全員から少しずつ」
張り詰めていた避難民の間に、短い笑いが生まれた。
その間にも、クライスは木札を数え続けていた。
「祈りの石床、全員います! 負傷者七人、重傷者なし! 行方の分からない者もいません!」
ジンが頷く。
「火の手は?」
「北側の屋根三軒に燃え移っています。消火へ人を回しました!」
「かしこみかしこみ。御山三重の神壁にて天火を砕き、人の盾と魔法が残炎を退けし、まさに天地人一体の――」
(フラン。まだ終わってない)
「かしこみかしこみ。北の軍勢を確認いたします」
(切り替えだけは早いな)
フランが北へ意識を向けた、直後。
西から警鐘が鳴った。
短い音が三度。
間を置いて、二度。
避難中の集落へ、魔物が接近している合図だ。
続いて、東からも警鐘が届く。
火事ではない。
同じく、魔物。
だが、鐘を打つ間隔が西とは違う。
東では、すでに戦いが始まっていた。
「炎は目隠しだったのか」
レンが北を睨む。
「俺たちが火守村だけを見ている間に、左右から避難路を潰すつもりだ」
「隻眼のオーガは、私たちの動きを見ています」
キイナが神器を握りしめる。
『……あいつは、俺に三枚も壁を作らせた』
力が尽きたわけではない。
だが、地脈へ一度に大きな力を流せば、その周囲には必ず影響が出る。
地面は揺れ、地下水の流れも乱れる。
何度でも、どこへでも、考えなしに岩壁を出せるわけではない。
(それも分かってるのか)
ジンが、門の横へ置かれた木板へ向かう。
クライスは、すでに西と東の集落を示す木札を分けていた。
泥だらけの伝令が一人、門を駆け抜けてくる。
「西の畑集落、避難中! 街道の北から魔物が来ています!」
「人数は?」
クライスが尋ねる。
「名簿上は五十二人! 南の見張り台を通ったのは四十四人です!」
「残り八人」
「歩けない老人四人を乗せた荷車が一台。それを守る四人が残っています!」
クライスは、八枚の木札を西側へ置く。
別の伝令が、東から飛び込んできた。
「石切り集落は、古い橋を渡っています! 四十一人のうち、三十九人が南側へ到着! 殿の二人が、橋の北で魔物を止めています!」
東側には、二枚の木札が残される。
西の八人。
東の二人。
どちらにも、もう魔物が迫っている。
火守村の守りへ人を残せば、助けへ出せる者は限られる。
「西の畑を水へ沈めます」
ジンが言った。
畑集落の代表者が息を呑む。
「待ってくれ。あそこは今年の食料だぞ。水路を壊せば、収穫は――」
「作り直せるものから捨てます」
ジンは代表者へ向き直った。
「畑も、水路も、家も。生きていれば作り直せます」
「だが、冬を越せなくなる!」
「今日を越えなければ、冬は来ません」
反論する声が止まった。
ダンが木の杖を握り、養子を見つめる。
「西を水へ沈めれば、畑だけでは済まん。農具も倉も流れるかもしれんぞ」
「分かっています」
「それでもやるか」
「残っている八人が逃げ切る時間を作れます」
ジンは目を逸らさなかった。
「人は、作り直せません」
ダンは一度だけ頷いた。
「なら、迷うな」
「はい」
ジンの指が、西の水路をなぞる。
「水門を開けます。御山様には、南へ逃げる道だけを高く残してもらう。東は、四十一人全員が橋を渡り終えるまで支える。最後の二人を確認したら、橋を落とします」
「クライス」
レンが呼ぶ。
「はい」
「一人でも残っているうちは、橋を落とすな」
「分かっています」
クライスは、東側へ残した二枚の木札へ手を添える。
「数え終わるまで、絶対に合図は出しません」
◇ ◇ ◇
西の畑集落から火守村へ向かう街道を、老人四人を乗せた荷車が軋みながら進んでいる。
その背後では、獣型の魔物が畑を斜めに横切り、街道へ迫っていた。
