57.魔物の親玉
いつも誤字脱字報告や評価をありがとうございます。
新キャラ多くてすみません。
三十九人。
北の水路集落を出た人数だ。
火守村へたどり着いたのは、三十七人。
門のそばに置かれた木板には、埋まらない印が二つ残されていた。
「いないのは、水門番の爺さんだ」
避難民の一人が、荒い息を整えながら答える。
「足が遅れていたから、若い猟師が迎えに戻った。それから、二人とも見ていない」
水門番の老人と、迎えに戻った猟師。
二人がどこにいるのか。
生きているのか。
片目の親玉が率いる魔物の軍勢が、どこまで近づいているのか。
何一つ分からない。
「助けに戻らせてくれ」
避難してきた男が、北門へ向かおうとする。
「爺さんには、うちの子が何度も世話になってるんだ」
「俺も行く!」
「二人なら、まだ近くにいるかもしれない!」
声が重なり、三十七人のうち、動ける者たちが立ち上がる。
その前へ、ジンが立った。
「迎えには行きます」
「なら、俺たちも――」
「三十七人全員を、もう一度危険へ戻すつもりですか」
強い声ではなかった。
だが、動きかけた者たちの足が止まる。
「二人を見捨てるつもりはありません。ただし、誰がどこへ行ったのか分からないまま人を増やせば、今度は足りない人数が二人では済まなくなる」
ジンは木板の上へ、新しい木札を置く。
「集落から逃げてきた者は、避難場所へ。道を知っていて戦える者だけ、救援隊へ加わってください。出る前に全員の名を記し、戻った時も一人ずつ数えます」
「でも、どこを探す?」
避難民の問いに、誰もすぐには答えられなかった。
街道の橋は落とされ、脇道も倒木で塞がれている。
道を外れて森へ入れば、魔物と出会わなくても方角を失うかもしれない。
「古い水門なら、抜け道があるよ」
ホムラが、木板の端を指で叩いた。
「水路の横に、今は使われていない排水路があるの。雨が降っていなければ、人が歩けるくらいの幅は残ってるはず」
「どこへつながっている?」
「古い石切り場」
「二人が、そこへ逃げたと思うのか?」
「水門番のお爺さんなら知ってると思う。森で魔物に追われたら、広い街道より、あそこへ入った方が見つかりにくいから」
ホムラの指が、木板に記されていない場所をなぞる。
遊び半分で森へ入り、獣道を走り回ってきた記憶が、今は人を連れ戻すための地図になっていた。
「わたしが案内する」
「駄目」
「行かせない」
「別の者に道を伝えてくれ」
キイナ、レン、ジンの声が、ほとんど同時に重なった。
「まだ最後まで言ってない!」
「最後まで聞いても、北へ行く話でしょう」
「三つ岩まで案内して、そこから戻るって言おうとしたの」
「本当に?」
キイナが娘の顔を見る。
「……石を三つとも越えない」
「石は越えなくても、横を通るつもりだったでしょう」
「お母さん、わたしのこと疑いすぎじゃない?」
「十六年、一緒に暮らしているからね」
(積み重ねた信用の使われ方が、逆だな)
緊張していた者たちから、わずかな笑いが漏れる。
だが、それも長くは続かなかった。
北の森から、枝が続けて折れる音がした。
一度。
二度。
そこで途切れ、今度は少し東の茂みが揺れる。
火守村へ向かっているようにも、こちらの動きを探っているようにも聞こえた。
「来るぞ」
レンが北門へ向き直る。
「救援隊を出すなら、急げ。ただし、全員を北へ回すな。あいつらは、俺たちがどこへ動くか見ている」
ジンが頷く。
バルクの子を先頭に、七人の救援隊が選ばれた。
前を探る者。
魔物を食い止める者。
負傷者を運ぶ者。
