↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【火山転生】目覚めたら火山そのものだった〜マグマの力で最強の聖地を作ったら、麓に国ができていました〜  作者: 尾の長い虎(てぃが)
第一章:建国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/70

33.火山温泉と祭りの予感

 噴火から、幾つもの月が過ぎた。


 新しく繋がった地脈は、今も熱と魔力を運び続けている。


 最初の頃は流れに強弱があり、そのたびに山の内部で熱が偏った。だが、岩場へ作った放熱口を少しずつ広げ、既存の地脈との間に魔力を逃がす経路を増やしたことで、現在は大きな変動もなくなっている。


 赤く溶けていた岩場も、表面は黒く固まった。


 内部にはまだ熱が残っているものの、以前のようにマグマが噴き上がる気配はない。


 そして、噴火によって流れを変えた地下水は、今も岩の割れ目から湧き続けていた。


「かしこみかしこみ、申し上げます。新たな地脈からの流入量、放熱口の状態ともに安定しております。熱水の湧出量にも、この十日間、大きな変動はございません」


(ようやく、安心して使えそうだな)


「御意にございます」


 フランは岩壁へ炎文字を描きながら答えた。


 新旧二本の地脈。


 深層のマグマ流路。


 新たにできた放熱口と、そこから湧き出す熱水。


 赤金色の線が重なり合い、現在の山の内部が一つの図として浮かび上がる。


 噴火直後に増えた亀裂も、すでに修復してある。


 採掘区画については、念のため入口を塞いだままにしていた。新しい地脈の影響が、どこへ現れるか分からなかったからだ。


 数日程度の安全だけを確認して村人へ開放し、そこで何か起きては意味がない。少し時間はかかったが、これならヒナノへ伝えてもよいだろう。


「ぷる!」


 少し離れた空洞から、コロの鳴き声が届く。


 続いて、軽いものが地面へ落ちる振動。


 コロが、ヴァルの背中から飛び降りたらしい。


 ヴァルはまだ大きな犬ほどの体格だが、生まれた頃よりも脚取りが安定している。翼も少し強くなり、広い空洞の端から端までなら、地面へ降りずに進めるようになった。


 もっとも、背中へコロが乗れば話は別だ。


「ぷるる!」


「グル……」


 ヴァルが短く喉を鳴らす。


 怒ってはいない。


 ただ、飛ぶ練習を邪魔されたことへ、わずかに呆れている。


(コロ。ヴァルの練習中は、背中に乗るなって言っただろ)


「ぷる?」


(初めて聞いたみたいな反応をするな)


「ぷる!」


 元気よく返事はした。


 たぶん、次も乗る。


 フランは二人へ近づき、乱れていた岩片を一つずつ元の場所へ戻していく。


「コロ様。ヴァル様の鍛錬中は、少々離れてお見守りくださいませ」


「ぷる……」


「鍛錬が終わりましたら、背へお乗りになってもよろしいかと存じます」


(許可するのはヴァルじゃないのか?)


 ヴァルがフランへ顔を向け、小さく頷いた。


(いいのか)


「ぷるる!」


 コロが喜んで跳ねる。


 どうやら三人の間でも、少しずつ暮らし方が決まり始めているらしい。


 変わったのは、山の中だけではなかった。


 村から伝わってくる振動も、以前とは違う。


 魔物に壊された家々を直していた、不規則な槌の音は減った。


 代わりに決まった時刻になると、村の外縁で足音が高い場所へ上っていく。新しく作られた見張り台へ、村人が交代で上がっているのだろう。


 朝には、槍の石突きが地面を叩く。


 昼には、浅層ダンジョンへ複数人が入り、夕方になる前に戻ってくる。


 鍛冶場からは以前より重い金属音が響き、畑の周辺を歩く者の足取りも増えた。


 復旧だけをしていた村が、再び先へ進み始めている。


(あれから、どれくらい経ったんだろうな)


