42.不思議な鉱石の価値
行商人ネス視点です。
竜人の鍛冶師が振り下ろした槌は、甲高い音を立てて跳ね返った。
衝撃に押し戻された太い腕が持ち上がり、赤銅色の鱗がわずかに震える。だが、金床の上に置かれた黒銀色の欠片には、傷一つついていなかった。
「ネス。これを、どこで手に入れた?」
「先に、何なのかを教えてください」
「それが分かったら、お前はますます答えたくなくなるぞ」
「でしたら、今は答えない方がよさそうですね」
鍛冶師が、鼻から熱い息を吐いた。
工房の扉も鎧戸も、すでに閉じられている。室内にいるのは、二人だけだった。
工房があるのは、砂漠連邦北部の交易都市だ。
幾つもの街道が交わるこの町には、砂漠の岩山から切り出された塩も、遺跡から掘り出された古代の品も集まってくる。通りを行き交う商人の声と荷車の音は、日が暮れるまで途切れない。
数ある工房の中でも、ここは鉱石と魔法金属の扱いにかけて、ネスが最も信頼している場所だった。
火守村から預かった欠片は、村を出てから一度も人目に晒していない。布で幾重にも包み、胸元の袋へ入れたまま、ここまで運んできた。
「叩いただけでは分からん。次は炉だ」
鍛冶師は長い火箸で欠片を挟み、赤々と燃える炉の中心へ入れた。
踏み板が何度も上下し、ふいごから送り込まれた風が炎を白く染める。黒銀色の欠片はすぐには変化しなかったが、やがて内側から赤い光を帯び始めた。
隣には、比較のため、同じほどの大きさの鉄片が入れられている。
しばらくして二つを炉から取り出すと、鍛冶師は耐熱石の上へ並べた。
先に鉄片が赤みを失っていく。
それでも黒銀色の欠片は、内側へ抱え込んだ光を手放さなかった。熱気が揺らめき続け、かざされた鍛冶師の手の鱗を、淡い赤に照らしている。
「熱を抱え込んでいる」
「熱に強い、ということでしょうか」
「違う。ただ耐えているだけじゃない。炎から受け取った熱を溜めて、ほとんど外へ逃がしていない」
鍛冶師は欠片が冷めるのを待たず、その両端へ、それぞれ小さな測定石を触れさせた。
片側の測定石へ太い指を置き、糸のように細い魔力を流し込む。
黒銀色の欠片が一瞬だけ輝き、反対側の測定石へ光が灯った。鍛冶師は流し込む量を増減させ、何度も確かめる。
「魔力も通す。しかも、途中でほとんど失われていない」
「魔道具にも使えるのですか?」
「使える、どころじゃない。熱を使う炉の中枢にも、魔力を流す杖の芯にも使える。武器や鎧へ混ぜれば、刻んだ術式の力を、今までより強く引き出せるはずだ」
鍛冶師は欠片をもう一度炉へ戻した。
十分に熱したところで、再び槌を振り下ろす。
今度は、黒銀色の端がわずかに伸びた。
砕けても、ひび割れてもいない。硬さを保ったまま、槌の力に合わせて形を変えている。
「冷えたままでは槌を弾く。それでいて、熱すれば鍛えることもできる……」
鍛冶師の声から、先ほどまでの荒さが消えていた。
壁際にある鉄箱の前へ移動し、腰から外した鍵を差し込む。幾重にも巻かれた布の中から取り出したのは、半ばで折れた古い剣だった。
赤錆に覆われた刀身の折れ口にだけ、黒銀色の芯が覗いている。
「砂に埋もれた竜人の遺跡から、昔掘り出されたものだ。この芯に、お前が持ち込んだ物と似た金属が使われている」
「同じものですか?」
「断定はできん。だが、性質は近いはずだ。遺跡で見つかるのは、すでに加工された武具の欠片だけだからな。これほど混じり気のない塊が、天然の鉱脈から採れたなど聞いたことがない」
鍛冶師は古い剣を布へ戻し、鉄箱へしまった。
「詳しく調べなければ、名前まではつけられん。それでも、おおよその価値なら分かる」
「どのくらいですか?」
鍛冶師は、閉ざされた工房の扉を顎で示した。
「この欠片だけで、外に停めてあるあの荷車を新しくしても釣りが来る」
ネスは、指先ほどしかない欠片を見つめた。
火守村で見た黒銀色の塊は、片手に収まるほどあった。
そして、山の浅い場所には、同じ輝きを持つ鉱脈が眠っている。
「ネス。これは俺が買う」
「売りません」
「まだ値も言っていないぞ」
「これは私の物ではありません。価値を調べるために、村から預かった物です」
「倍出す」
「そういう問題ではありません」
「商人が、ずいぶん綺麗なことを言うじゃないか」
「一度信用を売ってしまえば、次に売る物がなくなりますから」
鍛冶師はしばらく黙り込んだ。
やがて、ようやく熱を失った黒銀色の欠片を新しい布で包み、ネスへ差し出す。
「なら、その信用ごと守れ。これを持ったまま、一人であの村へ戻るつもりか?」
「戻る時には、荷車が二台になる予定です」
「襲う側が喜ぶだけだ」