火守村へ戻って状況を知らせる伝令。
その一人ずつを、スワイスの孫ーークライスが木札へ記していく。
「七人。戻った時も、七人です」
「二人を見つけたら?」
ホムラが尋ねる。
「九人です」
「分かってるなら大丈夫」
「分かっていないと思われてたのか?」
「今の言い方だと、七人で帰ってきそうだったから」
「置いてこないよ!」
(そこは、確認しておいてもいいかもしれない)
警告用の小さな鐘を持った伝令が、最後尾へつく。
救援隊はホムラから排水路までの道を聞き、北門を出た。
七人の足音が、少しずつ遠ざかっていく。
クライスは、その音が聞こえなくなっても、木札から目を離さなかった。
◇ ◇ ◇
北門の前で、冒険者たちが防衛線を組み始める。
ガルドの家族が盾を並べ、その後ろへミレアの家族が弓を持って立つ。
バルクの家族は、門へ近づいた魔物を横から斬り払える位置へ。
セナの家族は、負傷者をすぐに下げられるよう、担架と薬を門の内側へ揃えた。
その中へ、二人の男女が加わった。
くたびれた外套の内側へ短い杖を差した男、クローシュ。
腰に小さな魔石や金属板をいくつも提げた女、ナキア。
二人とも、この二十年の間に、ネスの紹介で砂漠連邦から火守村へ移り住んだ者だ。
クローシュは、かつて支援魔法を専門とする冒険者として各地を回っていた。
ナキアは、魔法道具と魔法陣を扱う職人だ。
火守村の保存庫や水場にも、彼女が手を加えた道具が使われている。
二人は、火守村で魔法の使い方を教えることのできる、数少ない者でもあった。
「地面を固める。土を生み出そうとするな。今あるものを動かす方が、魔力を使わずに済む」
クローシュが、ガルドの孫へ指示する。
若者が地面へ両手を向けると、俺の山体とは異なる、小さな魔力の流れが土へ染み込んだ。
盾が置かれている場所の土が締まり、靴の裏が沈まなくなる。
だが、固まったのは荷車一台分ほどの範囲だけだった。
「これだけ?」
ホムラが言う。
「これだけとは何だ。盾を三枚置ける」
「御山様なら、門の前全部を岩にできるよ」
「俺を御山様と比べるな。こっちは人間だ」
(比べられても、俺も困る)
クローシュは、若者の肩を軽く叩く。
「今ので十分だ。広く固めようとするより、必要な場所だけ確実に固めろ。魔力を使い切った人間は、立っているだけの荷物になる」
「先生も使い切ったら、運んでもらうの?」
「俺は使い切る前に休む」
「賢い逃げ方ですね」
「魔力の管理と言え」
少し離れた場所では、ナキアが水桶を盾の後ろへ並べていた。
「水を一から作ろうとしないで。桶の水を薄く広げ、盾へ沿わせるだけでいい」
セナの孫が杖を向ける。
桶から持ち上がった水が、揺れながら盾の表面へ張りついた。
膜と呼ぶには厚く、水壁と呼ぶには薄い。
「これで、火を止められる?」
ホムラが覗き込む。
「小さな火の息なら、一度は」
「一度だけ?」
「一度を耐えれば、その間に逃げられるでしょう」
ナキアは、濡れた盾を指で叩いた。
「魔法は、何でも解決する力ではないわ。人ができることを、ほんの少し広げるためのものよ」
「御山様とは、やっぱり違うんだね」
「御山様を魔法の基準にしないで」
(さっきも聞いたな)
火守村で魔法を扱える者は、クローシュとナキアだけではない。
スワイスたちの子や孫にも、簡単な魔法を使える者が二、三人いる。
だが、剣を振る者は、足場を固めるために。
弓を射る者は、一瞬だけ風を動かすために。
傷を診る者は、血が止まるまで患部を冷やすために。
あくまで、普段の役目を補うために使ってきた。
魔法だけで戦える者は、一人もいない。
