38.砂漠からきた行商人
砂漠連邦から来た行商人。
そう名乗った男を前にしても、村人たちはすぐには武器を下ろさなかった。
俺の意識に浮かんだ《一時滞在者》という表示が教えてくれたのは、男がこの村の住人ではないということだけだ。害がないと保証してくれたわけではない。
「名を聞こう」
村長の問いに、男は改めて頭を下げたらしい。衣服の擦れる音が、小さく届いた。
「申し遅れました。私の名はネス。砂漠連邦を拠点に、各地を巡って商いをしております」
「砂漠連邦から、なぜこの村へ来た」
「北方での商いを終え、故郷へ戻る途中でした。古い地図に、この山の麓を通る道と村が記されていたものですから」
ネスはそこで一度、言葉を切った。
「正直に申しますと、今も人が暮らしているとは思っておりませんでした」
「それは正直に言わなくてもよいことじゃな」
ガンゾウの声に、ネスが小さく笑う。
「今後、こちらでも商いができるなら、正直さを大切にしようかと」
「まだ村へ迎え入れてもおらんぞ」
「では、まずは迎え入れていただくために、ということで」
初対面の村人たちに槍を向けられているわりに、よく口が回る男だ。
ただ、声に怯えがないわけではない。男の身体から伝わる熱は少し高く、荷車を引く獣も周囲の緊張を感じて、落ち着かない足音を立てていた。
「荷を調べさせてもらう」
「もちろんです。武器に見える品もありますが、すべて売り物です。私が皆様と戦うつもりなら、最初に『多少は怪しい』とは申しません」
「それで信用が増すと思っておるのか?」
「少なくとも、嘘の下手な男だとは思っていただけるかと」
村長の指示を受け、レンたちが荷車へ近づく。
木箱の蓋が開き、縄がほどかれ、中身を一つずつ確かめる音が続いた。俺も荷台の下や箱の隙間へ意識を伸ばす。隠れている人間や魔物の熱はない。
だが、箱の中の品が安全かどうかまでは見分けられない。念のため、ヒナノへ短い神託を送る。
『荷物を、すべて確かめてくれ』
「カザン様も、荷をすべて確認するよう仰っています」
ヒナノが村人たちへ伝えると、ネスの呼吸が一瞬止まった。
「失礼ですが、そのカザン様という御方は、どちらに?」
「あちらです」
ヒナノが山を示したのだろう。
続いて複数の衣擦れが重なる。村人たちも一斉に、こちらを指したらしい。
「……山の、どの辺りでしょうか」
「山ではありません。火山様です」
「あの山そのものが?」
「はい」
しばらく沈黙した後、ネスが慎重に尋ねる。
「私はこれから、山を相手に値段の相談をするのでしょうか」
(俺に任せるな。外の相場なんて何も知らないぞ)
「かしこみかしこみ、御身の御前に品を並べ、商人自らに適正な供物を申し出させてはいかがでしょう」
(それは商談じゃなくて寄進だ)
「かしこみかしこみ、呼び名が違うだけで、品がこちらへ渡ることに変わりはございません」
(一番大事なところが違う)
俺とフランが話している間に、村長が「人同士の話はわしがする」と説明してくれた。
ネスは安心したように息を吐く。
「助かりました。山ほど大きなお客様との商談は、初めてなもので」
(俺も荷車から買い物をするのは初めてだよ)
荷物を調べ終えたレンたちから、危険なものはないと報告が入る。
村長はまだ完全には警戒を解いていなかったが、ネスと荷車が村の広場まで入ることを認めた。
敷物が地面へ広げられ、その上へ次々と品物が置かれていく。
「こちらは砂漠連邦の岩山から採れた塩です。布と油は故郷で仕入れたもの。針や小刀、鍬の刃、傷薬は北方の町で買い付けました。乾燥果実と香辛料もございます」
ネスが木箱を開くたび、村人たちの声が上がった。
特に人が集まったのは、塩と針、それから鉄製の道具だった。
「この白いものが、全部塩なのか?」
「ええ。少量なら料理に使えます。多くあれば、肉や魚を長く保存できます」
「これだけあれば、冬支度がずいぶん楽になるのう」
「ご安心ください。量に応じて、きちんと値段も高くなります」
「何一つ安心できん話じゃな」
「商人としては、たいへん安心していただきたいところです」
ガンゾウと話しながらも、ネスは別の村人から針の値段を聞かれ、すぐに答えている。誰が何に興味を示したのか、声だけで覚えているようだった。
やがて、小さな容器の蓋が開く。