四人の護衛は逃げながら何度も足を止め、矢と槍で魔物を遠ざけている。
だが、街道の両側には、収穫を待つ畑が広がっている。
身を隠す岩も、魔物の足を止める斜面もない。
このままでは追いつかれる。
「水門、開け!」
西側の分岐水門で、待機していた水番が太い木の閂を外した。
溜められていた水が、一気に畑へ流れ込む。
だが、そのままでは水は低い方へ広がり、街道まで沈めてしまう。
逃げている者たちの道も消える。
『御山様!』
『……場所を示してくれ』
「ホムラ!」
キイナに呼ばれ、ホムラが見張り台の上へ駆け上がった。
矢筒から、赤い布を結んだ矢を二本抜く。
「西の畑、街道の左と右! 人がいない場所へ射る!」
「距離がある」
クローシュが杖を構える。
「風を使う。ただし、一度だけだ」
「急に吹かせないでね」
「合図してから吹かせる」
「前より成長したね」
「それは俺の台詞だ!」
ホムラが一射目を放つ。
「今!」
クローシュの風が矢羽根を押した。
赤い布を引く矢が畑を越え、街道の左側へ突き刺さる。
二射目。
今度は右側だ。
フランが、周囲に人がいないことを確かめる。
「かしこみかしこみ。二本の矢の間、街道上に避難者。矢の外側に人影はございません」
(分かった)
俺は二本の矢を目印に、畑の下へ力を流す。
街道の左右から、低い岩の土手を押し上げた。
流れ込んだ水が土手へぶつかり、街道を避けて畑へ広がる。
乾いていた土が水を吸い、泥へ変わった。
獣型の魔物が、畑を横切ろうとする。
一体目の脚が沈む。
抜こうともがいたところへ、後ろの魔物がぶつかった。
さらに、その後ろも足を取られる。
荷車との距離が離れていく。
「進め!」
護衛の一人が叫ぶ。
「振り返るな! 火守村まで止まるな!」
畑も。
積み上げられていた収穫籠も。
水に浮き、流されていく。
それでも、荷車に乗る老人たちと、守る四人の足音は、確実に火守村へ近づいていた。
「西、残り八人。南の土手を通過!」
伝令の声を受け、クライスが木札を一枚ずつ中央へ戻す。
「一人、二人、三人……八人!」
最後の木札が、西側から消えた。
「西の五十二人、全員確認!」
だが、東ではまだ二枚が残っている。
◇ ◇ ◇
東の石切り集落では、古い橋の上で剣と牙がぶつかっていた。
見張り役の声と光景を、フランが俺へ運んでくる。
橋の南側には、避難を終えた三十九人。
北側には、殿を務める二人。
その先から、小鬼型と猪型の魔物が迫っている。
橋は、荷車一台が通れる程度の幅しかない。
二人が並べば、魔物は一度に一体ずつしか来られない。
だからこそ、殿を務めるには都合がいい。
同時に。
二人が退けば、魔物もそのまま橋を渡ってくる。
「あと少しだ!」
南側から声が飛ぶ。
「退け!」
殿の一人が、猪型の牙を盾で受け流す。
もう一人が、その前脚を剣で斬った。
魔物がよろめく。
二人は同時に背を向け、橋を走り始めた。
その後ろへ、小鬼型の魔物が飛び乗る。
「矢!」
南側から放たれた三本の矢が、小鬼たちの足元へ刺さった。
一体が止まり。
後ろの二体が、それへぶつかる。
わずかな時間が生まれる。
「一人、南側へ到着!」
橋詰めで数えている者の声を、フランが俺へ運ぶ。
火守村でも、青い布を振る見張り役が同じ合図を送ってきた。
クライスが、一枚目の木札を中央へ移す。
「四十!」
残り一人。
最後の剣士が、橋の中央を走っている。
その背後で、猪型の魔物が小鬼を押しのけ、橋へ乗った。
石と木を組み合わせた古い橋が、大きく揺れる。
「急げ!」
南側から手が伸びる。
剣士が飛んだ。
伸ばされた腕をつかむ。
身体が橋の縁へぶつかりながら、南側へ引き上げられた。
「最後の一人、渡りました!」
クライスの手が、残った木札をつかむ。