「かしこみかしこみ。人の子らが土、水、風を操り、御山の守りを支えんとする姿、まさしく天地人一体の――」
(フラン。周囲の様子は)
「かしこみかしこみ。北西の茂みに三体、北東の倒木付近に五体を確認しております。さらに奥にも、複数の気配がございます」
(先にそっちを言ってくれ)
フランが運んできた報告を、俺は神器を通じてキイナへ伝えた。
『……左右にいる。まだ、来ない』
「左右に分かれて、こちらを見ています」
キイナが、レンとジンへ伝える。
レンが森を睨む。
「門を攻めるつもりなら、まとまって来るはずだ」
「救援隊が戻る道を狙っている?」
ジンが木板の上で、排水路から続く道をなぞる。
「その可能性が高い」
救援隊を追えば、守りが薄くなる。
火守村へ残れば、二人を連れ戻す道が塞がれるかもしれない。
魔物たちは、こちらがどちらを選ぶのか待っていた。
いや。
片目の親玉が、見ている。
俺たちの守り方を知るために。
北の森から、鳥が一羽飛び立った。
それきり、何も聞こえなくなる。
風が枝を揺らす音さえ、遠く感じられた。
「まだ来ないの?」
ホムラが弓を握りながら呟く。
「待て」
ミレアが短く答える。
「でも――」
「待てる弓手が、生き残る」
ホムラは口を閉じる。
視線だけを、北の森へ向け続ける。
長い静けさの中。
かすかに、金属が触れ合う音がした。
門の前ではない。
北東にある木立の奥。
救援隊へ持たせた、警告用の小さな鐘だった。
かん。
少し間を置いて、もう一度。
かん。
二度。
救援隊が、何かに追われている合図だ。
「二人を見つけたのか?」
「違う」
スワイスが首を振る。
「二度は、追われている合図だ」
その言葉と同時に、北西の茂みが弾けた。
◇ ◇ ◇
最初に飛び出してきたのは、四つ脚の魔物だった。
一体ではない。
背の低い獣型が六体。
その後ろから、棍棒を持つ小鬼型の魔物が続く。
北東の森も揺れた。
そちらからは、牙を持つ猪に似た魔物が、一直線に門へ向かってくる。
「盾!」
レンの声に、ガルドの家族が大盾を地面へ突き立てる。
固められた足場が、その重さを受け止めた。
獣型の魔物が盾へ激突する。
一枚目が揺れた。
すぐ隣の盾が半歩前へ出て、傾いた一枚を支える。
「間を空けるな!」
ガルドの声が飛ぶ。
「分かってる!」
「返事をする余裕があるなら、まだ大丈夫だ!」
「返事をしなかったら、聞こえてないって怒るだろ!」
「その時は、もっと大きな声で言う!」
(今でも十分大きいぞ)
盾へ取りつこうとした魔物を、バルクの家族が横から斬り払う。
倒すことを優先しない。
前脚を傷つけ、門から離れる方向へ追いやる。
その頭上を、ミレアの家族が放った矢が越えていく。
一本。
二本。
矢は魔物ではなく、北西の地面へ突き刺さった。
鉄の矢尻が地面を打った振動を、俺は捉える。
二本の矢の間。
そこには人間がいないことを、フランが確かめていた。
「御山様。お願いします!」
キイナが神器を俺の山体へ向ける。
(分かった)
俺は地脈へ力を流した。
魔物を直接狙う必要はない。
二本の矢が示した場所の地面を、下から押し上げる。
ご、と低い音が響いた。
土が割れ、岩がせり上がる。
北西から回り込もうとしていた魔物たちの前へ、斜めの岩壁が現れた。
一体が壁へぶつかり、後ろから来た二体が折り重なる。
残りは進路を変え、門の正面へ向かった。
そこには、盾と剣が待っている。
(これなら、巻き込まない)
二十年前。
俺には遠くの位置が分からず、力を使うことすらできなかった。