俺には匂いまでは分からない。それでも、村人たちが一斉に息を吸い、すぐにざわめいたことで、これまで村になかった強い香りなのだと分かった。
「こちらは肉の臭みを消し、食欲を――」
「ぶえっくしょい!」
説明の途中で、ガンゾウの大きなくしゃみが響いた。
「食う前から攻撃してくるではないか!」
「近くで一度に吸い込むものではありません」
「先に言わんか!」
「まさか、蓋へ鼻をつける方がいるとは思わなかったもので」
「よく分からんものは、近くで確かめるものじゃ」
「次からは、少し遠くでお願いいたします」
周囲から笑い声が上がる。
魔物の襲撃があってから、村では武器や建物の話ばかりが続いていた。見たことのない品を囲んで笑う村人たちの声が、久しぶりに明るく響いた。
(こういうものも、村には必要なんだな)
生きるために欠かせない塩や道具だけではない。
味を変える香辛料。衣服を飾る色糸。子供たちが何度も振って音を楽しんでいる、砂漠の小さな木の実。
選べるものが増えるだけで、暮らしは少し楽しくなる。
「かしこみかしこみ、あちらの織布は、神殿の祭壇を飾る垂れ幕に適しているかと存じます」
(まだ神殿を建てるとは言ってないぞ)
「かしこみかしこみ、では、建立の日に備え、先に購入しておかれるのはいかがでしょう」
(村にどれだけ金があるかも分からないのに、最初の買い物を神殿用品にするな)
「かしこみかしこみ、布が余りましたら、御身をかたどった像へ羽織らせることもできます」
(俺の像まで作る気だったのか?)
「かしこみかしこみ、祈りの場に御神体は欠かせません」
(御神体なら、目の前に山ほどあるだろ)
俺より大きな像を作ることは不可能だろう。小さく作る意味も、俺にはよく分からない。
やがて、村長とネスの間で本格的な値段の話が始まった。
そこで、広場を満たしていた熱気が少しずつ静まっていく。
欲しい品は多い。だが、火守村に残っている貨幣は、わずかだった。
以前は近くの町から商人が訪れることもあったという。しかし道が荒れ、魔物が増えてからは人の行き来が途絶え、貨幣を使う機会そのものがなくなっていた。
「金の代わりに、こちらの品と交換できんか」
村長の合図で、薬草や獣の皮、木炭、保存食が運ばれてくる。
ネスは一つずつ手に取り、乾き具合や重さを確かめていった。
「この薬草は状態がよいですね。獣の皮も、数枚なら買い取れます」
「木炭はどうじゃ?」
「品は悪くありません。ただ、砂漠連邦まで運ぶには重すぎます。道中の町でも手に入る品を遠くまで運べば、その分だけ値を上げなくてはなりません」
ネスの口調は穏やかだったが、答えははっきりしていた。
食事と水、それに今夜眠れる場所。これに状態のよい薬草と獣皮を加えれば、塩や針、いくつかの小さな道具と交換できる。
だが、村人たちが欲しがった品をすべて手に入れるには足りなかった。
「残りは、次に来た時でもよいか?」
誰かが尋ねると、ネスはすぐには答えなかった。
「この村へ来るまで、荷車の車輪を二度、補修しました。道中で魔物の痕跡も見ています」
「もう来ないということか?」
「そうは申しておりません。ただ、商人が同じ場所へ戻るには、旅にかかる費用と危険を上回るだけの理由が必要なのです」
その言葉に、村人たちが黙り込む。
ネスは村を見下しているわけではない。むしろ、交換できる量を誤魔化さず、再び来るための条件も正直に話している。
(村の中で役に立つものと、外へ売れるものは違うのか)
畑で採れた作物は、村人たちの命を繋ぐ。
木炭は火を保ち、獣の皮は衣服や寝具になる。
だが、外の人間が危険な道を越えてでも買いに来る品となれば、話は別だ。
ダンジョンへ資源を置き、採り尽くされない仕組みを作ることばかり考えていた。だが、そこで得たものを誰が欲しがり、どうやって外へ届けるかまでは考えていなかった。
「それなら、御山の洞窟で採れたものはどうじゃ?」
ガンゾウの言葉に、村人の一人が倉庫へ走っていく。
戻ってきた男が敷物へ置いたのは、先日の攻略で持ち帰った火トカゲの鱗と、小さな魔石だった。
「これは……」
ネスの声から、それまでの軽さが消える。
鱗を指先で弾く硬い音がした。続いて刃物で表面を擦る音が響き、やがて火打ち金の音とともに、小さな油灯に熱が生まれる。
「少し、火へ近づけても?」
