39.この村の特産品
黒銀色の鉱石が採れた場所を見せてほしい。
ネスの申し出に、俺はすぐには答えを返せなかった。
外と取引するには、村で何が継続して得られるのかを知ってもらう必要がある。だが、取引を始めることと、価値あるものをすべて見せることは同じではない。
(見せる。ただし、全部じゃない)
俺はヒナノへ、短い神託を送った。
『明日、浅層だけを見せる』
「カザン様は、明日、洞窟の浅い場所だけならお見せしてもよいと仰っています」
ヒナノの言葉に、ネスが深く頭を下げる。
「ありがとうございます。決して、許された場所以外へは立ち入りません」
『奥へは入れるな。鉱石は採らせるな』
「ただし、奥へ入ることと、勝手に鉱石を採ることは許されません」
「承知しました。場所を見せていただけるだけで十分です」
「それから、おぬし一人では入れん。こちらから護衛をつける」
村長が条件を付け加えると、ネスは素直に受け入れた。
「むしろ、お願いいたします。商人は荷物を背負うことには慣れておりますが、魔物を背負い投げることには慣れておりませんので」
「慣れておる者がおるなら、会ってみたいものじゃな」
ガンゾウの声に、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
「かしこみかしこみ、外つ国の者へ御山の内をお見せするのであれば、拝観の供物を納めさせてはいかがでしょう」
(視察から金を取るな)
「かしこみかしこみ、では、初回に限り無償といたしましょう」
(次から取る気なのか?)
フランの中では、すでに洞窟の入口へ料金所が建っているらしい。
翌朝。
ネスは商品を積んだ荷車を村へ残し、小さな鞄と鑑定に使う道具だけを持って洞窟へ向かった。
同行するのは、ヒナノ、村長、レンとその父親、それに戦える村人が二人。
コロには一行の案内と、万が一の援護を任せた。ヴァルはさらに奥の区画で待機させ、ネスからは姿が見えないようにしてある。
すべてを一度に見せる必要はない。
洞窟の入口へ到着すると、待っていたコロが小さく弾んだ。
「ぷるっ」
ネスの足音が止まる。
「こちらのスライムも、洞窟で採れる素材でしょうか」
「ぷるっ!」
先ほどより強い振動とともに、コロが地面を跳ねた。
「何を言う! コロ様はカザン様の最初の御使いじゃぞ!」
ガンゾウの大声が響く。
見送りだけのはずだったが、洞窟の入口までついてきたらしい。
「これは大変失礼いたしました。私は砂漠連邦の商人、ネスと申します」
「ぷる」
「今のは、お許しいただけたのでしょうか」
(俺にも分からない)
ただ、眷属のつながり越しに怒りは伝わってこない。
たぶん許したのだと思う。あるいは、自己紹介を返しただけかもしれない。
「では、気をつけて行ってくるのじゃぞ!」
「ガンゾウさんは来ないのですか?」
「朝から腰が痛くてのう」
「先ほど、洞窟の入口まで誰より速く歩いておられませんでしたか?」
「ここから先で痛くなる予定じゃ」
「ずいぶん都合のよい腰ですね」
ネスの言葉に笑い声が重なり、コロを先頭に一行は洞窟へ入っていった。
複数の足音が、浅層へ続く通路を進んでいく。
ネスは、ただ歩いているわけではなかった。
時折立ち止まって壁へ触れ、天井まで道具を伸ばす。入口からの歩数を小声で数え、狭い場所では荷物を積んだ手押し車が通れるかも確かめていた。
「手押し車なら、ここまでは入れそうですね」
「そんなことまで確かめるのか?」
レンが尋ねる。
「価値のある品でも、外へ運び出せなければ売れません。品物の値段だけを見ておりますと、運ぶ費用で商人が飢えることになります」
(採れるだけじゃ駄目なのか)
安全に採り、入口まで運び、荷車へ積む。
そこから町まで持ち帰って、初めて商品になる。
俺は洞窟の中に資源を育てることばかり考えていた。だが、外へ売るなら、採った後のことまで考えなければならないらしい。
その時、一行の右手側にある岩の隙間で、小さな熱が動いた。
火トカゲだ。
這い出してきた身体の内側で、熱が急速に高まっていく。
「右だ!」
レンの父親が声を上げる。
腰の剣が抜かれ、二人の村人が槍を構えた。ネスの足音が素早く後ろへ下がる。
直後、火トカゲの口元から熱が噴き出した。
「ぷるっ!」
コロが跳ぶ。
広がりかけた炎が、コロの身体へ吸い込まれていく。小さな身体の温度が一気に上がったが、中心にある核は安定したままだ。
