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【火山転生】目覚めたら火山そのものだった〜マグマの力で最強の聖地を作ったら、麓に国ができていました〜  作者: 尾の長い虎(てぃが)
第一章:建国編

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47.巫女が守る門

 火神祭の翌朝、洞窟の入口には、昨日と同じ縄が張られていた。


 違うのは、その外側でスワイスが小石を並べていることだ。


 土の上へ石が置かれるたび、かすかな振動が俺の身体へ伝わってくる。


「何をしている」


 監視についていた村長が尋ねると、スワイスは立ち上がらずに答えた。


「縄はくぐっていない」


「それは聞いていない」


「先に言っておいた方がいいと思ってな」


 スワイスは数歩進み、また一つ石を置く。


 その腰に剣はない。武器はすべて村で預かっており、少し離れたところではレンの父親も作業を見張っていた。


「門と見張り所を作る場所を測っている。昨日のように縄一本では、入るなという意思は示せても、人を止めることはできない」


「縄をくぐった本人が言うと、説得力があるのかないのか分からんな」


「入る側だったからこそ、分かることもある」


「威張るな」


「威張ってはいない」


 話を聞きつけ、村長や村人たちも集まってきた。


 スワイスは土の上へ、木の枝で線を引く。


「洞窟の正面に門を置く。その村側には、人と荷物を確認する場所が必要だ。見張り所は少し高くして、洞窟と村へ続く道を同時に見られる位置にする」


 ほかにも、異変を知らせる鐘。


 交代する見張りが、状況を引き継ぐ場所。


 洞窟へ入った人数と、戻った人数を記録する仕組み。


 昨日まで縄一本しかなかった洞窟の入口へ、一つずつ守りが足されていく。


「見張りは何人必要になる」


 村長に問われ、スワイスが周囲を見渡した。


「昼も夜も二人ずつ。交代や休みまで考えれば、戦える者を何人もここへ回すことになる」


「ヒナノの護衛もいる」


 村長が付け加える。


「ああ。洞窟と巫女を別々に守れば、さらに人手が必要だ」


 畑も狩りも、村の見回りも止めるわけにはいかない。


 必要な備えが増えるほど、まだ小さな火守村には負担が重くなる。


「それなら、私がこちらへ移ります」


 声のした方へ、皆が振り返った。


 ヒナノが、小さな灯皿を両手で持って立っていた。昨日の祭壇から移した火が、朝の風に揺れている。


「洞窟の入口に、私と母が暮らせる家を建てていただけませんか」


「だめだ」


 誰よりも早く答えたのは、レンだった。


 ヒナノが目を瞬かせる。


「まだ村長さんにお願いしたところだけど」


「村長が答える前でも、危ないものは危ない」


「お前が決めることではない」


 父親に言われ、レンが口をつぐむ。それでも、ヒナノの前からは動かなかった。


 村長も難しい顔で洞窟を見る。


「ここは昨日、侵入者が出た場所だ。守るべき巫女を、わざわざ近くへ住まわせるのか」


「だからです」


 ヒナノは、灯皿の火を見つめながら答えた。


「火山様が洞窟の異変を教えてくださっても、私が離れた場所にいたら、見張りの方へ伝えるまでに時間がかかります。でも、ここにいれば、すぐに門を閉じてもらえます」


 その声に迷いはなかった。


「洞窟へ入る方にも、最初に私の家へ来てもらいます。お名前と人数、何をしに入るのかを聞けば、昨日のように、誰がどこにいるのか分からなくなることも減ると思うんです」


「それでは、お前が危険へ近づくことになる」


「守ってもらうだけではなく、私も皆さんを守りたいです」


 ヒナノが、まっすぐに村長を見る。


「私を守るためだけに誰かが立つのではなく、見張りのいる場所で、私も巫女として働きます」


 スワイスが、地面に描いた線を枝の先で指した。


「家を置くなら、洞窟側ではなく門の内側だ。村へ通じる道と見張り所の間なら、今の家より守りやすい」


「逃げ道は」


「家の裏から村へ一本。見張り所へつながる扉も作る。何かあれば、巫女を守りながら退ける」


 レンが一歩前へ出た。


「なら、俺がヒナノを守る」


「昨日、一人では足りんと教わったばかりだろう」


 父親に言われ、レンの勢いが止まった。


「でも――」


