37.巫女は結婚できますか?
レンくんがんばれいい!
「火山様に、聞きたいことがあります」
倉庫の裏で山へ向き直ったまま、レンは答えを待っていた。
俺の声は、神器を持つヒナノと、眷属であるコロたちにしか届かない。それでも、こうして俺へ話しかけるからには、こちらが聞いていると信じているのだろう。
(何を聞きたいんだ?)
先日の戦いについてだろうか。
もっと強くなる方法か。次に魔物が襲ってきた時、自分が何をすればよいのか。それとも、村を守るための新しい武器が欲しいのか。
レンは一度息を吸い、さらに声を潜めた。
「ヒナノが、火山様の巫女になったことについてです」
(ヒナノが?)
「巫女は……」
そこで言葉が止まる。
レンの身体から伝わる熱が、じわじわと上がっていく。
「巫女は、誰かと結婚してもよいのでしょうか」
(そっちか)
村を揺るがすような相談を想像していたら、レン一人の心を揺るがす相談だった。
「かしこみかしこみ、現時点において、巫女の婚姻を禁ずる定めはございません」
(現時点って言い方をするな。これからも禁止するつもりはないぞ)
「かしこみかしこみ、では、巫女の婚姻自由を第一の教義として定めるのはいかがでしょう」
(最初の教義を恋愛相談から作るな)
俺とフランが話している間も、レンは身じろぎせず立っていた。
「俺は、昔からヒナノのことが好きです」
誰かに聞かれるのを恐れているのか、その告白はほとんど囁き声だった。
「いつか大人になって、もっと強くなれたら……ヒナノと家族になりたいと思っていました」
レンの身体が、わずかに山から逸れる。
「でも、ヒナノは火山様の巫女になりました。火山様のお言葉を村へ伝えて、神器を授かって、俺たちにはできないこともできるようになって……」
レンの声に、少しだけ迷いが混じる。
「巫女が一生を火山様へ捧げるものなら、俺がそんなことを望むのは、いけないことなのかと思ったんです」
(いや、巫女は俺の持ち物じゃないぞ)
ヒナノが巫女になったのは、俺と村を繋ぐためだ。
その役目を理由に、ヒナノの将来まで俺が決めてよいはずがない。
(そもそも、俺は火山だしな)
「かしこみかしこみ、御身と人との婚姻は、地理的にも相当な困難を伴うかと存じます」
(その可能性を真面目に考えるな)
「諦めなければならないのなら、今のうちに諦めます」
レンは再び山へ向き直る。
「ヒナノが巫女として生きる邪魔だけは、したくありません」
好きだからこそ、自分の望みを押しつけたくない。
まだ若いのに、レンなりにヒナノのことを考えて出した言葉なのだろう。
(巫女だからって、諦める必要はない)
ただし、巫女でも結婚してよいことと、ヒナノがレンを選ぶかどうかは別の話だ。
そこを決めるのは俺でも、村長でもない。
ヒナノ本人だ。
答えを伝えようとして、問題に気づく。
(どうやって返事をすればいいんだ?)
俺からレンへ、直接言葉を届けることはできない。
地面を揺らせば、何かを伝えようとしていることは分かるかもしれないが、結婚してよいという意味までは伝わらないだろう。
揺らし方を間違えれば、恋愛相談への返事どころか、噴火の前触れだと思われかねない。
すると、レンがこちらの迷いを見透かしたように続けた。
「お答えは、ヒナノに伝えてください」
(本人を通すのか?)
「ただ、何を聞いたかは、ヒナノには言わないでほしいんです」
(本人に秘密のまま、本人に答えを運ばせるのか?)
「結婚してもよいのなら、『よい』。駄目なら、『駄目』とだけ伝えていただけませんか」
「かしこみかしこみ、想い人を伝令役とする、たいへん複雑な伝達方法にございます」
(俺もそう思う)
「お願いします」
レンは深く頭を下げた。
その姿勢のまま、しばらく答えを待っていたが、今の俺には何も返せない。
「……明日の朝、ヒナノからのお言葉を待ちます」
そう言い残すと、レンは足早に倉庫の裏を離れていった。
来た時には何度も足を止めて周囲を確かめていたのに、帰りは一度も立ち止まらない。
(魔物から退く時より速くないか?)