 火山になってから、時間の感覚は随分と曖昧になった。


 夜と昼は、地表の温度で分かる。


 雨が降れば、山肌へ触れる水や土の重さで気づく。


 それでも、何日経ったのかまでは数えていない。


 フランは山の変化を記録しているが、人間が使う暦までは知らなかった。


(ちょうど報告したいこともあるし、今夜ヒナノに聞いてみるか)


 ◇ ◇ ◇


 夢の中には、穏やかな赤い光が満ちていた。


 黒い岩の大地。


 その下を、地脈を表す光がゆっくりと流れている。


 俺が待っていると、遠くから一人の少女が歩いてきた。


 顎の辺りで整えられた、短い黒髪。


 胸元には、黒銀色の神器。


 ヒナノは俺の気配を見つけると、ほっとしたように微笑んだ。


「カザン様。お待たせいたしました」


『いや、こっちが呼んだんだから気にするな』


「お山の具合は、いかがですか?」


『もう大丈夫そうだ。新しく繋がった地脈も、噴火した場所も落ち着いてる』


 ヒナノの表情が柔らかくなる。


「よかった……」


『村の方も、前より随分落ち着いたみたいだな』


「はい。壊れた家や柵は、ほとんど直りました。見張り台もできて、今は毎日交代で森を見張っています」


『やっぱり、あの高い場所へ上っていく足音は見張り台だったのか』


「分かるのですか?」


『誰かが毎日、同じ場所で地面より高いところまで上ってるからな。たぶんそうだと思ってた』


 人間のように姿を見ることはできなくても、長く村を感じていれば、振動の意味も少しずつ分かるようになる。


「浅い洞窟へ入る人も増えました。レンも、傷が治ってから、お父さんに槍を教わっています」


『もう傷は大丈夫なのか?』


「普段の生活には困りません。でも、村には傷が痛む人や、夜中に魔物の声を思い出して眠れなくなる人もいます」


『……そうか』


 身体の傷が塞がれば、すべて元通りになるわけではない。


 魔物が柵を壊す音。


 暗闇から襲いかかってくる気配。


 命を奪われるかもしれない恐怖。


 俺は地中から戦いを感じていただけだが、村人たちは自分の目で見て、自分の身体で向き合っていた。


 誰も死ななかった。


 だからといって、何も残らなかったわけではない。


『あの襲撃から、どれくらい経った?』


「もう半年ほどになります」


『半年?』


 思っていたより長かった。


『俺、そんなに長く山をやってたのか』


 火山として目覚めてからは、もっと長い。


 それでも、人間と関わり始めてからの時間は、妙に短く感じていた。


『火山になってから、曜日どころか日付まで分からなくなったな』


「曜日、ですか?」


『前の世界で、何日目かを分けるために使ってたものだ。今は別に、明日が何曜日でも困らないけどな』


 休みの日を待つ必要もない。


 そもそも、火山に休日があるのかも分からない。


(噴火した日は、休みにしてもらいたいけど)