鍛冶師は低く唸り、声を潜めた。
「鉱石の価値を知る者に見られれば、鉱脈の場所を吐かせるために襲われてもおかしくない。砂漠連邦は商人の国だが、すべての取引が机の上で行われるわけじゃない」
「ここへ来るまでは、誰にも見せていません」
「帰りは荷も増える。護衛を雇え。隊商護衛に慣れ、街道の外でも動ける者だ。できれば、洞窟や遺跡の探索経験もある者がいい」
ネスが黙っていると、鍛冶師は大きな指を一本立てた。
「一人、心当たりがある」
◇
その日の夕刻。
ネスは隊商宿の一角で、一人の冒険者と向かい合っていた。
名は、スワイス。
三十歳ほどの人間で、日に焼けた顔と、使い込まれた革鎧を身につけている。壁へ立てかけた槍にも、腰の短剣にも、派手な飾りはなかった。
仲介人から渡された記録には、隊商護衛を何度も成功させていることに加え、洞窟や遺跡の探索経験も記されていた。
腕が立つだけではない。
襲撃を受けた際にも依頼人を置き去りにしたことがなく、預かった荷を失ったこともない。鍛冶師が勧めた理由は、それだけで十分だった。
「契約期間が半年を越えるとは、ずいぶん長いな」
スワイスは報酬額より先に、予定の道筋へ目を通した。
「砂漠連邦の町を回り、塩、布、油、針、農具、傷薬を集めます。祭りへ持っていく乾燥果実や香辛料も必要です」
「それを、北の村まで運ぶのか」
「はい。最終的には荷車二台。私が先頭の手綱を取り、あなたには後ろの荷車と、道中の護衛を任せたい」
「目的地の名前は?」
「火守村です」
スワイスは卓上に広げられた地図へ目を落とした。
「載っていないな」
「まだ、地図に載るほど大きな村ではありませんから」
「そこまでの詳しい道も書かれていない」
「連邦を出るまでの道は、ここにある通りです。その先は、私が案内します」
スワイスが顔を上げた。
疑っている様子はない。ただ、護衛する道を知らないまま頷くほど、軽くもないらしい。
「森を抜けて、山道へ入る。魔物は?」
「出ます」
「盗賊は?」
「街道を外れてからは、遭わないとは言い切れません」
「村から持ち帰る荷は?」
「村が何を託してくれるかで決まります。ただし、無理に持ち出すつもりはありません」
スワイスは短く頷き、今度は契約書へ目を移した。
その指が、目的地での行動を定めた箇所で止まる。
「村へ着いた後は、依頼人に断りなく村を離れない。山および洞窟へ許可なく立ち入らない。村や山にある物を、石一つ、草一本持ち出さない……」
スワイスが、片方の眉を上げた。
「これは本当に護衛の契約か?」
「訪問者として守るべき約束も含めています」
「ずいぶん細かいな。あの山には、何かあるのか?」
「村の人々が、大切にしているものがあります」
ネスは、それ以上を語らなかった。
黒銀色の鉱石の価値も、その鉱脈が山の洞窟にあることも、今の段階で護衛へ知らせる必要はない。
「大切なものが、金になるとは限らないだろう」
「価値を決めるのは、それを持つ人です。外から来た私たちではありません」
「なるほどな」
スワイスは契約書を読み進める。
「これを破った場合は、報酬の減額に加えて、直ちに契約を解除する……か。依頼人に置いていかれたら、地図にない村から一人で帰ることになるな」
「私だけの信用ではありません。取引相手から預かった信用も背負っています。そこだけは、譲れません」
しばらくして、スワイスが卓上の羽根ペンを取った。
「分かった。護衛に鉱夫の真似はさせないさ」
契約書の末尾へ、迷いのない字で名が記される。
ネスは署名を確かめ、同じ内容で作った二通のうち、一通をスワイスへ渡した。もう一通は、自分の鞄へしまう。
「出発は明朝です。半年後の火神祭、その前日までには着きます」
「ずいぶんと気の長い護衛になりそうだ」
「長い付き合いになる方が、商人にはありがたいのです」
ネスは胸元へ手を添えた。
布に包まれた小さな欠片が、服の内側に収まっている。
ネスが訪れるまで、火守村は外から商人すら訪れない、小さな村だった。
だが、あの山から生まれるものが、この鉱石だけとは思えない。
村が大きくなり、誰もが山の価値に気づいてから近づいたのでは遅い。
まだ誰にも知られていない今のうちに、品物ではなく、信頼で道を繋いでおく。
それが、ネスの選んだ商いだった。
そのために結んだ契約書には、ネスが二度書き直してまで加えた一文がある。
――山および洞窟へ、許可なく立ち入らないこと。
半年後。
スワイスが火守村で最初に破る約束は、このとき迷いなく署名した、その一文だった。
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