「眠らず、畑にも出ず、毎日ここに立つつもりか」


「……できる」


「三日で倒れる」


「四日は立てる」


「張り合うところが違う」


 ヒナノが思わず吹き出し、周囲からも小さな笑いが漏れた。


 レンは少しだけ顔を赤くしたあと、土の上に描かれた門と見張り所を見つめる。


「じゃあ、一人で守るとは言わない」


 拳を握り直し、父親へ顔を向けた。


「俺も見張りの一人になる。皆と一緒に、ヒナノと洞窟を守る」


 今度は、父親も否定しなかった。


 俺も、ヒナノが暮らすことになる場所へ意識を向ける。


 危険な洞窟のそばへ住まわせる。


 最初は、それだけで反対したくなった。


 けれど、門の内側なら常に見張りがいる。ヴァルも巡回でき、洞窟内で起きた異変は俺がすぐに拾える。


 今までの家より、俺の力が届きやすい場所でもあった。


 それに、ヒナノは誰かの後ろへ隠れ、守られることだけを望んでいない。


 俺の声を人々へ届け、その声で誰かを守ろうとしてくれている。


 なら、俺が送るべき言葉は一つだった。


『共に守ろう』


 ヒナノが目を閉じる。


 やがて、灯皿を胸の前で大切に抱え直した。


「火山様より、お言葉です」


 皆の視線が集まる。


「『共に守ろう』と、仰っています」


 村長が、長く息を吐いた。


「分かった。母御ともよく話し合ったうえで、ここへ家を建てよう」


「ありがとうございます」


「ただし、家だけではない。門も見張り所も、すべて一緒に作る」


「巫女が門を守り、門が巫女を守る。その形にする」


 俺は、スワイスが描いた線の内側へ力を集めた。


 岩盤をゆっくりと押し上げ、地面の傾きを整えていく。


 ごごご、と低い地響きが鳴る。


 盛り上がった土の下から、門と家を支える平らな岩の土台が姿を現した。


 子供たちから歓声が上がる。


 スワイスが土台へ上がり、靴の裏で硬さを確かめた。


「一番手間のかかる仕事が終わったな」


「お前の三十日の仕事が減ったわけではないぞ」


 村長が言うと、スワイスは真顔で土台を見下ろした。


「なら、予定より立派な門を作る」


「最初からそうしろ」


     ◇


 その日から、洞窟の入口では朝から晩まで槌の音が響いた。


 俺が作った岩の土台へ、村人たちが柱を立て、壁を組む。スワイスは寸法を測り、見張り所から生じる死角を一つずつ消していった。


 作業の途中、目印として地面へ刺した杭が一本、忽然と消えた。


「四本しかない」


 スワイスが辺りを見回す。


「さっきまでは五本あった」


「俺たちは動かしていないぞ」


 村長が答えた直後、赤橙色の身体を揺らしながら、コロが二人の間を横切った。


 透明な身体の中に、杭が一本、縦に収まっている。


(コロ。それは食べ物じゃないぞ)


「ぷる?」


 コロが立ち止まる。


 村人たちから姿を隠しているフランが、その横で両手を広げた。


「かしこみかしこみ。始原の眷属たるコロ様が、自ら地鎮の儀を執り行われております!」


(たぶん、細長いから入れてみただけだ)


「では、新たな建築様式をご提案されている可能性も――」


(返させてくれ)


 俺がヒナノへ言葉を送ると、彼女はコロの前へしゃがみ込んだ。


「コロちゃん。火山様が、返してほしいって」


「ぷるぅ……」


 コロは明らかに残念そうな声を出し、身体の中から杭を押し出した。


 スワイスが、粘液に濡れた杭を拾い上げる。


「火山様からは、ずいぶん具体的なお言葉をいただけるんだな」


「お前にもいただいただろう」


 村長が言う。


「『行いで示せ』と」


「覚えている。だから、この杭も洗って使う」


 今度は、門へ取りつける金具をヴァルが炎で焼き締めた。


 最初の一つは、うまくいった。


 二つ目も問題ない。


 三つ目で少し気合いが入りすぎたらしく、金具だけではなく、その奥にあった板まで黒く焦げた。


 ぼうっと上がった煙を前に、ヴァルの翼が固まる。


「強そうになった!」


 見ていた子供が声を上げた。


 スワイスは焦げた板の表面を、指先でなぞった。


「表面だけなら、雨や腐りに強くなることもある」


「では、家の壁もすべてお願いするかのう」


 ガンゾウが建築中の家を指すと、ヴァルが勢いよく首を横へ振った。


(大丈夫だ。残りは人の手でやろう)