 誰に申請すればいいのだろう。


「それから、半年後のことなのですが」


『ん?』


 ヒナノが少し言いにくそうに、両手を胸元で重ねた。


「魔物の襲撃から一年になる日に、村でお祭りを開くことになりました」


『祭り?』


「はい。火神祭と呼ぶそうです」


『……俺、聞いてないんだが』


 火山神の祭りらしい。


 たぶん、俺のことだ。


 その本人が、今初めて知った。


「魔物から守っていただいたことへ感謝し、全員が生きて一年を迎えられたことを祝うお祭りです」


『それ、もう決まってるんだよな?』


「村の皆で話し合いました」


『誰が言い出した?』


 ヒナノの視線が、わずかに横へ逸れた。


『ガンゾウか?』


「……はい」


『やっぱり、あの爺さんか』


 勝利祭。


 俺の命名を祝う祭り。


 山開き。


 何かあるたび、祭りを増やそうとしていた。


 とうとう半年先の祭りまで作り始めたらしい。


『でも、村長がよく認めたな』


「村長さんは、毎年、避難場所や井戸、鳴子を確かめる日にしようと仰っていました。火を使う場所を点検して、避難の訓練もするそうです」


『祭りなのか、点検の日なのか、どっちなんだ』


「両方です」


 ヒナノは真面目に答えた。


「昼は皆で備えを確かめます。夜は火を灯し、料理を囲んで、無事に一年を過ごせたことをお祝いします」


『この先も、毎年やるつもりなのか?』


「はい。守っていただいたことだけではなく、私たちも自分の足で立ち続けることを、カザン様へお見せする日です」


 祭りを口実に騒ぎたいだけなら、止めようと思ったかもしれない。


 だが、村人たちが危険を忘れず、自分たちで備えるためだと言われれば、反対する理由はなかった。


『それなら……まあ、好きにすればいい』


「ありがとうございます」


『今ので許可を出したことになるのか?』


「はい。皆も喜びます」


『やっぱり、俺が何を言っても開催するつもりだったよな?』


 ヒナノは答えなかった。


 代わりに、少しだけ楽しそうに笑う。


 半年後。


 どうやら俺を祝う祭りが、勝手に一つ増えるらしい。


『祭りのことは分かった。それで、俺からも村へ伝えたいことがある』


「何でしょうか?」


『まず、採掘場を新しく作った』


「新しい採掘場……?」


『今まで使っていた浅層から分けてある。魔物と戦う場所を通らず、鉱石だけを採りに行ける』


 噴火前に作った採掘区画の形を、夢の大地へ浮かび上がらせる。


 入口から少し進んだ分岐。


 一方は、これまで通り火トカゲと戦うための環状通路。


 もう一方は、魔物を配置していない採掘専用の道。


『噴火の後、しばらく安全を確かめてた。地脈も落ち着いたし、そろそろ使っていいと思う』


「鉱石を採る人は、魔物と戦わなくてもよいのですね」


『ああ。鉱石を背負ったまま火トカゲに追われたら危ないだろ』


 採掘が目的の者へ、無理に戦いまで求める必要はない。


『ただし、赤い線の先には入らないこと。鉱石も一度に採りすぎないこと。その辺の細かい規則は、村長に決めてもらってくれ』


「分かりました。鍛冶仕事をする人たちも、きっと喜びます」


『喜ぶのは、最初の調査が終わってからにしてくれ。魔物はいないけど、採掘そのものが安全なわけじゃない』


 天井を無理に掘れば崩れる。


 鉱脈の奥へ進みすぎれば、岩が割れることもある。


 安全な道を作ったからといって、好き勝手に掘ってよいわけではない。


「必ず村長さんへ、そのように伝えます」


『頼む』


 まず一つ。


 続いて、もう一つ。


『それと、噴火した場所から温かい水が湧いてる』


「温かい水ですか?」


『正確には、かなり熱い。ずっと同じ量が湧いてるから、村の近くまで引こうと思う』


 ヒナノは少し考え、やがて目を見開いた。


「皆で、湯浴みに使えるのでしょうか?」


『水質を確かめてからだけどな。飲み水にはしない方がいい。ただ、身体を洗ったり、温めたりする分には使えると思う』


 ヒナノの手が、胸元の神器へ触れる。


「今は、怪我をした人の身体を拭く時も、水を汲んで薪で温めています」


『それなら、少しは薪を使わずに済むな』


「傷が治っても、身体が冷えると痛むという人もいます。温かいお湯へ入れたら、きっと喜びます」


 傷を治す力が、湯にあるわけではない。


 失ったものを戻すこともできない。


 それでも、冷えた身体を温め、疲れを和らげることはできる。


 眠れない夜に、少しだけ力を抜ける場所にはなるかもしれない。


『じゃあ、作るか』


「ありがとうございます」


