30.ダンジョン攻略と新たな仲間
新しく作った洞窟の入口で、村人たちの足音が止まっている。
松明へ火を移す、小さな振動。
縄や採掘道具が、互いに触れ合う音。
それらを地中から感じ取りながら、俺は浅層へ配置する最初の魔物を選んでいた。
候補はいくつかある。
丸い体で攻撃を受け止めるもの。
小さく素早く動き回るもの。
熱に強い皮膚と、簡単な火の息を持つもの。
(最初から動きが速すぎる相手は危険だな)
村人たちは、まだ魔物との戦いに慣れていない。
オーガの襲撃を生き延びたとはいえ、あれは柵や岩壁を利用した集団戦だった。
狭い洞窟の中で魔物と向き合うのは、それとは違う。
逃げられる方向も限られる。
前にいる者が動きを間違えれば、後ろの者まで巻き込まれる。
(攻撃の前触れが分かりやすくて、大人が三人いれば倒せるくらいがいい)
俺は、四本の脚を持つ小さな形へ意識を向けた。
地を這うように進み、爪と牙を使う。
喉へ熱を溜め、短い火の息を吐く。
体は、大きな猫より少し大きい程度。
鱗は硬いが、狙う場所を選べば槍でも貫ける。
《生成対象:火トカゲ》
《生成数:一》
《配置区画:浅層・戦闘空洞》
(よし。まずは一体だけだ)
浅層を巡る魔力の一部を、戦闘用に作った空洞へ集める。
赤い火の粉が地面から立ち上り、一つの輪郭へまとまっていった。
細長い胴体。
四本の短い脚。
岩肌へ食い込む黒い爪。
尾の先までを覆う、くすんだ赤褐色の鱗。
最後に橙色の目が開くと、火トカゲは低く姿勢を落とした。
コロやヴァルほど、強い自我は感じられない。
伝わってくるのは、自分が置かれた空洞を守るという単純な意志だけだ。
俺は、火トカゲが追跡する範囲を戦闘空洞の中へ限定した。
村人が手前の通路まで退けば、追わない。
戦えないと判断して逃げた者が、入口まで追い回されることもない。
(これで、逃げ道は確保できた)
とはいえ、怪我をしない保証はない。
爪で引っかかれれば傷つく。
火の息をまともに浴びれば、火傷もする。
(危なくなったら止める)
(でも、それまでは手を出さない)
村人を助けるための場所であっても、鍛錬するのは彼ら自身だ。
何もかも俺が止めてしまえば、森で本物の魔物と出会った時に役立つ経験にはならない。
「ぷる!」
そばでコロが大きく跳ねた。
(お前が戦うんじゃないぞ)
「ぷるる!」
(応援? 本当か?)
コロは元気よく体を揺らしている。
その隣では、ヴァルも戦闘空洞の方角へ顔を向けていた。
こちらは、火トカゲの動きを確かめているらしい。
金色の瞳を細め、守護者らしい真剣さで意識を向けている。
(ヴァルも手を出さなくていいからな)
「グル……」
(いや、火トカゲが一瞬で終わるから)
生まれたばかりとはいえ、ヴァルは火竜だ。
小さな火トカゲ一体では、鍛錬相手にもならないだろう。
入口の方から、新たな足音が伝わってきた。
いよいよ、村人たちが山へ入るらしい。
(さて)
俺も浅層全体へ意識を広げる。
(最初の攻略者を迎えるか)
◇ ◇ ◇
洞窟の入口には、三人の男が立っていた。
先頭はレンの父親。
その後ろには、弓を持った猟師と、普段から村の鍛冶仕事を担っている男が続く。
槍。
弓。
採掘用の槌。
縄と水。
予備の松明。
荷物は多いが、どれも村長と相談して選んだものだった。
「もう一度言う」
村長が三人を見回した。
「目的は中の確認だ。魔物を倒すことでも、鉱石を大量に持ち帰ることでもない」
三人が頷く。
「危険だと感じたら、すぐに戻れ。カザン様が作られた場所だからといって、命まで預けてよい理由にはならん」
「分かっている」
レンの父親が答えた。
「中で見つけたものは、できる限り記録する。赤い線があれば、その場で引き返す」