 ほっとした感情が、眷属のつながりを通して流れ込んでくる。


「かしこみかしこみ。守護竜ヴァル様が、人々へ働く喜びをお譲りになられました!」


(それでいいことにしておこう)


 建物の表側には、洞窟へ入る者を受け付ける部屋が作られた。


 その奥には、火山へ祈りを捧げる部屋。さらに奥を、ヒナノと母親が暮らす場所にする。


 見張り所へは横の扉から直接移動でき、裏口からは村へ逃げられる。


 ヒナノの母親も、常に人の目がある場所ならばと、娘の考えを受け入れた。


 屋根が完成した日、ヒナノは火神祭から受け継いだ火を、祈りの部屋へ移した。


 油を足し、芯を替え、祭りが終わったあとも守り続けてきた火だ。


 こうして洞窟の入口には、門と見張り所、そして一軒の家が並んだ。


 村人たちは、そこを自然と「巫女の家」と呼び始めた。


     ◇


 建物が完成する前から、洞窟へ入るための決まりも作られた。


 一人では入らない。


 名前、人数、目的、戻る時刻を伝える。


 武器と道具は、入る前に見張りが確認する。


 受付では、一人につき一枚の木札へ名前を書く。


 洞窟へ入っている間は壁に掛け、帰ってきた者の札を裏返す。全員の帰還が確認できるまで、木札は一枚も片づけない。


 そして、火山様から警告があった時は、理由が分からなくても門を閉じる。


 閉鎖を解くのは、洞窟内の確認を終え、村長の許可を得てからだ。


 初めのうちは、入場する者も一人ずつ村長の許可を受けることになった。


 出来上がった受付台で、ヒナノが最初の確認を行う。


「お名前をお願いします」


「ガンゾウじゃ」


「目的は?」


「洞窟の中で鼓を叩いたら、どれほど響くか確かめる」


「入れません」


「判断が早すぎんか?」


「持ち込む物を聞く前に分かりました」


 見張りたちから笑い声が上がる。


「では、鼓を置いていけばよいかのう」


「何をしに入るんですか」


「どれほど静かになるか確かめる」


「外でも確かめられます」


 ガンゾウは一度も門を通ることなく、最初の受付を終えた。


 村人たちが入口を整える間、俺も洞窟の内部へ手を加えていた。


 これまでの浅層は、初めて入る者や、火トカゲの素材を集める者のために残す。


 入口のすぐ内側には、魔物が入らない広い待機場所を作った。負傷者を運び出せるよう通路を広げ、迷った時に入口へ戻れる目印も岩壁へ刻む。


 その先には、さらに熱の強い第二層を作った。


 火トカゲより強い魔物が棲める場所。


 質のよい魔石が生まれる場所。


 黒銀色の鉱石を、周囲の岩盤を崩さず採掘できる場所。


 それぞれを分け、熱や魔力が一か所へ偏らないよう、地下の流れを調整する。


 さらに深い場所へ続く通路には、厚い石門を置いた。


 今はまだ、開けるつもりはない。


 村人たちが力をつけ、入口の管理が根づいた時に、その先を作ればいい。


 幸い、俺は山だ。


 少しくらい待ったところで、逃げも腐りもしない。


 新しい仕組みが役に立つ日は、思っていたよりも早く訪れた。


 第二層へ入る予定の三人が、巫女の家で受付をしていた時だった。


 地下水の細い流れが、予定より早く第二層の外壁へ回り込んだ。


 熱を持った岩の割れ目へ触れた水が蒸気へ変わり、逃げ場を求めて圧力を高めていく。


 まだ危険なほどではない。


 だが、今から人を入れていい状態でもない。


 俺はすぐにヒナノへ言葉を送った。


『二層、閉鎖』


 ヒナノが立ち上がる。


「第二層を閉鎖します。門を開けないでください」


 見張りが、すぐに入口を塞いだ。


 三人のうち一人が、洞窟の奥を覗き込む。


「何も起きていないように見えるが」


「火山様からの警告です」


 ヒナノは、それ以上の説明をしなかった。


 その必要もなかった。


 数呼吸の後、地下で低い音が響いた。


 ごうっ。


 俺が門から離れた斜面へ作っておいた排気穴から、白い蒸気が一気に噴き出す。


 門の前にいた三人が、揃って後ずさった。


 蒸気は朝の空気へ広がり、やがて薄く溶けていく。