今も、聖域のすべてが分かるわけではない。
けれど、人が危険を見つけ、矢で場所を知らせてくれる。
俺が届かない場所を、彼らの目が補ってくれる。
「右から来る!」
屋根の上にいるミレアの孫が叫んだ。
小鬼型の魔物が岩壁の陰を通り、伝令役の少年へ近づいていた。
少年は救援隊からの合図を持ち帰るため、門の外へ出ている。
盾の列からも。
剣を持つ者からも。
わずかに離れていた。
「下がれ!」
レンの声より早く、小鬼が棍棒を振り上げる。
弦が鳴った。
ホムラの矢が、小鬼の手首へ突き刺さる。
棍棒が少年の横へ落ちた。
小鬼が向きを変える。
「もう一射!」
クローシュが杖を振る。
短い風が、ホムラの背中から前へ抜けた。
ホムラが二本目を放つ。
だが、矢は小鬼の肩を掠め、後ろの木へ突き刺さった。
「外れた!」
「今、風で押したでしょ!」
「追い風をやった!」
「急に来たから狙いがずれたの!」
「風も含めて狙え!」
「先に言ってよ!」
(戦いながら教えるのか)
小鬼が棍棒を拾おうとする。
その前へ、伝令の少年が落ちていた石を投げた。
額へ石を受けた小鬼が、わずかによろめく。
ホムラの三本目が、今度は太腿へ刺さった。
小鬼は棍棒を捨て、森へ逃げていく。
「今のは当たった!」
伝令の少年が門へ走り込む。
手には、救援隊から渡された細い木札が握られていた。
「二人を見つけました!」
周囲の視線が集まる。
「古い石切り場です! 二人とも怪我をしています。一人は歩けません。救援隊が運んでいます!」
「戻ってくる道は?」
「排水路です! でも、魔物に見つかりました!」
北東の森から、警告用の鐘が鳴った。
今度は、短い音が三度、立て続けに響く。
救援隊が、戦闘へ入った合図だった。
ジンが北門の外を見る。
正面の魔物は、まだ攻撃を続けている。
それなのに、門を突破しようとする勢いがない。
盾へぶつかっては下がり。
矢が届かない場所へ移り。
また別の方向から近づいてくる。
「こいつらの狙いは、門じゃない」
ジンが言った。
「救援隊を中へ戻さないつもりだ」
レンも、同じ考えに至ったらしい。
「門の前へ引きつけている間に、北東の道を塞ぐ気だ」
「救援隊を迎えに出します」
「何人だ」
「盾二人、剣二人。負傷者を運ぶ者を四人」
「出しすぎれば、門が薄くなる」
「だから、御山様の岩壁を盾の代わりに使います」
ジンは、先ほど俺が持ち上げた岩を指した。
「北西側は、あの壁で進路を狭められています。門の正面だけなら、残る盾で守れます」
レンが一瞬だけ考える。
「分かった。ただし、追うな。救援隊を受け取ったら、すぐ戻れ」
ガルドとバルクの家族から、迎えの者たちが出る。
セナの家族も、担架を持ってその後へ続いた。
出ていく人数を、クライス一人ずつ数える。
「八人」
木札へ印をつける。
「必ず、八人戻ってきてください」
「向こうに残っている救援隊の六人と、見つけた二人もだ」
スワイスが付け加える。
「合わせて十六人。数を間違えるな」
「間違えません」
クライスは木札を強く握った。
「全員が戻るまで、数え続けます」
◇ ◇ ◇
北東の森で、木が折れた。
一本ではない。
細い木々が、何かに押し倒されるように続けて傾いていく。
やがて、迎えに出た者たちの足音が、俺にも分かる距離まで戻ってきた。
数が多い。
乱れている。
担架を運ぶ足音と、その後ろから迫る魔物の振動が重なっていた。
「見えた!」
見張り台から声が上がる。
「救援隊だ! 負傷者が二人! 後ろに魔物がいる!」
「何体!」
「七……違う、茂みの中にもいる!」
