45.謎の侵入者
かつ。
長槍の石突が、浅層ダンジョンの床を叩く。
一歩、また一歩。
スワイスは足を止めることなく、俺の身体の奥へ進んでいた。
(止めるだけなら、簡単だ)
前後の岩盤を一気にせり上げれば、逃げ道を塞げる。足元を崩し、動けなくすることもできる。
だが、狭い通路で人間を岩に挟むやり方は、少しのずれが命取りになる。逃げ場を失ったスワイスが槍を振るえば、火トカゲや、あとから追ってくる村人が傷つくかもしれない。
何かを盗んだわけでも、誰かを傷つけたわけでもない。目的が分からないまま力ずくで押さえ込むには、危険すぎた。
だからといって、このまま好きに歩かせるつもりもない。
(ヴァル、洞窟へ向かってくれ。スワイスが中に入った)
祭壇の脇にいたヴァルが、弾かれたように顔を上げる。
同時に、俺は意識の一部をヒナノへ集中させた。今、届けられる限界まで言葉を短く削る。
『洞窟。スワイス。止めて』
神託を受け取ったヒナノの肩が、大きく揺れた。
「ダンさん! スワイスさんが、洞窟の中に!」
その声と同時に、ヴァルが広場から駆け出す。
祭りの鼓が止まった。
少し遅れて、何人もの足音が洞窟へ向かい始める。
だが、スワイスは止まらない。
村人たちが到着するより先に、浅層ダンジョンの最初の空間へ入った。
壁際の岩陰から、小さな熱が這い出す。
火トカゲだ。
侵入者の熱に反応し、低く身を伏せる。細かな爪が岩床を蹴り、スワイスへ向かって走り出した。
長槍が動く。
(まずい!)
俺が火トカゲを退かせようとした時には、すでに硬い柄が床を擦っていた。
直後、火トカゲの小さな熱が横へ弾かれ、何度か床を転がる。
だが、すぐに起き上がった。
再び威嚇の声を上げている。熱も動きも弱まっていない。怪我をした様子はなかった。
追撃の振動はない。
スワイスは火トカゲと距離を取り、その脇を通り抜けると、再び奥へ歩き始めた。
(倒すつもりもないのか?)
しばらく進んだ先には、黒銀色の鉱石がわずかに露出した壁がある。
スワイスの足音が、そこで止まった。
片手分の熱が壁へ触れる。指先が鉱石の表面をなぞり、小さく岩肌を擦った。
だが、それだけだった。
昨日見たスワイスの腰には、短剣も小さな道具袋もあった。欠片を削り取ろうと思えば、できたはずだ。
それなのに、壁から何一つ剥がれ落ちない。
スワイスは何も持ち去らず、再び歩き始めた。
(鉱石が目的じゃない?)
火トカゲも殺さない。
鉱石も盗まない。
それなら、こいつは何を探している。
かつ。
石突が床を叩く。
三歩進む。
また、かつ、と鳴る。
最初は一定だったその間隔が、分かれ道へ差しかかるたびに変わっていた。
床を叩き、壁を叩き、天井を確かめる。時折立ち止まっては、身体の向きを来た道へ戻している。
ただ奥へ進んでいるのではない。
通路の形と、退路を調べている。
やがてスワイスは、浅層の先を閉ざすために作った厚い岩壁へ辿り着いた。
その奥には、まだ村人へ開放していない空間がある。
スワイスが壁を叩く。
かつ。
少し場所を変え、もう一度。
かつ。
今度は高さを変える。
かつ。
岩盤を伝わった音が、壁の奥にある空間へ響いた。
スワイスの身体が、わずかに前へ傾く。
気づいた。
この壁の向こうが、ただの岩ではないと。
だが、それ以上、槍は動かなかった。
腰の短剣にも、道具袋にも手を伸ばさない。
(そこまでだ)
俺は岩壁の表面へ熱を走らせた。
スワイスの目の前に、細い赤い線が浮かび上がる。
一本だった光が枝分かれし、岩壁を覆うように広がった。足元の温度も、ゆっくりと上げていく。
周囲の岩陰から、火トカゲたちが次々と姿を現す。
一匹。
二匹。
三匹。
前方を赤い光と火トカゲに塞がれ、スワイスが後ろを振り返る。
そこへ、ヴァルが到着した。
俺はその目を借り、ようやく洞窟の中を捉える。
腰から下げた小さな灯りに、スワイスの横顔が照らされていた。
驚いてはいない。
長槍を両手で握り、重心を低く落としている。穂先が、ゆっくりとヴァルへ向けられた。
ヴァルの喉元へ、赤い光が集まり始める。
(待て、ヴァル)
スワイスの右足が、半歩下がった。
槍が大きく動く。
一瞬、突き出すのかと思った。
だが、スワイスは長槍を回転させると、穂先を床へ向けた。そのまま両手を離し、岩の上へ横たえる。
続けて腰の短剣も外し、長槍の隣へ置いた。
「……見つかったか、火山様」
小さく息を吐き、両手を上げる。
「俺の負けだ」
◇
ヴァルに見張られながら、両手を上げたスワイスが洞窟の外へ出てくる。
少し遅れて、長槍と短剣を回収したレンの父親が続いた。
入口では、ネス、村長のダン、ヒナノ、レンたちが待っていた。
少し前まで聞こえていた笑い声は消えている。
広場から漂う料理の匂いだけが、祭りの途中だったことを伝えていた。
レンの父親から、村長へ長槍が手渡される。
誰も言葉を発しない。
最初に口を開いたのは、ネスだった。
「説明してください」
怒鳴ってはいなかった。
それでも、これまでに聞いたどの声よりも冷たい。
「あなたは、何をしていたのですか」
「この村の警備を確かめていた」