「もし、入っていたら……」


「だから、閉じたんです」


 ヒナノが答える。


 近くで見ていたガンゾウが、白い湯気を目で追った。


「今日は洞窟を諦めて、温泉へ入るとするかのう」


「そっちまで勝手に入るなよ」


 村長の言葉に、張り詰めかけた空気が緩む。


 この出来事を境に、火山様の警告があれば、まず門を閉じるという決まりへ反対する者はいなくなった。


 もしヒナノが村の反対側に暮らしていれば、三人は警告が届く前に洞窟へ入っていただろう。


 巫女の家は、ヒナノを守るだけの建物ではない。


 洞窟へ入る者を守り、俺の声をすぐに行動へ変えるための場所になり始めていた。


     ◇


 三十日後。


 洞窟の入口には頑丈な門が立ち、その横では見張りの鐘が朝日を反射していた。


 巫女の家の祈りの部屋では、火神祭から受け継いだ火が静かに灯り続けている。


 村長は門の前で、布に包んだスワイスの武器を差し出した。


「三十日は終わった」


「ああ」


「失った信用が、すべて戻ったとは言わん」


「分かっている」


「だが、お前が三十日間、命じられた仕事を果たしたことも事実だ」


 スワイスは、差し出された武器を受け取った。


「明日からもこの村で働くつもりがあるなら、今度は働いた分の報酬を出す」


「追い出さないのか」


「出ていきたい者を、無理に引き止めるつもりもない」


 スワイスは、自分が作った門を見上げた。


 見張り所では、二人の村人が洞窟と村道へ交互に目を配っている。


「なら、もう少し残る」


「もう少し、か」


「鐘の合図を、まだ全員が覚えていない」


 ダンの眉が動く。


「一度が門の閉鎖、二度が帰還の遅れだろう」


「逆だ」


 スワイスが答える。


 村長は何も言わず、見張り所にいる者たちへ顔を向けた。


「あとで、全員でもう一度確認するぞ」


「まず自分が覚えろ」


 誰かが小さく呟き、門の周囲に笑いが広がった。


 スワイスは武器を腰へ戻す前に、村長へ尋ねる。


「食事は、昨日までと同じ量が出るのか」


「働き次第だ」


「なら、明日からもよく働こう」


 そうして、スワイスの三十日間は終わった。


 同時に、火守村の門を守る、新しい仕事が始まった。


     ◇


 門が立ったからといって、村のすべてが一日で変わったわけではない。


 それでも、季節が巡るたび、巫女の家へ掛けられる木札は増えていった。


 最初は村人の名だけだった。


 やがて、魔石を求める者、魔物の素材を買いに来た者、黒銀色の鉱石を採る技術を学びに来た者が、村の外からも訪れるようになった。


 受付に一冊しかなかった記録帳は二冊、三冊と増え、やがて棚へ並べられた。


 木の門には金具が足され、見張り所は石壁に囲まれた。鐘の音も、村の端まで届くようになった。


 巫女の家も広がった。


 表には二つの受付台が置かれ、祈りの部屋には洞窟の地図と、閉鎖されている場所を示す札が並ぶ。


 それでも、火神祭から受け継いだ灯火の場所だけは変わらなかった。


 当初は、洞窟へ入るたびに村長の許可が必要だった。


 だが、入場の基準が整い、見張りたちが役割を覚えると、決まりに沿った者を通す判断は、少しずつ巫女の家へ任されていった。


 特別な事情がある時は村長へ。


 内部の異変を感じた時は、俺からヒナノへ。


 門を閉じる時は、ヒナノの言葉を待たず、見張りも動く。


 誰か一人にすべてを背負わせず、それぞれが自分の役割を果たす仕組みが、村へ根づいていった。


 ダンジョンも、入口だけではなくなった。


 浅層は、初めて挑む者や若者たちが経験を積む場所になった。


 第二層では魔石や鉱石が採られ、そのさらに下にも、新しい階層と通路が増えていった。


 深くなるほど熱は強くなり、棲みつく魔物も手強くなる。


 だからこそ、入る人数も、装備も、帰還予定も、巫女の家へ残す必要があった。


 最後の一人が戻るまで、木札は決して片づけない。


 その決まりだけは、一度も変わらなかった。


 スワイスは村に残り、見張りたちへ周囲の見方を教え続けた。