「構わん」
油灯の炎へ、火トカゲの鱗が近づけられる。
しばらく待っても、炎を当てていない側へ伝わる熱は、わずかしか増えなかった。
「やはり、耐火性があります。一枚では面積が足りませんが、何枚かを革へ縫い付ければ、鍛冶場で使う手甲や前掛けの耐火材になる。加工できる職人へ持ち込めば、防具の素材にもなるでしょう」
「売れるのか?」
「一枚で大金になる品ではありません。しかし、同じ品質のものを継続して揃えられるなら、話は変わります」
ネスは小さな魔石も手に取り、数と大きさを確かめる。
「こちらも小粒ですが、工房では使い道があります。まとめて仕入れられるなら、私が来る理由にはなる」
止まっていた村人たちの声が、再び広場へ満ちた。
「洞窟には、あの火トカゲが何匹もおったぞ」
「奥から、また出てきているらしい」
「なら、もっと採れるんじゃないか?」
(採れる。ただし、採ってよい量には気をつけないとな)
火トカゲが群れを戻す区画も、小さな魔石を育て直す区画も、作り始めたばかりだ。
売れると分かった途端に狩り尽くせば、元も子もない。
どれだけ倒してよいのか。
どれだけ持ち出してよいのか。
村を豊かにするなら、採るための決まりも必要になる。
「かしこみかしこみ、御山の恵みに価値があると判明した今こそ、認定の証を付した護符や像を売り出す好機にございます」
(火トカゲの鱗が売れるって話だぞ)
「かしこみかしこみ、鱗を添えた御守りであれば、耐火の御利益も期待されましょう」
(本物の耐火素材を飾りに使うな)
「かしこみかしこみ、では、鱗を使わぬ品も併せてご用意いたします」
(もう商品の種類まで考えたのか)
フランの中では、神殿を建てる前に土産物屋が開きそうだった。
その時、別の村人が何かを思い出したように倉庫へ向かった。
「これも、洞窟で拾ったものだ」
敷物へ置かれた石から、かすかな魔力が伝わってくる。
最初の攻略者たちが、浅層の岩の亀裂から見つけた黒銀色の鉱石だった。片手に収まるほどの小さな塊しかない。
ネスは受け取ると、すぐには何も言わなかった。
石を小さな金属板へ擦りつける音。
表面を刃物で削る音。
先ほどまで淀みなく続いていた説明が、完全に止まっている。
「どうした。価値のない石だったか?」
「……いえ」
ネスが、削った鉱石をもう一度指で弾く。
「その逆かもしれません」
広場が静まり返った。
「私では、この場で正確な名までは断定できません。しかし、ただの鉄鉱石ではない。同じ大きさの鉄鉱石より重く、削った跡には独特の光沢がある。何より、内側にまで魔力を含んでいます」
「高く売れるのか?」
「信頼できる工房で調べる必要はあります。ですが、これと同じものがまとまった量で採れるなら――私の荷車に積んだ品を、すべて置いていっても足りない可能性があります」
今度は、村人たちから歓声が上がらなかった。
価値がある。
その言葉が大きすぎて、誰もすぐには受け止めきれなかったのだろう。
「これは、どこで拾われたのですか?」
ネスが尋ねる。
だが、村長は答えなかった。
村の品を見せて交換することと、御山の内部を外から来た者へ明かすことは違う。
ネスもそれを理解したらしく、それ以上は聞かず、鉱石を敷物へ戻した。
「カザン様」
ヒナノが山へ向き直る。
「この方へ、御山の洞窟をお見せしてもよろしいのでしょうか」
外と繋がれば、村だけでは作れないものが手に入る。
塩も、針も、鉄の道具も、薬も。
ネスが繰り返し訪れるようになれば、村人たちは今よりずっと暮らしやすくなるだろう。
だが、価値があると知れ渡れば、ここへ来るのは商人だけとは限らない。盗賊や、鉱石を奪おうとする者たちが現れるかもしれない。
(見せる場所も、見せる相手も、慎重に決めないとな)
すぐに答えを出せずにいると、ネスが静かに口を開いた。
「先ほどまで、私はこの村に何を売れるか考えていました」
黒銀色の鉱石が、敷物の上をわずかに擦る。
「ですが今は、この村から何を買えるのかを考えています」
ネスの声が、改めて村長とヒナノへ向けられる。
「どうか明日、この鉱石が採れた場所を見せていただけませんか」
読んでいただきありがとうございます。
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