炎を失った火トカゲが後ずさる。
「今だ、レン!」
「はい!」
鋭い踏み込み。
槍の穂先が、鱗の薄い喉元へ突き刺さった。
火トカゲはしばらく岩床を掻いていたが、やがて熱と動きを失っていく。
「……なるほど」
戦いが終わると、ネスはすぐに火トカゲへ近づいた。
「鱗を一枚、見せていただけますか」
レンの父親が喉元の傷を避け、薄い刃を差し入れる。
鱗を剥がす硬い音が、岩壁の間に響いた。
「昨日見せていただいたものと同じ品質です。倒したばかりですから、保存中の傷みもなく、本来の状態が分かりやすい」
「これで、本当に洞窟で採れると分かったか?」
「ええ。品があることと、その品を継続して得られることは別ですから」
ネスは剥いだ鱗だけでなく、火トカゲから取り出された魔石の大きさや、倒した場所、入口までの距離も記録していった。
商人が見ているのは、目の前にある一枚の鱗だけではない。
次に来た時も同じものを買えるのか。何枚運び出せるのか。どれほどの危険があるのか。
そうしたすべてを含めて、品物の価値を決めているのだろう。
一行がさらに奥へ進む。
目的の区画まであと少しというところで、通路の脇に、さらに奥層へ続く細い裂け目が口を開けていた。
人が身体を横にすれば、どうにか進めるほどの隙間だ。
俺は周囲の岩盤へ力を加えた。
ごごご、と低い振動が洞窟全体へ広がる。
「な、何ですか?」
ネスの足音が大きく後ろへ下がった。
裂け目の両側から岩を押し出し、奥へ続く隙間を完全に塞ぐ。
「この先は、カザン様がお見せにならない場所です」
ヒナノが説明する。
「……よく分かりました。山の壁が目の前で閉じれば、どれほど欲深い商人でも引き返します」
(分かってくれたならよかった)
「かしこみかしこみ、御身の御意向へ逆らう者が現れましたら、出口も同じように閉じてはいかがでしょう」
(それは視察じゃなくて生き埋めだ)
フランの提案を聞き流し、俺は一行が目的の区画へ到着するのを待った。
やがて、黒銀色の筋が露出した岩壁の前で、足音が止まる。
村長が持参した布包みを開き、先日の攻略で持ち帰った鉱石の塊を取り出した。
ネスが鞄を下ろす。
「岩壁へ触れてもよろしいでしょうか。削り取ることはいたしません」
「構わん。ただし、ヒナノの前で調べてもらう」
「もちろんです」
ネスは岩壁に露出した黒銀色の部分へ金属板を当て、軽く叩いた。
次に、村長が持参した塊へも同じことをする。
二つの硬い音を聞き比べ、布で表面を磨く音が続いた。最後にネスが手のひらを重ねると、指先の周囲でわずかに魔力が揺れる。
「昨日の鉱石と同じものです。色合い、叩いた音、魔力の含み方が一致しています。黒銀色の筋も、岩の内側へ続いています」
「たまたま落ちていた石ではないということか?」
「ええ。ただ、どれほどの量があるかまでは分かりません。見えている部分だけかもしれませんし、山の奥に大きな鉱脈がある可能性もあります」
ネスは少し間を置いてから、声を落とした。
「改めて申し上げます。この鉱石のことは、誰にでも話してよいものではありません」
「高く売れるのであろう?」
「だからこそです」
村長の問いに、ネスは静かに答える。
「価値のある鉱石は、村を豊かにします。守り切れるのであれば」
「守れなければ、どうなる」
「商人は金を持って訪れます。しかし、世の中には金の代わりに武器を持って訪れる者もおります」
洞窟が静まり返る。
魔物や盗賊を退けられるようになったとはいえ、この村が大勢の人間を相手にできるわけではない。
山の中に価値のあるものがあると知られれば、それを欲しがる者は必ず現れる。
「なぜ、それをわしたちへ教える?」
「品を作る者がいなくなれば、商人も仕入れられなくなるからです」
ネスは迷うことなく答えた。
「私はこの村と、長く商いをしたいと考えています。一度だけ鉱石を持ち帰るより、何度も同じ道を訪れる方が利益になりますから」
善意だけではない。
自分の利益があるから、村を守る必要があると言っている。
その方が、かえって信用できる気がした。
「鑑定を頼む工房にも、産地は伏せます。遠方の山村で手に入れたとだけ伝えましょう。鉱石の正体を調べるだけなら、それで十分です」
「カザン様」
ヒナノが足元の岩へ手を触れる。
「この鉱石を、売ってもよいのでしょうか」
今の段階では、鉱石の価値が分からない。