 いつの間にか、残りの日数を数える者はいなくなっていた。


 レンも成長した。


 初めはヒナノの前へ立つことしか考えていなかった少年が、今では門だけでなく、仲間の位置や退路まで確かめてから動く。


 新しい見張りが判断に迷えば、自然とレンの方を見るようになっていた。


 見張りを終えたレンが、巫女の家へ「異常なし」と報告する。


 ヒナノが「お疲れさま」と笑って答える。


 そんな短いやり取りも、一日ずつ積み重なっていった。


 コロは相変わらず、受付の木札へ興味を示した。


 一度、外から来た者の札を身体へ取り込んでしまい、帰還者が一人足りないと大騒ぎになってからは、木札の棚が少し高く作り直された。


「始原の眷属たるコロ様による、抜き打ちの管理体制確認でございます!」


(食べようとしただけだ)


「かしこみかしこみ。その可能性も、以前より高いと判断しております」


 フランも、少しだけ現実を見るようになった。


 ヴァルの身体は大きくなったが、頭の上は変わらずコロの定位置だった。


 門が変わっても。


 村が広がっても。


 変わらないものを残しながら、時は流れていった。


     ◇


 五年後。


 夕暮れの鐘が鳴る少し前、最後の探索者たちが洞窟から帰還した。


 巫女の家の受付で、ヒナノが一人ずつ顔を確かめる。


「四人とも、お怪我はありませんか」


「かすり傷だけです。人数も、出た時と同じ四人です」


「分かりました。今日はゆっくり休んでください」


 ヒナノは記録帳へ帰還の時刻を書き、最後の木札を裏返した。


 四枚すべてが帰還を示していることを確かめてから、まとめて壁から外す。


 柔らかな声は昔と変わらない。


 けれど、洞窟を閉じると告げた時、その判断を疑う者はもういなかった。


 外では、レンが夜の見張りへ引き継ぎを行っている。


 周囲を一度見渡し、門の閂を確かめ、見張り所の灯りがついたことまで確認してから、巫女の家へ向かった。


 その途中で立ち止まる。


 数歩進んで、また戻る。


 門の前を行き来してから、深く息を吸う。


 ヴァルの頭の上で、コロがその動きを真似するように左右へ揺れていた。


 フランが、レンの姿をじっと見つめる。


「かしこみかしこみ。レン殿は先ほどから、同じ場所を十八度も往復されております」


(数えてたのか)


「重要な警戒行動かと存じましたが、洞窟ではなく、ご自身の心と戦っておられるようです」


(ああ。たぶん、そうだな)


 ようやく覚悟を決めたらしく、レンが巫女の家へ入る。


「ヒナノ。話がある」


「うん」


 ヒナノが記録帳を閉じた。


「でも、その前に一つ聞いてもいい?」


「何だ」


「どうして門の前を十八回も往復していたの?」


 レンの身体が固まる。


「見えていたのか」


「ここは、入口を見張るための家だから」


「……そうだった」


 入口を見落とさないために造られた家で、レンの挙動だけが見落とされるはずもなかった。


「洞窟で何かあったの?」


「違う」


「見張りの相談?」


「それも違う」


「じゃあ、何?」


 レンは一度、祈りの部屋に灯る火へ目を向けた。


「五年前、俺は一人でヒナノを守ると言った」


「うん。三日で倒れるって言われてたね」


「俺は四日は立てると言った」


「そこまで覚えてるの?」


「忘れてくれ」


 ヒナノが小さく笑う。


 レンもつられるように笑いかけたが、すぐに表情を引き締めた。


「今は、一人で全部を守れるなんて思っていない。火山様や村の皆と一緒に、これからもここを守っていく」


 レンは今度こそ、ヒナノだけをまっすぐに見た。


「でも、その中で、ずっと俺の隣にいてほしい人は、自分で決めた」


 夕暮れの鐘が鳴る。


 レンは、その音にも負けないほど大きく息を吸った。


「ヒナノ」


 そして、五年間で一番大きな声を出した。


「俺と結婚してください!」

読んでいただきありがとうございます。


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