「道からも外れるな」
「ああ」
少し離れた場所では、ヒナノとレンも洞窟を見つめていた。
顎の辺りで揃えられたヒナノの黒髪が、入口から流れ出す温かな風に揺れている。
胸元には、黒銀色の神器が下がっていた。
「俺も行けるのに」
レンが不満そうに呟く。
短い亜麻色の髪の下、片腕にはまだ傷を覆う布が巻かれている。
「最初は、大人の人たちが安全を確かめるって決めたでしょう?」
「分かってるけどさ」
「レンのお父さんなら大丈夫だよ」
「心配なのは父さんじゃなくて、中に何があるか見たいんだ」
「それなら、もっと駄目だと思う」
ヒナノの返答に、レンは言葉を詰まらせた。
「戻ってきたら、次に入るための準備をしよう」
「……うん」
レンの父親が、二人を振り返る。
「持ち場を離れるなよ」
「分かってる」
「ヒナノも、何か感じたらすぐに村長へ伝えてくれ」
「はい」
三人は松明を掲げ、洞窟へ足を踏み入れた。
外の光が届くのは、入口から数歩まで。
その先には、緩やかに下る黒い岩の通路が続いている。
天井は高く、大人が槍を背負ったままでも余裕があった。
壁面には不自然な凹凸が少なく、上部は緩やかな弧を描いている。
「自然にできた穴じゃないな」
猟師が天井を見上げた。
「ああ。人が歩くことを考えて作られている」
レンの父親は、槍の柄で岩壁を軽く叩く。
鈍く、詰まった音が返ってきた。
「だからといって油断するな。上も足元も確認しろ」
三人は白い石で壁へ印をつけながら、慎重に進んだ。
やがて通路の端から、細い水音が聞こえてくる。
「水か?」
松明を近づけると、岩の隙間から澄んだ水が流れ出していた。
浅い溝に沿って進み、通路の外れにある窪みへ溜まっている。
猟師がしゃがみ込み、木椀へ水を取った。
「濁りはない。変な匂いもしない」
「飲むのは、村へ持ち帰って確かめてからだ」
「分かってる」
採取した水を小さな容器へ移し、三人は先へ進む。
次の空洞では、壁の一部が赤褐色に染まっていた。
鍛冶仕事を担う男が、思わず足を速める。
「これは……」
「勝手に触るな」
「調べるだけだ」
男は槌を取り出し、露出している鉱石の端を慎重に叩いた。
小さく砕けた欠片を拾い、松明の下へ掲げる。
赤褐色の石の中に、鈍い金属の輝きが混じっていた。
「鉄を含んでいる」
「使えそうか?」
「村にある炉で、どこまで純度を上げられるかは分からん。だが、今使っている鉄より悪いものには見えない」
男は壁へ続く鉱脈を見つめた。
「これだけあれば、槍の穂先も農具も作れる」
「持ち帰るのは、試す分だけだ」
「ああ。神託を破るつもりはない」
男は拳ほどの欠片を一つだけ袋へ入れた。
その先には、灰黒色の硬い石が露出している場所もあった。
槍の穂先。
矢尻。
刃物を研ぐための石。
用途を確かめるため、そこからも小さな欠片だけを採取する。
「鉱石だけでも、村にとっては大きな恵みになるな」
「まだ、中のすべてを見たわけじゃない」
レンの父親は、さらに続く通路へ松明を向けた。
「それに、神託では魔物もいると言っていた」
その言葉へ応えるように。
通路の奥から、爪が岩を擦る音が響いた。
◇ ◇ ◇
(気づいたか)
三人の足音が止まる。
その先は、火トカゲを置いた戦闘空洞だ。
俺は地面と天井の状態を、もう一度確かめる。
必要なら、三人と火トカゲの間へ岩壁を出せる。
足元を沈ませ、火トカゲだけを動けなくすることもできる。
(でも、今はまだだ)
火トカゲが空洞の奥から動き出す。
腹を地面へ近づけ、四本の脚でゆっくりと距離を詰めていく。
喉の奥には、すでに小さな熱が集まっていた。
◇ ◇ ◇
「来るぞ」
レンの父親が槍を構えた。