価値が分からないまま売れば、安く買われても気づけない。そもそも、どれほどの量が眠っているのかも、新しい鉱石がどれほどの速さで育つのかも調べていなかった。
『鉱石は、まだ売らない』
「鉱石そのものは、まだ売らないようにと仰っています」
『鑑定用の欠片だけを預ける』
「ただし、鑑定に必要な小さな欠片だけは、預けてもよいとのことです」
「十分です」
ネスは、村長が持参した布包みの底に残っていた小片を一つ受け取った。採掘した時に、塊から欠けたものらしい。
爪の先ほどの欠片だ。
ネスはそれを布で幾重にも包み、小さな容器へ納める。
「確かにお預かりしました。私の名と商印を記した預かり証をお渡しします。次に訪れる時、鑑定結果とともに、残った欠片を必ずお返しいたします。鑑定で失われた分については、相応の代価をお支払いしましょう」
村へ戻ると、広場で改めて商談が始まった。
洞窟で倒した火トカゲの鱗と魔石。
倉庫に保管していた分に、薬草、獣皮、昨夜から今夜までの食事と水、それに寝床を加える。
村人たちが何度も話し合い、ネスが一つずつ値を付けた。
その結果、村は塩と針、傷薬、鍬の替え刃、少量の油を手に入れた。
欲しがっていた品を、すべて買えたわけではない。
それでも、塩の入った袋が村の倉庫へ運ばれ、針を受け取った女たちから喜びの声が上がる。新しい替え刃を手にした男たちは、早く畑で試したいと話していた。
「それで、あの香辛料はないのか?」
ガンゾウが不満そうに尋ねる。
「今回は、なくても命に関わらない品を後へ回しました」
「食事の楽しみは、命に関わるぞ」
「では、見本として一食分だけお渡しします。次に買うかどうかは、皆様で料理を召し上がってからお決めください」
「うむ。それがよい」
「ただし、今度は蓋へ鼻をつけないでください」
「あれは品の強さを確かめただけじゃ」
「おかげで、説明より先に強さが伝わりました」
周囲から笑い声が上がる。
初めての取引は、荷車一台分の品を買い取るような大商いにはならなかった。
だが、火守村の中だけでは作れない品が、確かに村人たちの手へ渡った。
「次に採れた鱗や魔石も、まず私へ見せていただけませんか」
商談を終えたネスが、村長へ申し出る。
「おぬしにだけ売るとは約束できんぞ」
「ええ。他の商人が、私よりよい値を付ける可能性もあります。ただ、最初に相談していただく機会が欲しいのです」
「値を誤魔化さん限りはな」
「長い商いでは、一度の嘘が最も高くつきます。次に来る道を、自分で塞ぐことになりますから」
「ならば、次もまずおぬしに見せよう」
村長とネスの間で、最初の約束が交わされた。
その途端、村人たちが今後の話を始める。
「明日から、もっと火トカゲを倒そう」
「鱗を集めれば、鉄の道具も買えるんじゃないか?」
「何人かで毎日入れば、次に来るまでに相当な数になるぞ」
(待て待て。そのまま狩り続けたら、いなくなるだろ)
火トカゲが群れを戻す区画は作ってある。
だが、どれほどの速さで数が戻るのかは、まだ確かめていない。魔石や鉱石が育つまでに必要な時間も分かっていなかった。
『採り尽くしてはならない』
俺の神託を受けたヒナノが、村人たちへ向き直る。
「カザン様は、洞窟の恵みを採り尽くしてはならないと仰っています」
広場の声が止まった。
「そうじゃな。一度すべて採れば、次から何も得られん」
村長が頷く。
「洞窟へ入る者は、必ず先に申し出ること。倒してよい火トカゲの数は、その都度こちらで決める。当面は少なく抑える。壁で育っている小さな魔石には触れず、鉱石は許しなく削らぬこと」
「採った数も、すべて残しておいた方がよいですね」
レンが言う。
「うむ。誰が入り、何をいくつ持ち帰ったのかも記録する。奥の区画へは、これまでどおり入ってはならん」
「それがよいでしょう」
ネスも村長の決定に賛成した。
「一度だけ百枚の鱗を買える場所より、来るたびに十枚を買える場所の方が、商人には価値があります」
(少なくても、なくならない方がいいのか)
洞窟から得られるものが売れると分かった。
同時に、売れるからこそ管理しなければならないことも分かった。
俺が作った洞窟は、ただ魔物を倒す場所から、村を支える資源の一つになろうとしている。
「かしこみかしこみ、採取した品の十のうち一つを御身へ供えれば、感謝の心も忘れずに済むかと存じます」
(御山から採れたものを、御山に戻すのか?)
