36.火守村に足りないもの
空に咲いた炎の花が消えても、火守村にはしばらく笑い声が残っていた。
村人たちはコロとヴァルを囲み、少し離れた場所では、昨日助けられた娘が母親の隣で新しい村の名を何度も口にしている。
そんな中、俺は解放されたばかりの《集落管理機能》へ意識を向けていた。
火守村として認められた範囲。その中にある住居や倉庫、蓄えられた食料へ意識を重ねると、知りたい情報が浮かび上がってくる。
《一時滞在者:三名》
《空き住居:なし》
《食料備蓄:定住者三名増加時、余裕なし》
(村に名前がついて、最初に分かったのが家不足か)
「かしこみかしこみ、住居が不足している今こそ、神殿兼共同宿所の建立を進言いたします」
(人が住む家の話をしてるんだぞ)
「神殿にも、人を泊めることは可能にございます」
(宿に神殿を混ぜるな)
「では、神殿兼共同宿所兼集会所として――」
(神殿を残すな)
フランは納得がいかない様子で、村の中央に立っていた。
そのすぐそばを村人が通り過ぎても、誰一人としてフランへ目を向けない。
(そういえば、みんなにはお前が見えていないのか?)
「はい。望めば姿を現すこともできますが、平時にまで人々の目に触れる必要はないかと存じます」
(炎の花は見えてたよな)
「私が生み出した炎は、皆様にもご覧いただけます」
(姿は隠すのに、やることは目立つんだな)
「火守村成立の祝花にございますので」
理由にはなっていない気もするが、今は追及しないでおく。
村人たちが仕事へ戻ろうとした時、毛布を肩へ掛けた父親が村長を呼び止めた。
「村長様。少し、よろしいでしょうか」
「どうした」
「歩けるようになり次第、家族を連れて村を出ようと思います」
その言葉に、そばにいた妻が俯く。
娘は驚いた声を上げた。
「どうして? 私、ここにいたい」
「これ以上、皆様の食料や寝床を借り続けるわけにはいかない」
「でも、ここならお山も、村のみんなも守ってくれるよ」
「守ってもらうためだけに、世話になり続けることはできない」
「コロ様もいるよ」
「理由を増やしても駄目だ」
「ヴァル様もいるし、温かいお湯もあるよ」
「だんだん、お前がここで遊びたい理由になっていないか?」
娘が口を尖らせる。
「お父さんだって、お湯に入った時、ずっと出たくないって言ってた」
「それは今、言わなくていい」
周囲から笑い声が上がり、父親が気まずそうに毛布を引き上げた。
「村を出るにしても、その身体では無理だ」
村長は父親の脇腹へ目を向ける。
「傷が開けば、次に倒れた時は助からんぞ」
「ですが、私どもが長くいるほど、皆様の負担になります」
「なら、今ここで決める」
村長の声に、帰りかけていた村人たちが足を止めた。
「この一家を、火守村へ迎えるかどうかだ」
火守村となって最初の話し合いが始まった。
迎えたいという声は多かった。だが、気持ちだけで三人分の家や食料が生まれるわけではない。
「集会所の奥へ、いつまでも三人で寝泊まりさせるわけにはいかん」
「食い物も、今は足りている。だが、冬の分まで考えれば余るとは言えんな」
「また魔物が来れば、蓄えを使うことになるかもしれない」
村人たちは、一つずつ問題を挙げていく。
反対するためではない。迎えた後も、この家族を守り続けるために必要な話だった。
「働けるようになれば、必ずお返しします」
父親が、毛布を押さえながら頭を下げる。
「元いた村では、木を伐り、家や柵を作る仕事をしていました。大きな建物を一人で建てることはできませんが、家の修繕や簡単な木工ならできます」
「私は畑仕事と針仕事ができます」
妻も夫の隣で頭を下げた。
「私もできるよ」
娘が胸を張る。
「何ができる?」
村長に尋ねられ、張っていた胸が少しだけしぼんだ。
「……お父さんが無理して働かないように、見張る」
「大事な仕事だな」
「待ってください。もう私の仕事は決まったのですか?」
「今のお前には、ちょうどよい」
再び笑いが起きる。
その中で、ガンゾウが名案を思いついたように手を打った。
「家ができるまで、わしの鼓小屋を貸そう」
「あれには壁がないだろう」
「風通しはよいぞ」
「怪我人を外で寝かせるな」
「朝には、鼓の音で気持ちよく目覚められる」
「それが一番の問題だ」
「コロ様の祝奏も聞けるやもしれん」
「毎朝、鼓へ乗せる気か」