先頭に、迎えへ出たガルドの家族がいる。
その後ろを、二つの担架が進んでいた。
一つには、水門番の老人。
もう一つには、老人を迎えに戻った若い猟師が乗せられている。
猟師は片脚を傷つけていたが、身体を起こし、追ってくる魔物へ石を投げていた。
「寝ていろ!」
担架を運ぶ者が怒鳴る。
「寝たままだと狙えない!」
「石で倒せる相手じゃない!」
「分かってる! 腹が立つから投げてるだけだ!」
(元気は残っていそうだな)
その後ろから、猪型の魔物が迫る。
バルクの家族が二人、足を止めて剣を構えた。
「先に行け!」
「二人で止められるの?」
ホムラが北門から身を乗り出す。
「ホムラ、出るな!」
キイナが娘の服をつかんだ。
「出ないよ! ここから射る!」
「距離がある」
「届く」
ホムラが矢をつがえる。
だが、走る人間と追う魔物が重なり、狙える隙間がない。
「クローシュさん。風は?」
「この距離で動かせるのは、一度だけだ」
「急に吹かせないでね」
「さっきので学んだ」
「わたしも学んだから」
ホムラが弓を引き絞る。
前を走る者たちが、左右へ分かれた。
その間から、猪型の魔物の頭が見える。
「今だ!」
クローシュが杖を振る。
ホムラの矢が放たれた。
風が矢羽根を押す。
通常なら、届いても力を失う距離を越え。
矢は、猪型の魔物の鼻先へ突き刺さった。
魔物が大きく頭を振る。
突進の方向がずれ、道端の木へぶつかった。
「当たった!」
「今度は、風まで含めて当てたな」
「最初から、そうするつもりだったよ」
「なら、さっきもそうしろ」
「練習だったの!」
(本番が始まってから練習するな)
救援隊が門へ近づく。
だが、森の奥から別の魔物が現れた。
小鬼型。
獣型。
互いに争うことなく、担架の後ろへ並んで迫ってくる。
「水を!」
ナキアが指示する。
盾の表面に張られていた水が、一斉に地面へ落ちた。
セナの孫が杖を向ける。
水は土と混ざり、門の前へ薄い泥の帯を作った。
走り込んできた獣型の魔物が足を滑らせる。
一体が倒れ、その後ろの二体も巻き込まれた。
「止めた!」
「少しだけよ。魔法を切らさないで」
ナキアが若者の背中を支える。
水を動かしていた者の顔は、すでに青ざめていた。
「あと一回が限界です」
「それでいい。自分まで担架に乗らないようにしなさい」
救援隊の先頭が門を越える。
クライスが、木札へ印をつけていく。
「一人、二人、三人……」
迎えに出た八人。
先に伝令を戻した救援隊の六人。
負傷した二人。
一人ずつ、門の内側へ入る。
「十二、十三、十四!」
残り二人。
森から、咆哮が響いた。
追っていた魔物たちが、同時に速度を上げる。
担架の後ろを守っていた剣士二人が、まだ門の外にいる。
「十五!」
一人が門へ飛び込む。
最後の剣士が、獣型の爪を剣で受けた。
金属の軋む音。
剣士の身体が、門から離れる方向へ弾かれる。
「一人足りない!」
クライスの声が震えた。
門を閉じれば、外に残した一人を見捨てる。
開けたままなら、追ってきた魔物まで入ってくる。
「まだ閉めるな!」
ジンが叫ぶ。
門番が、扉へかけた手を止める。
「でも、魔物が!」
「十六人目が入っていない!」
ジンは自分の盾を持ち、門の外へ出た。
「ジン!」
ダンの声が飛ぶ。
「最後まで数えると言いました!」
ジンが、剣士と魔物の間へ盾を差し込む。
獣型の爪が盾を削った。
木片が飛び、ジンの頬を掠める。
倒れていた剣士が立ち上がろうとする。
だが、足へ力が入らない。
「肩につかまれ!」
「お前まで戻れなくなるぞ!」