スワイスの答えに、村長の手が長槍を強く握り締めた。
「警備だと?」
「許可のない人間が、どこまで入れるのか。どこで止められるのかを確かめた」
「そのために、わざと約束を破ったのか!」
「ああ」
村長が一歩前へ出る。
レンの父親が、その肩を掴んで止めた。
スワイスは抵抗する様子もなく、ネスだけを見ていた。
「この村には、近いうちに外の人間が集まる」
「なぜ、あなたにそのようなことが分かるのです」
「お前は半年を費やし、荷車二台分の品を運んできた。商人が、何もない村へそこまでの金と時間を使うはずがない」
ネスの表情が、わずかに強張る。
「村には管理された洞窟があり、その中には見たことのない鉱石まである。帰りの荷車には、この村で得た何かが積まれるんだろう」
「それが、無断で山へ入った理由になると思っているのですか」
「思っていない」
スワイスは即座に答えた。
「だが、商売が続けば道ができる。道ができれば、商人だけではなく、冒険者も、盗賊も来る。この村の価値が外へ知られるのは、時間の問題だ」
スワイスが、洞窟の入口へ視線を向ける。
「その入口に、人の見張りはいなかった。あったのは、縄一本だけだ」
誰も反論できなかった。
祭りの間、村人たちは全員広場に集まっていた。
洞窟を見張る者はいなかった。
縄を持ち上げさえすれば、誰でも中へ入れた。
「だから、最も見つかりにくい時を選んだのですか」
「ああ。鼓の音に足音を紛れさせ、どこまで進めるか確かめた」
「なぜ、先に言わなかったのです」
「知らせてから入ったのでは、試す意味がない」
「違います」
ネスの声が、初めて大きくなった。
「試すこと自体は、私と村長に相談できたはずです。いつ行うかだけを伏せればよかった。あなたは、試すかどうかまで一人で決めたのです」
スワイスが黙る。
しばらくして、その頭がわずかに下がった。
「……そのとおりだ」
「あなたは、槍の腕だけでなく、受けた依頼を違えないことで、砂漠連邦の冒険者たちにも名を知られている。だから私は、長い旅の護衛をあなたへ任せました」
「ああ」
「あなたの槍だけではありません。その信用を買ったのです」
「分かっている」
「分かっていながら、契約書で禁じたことをしたのですね」
短い沈黙のあと、スワイスが答える。
「理由が何であれ、俺が契約を破った事実は変わらない」
言い訳はしなかった。
自分のしたことが正しかったとも言わない。
ネスは目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
「契約書の条項どおり、報酬を減額します。そして、あなたとの護衛契約は、今ここで解除します」
「承知した」
スワイスは静かに頭を下げた。
そこで村長が前へ出る。
「だが、それで終わりではない」
老いた声が、洞窟の前へ重く響く。
「ネス殿との契約は、二人の間の話だ。お前は客人として迎えられながら、この村の決まりを破った」
村長がスワイスを見据える。
「お前をどうするかは、村で話し合って決める。それまでは武器を預け、村に残ってもらう」
「分かった。逃げるつもりはない」
スワイスがもう一度頭を下げる。
「だが、その前に一つだけ言わせてくれ」
「何だ」
「俺は、何も盗らなかった」
村長の眉が大きく動く。
「それを言い訳にするつもりか?」
「違う」
スワイスは首を横へ振った。
「火トカゲも殺していない。鉱石にも手をつけなかった。壁の奥に空間があると気づいても、壊さなかった。見つかった時点で槍も置いた」
ヴァルを通して見ていた俺には、それがすべて事実だと分かる。
「だが、次に入ってくる者も、そうするとは限らない」
村長が黙り込む。
「俺よりうまく足音を消す者もいる。見つかれば魔物を殺し、壁を壊し、持てるだけの物を奪って逃げる者もいる。村人を人質に取る者だっているだろう」
スワイスは、入口に張られた縄を見る。
「火山様がいつ俺に気づいたかは分からない。入った瞬間かもしれない。だが、ヴァルが来るまでに、俺はあの壁まで進めた」
その言葉が、俺の中へ重く沈んだ。
約束を破ったことへの怒りは消えていない。
村人たちが俺へ感謝を伝えてくれた祭りを利用されたことも、簡単に許すつもりはなかった。
だが、スワイスの警告まで間違っているわけではない。
俺は、外の世界へ繋がる道を望んだ。
交易が始まり、物が集まり、人が訪れれば、この村はもっと豊かになると思っていた。
けれど、道は俺たちが外へ出るためだけのものではない。
外にいる誰かが、俺たちのもとへ来るためのものでもある。
風が吹き、洞窟の入口に張られた縄が岩肌を擦った。
ついさっきまで境界だと思っていたそれが、今はただの縄にしか見えない。
一本の縄で止められるのは、約束を守る者だけだ。
「この事実を、無視しないでくれ」
スワイスは何も盗らなかった。
だが、次の侵入者が何も盗らずに帰る保証は、どこにもなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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