松明の光の中へ、赤褐色の頭が現れる。
続いて、低く長い胴体。
岩を掴む黒い爪。
火トカゲは三人の姿を認めると、口を開いて威嚇した。
牙の隙間から、細い煙が漏れている。
「赤いトカゲ……?」
「ただのトカゲじゃない。火を吐くかもしれん」
猟師が弓へ矢をつがえる。
「俺が正面を受ける」
レンの父親が、二人より半歩前へ出た。
「弓は後ろ。お前は左へ回れ。ただし、俺より前には出るな」
鍛冶を担う男が短槍を構え、左へ移動する。
火トカゲは三人の動きを追うように、首を左右へ動かした。
次の瞬間、地面を蹴る。
「来るぞ!」
レンの父親が槍を突き出す。
火トカゲは穂先を横へ避け、そのまま槍の柄へ噛みついた。
鋭い牙が木を削る。
「放せ!」
槍を強く振るが、火トカゲは食らいついたまま離れない。
鍛冶を担う男が、横から短槍を突き出した。
穂先は肩へ当たったものの、硬い鱗の表面を滑る。
「浅い!」
「下がれ!」
火トカゲが大きく首を振った。
短槍を弾かれた男が、たたらを踏む。
追おうとした火トカゲへ、猟師が矢を放った。
矢は前脚の付け根へ突き刺さる。
「ギャアッ!」
火トカゲが初めて怯んだ。
「効いている!」
「続けろ! ただし、固まるな!」
三人が距離を取り直す。
火トカゲは刺さった矢を噛み折ると、喉を大きく膨らませた。
口の奥で、橙色の光が強くなる。
「左右へ避けろ!」
三人が散った直後。
火トカゲの口から、短い炎が噴き出した。
炎は先ほどまで男たちがいた場所を通り抜け、岩壁へぶつかる。
熱を受けた壁が、赤く照らされた。
「本当に吐きやがった……」
「見れば分かる! 次が来る前に動け!」
火トカゲは、再び息を吸い込もうとする。
だが一度炎を吐いた直後は、わずかに動きが止まっていた。
レンの父親は、それを見逃さなかった。
「今だ! 左から脚を狙え!」
鍛冶を担う男が踏み込む。
今度は硬い胴体ではなく、後ろ脚の付け根へ穂先を突き入れた。
火トカゲの体が大きく傾く。
尾が横薙ぎに振られ、男は慌てて身を引いた。
その隙に、レンの父親が正面から槍を突き出す。
狙うのは、鱗の薄い喉元。
穂先が深く食い込んだ。
火トカゲは数歩もがき、やがて地面へ倒れる。
三人は、すぐには近づかなかった。
槍と弓を構えたまま、動かなくなるまで慎重に距離を保つ。
「……倒したか?」
「まだ近づくな」
数呼吸が過ぎた頃。
火トカゲの輪郭が、赤い光へ変わり始めた。
「何だ……?」
鱗も。
爪も。
地面へ落ちた血も。
細かな火の粉となり、岩の中へ吸い込まれていく。
最後に残ったのは、親指の先ほどの赤い石と、数枚の黒赤色の鱗だけだった。
「消えた……」
「神託で聞いた通りだ」
レンの父親が、地面へ還っていく最後の光を見つめる。
「倒された魔物は、山の力へ戻る」
鍛冶を担う男が、布を使って赤い石を拾い上げた。
石の中心では、わずかな光が揺れている。
「温かい」
猟師が覗き込む。
「魔石か?」
「おそらくな。これほど小さなものは初めて見るが、魔物の中にできる石と同じものだろう」
続いて、残された鱗を確かめる。
火を吐いた魔物の鱗だけあり、松明へ近づけてもすぐには熱を持たない。
「この鱗も使えるかもしれん」
「持ち帰って調べる。ただし、今は先へ進むぞ」
三人は魔石と鱗を袋へ収め、再び隊列を整えた。
◇ ◇ ◇
《ダンジョン生成魔物の討伐を確認》
《魔力の一部を回収しました》
《素材の生成を確認》
火トカゲを形作っていた魔力が、地面を通じて戻ってくる。
戻った力は、すべてではない。
魔石と鱗として残った分だけ、循環する魔力も減っている。
それでも、一から同じ魔物を作るよりは、少ない力で再び形にできそうだった。
(本当に戻ってきたな)