「その時は、二人で戻る!」
(答えになっているようで、なってないぞ)
魔物が再び飛びかかる。
ガルドの子が門から半歩出て、大盾を横へ振った。
獣型の身体が弾かれる。
その隙に、ジンが剣士の腕を肩へ回した。
「引け!」
二人が、門へ向かう。
北東から、さらに別の魔物が近づいてくる。
俺には、門のすぐ外にいる者たちの位置が分かる。
だが、今ここで地面を持ち上げれば、ジンたちまで巻き込む。
(あと少し)
十六人目の足が、門を越えた。
「十六!」
クライスが叫ぶ。
「全員戻りました!」
『キイナ!』
「門の外に、味方はいません!」
(分かった)
俺は、門の正面へ力を流した。
地面が大きく盛り上がる。
ジンたちを追ってきた魔物と、火守村の間へ岩の段差がせり上がった。
先頭の魔物が足を取られ、後続がその背へぶつかる。
「門を閉めろ!」
重い扉が動く。
最後の隙間から、魔物の牙が見えた。
だが、扉は噛みつかれるより早く閉じた。
閂が落ちる。
外側から、魔物が門へぶつかった。
一度。
二度。
三度。
そのたびに木材が軋む。
ガルドの家族が、内側から大盾で門を支える。
バルクの家族も肩を入れた。
ナキアの指示で、魔法を使える者が閂と壁の隙間へ土を詰め、固めていく。
四度目の衝撃。
門は揺れたが、開かなかった。
「北の水路集落!」
ジンが、息を切らしながらクライスを見る。
「三十九人!」
「救援へ出た者は!」
「全員戻りました!」
木板に残されていた二つの印が埋められる。
三十九人。
ようやく、数が合った。
誰も歓声を上げなかった。
門の外には、まだ魔物がいる。
森の奥には、さらに多くの振動が残っている。
それでも。
二つの空白が埋まった木板を見て、避難民たちの間から、押し殺した泣き声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
門への衝撃が止まった。
代わりに、外から低い唸り声が続く。
魔物たちは、諦めていない。
門の周りを歩き、別の入口を探している。
俺は、地下へ意識を伸ばす。
火守村の周囲には、まだいくつもの足音がある。
だが、不意に。
北の森から、あの咆哮が響いた。
長く。
重く。
地面を押さえつけるような声。
門の周囲にいた魔物が、同時に動きを止める。
一体ずつではない。
すべてが同じ瞬間に、火守村から離れ始めた。
「追うな!」
レンが、門を開けようとした者を止める。
「退いたんじゃない。退くよう命じられたんだ」
魔物たちの足音が、森へ消えていく。
無秩序に逃げているのではない。
種類の違う魔物同士が一定の距離を保ち、北へ戻っていく。
スワイスが、閉じた門を見つめた。
「こちらの弓の距離。盾の数。御山様が、どこへ岩を出せるのか」
「全部、見られた」
ミレアが続ける。
「今の攻撃は、火守村を落とすためじゃない」
レンが頷く。
「守り方を確かめるためだ」
(やっぱり、あいつが命令している)
魔物の親玉は、かつてのように魔物を突撃させるだけではない。
警鐘を止める。
逃げ道を塞ぐ。
人を追い込み、救援へ出た者を狙う。
そして、こちらがどう守るのかを、離れた場所から見ている。
以前より、明らかに知恵をつけていた。
「……待って」
ナキアが北を向いた。
腰から、魔力の流れを測るための小さな魔石を外し、両手で包み込む。
透明だった石の内側に、赤い光が浮かんだらしい。
「どうした?」
「魔力が集まっている」
クローシュも杖を地面へ立て、目を閉じた。
俺にも分かった。
北の遠い場所で、熱が生まれている。
山火事ではない。