「かしこみかしこみ、恋心を告げた直後に、平静を保てる者は多くないものと存じます」
(お前、妙に詳しいな)
「かしこみかしこみ、先ほどの会話より得た知識をもとに申し上げました」
(ほとんど今知ったばかりじゃないか)
生まれて間もない火精霊に恋愛を語られながら、俺は遠ざかるレンの足音を追った。
◇ ◇ ◇
夜が深まり、村人たちが眠りについた頃。
俺は村から山の内部へ意識を戻していた。
三人の定住者を迎え、火守村では共同宿舎と新しい畑を作ることが決まった。
村が少しずつ広がっていくなら、俺も山の中を育てていかなければならない。
最初の攻略者たちが浅層ダンジョンへ入って以来、俺は空いた時間を使い、少しずつ内部の拡張を続けていた。
現在の浅層は、火トカゲと戦い、小さな魔石や素材を得るための場所だ。
だが、同じ場所から同じものを採り続ければ、いずれ何も残らなくなる。
倒して終わり。
掘って終わり。
それでは、村を支え続ける場所にはならない。
浅層の奥にある岩盤へ圧力をかけ、ゆっくりと亀裂を広げる。
無理に砕けば、天井まで崩れかねない。周囲の岩を熱で馴染ませ、柱となる部分を残しながら、新しい通路を少しずつ延ばしていく。
その先に、いくつかの空間を作った。
一つは、火トカゲが身を隠し、傷を癒やしながら群れの数を戻していける温かな区画。
一つは、地熱に含まれる魔力をゆっくりと溜め、時間をかけて小さな魔石を生み出す区画。
もう一つは、鉱物を含んだ地下水と地熱を巡らせ、掘り削られた鉱脈が少しずつ育ち直すための区画だ。
すぐに結果が出るわけではない。
魔物が増えるにも、魔石や鉱石が育つにも、時間が必要になる。
それでも、採られたものが二度と戻らない場所よりはいい。
(採るだけで終わらず、また育っていく場所にしたいな)
浅層だけで終わらせるつもりもない。
さらに深い場所へ続く道も掘り始めている。
今の村人たちには危険すぎるため、入口は厚い岩で塞いだままだ。火トカゲより強い魔物を置くのも、その先の環境が整ってからになる。
村人たちが強くなれば、少しずつ先へ進める。
進んだ先では、新しい魔物や資源と出会える。
そうやって村と一緒に成長するダンジョンにできれば、いずれ外から人を呼ぶ理由にもなるかもしれない。
新しい通路へコロを送り込むと、小さな身体が岩の間を弾んでいく振動が返ってきた。
その後ろを、ヴァルが慎重に歩いている。
コロは分かれ道へ着くたび、迷うことなく右へ進んだ。
次も右。
その次も右。
(コロ、そっちは排熱用の穴だぞ)
「ぷる?」
コロが細い穴へ身体を押し込もうとする。
後ろからヴァルが前脚で止めると、コロは一度潰れ、そのまま元の丸い形へ戻った。
「ぷるる」
抗議するような振動に、ヴァルが小さく翼を広げる。
(安全確認を頼んだのに、どうして一番危ない道へ入ろうとするんだ)
「かしこみかしこみ、コロ殿は、未知へ挑むことを恐れぬ御方にございます」
(道を覚えていないだけじゃないか?)
「かしこみかしこみ、その可能性も否定できません」
ヴァルに連れ戻されたコロは、今度は左の通路へ弾んでいった。
少し不安は残るが、新しく作った区画に崩れそうな場所はないようだ。
地熱の流れを整えた頃、ヒナノが眠りについた気配が神器を通じて伝わってきた。
俺は山の内部へ意識の一部を残したまま、ヒナノの夢へ繋がる。
『ヒナノ』
「カザン様」
『頼みがある』
「はい。なんでしょうか」
『明日の朝、レンに「よい」と伝えてほしい』
ヒナノが少し黙る。
「『よい』、だけでよろしいのですか?」
『それだけで分かる』
「何がよいのでしょうか」
『それは言えない』
「私に関係することですか?」
いきなり核心へ近づかれた。
『レンが自分で話すまで、秘密だ』
ヒナノはしばらく黙った後、困ったように尋ねてくる。
「私は内容を知らないのに、秘密にするのですか?」
(言われてみればそうだな)
『そうなる』
「……神託とは、不思議なものなのですね」
(今回だけは、俺もそう思う)
それでもヒナノは素直に頷いた。
答えを預けた俺は、彼女の夢から意識を戻し、夜の間も山の内部を少しずつ育て続けた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ヒナノはいつものように山へ挨拶を済ませると、そのまま訓練場へ向かった。
俺も胸元の神器との繋がりへ意識を重ね、二人の声を拾う。
レンは朝から槍を振っていた。
ヒナノの足音に気づいた瞬間、槍の動きが止まる。身体から伝わる熱も、昨日と同じように上がり始めた。
「レン。昨夜、カザン様より、お言葉を預かりました」