『まだ完成してないぞ』


「カザン様なら、きっと作ってくださると思いましたので」


『信用が重いな』


 ただ、一つ問題がある。


『今の湯が、人間にとってどれくらい熱いのか、俺には正確に分からない』


「カザン様にも、分からないことがあるのですね」


『人間だった頃の感覚は覚えてる。でも今は、自分の手を入れて確かめられないからな。俺にとっては、マグマだって身体の一部みたいなものだし』


 熱水と冷たい地下水を混ぜれば、温度は下げられる。


 だが、どの程度下げれば人間が安全に入れるのかは、実際に確かめてもらう必要がある。


『最初に湯を流したら、ヒナノが確かめてくれ。熱すぎたら湯船の縁を三回、ぬるすぎたら二回、ちょうどよければ一回叩いてくれれば分かる』


「分かりました」


『温泉を作るのに、まさか暗号が必要になるとはな』


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 ヒナノは、夢で聞いた内容を村長へ伝えた。


 採掘区画については、まず三人だけで中を調べる。


 天井や岩柱。


 鉱石の状態。


 赤い進入禁止線の位置。


 問題がなければ、採掘する者と護衛する者を決め、持ち帰る量を記録することになった。


 温泉についても、すぐに全員が入ることは認められなかった。


「まずは、水の色と匂いを確かめる」


 村長は、集まった者たちへ告げる。


「最初は手足を浸す程度に留める。飲むことは禁止する。異常があれば、すぐ利用を止める」


「温泉ができるのじゃぞ!」


 ガンゾウが鼓を抱えたまま、身を乗り出す。


「湯開きの祭りも必要ではないか?」


「半年後に、大きな祭りをするのだろう」


「祝い事は多い方がよい!」


「薪と食料には限りがある」


「温泉があれば、薪は減らせるではないか!」


「その温泉は、まだできていない」


 村長は、ガンゾウを横目で見た。


「お前が騒いでいる間に、予定地の石を片づけろ」


「祭りの準備と思えば、それもまた一興!」


 結局、ガンゾウも村人たちに交ざり、石を運び始めた。


 温泉を作る場所は、村の家々から少し離れた土地に決まった。


 古井戸や畑よりも低い。


 万が一、温泉水が溢れても、飲み水や作物へ流れ込まない場所だ。


 村人たちが地面にある石や倒木を取り除き、全員が予定地から離れる。


 ヒナノが火山へ向かって頭を下げた。


「カザン様。お願いいたします」


 ◇ ◇ ◇


 村人たちの足音が、予定地から遠ざかる。


(始めるか)


「承知いたしました」


 フランが、噴火跡から村まで続く地中へ炎文字を描いた。


 湧き続ける熱水。


 途中にある岩盤。


 古井戸へ繋いだものとは別の、細い地下水の流れ。


 そして、村外れの予定地。


 熱水のすべてを、村へ流す必要はない。


 噴火跡から湧き出した水の大部分は、これまで通り山の外側へ逃がす。その一部だけを分け、細い地下水路へ通すことにした。


 まず、熱水が流れ込む入口を狭くする。


 そこから少し下った場所へ、土砂を沈めるための小さな空洞を作った。


 さらに先には、冷たい地下水を混ぜる空間。


 異常が起きた時には村側への水路を塞ぎ、余った湯を別の排水路へ逃がせるようにする。


(温泉を止めたら、今度は地中で破裂しました、じゃ笑えないからな)


「幾重にも安全を備えられる御配慮、感服いたします」


(噴火で一度失敗したから、慎重になってるだけだ)


「失敗を未来の守りへ変えられることこそ、尊き御業にございます」


(相変わらず、何をしても評価が上がるな)


 フランの背後で、小さな炎の花が咲いた。


 俺は岩盤を削り、熱水の流れる道を村へ向けて延ばしていく。


 その先では、黒い岩の床をゆっくりと沈めた。


 人間が数人並んで足を入れられる程度の、浅い窪み。


 周囲の岩を隆起させ、腰掛けられる高さへ整える。


 底は土が混ざらないよう、硬い岩のまま滑らかにした。外側には排水用の溝を作り、余った湯が村とは反対方向へ流れるよう傾斜をつける。


 地中で岩が動くたび、予定地から離れていた村人たちの足が一斉に動く。驚きのどよめきにも似た振動が、地面を通じて伝わってきた。


 それでも、振動が止まるまで誰も近づいてこなかった。


(よし。まずは、山の中で温度を確かめるか)


 混合用の空洞へ、熱水を流す。


 白い蒸気が立ち上り、周囲の岩が急速に温められた。


「ぷる?」


 熱に気づいたコロが、空洞へ近づいてくる。


(まだ入るなよ)


「ぷる!」


 返事と同時に跳んだ。


(おい!)