地熱でもない。
一か所へ無理やり押し込められ、膨れ上がる熱。
人間たちが使った魔法とは、比べものにならない。
土を荷車一台分固めた魔力。
桶の水を盾へ広げた魔力。
矢を一度だけ押した風。
そのすべてを重ねても届かないほど、大きな力だった。
「火の魔法だ」
クローシュの声から、さっきまでの軽さが消えている。
「この距離で分かるのか?」
「分かりたくなくても分かる」
北の見張り台にいた者から、叫び声が上がった。
「尾根の上に、何かいる!」
ミレアの孫が、さらに高い場所へ上る。
遠眼鏡を北へ向けたまま、動きを止める。
「……あれが、オーガ?」
「何が見える!」
「木より、大きい」
声が震えていた。
「違う。木の後ろに立っているんじゃない。肩が……森の上に出てる」
フランが、見張り台から見える光景を俺へ伝える。
「かしこみかしこみ。北の尾根に、巨大な人型の魔物を確認いたしました。片腕には見張り台の柱より太い金棒を携え、もう片方の拳へ炎を集めております」
(拳に?)
「かしこみかしこみ。左目は古い傷により閉ざされ、残る右目を火守村へ向けております」
間違いない。
かつて逃げた、片目の潰れた隻眼のオーガだ。
ただし、その身体は俺の記憶にある大きさではなかった。
もともと、並のオーガよりも大きかった。
今は、木々が草のように見えるほどの巨体になっている。
少なく見積もっても、かつての十倍近い。
「魔力が、まだ増えている」
ナキアの握る魔石から、細い亀裂の音がした。
「ナキア、それを離せ!」
クローシュが叫ぶ。
ナキアが魔石を投げる。
地面へ落ちた瞬間、赤く染まった石が内側から砕けた。
その直後。
北の空が明るくなった。
太陽ではない。
隻眼のオーガが握る拳の上に、巨大な炎の塊が浮かんでいる。
火守村で魔法を学んだ者たちが、言葉を失う。
桶の水を動かすだけでも、魔力を消耗する。
土を固める範囲も、盾を三枚置ける程度だ。
それなのに、オーガは見張り台を丸ごと包めるほどの炎を、片手で維持していた。
「あれを……消せる?」
ホムラが尋ねる。
ナキアは、すぐには答えなかった。
「無理よ」
やがて、はっきり告げる。
「私たちの水では、触れた瞬間に蒸発する」
「同じ魔法なのに?」
「同じ火だからこそ、差が分かるの」
クローシュが、尾根の上の炎を見上げる。
「私たちは魔法を道具として使う。あいつは、魔法そのものを攻城兵器にしている」
隻眼のオーガが、炎を投げた。
空気を引き裂く音。
炎は、火守村へ向かわなかった。
北の集落に残されていた、無人の見張り台へ落ちる。
炎が、見張り台を丸ごとのみ込んだ。
一拍遅れて、爆発音が届く。
鐘が一度だけ、歪んだ音を鳴らした。
柱が折れ、鐘もろとも地面へ落ちる。
周囲の木々へ火が移り、遠い空が赤く染まった。
火守村の誰も、声を出せなかった。
あれが門へ落ちれば。
祈りの石床へ落ちれば。
避難民が集まっている場所へ落ちれば。
一撃だけで、何人が巻き込まれるか分からない。
「外した……?」
ホムラの呟きに、レンが首を振る。
「違う」
焼け落ちた見張り台と、火守村までの距離を見比べる。
「距離を測ったんだ」
北の尾根で、隻眼のオーガが再び拳を持ち上げた。
その手の中へ、二つ目の炎が集まり始める。
一度目よりも大きく。
今度は、まっすぐ火守村へ向けて。
片目のの親玉は、俺たちがどこまで守れるのかを試していた。
読んでいただきありがとうございます。
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