「四十一!」
中央へ置く。
「東の石切り集落、全員確認!」
ジンが、キイナへ向く。
「落としてください!」
『御山様。橋の北にも南にも、味方は残っていません!』
『……うん』
俺は橋の北側を支える岩盤へ、力を集中させた。
橋そのものを持ち上げない。
下から支えている岩を、少しだけ沈める。
同時に、南側で待機していた者たちが、古い留め具へつないだ綱を引いた。
木材が軋む。
橋の中央が傾く。
猪型の魔物が、崩れる石へ爪を立てた。
だが、後ろから来た魔物の重さに押される。
橋が中央から折れた。
石と木。
そして橋へ乗っていた魔物たちが、水路の底へ落ちていく。
大きな水音が響いた。
南側にいた者たちは、落ちた橋を見て立ち尽くしている。
自分たちが使ってきた道だ。
明日からは、向こう側へ渡ることさえできない。
それでも。
四十一人は、全員こちら側にいる。
「東、全員退避!」
見張り台からの声に、クライスが深く息を吐いた。
木板に、取り残されたことを示す木札は一枚も残っていなかった。
◇ ◇ ◇
その時。
北の尾根から、咆哮が響いた。
西の畑を水へ沈められ。
東の橋を落とされ。
自分が送り込んだ魔物たちと、避難する者たちの間を切り離された。
隻眼のオーガが、怒っている。
そう思った。
だが、違った。
咆哮に応え、火守村の北へ集まっていた魔物が、一斉に左右へ分かれる。
中央へ、一本の道が開いた。
「来る……」
見張り台にいる者の声が震える。
最初の一歩が、地面へ落ちた。
どん。
まだ遠い。
それでも、地面を通じて振動が届く。
二歩目。
どん。
一歩ごとに、俺の感覚の中で、その輪郭がはっきりしていく。
これまでは遠すぎて、フランの言葉を通してしか分からなかった。
だが、隻眼のオーガは、自分から俺の感覚の内側へ入ってきた。
太い脚。
地面へ食い込む足指。
片手に持った、見張り台の柱より太い金棒。
もう片方の拳へ残る、濃い火の魔力。
(本当に、十倍近い)
かつて、俺たちの前から逃げた時でさえ、並のオーガより大きかった。
今は、森の木々が腰より下にしか届かない。
枝を避ける必要すらない。
一歩進むたび、木が幹から折れていく。
「北外周に残っている者は!」
ジンの声が飛ぶ。
クライスは、木札を確認する。
「見張り役、伝令、畑の者、全員門内! 外へ出た者も全員戻っています!」
「御山様へ伝えて!」
キイナが神器を握る。
『北門から尾根まで、味方はいません』
『……今度こそ、遠慮はいらないな』
俺は北門のさらに外側へ、地脈の力を集めた。
火守村の全員が、戻るために使っていた道。
最後の一人が通り終えた、その道を塞ぐ。
大地が裂けた。
岩盤を折り重ねながら、これまでより高く。
厚く。
北の森を左右へ分けるように、巨大な岩壁を持ち上げる。
下部を支える岩を、地面の深くまで食い込ませる。
背面には、斜めの支えを何本も作る。
火守村を守る、俺の盾だ。
岩壁の手前へ逃げ込んだ小型の魔物を、バルクの家族が斬り払う。
ガルドの家族が盾を並べ。
ミレアの家族が岩の高みへ上がり。
セナの家族が、負傷者を下げるための担架を用意する。
クローシュとナキアも、その後ろで魔法を扱える者たちを配置した。
誰も、岩壁があるからと武器を下ろしてはいない。
壁が止める。
その隙に、人が動く。
人が見つける。
そして、俺がまた守る。
二十年前には、まだここまで幾重にもつながっていなかった守りが、そこに並んでいる。
「かしこみかしこみ。御山の大盾を前に、人の盾、剣、弓、魔法が幾重にも連なる、まさしく――」
(フラン。あいつの手を見ていてくれ)
「かしこみかしこみ。金棒を持ち上げております」
(来る)
隻眼のオーガが、岩壁の前で足を止めた。