当のコロは、自分の名を呼ばれたことだけ理解したのか、離れた場所で元気よく弾んでいた。
村長は額へ手を当てた後、ヒナノへ向き直る。
「ヒナノ。お山は、どうお考えだ」
村人たちの意識が、ヒナノへ集まる。
俺が決めれば、話は早い。
だが、この村で暮らしを営むのは、俺ではなく村人たちだ。助けた責任を理由に、俺が受け入れを押しつけるわけにはいかない。
ヒナノの胸元にある神器へ、ほんの少し熱を送る。
『村のみんなで、決めてほしい』
短い神託を受け取ったヒナノが、皆へそのまま伝えた。
「カザン様は、火守村の皆さんで決めてほしいと仰っています」
続けて、もう一度だけ言葉を送る。
『迎えるなら、俺も手を貸す』
「そして、迎えると決めたなら、カザン様も力を貸してくださるそうです」
「それなら、決めることは一つじゃ」
ガンゾウが答える。
「いや、家と食料をどうするかは決めなければならん」
「村長は細かいのう」
「お前が考えなさすぎるんだ」
村長はガンゾウとの話を切り上げ、父親と母親へ向き直った。
「この村の名は、火守村だ」
「はい」
「守られるだけではなく、共に誰かを守る。そのつもりで、この村の一員になる覚悟はあるか」
「あります」
父親と母親が、ほとんど同時に答えた。
「はい!」
少し遅れて、娘も大きな声を上げる。
「お前ではなく、まず父親と母親へ聞いたんだ」
「でも、私も火守村の人になるんでしょ?」
村長は一瞬だけ言葉に詰まった後、静かに頷いた。
「その覚悟があるなら、お前も返事をして構わん」
「はい!」
先ほどよりも、さらに大きな返事だった。
異を唱える者はいない。
村長が村人たちを見回し、最後に頷いた。
「今日より、この三人を火守村の一員として迎える」
その瞬間、意識の中へ文字が浮かび上がった。
《一時滞在者三名の定住意思を確認》
《火守村による受け入れを確認》
《三名を定住者として登録しました》
「これで、私も火守村の人?」
娘がヒナノへ尋ねる。
「はい。今日から、同じ村の仲間です」
ヒナノが微笑むと、娘も嬉しそうに笑った。
この村の名を、外から来た者として最初に口にした少女。
その少女は今、火守村へ加わった最初の者の一人にもなった。
(ようこそ、火守村へ)
俺の声が届いたはずはない。
それでも娘は山を見上げ、小さく頭を下げた。
◇ ◇ ◇
三人を迎えると決まれば、次は住む場所だ。
村長は《集落管理機能》を見ることができない。それでも、村の中央に空き家が一軒もないことくらいは、誰よりもよく分かっていた。
「一家の家だけではなく、外から来た者が一時的に泊まれる建物を作る」
村長が、村の北寄りにある空き地を指す。
「中を仕切れるようにしておけば、普段は共同宿舎として使える。三人には、まずそこで暮らしてもらう」
「傷が治り次第、私も建築に加わります」
「お前の役目は、座ったまま作り方を教えることだ」
「座ったままなら、よいのですね?」
「立ち上がったら、娘に言いつける」
「任せて」
「もう少しだけ、父親を信用してくれないか」
「昨日、傷を隠して立とうとした人が言うことではないわ」
妻にまで言われ、父親は力なく肩を落とした。
空き地の周囲へ杭が打たれ、建物の大きさが決められていく。
父親も空き地の端に敷かれた毛布へ座り、柱の間隔や木材の組み方を村人たちへ伝え始めた。
俺は《集落管理機能》で村域と住居の位置を確かめながら、その地下へ意識を伸ばす。
水の流れからは離れている。地面の傾きも小さく、斜面から土砂が崩れ込む心配もない。
杭で囲まれた範囲の地面を、ゆっくりと押し固める。
ごご、と低い振動が伝わり、土の下に散らばっていた石が沈む。その下から押し上げた岩盤が、建物を支えるための平らな基礎を形作っていく。
「地面が……」
村人たちが見守る中、黒い岩の基礎が姿を現した。
その気になれば、壁も屋根も岩で作れる。
だが、それでは村人たちが作る家ではなく、俺が与えた岩の箱になる。
ここから先は、村人たちが木を伐り、柱を立て、壁と屋根を作る。俺が手を貸すのは、人の力だけでは難しいところだけでいい。
「お山が、土台を作ってくださった」
村長の言葉に、村人たちが山へ頭を下げる。
その横で、フランが共同宿舎の隣にある空き地を真剣に見つめていた。
「かしこみかしこみ、隣接する空き地を、将来の神殿建立予定地として確保いたしたく存じます」