「かしこみかしこみ、御山の恵みが御山へ還る、美しき循環にございます」
(循環する距離が短すぎるだろ)
フランに任せておけば、交易より先に税が生まれそうだった。
翌朝。
ネスの荷車へ、火トカゲの鱗と小さな魔石、薬草、獣皮が積み込まれた。
黒銀色の鉱石は、鑑定用の欠片だけがネスの鞄へ入っている。
「次は、いつ来られる?」
村人の問いに、ネスは少し考えてから答えた。
「これから砂漠連邦へ戻り、各地で商いをしながら再び北へ向かいます。おそらく、半年ほど先になるでしょう」
「ならば、半年後に火神祭を開く。その日に来るとよい」
ガンゾウが言う。
「どのようなお祭りなのですか?」
「魔物の襲撃を退けてから一年となる日に、皆で備えを確かめるのじゃ」
ガンゾウは得意げに説明を始める。
「昼は井戸と避難所を調べ、鳴子を鳴らし、村の者を避難させる。壊れた柵があれば、その場で直す」
「失礼ですが、それは祭りではなく点検では?」
「夜は火を灯し、皆で料理を囲む」
「なるほど。昼に働いた方々へ、夜に商品を売れる祭りですね」
「よく分かっておるではないか」
(商人の理解でいいのか、それ)
だが、襲撃を忘れず、備えを確かめた後で無事を祝うなら、火守村らしい祭りかもしれない。
「では、半年後の火神祭に戻ります。その時は、今回頼まれた塩や鉄の道具、薬を多めにお持ちしましょう」
「荷車も二台で来い」
「その前に、車輪を二度直さずに済む道をお願いいたします」
(資源の次は、道か……)
村を外と繋ぐなら、荒れた道もそのままにはしておけない。
やることが、また一つ増えた。
ネスが荷車を引き、村の南側へ続く道を進んでいく。
「半年後も、この山を目印にすれば、迷うことはなさそうですね」
最後にそう言い残し、荷車の音が少しずつ遠ざかっていった。
やがて、ネスの熱が領域の外へ出る。
《一時滞在者:零名》
表示から、外から来た人間の数が消えた。
それでも、南へ続く道には荷車の轍が残っている。
荷台に積まれているのは、火守村から初めて外の世界へ送り出された商品だ。
(半年後までに、少しでも多く育てておかないとな)
火トカゲも、魔石も、鉱石も。
村も、そして、この山そのものも。
まずは、洞窟の資源がどれほどの速さで戻るのかを確かめる必要がある。
俺は浅層へ意識を戻し、火トカゲが倒された区画から、地下へ流れる熱を辿っていった。
小さな魔石や火トカゲの巣へ熱を運んでいるのは、以前繋いだ地脈だ。
そう思っていた。
だが、流れを奥へ辿るほど、妙なことに気づく。
今繋がっている地脈の、さらに先。
俺の領域よりも深い場所を、これまで触れたことのないほど巨大な熱の流れが横切っている。
それは生き物の鼓動のように、ゆっくりと脈打っていた。
地上に初めて交易の道が生まれた日。
地下では、もう一本の道が俺を呼んでいた。
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