「……なんて?」
「『よい』とのことです」
「本当に?」
「はい。私が、カザン様のお言葉を偽って伝えると思いますか?」
「いや、そういう意味じゃない」
レンの声から力が抜け、張り詰めていた呼吸がゆるんだ。
「よかった……」
小さく漏れた声を、ヒナノは聞き逃さなかった。
「ところで、何がよいのですか?」
「それは、まだ言えない」
「では、どうして私が伝えるのですか?」
「火山様のお言葉を聞けるのは、ヒナノだけだから」
「私には言えないことなのに?」
「今すぐ、ヒナノが困る話じゃない」
「今すぐ?」
「……言い方を間違えた」
「では、いつかは困るのですか?」
「困らせたいわけじゃない!」
レンの声が裏返る。
近くで訓練していた大人たちの動きが止まり、レンは慌てて声を落とした。
「とにかく、今は言えないんだ」
「危ないことではありませんか?」
「違う」
「一人で魔物を倒しに行く相談でも?」
「それも違う」
「レンのお父様に隠れて、夜の訓練を増やす相談でも?」
「違うって」
「でしたら、教えてくれてもよいと思います」
「それができないから、火山様に相談したんだ」
ヒナノは納得していないようだったが、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました。レンが自分で話すまで、聞かないことにします」
「ありがとう」
「でも、隠れて危ないことをしたら、カザン様へすぐにお伝えします」
「だから、危ないことじゃない」
最後まで疑いを残したまま、ヒナノは訓練場を離れていった。
その足音が遠ざかるのを待ち、レンが山へ身体を向ける。
「火山様、ありがとうございます」
昨日とは違い、その声に迷いはなかった。
「今すぐ、ヒナノに何かを言うつもりはありません」
レンは槍を握り直す。
「俺がもっと強くなって、ヒナノの隣でこの村を守れるようになったら……その時は、自分で伝えます」
(頑張れよ)
この声は届かない。
それでも、今まで以上に力強く槍を振り始めたレンを、しばらく見守る。
「かしこみかしこみ、若き決意、まことに尊きものにございます」
(そうだな)
「かしこみかしこみ、将来の神前婚へ備えるためにも、神殿の早期建立が必要かと存じます」
(今の話から神殿へ繋げるな)
「かしこみかしこみ、祭壇に加え、参列者を迎える広間も必要となりましょう」
(そもそも、ヒナノがレンを選ぶかどうかは別の話だぞ)
「かしこみかしこみ、では、婚礼以外にも使える多目的神殿として――」
(用途を増やして押し通そうとするな)
巫女の婚姻を認めたからといって、フランの神殿まで認めた覚えはなかった。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
共同宿舎では最初の柱を立てる作業が始まり、南の斜面では畑を広げるため、村人たちが灰と土を混ぜていた。
村の中へ意識を向けながら、俺も地下で新しい通路を掘り進める。
そんな時、火山領域の外側から、規則正しい振動が伝わってきた。
地面を蹴る、四本の脚。
その後ろで、二つの車輪が小石を踏みながら回っている。
荷車だ。
引いている獣とは別に、人間一人分の熱もある。
村へ近づいてくる振動に、俺はすぐヒナノへ短い神託を送った。
『村へ、誰かが近づいている』
先日の魔物の襲撃を経験したばかりだ。
知らせを受けた村人たちは作業を止め、レンや戦える大人たちが武器を手に村の入口へ集まった。
やがて、車輪の軋む音が近づいてくる。
荷車を引く獣も、御者台に座る男も、魔物に追われている様子はない。
荷台では大小いくつもの荷物が揺れ、金属や木箱が触れ合う音がしていた。
村の入口へ集まった者たちに気づいたらしく、男は荷車を止めた。
「お待ちください。怪しい者ではありません」
「怪しい者は、皆そう言うものじゃ」
ガンゾウの言葉に、男が少し間を置く。
「では、多少は怪しいかもしれませんが、皆様へ害を加えるつもりはありません」
「正直になればよいという話ではない」
村長は警戒を解かない。
男は困ったように笑うと、荷車からゆっくり地面へ降りた。
その足が火守村の内側へ入った瞬間、意識の中へ新しい文字が浮かぶ。
《一時滞在者:一名》
男は村人たちへ向け、丁寧に頭を下げた。
「私は、ここより南にある砂漠連邦から参りました。各地を巡り、品を売り買いしている旅の行商人です」
火守村となって初めて、外の国から旅の行商人が訪れた。
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