(却下)
「では、仮予定地として――」
(却下)
「候補地として空けておくだけでも――」
(そこには、次に来た人の家を建てるかもしれないだろ)
フランはしばらく沈黙した。
「つまり、人々を迎え続ければ、いずれ神殿用地がなくなるということでしょうか」
(どうしてそうなる)
「早期建立の必要性が、さらに高まりました」
(話を逆へ進めるな)
誰にも見えないところで、神殿建立を巡る攻防だけが続いていた。
ひとまず、住居不足を解消する目処は立った。
だが、《集落管理機能》に浮かぶもう一つの不足は消えていない。
《食料備蓄:定住者増加に伴い、余裕なし》
三人が増えただけで、すぐに飢えるわけではない。
だが、魔物が再び現れれば、狩りや採取へ出られない日が続くかもしれない。これからも人を迎えるなら、今ある小さな畑と森の恵みだけに頼る暮らしには限界がある。
(畑を増やさないとな)
村にある畑は、斜面の下に作られた小さなものばかりだ。
さらに広げられる場所を探し、村の周囲へ意識を伸ばす。
南側の緩やかな斜面に、噴火の時に降り積もった火山灰が残っていた。
灰は雨に打たれ、元の土へ少しずつ混じり始めている。だが、噴火からまだ一年もたっていない。草はまばらで、今すぐ豊かな農地として使える場所ではなかった。
それでも、灰の中には、いずれ植物の養分になり得るものが含まれている。
雨にさらし、落ち葉や枯れ草を混ぜ、何度も耕す。そうして年月を重ねれば、この土地は今よりずっと作物の育つ土になりそうだった。
(壊すだけじゃなく、次の実りを残すこともできるのか)
噴火は、人の暮らしを奪う。
だが、その後に残る灰は、時間と人の手によって、暮らしを支える土へ変わっていく。
もちろん、待っているだけで畑になるわけではない。
灰が薄い場所なら、下の土とよく混ぜることで早く使えるかもしれない。厚く積もった場所は、焦らず土を育てていけばいい。
ヒナノの神器へ、短い言葉を送る。
『南の灰地を見てほしい』
神託を受けたヒナノが村長へ伝え、何人かの村人と共に南の斜面へ向かった。
一人の村人が、灰の混じった土を手に取る。
「まだ、このまま種を蒔くのは難しそうだな」
「今ある畑に近い、灰の薄い場所から耕そう。下の土と混ぜれば使えるかもしれん」
「厚いところにも、森の落ち葉や枯れ草を混ぜておけば、何年か先にはよい畑になりそうだ」
詳しく伝えなくても、村人たちは自分たちで土地の使い方を考え始めていた。
村長は斜面を見回し、作業する範囲を決めていく。
「まずは今ある畑に近い場所から広げる。すぐに使えない土地も、今年から土を作り始めるぞ」
「畑開きとなれば、景気づけの鼓が必要じゃな」
「今は持ってきていないだろう」
「こんなこともあろうかと、小さいものを持ってきた」
「何に備えているんだ、お前は」
ガンゾウの懐から、小さな鼓が取り出された。
村長が深く息を吐く。
「一度だけだ」
「三度は必要じゃ」
「なら、なしだ」
「一度でよい」
「決断だけは早いな」
ぽん、と乾いた音が、いつか畑になる土地へ響いた。
それを合図に、村人たちが灰の上へ目印の杭を打ち始める。
家が足りないなら、建てる。
食料が足りなくなる前に、畑を増やす。
俺がすべてを与えなくても、村人たちは自分たちで足りないものを見つけ、手を動かし始めている。
火守村としての最初の一日は、名前を決めただけでは終わらなかった。
◇ ◇ ◇
日が傾き、村人たちがそれぞれの家へ戻り始めた頃。
レンだけは、家とは違う方向へ歩いていた。
訓練場にも、ヒナノの家にも向かわない。
何度も足を止め、人の気配がないか確かめながら、村の中でも人通りの少ない倉庫の裏へ回り込む。
(何をしてるんだ?)
俺が意識を向けているとも知らず、レンはもう一度だけ周囲を確かめた。
誰もいないと分かると、山の方角へ身体を向ける。
それから、ヒナノが祈る時の姿を思い出すように、ぎこちなく両手を組んだ。
「火山様」
呼びかけたまま、なかなか続きを口にしない。
魔物へ槍を向けた時よりも、よほど緊張しているようだった。
しばらく迷った末、レンは声を潜めて言った。
「火山様に、聞きたいことがあります」
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