 コロは、熱水を溜めた小さな窪みへ飛び込んだ。


 半透明の赤橙色の体が湯の中へ沈み、少ししてから、ぷかりと浮かび上がる。


「ぷるぅ……」


 中心の炎が、気持ちよさそうに揺れている。


(どうだ?)


「ぷる!」


(快適なのか)


 コロが、湯の中で体を広げる。


 それだけを見れば、温度はちょうどよいらしい。


 だが、コロは溶岩すら食べる。


(お前が平気でも、人間の参考にはならないんだよな)


「ぷる?」


「コロ様にとっては、適温のご様子にございます」


(この山、人間の温度を実際に確かめられるやつが一人もいないな)


 コロは溶岩を食べる。


 ヴァルも熱に強い。


 フランは炎の精霊。


 そして俺は、火山だ。


 冷静に考えれば、温泉作りに向いているようで、肝心な部分を誰も確かめられない。


(コロ、そろそろ出ろ。村へ流すぞ)


「ぷるぅ……」


(お前の風呂じゃないからな)


 コロは名残惜しそうに体を揺らしたものの、やがて窪みから跳ね出した。


 その姿を確かめてから、まずは少量の湯を村側へ流す。


 ◇ ◇ ◇


 黒い岩で作られた窪みへ、白い湯気とともに湯が流れ込んできた。


 村人たちは少し離れた場所から、その様子を見守っている。


 水は澄んでいる。


 わずかに岩の匂いが混じっているものの、鼻を刺すような異臭はなかった。


 ヒナノが、慎重に窪みへ近づく。


「気をつけろ」


 村長が声を掛けた。


「はい」


 ヒナノは縁へ膝をつき、まず指先だけを湯へ触れさせた。


「あつっ」


 すぐに手を引く。


 火傷するほどではないが、このまま身体を浸けるのは難しい。


 ヒナノは、黒い岩の縁を三回叩いた。


 こん、こん、こん。


 少しすると、流れ込む湯の勢いが弱まる。


 代わりに地下から流れ込む冷たい水が増え、窪みの中で二つの水が混ざった。立ち上る湯気も、少しずつ薄くなっていく。


 ヒナノは再び手を入れた。


 今度は、すぐに引かない。


 指先から手首までを沈め、しばらく温度を確かめる。


 強張っていた表情が、ゆっくりと和らいだ。


 そして、縁を一回叩く。


 こん。


 ◇ ◇ ◇


(一回。これでいいのか)


 ヒナノの神器からも、柔らかな安堵が届いてくる。


(やっぱり、火山の感覚だけで温泉を作るのは危ないな)


「記録いたしました。今後は、同じ割合で地下水を混合いたします」


(頼む)


 フランが炎文字へ、新しい印を書き加える。


 熱水と冷水の割合。


 流れ込む量。


 排水の速度。


 これで次からは、最初から人間が入れる温度に近づけられる。


《熱水路の形成を確認》


《地下水混合経路を確認》


《新規設備:温浴用水場》


(温浴用水場か)