残った右目が、壁の向こうにある火守村へ向けられる。
俺を見ているような気もした。
やがて。
巨大な金棒が振り下ろされた。
岩壁へ激突する。
山体全体が揺れた。
ごうん、と。
鐘を地面の中で鳴らしたような衝撃が、火山核まで届く。
岩壁の表面が砕け、細かな石が雨のように落ちた。
だが、壁は倒れない。
「止めた!」
誰かが叫んだ。
(まだだ)
俺は、壁の中央に走った亀裂を感じている。
一撃で。
あれだけ厚くした岩壁の半分近くまで、ひびが届いていた。
隻眼のオーガが、金棒を引く。
もう一度、振り上げる。
(壊させるか)
俺は壁の後ろから、さらに岩を押し上げた。
亀裂へ新しい岩を食い込ませる。
背面の支えを増やし、地面深くへ根を張らせる。
二撃目。
金棒が壁へ叩きつけられた。
最初の亀裂が広がる。
だが、新しく押し込んだ岩が、その先を塞いだ。
壁の一部が崩れても、全体は立ち続ける。
隻眼のオーガが動きを止めた。
フランが運ぶ光景の中で、残った右目が細められる。
笑った。
そう見えた。
金棒を持つ腕が下がる。
代わりに、空いている拳を岩壁へ向けた。
その拳へ、炎が集まる。
「まずい!」
クローシュが叫んだ。
「あれは、壁を燃やすつもりじゃない!」
「何をする気だ!」
「亀裂へ火の魔力を押し込む!」
隻眼のオーガの拳が、岩壁へ突き刺さった。
炎が表面を覆う。
だが、岩壁は木ではない。
燃え広がりはしない。
それでも。
拳から流し込まれた魔力が、亀裂の奥へ入り込む。
赤い熱が、岩の隙間を走る。
(これは――)
火山の熱とは違う。
岩を溶かすための火ではない。
亀裂の奥にある水分と空気を、一瞬で膨らませるための火だ。
壁の内部から、無数の小さな破裂が起きる。
一つ。
二つ。
数えきれないほど連なり、岩壁の内側を砕いていく。
「全員、伏せろ!」
レンが叫んだ。
隻眼のオーガが、拳を引き抜く。
そこへ、金棒を横から叩き込んだ。
岩壁が爆ぜた。
巨大な岩塊が、壁の後方へ飛ぶ。
「ハロルド!」
「見えてる!」
ハロルドが大盾を地面へ突き立てる。
ガルドと、その家族の盾が左右へ並んだ。
飛んできた岩片が、盾へ次々とぶつかる。
衝撃に耐えきれず、何人かの足が後ろへ滑る。
「下がるな!」
ハロルドが吠えた。
「後ろに人がいる!」
焦げた大盾が軋む。
それでも、倒れない。
俺も、崩れた壁の下から細い岩を何本も突き上げ、飛散する大岩の進路を逸らす。
人の盾と。
俺の岩が。
同じ場所で、火守村を守った。
やがて、崩落の音が止まる。
土煙が、北門の前を覆った。
誰も声を出さない。
岩壁は、まだ一部が残っている。
だが、中央には大きな穴が開いていた。
その向こうから。
どん。
一歩。
隻眼のオーガの足が、砕けた岩を踏み越える。
フランが運ぶ土煙の向こうに、巨大な影が現れた。
金棒の先が地面を擦り、石を砕く。
残った右目が、並んだ人々を見下ろす。
俺の岩壁は、破られた。
隻眼のオーガは、ついに御山の盾の内側へ踏み込んだ。
それでも。
ハロルドの大盾を先頭に、火守村の盾は一枚も下がっていない。
その後ろでは、剣が構えられ。
岩の高みでは、弓が引き絞られ。
クライスは、戦える者と避難した者の数を確かめ続けている。
ジンも、レンも。
キイナも、ホムラも。
誰一人、目を逸らしていなかった。
(壁を一枚壊しただけで)
俺は崩れた岩の下へ、もう一度力を集める。
(守りが終わったと思うな)
隻眼のオーガが、金棒を振り上げた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、評価やブックマークや評価をいただけると励みになります。
thread、Xのフォローしていただけると喜びます。