 名前は少し堅い。


 今はまだ、村人が足を入れられるだけの石の窪みだ。


 屋根も、壁もない。


 それでも、ここから人間が手を加えれば、もっと使いやすい場所になるだろう。


 ◇ ◇ ◇


 その日は安全を確かめるため、手足を浸すことだけが認められた。


 最初に湯へ足を入れたのは、魔物の襲撃で脚へ深い傷を負った男だった。


 傷そのものは、すでに塞がっている。


 それでも、冷える日や長く歩いた後には、今も脚が痛むという。


 男はズボンの裾を膝まで上げ、黒い岩の縁へ腰を下ろした。


 湯の中へ、傷跡の残る脚をゆっくりと沈める。


「どうだ?」


 村長が尋ねる。


「……温かい」


 男の肩から、力が抜けた。


「痛みが消えたわけじゃない。だが、随分と楽になる」


 その言葉を聞き、年老いた者たちも順番に湯へ足を入れていく。


 最初は恐る恐る。


 だが、一度浸かれば、強張っていた顔が少しずつ緩んだ。


 ヒナノの母親も湯へ両手を入れ、立ち上る蒸気へ頬を近づける。


「温かいね」


「うん」


 ヒナノが隣で笑う。


 子どもたちは、湯気へ手を伸ばして遊び始めた。


「ここに屋根を作れば、雨の日も使えるな」


「外から見えないよう、壁も必要だろう」


「湯を流す時間も決めた方がいい」


「身体を洗う場所と、湯へ入る場所は分けた方がよいかもしれん」


 村人たちの間で、早くも新しい湯場についての相談が始まっている。


 ただ温かい水が湧いただけではない。


 そこへ人が集まり、使い方を考え、暮らしに合った形へ変えていく。


 山から与えられたものを、そのまま受け取るだけではなく、自分たちの知恵で育てようとしている。


 ガンゾウは湯へ両足を浸し、満足そうに鼓を抱えていた。


「うむ。火神祭には、皆で身を清めてから祈りを捧げるとしよう」


「まだ半年先だぞ」


 村長が呆れたように答える。


「半年など、祭りの準備をしておれば瞬く間じゃ!」


「温泉の中で鼓を鳴らすなよ」


「何故じゃ?」


「落とすからだ」


「わしは落とさん!」


 ガンゾウが胸を張った直後、抱えていた鼓が腕から滑りかける。


 慌てて受け止めた老人を見て、周囲から笑いが起こった。


 その笑い声は、湯気とともに夕暮れの空へ上っていった。


 ◇ ◇ ◇


 村から届く感情が、聖域を通じて山へ流れ込んでくる。


 温かい。


 湯の熱とは違う、人の感謝だ。


 戦いの傷が消えたわけではない。


 失った時間が戻るわけでもない。


 それでも、張り詰めていた身体を休め、明日へ進むための力を取り戻せる場所にはなったらしい。


「かしこみかしこみ、申し上げます。災いとなり得た熱を、人々の安らぎへ変えられる御業、しかと記録いたしました」


(湧いた湯を村まで流しただけだぞ)


「その湯が生まれた理由まで含め、人々へ恵みとして返されたことに意味がございます」


(俺としては、放っておくと水が余るからな)


「不要なものすら、民の暮らしを支える宝へ変えられる。まこと、カザン様の御慈悲には限りがございません」


(やっぱり、何を言っても駄目だな、これ)


 フランの背後へ、大きな炎の花が咲いた。


 その横では、コロが温泉へ戻りたそうに体を揺らしている。


(村人が使い終わってからな)


「ぷる!」


 ヴァルは、コロが先に飛び出さないよう、前脚で進路を塞いでいた。


 山の中にも。


 村にも。


 以前にはなかった、温かな場所が増えていく。


(半年後には祭りか)


 今でも、話が大きくなっている気はする。


 それでも村人たちが、あの夜を忘れず、生き延びたことを祝うというのなら悪くない。


(まあ、好きにすればいいか)


 その時だった。


 聖域の外縁へ、見慣れない振動が触れた。


(……ん?)


 村人の足音ではない。


 歩幅も、靴底が地面へ触れる重さも違う。


 複数人。


 その近くには、何かを引く車輪の振動もある。


 長い距離を歩いてきたのか、どの足取りも重い。


 特に一つ。


 体温が低く、歩調が乱れている人間がいた。


 一歩。


 もう一歩。


 聖域の境界を越えたところで、その足音が途切れる。


 代わりに、人一人分の重みが地面へ落ちた。


(……まずい)


 誰かが倒れた。


 村に初めて温泉が湧いた、その日の夕暮れ。


 山の外から、初めての来訪者たちが現れた。

読んでいただきありがとうございます。


面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。

thread、Xのフォローしていただけると喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。