火トカゲとの繋がりが切れた時にも、コロやヴァルが傷ついた時のような感覚はなかった。
一つの命が消えたというより、流れていた水が別の場所へ戻った感覚に近い。
これが、ダンジョンの循環なのだろう。
(それにしても、ちゃんと倒したか)
危ない瞬間はあった。
火トカゲが炎を吐く前、三人が固まっていれば、誰かが火傷をしていたかもしれない。
それでも声を掛け合い、互いの死角を補って勝った。
(俺が手を出さなくても勝てた)
助けずに済んだことへ、安堵する。
ただ村人を危険な場所へ放り込んだだけには、ならなかったらしい。
「ぷる!」
コロが、自分のことのように嬉しそうに跳ねる。
ヴァルも戦闘空洞へ向けていた顔を上げ、静かに喉を鳴らした。
(初回は成功だな)
俺は、さらに奥へ進む三人の足元へ意識を戻した。
◇ ◇ ◇
三人は環状の通路を進み、やがて浅層の最奥へ到着した。
そこだけ、壁へ赤い鉱石が一直線に埋め込まれている。
松明の光を受けた赤い線は、地面から左右の壁まで続いていた。
線の向こうに、道はない。
ただ、黒い岩壁があるだけだ。
それでも近づくほど、空気がわずかに熱を帯びている。
「これだな」
レンの父親が足を止めた。
「神託にあった赤い線だ」
鍛冶を担う男が、線の向こうへ松明を掲げる。
「壁しかないぞ」
「だからといって、叩くなよ」
「分かってる」
「この先には、カザン様が守る場所と、眷属の住処があるそうだ」
猟師が低い声で言った。
「なら、ここまでだ」
レンの父親は、迷わず踵を返す。
残る二人も、赤い線を越えようとはしなかった。
壁を調べることも。
その向こうに何があるのか、探ろうとすることもしない。
三人は採取したものを確かめ、環状の通路を辿って入口へ戻っていく。
やがて、遠くに外の光が見え始めた。
「戻ってきた!」
入口で待っていたレンが、真っ先に声を上げた。
三人の姿が見えると、村長やヒナノも前へ出る。
「怪我は?」
村長が尋ねた。
「誰もしていない」
レンの父親が答え、表面を少し焦がされた槍を掲げる。
「武器は多少傷んだがな」
「魔物がいたのか?」
「ああ。大きな赤いトカゲだ。火を吐いた」
レンの目が輝く。
「倒したのか?」
「三人でな」
「俺も――」
「傷が治ってからだ」
先回りして言われ、レンは口を閉じた。
その横で、ヒナノは胸元の神器へ手を添えていた。
夢の中で聞いたカザンの言葉。
村人たちが、自分の力で生き残るための場所。
そこから三人が無事に帰ってきたことへ、安堵したように息を吐く。
「カザン様は、ずっと見守ってくださっていたのでしょうか?」
「姿は見えなかった」
レンの父親は、自分たちが出てきた洞窟を振り返る。
「だが、あの場所のすべてが、俺たちの動きを考えて作られていた」
休む場所。
逃げ道。
魔物と戦うための広さ。
そして、必ず入口へ戻れる通路。
「それでも、戦ったのは俺たちだ」
「はい」
ヒナノは嬉しそうに頷いた。
「カザン様も、きっとそうしてほしかったのだと思います」
◇ ◇ ◇
調査隊が持ち帰ったものは、村の中央へ並べられた。
赤褐色の鉱石。
硬い灰黒色の石。
地下水。
火トカゲが残した魔石と鱗。
村人たちは少し離れた場所から、それらを覗き込んでいる。
特に子どもたちは、赤い魔石が気になるらしい。
「これが魔物の中にあったの?」
「触るな。まだ何に使えるのかも分からん」
「光ってる!」
「だから、触るなと言っているだろう」
鍛冶を担う男が魔石を布で包み、子どもたちの手が届かない場所へ移した。
村長は、調査隊から聞いた内容を整理する。
「中には使える水と鉱石がある。魔物もいたが、三人で連携すれば倒せる程度だった」
続いて、集まった人々へ洞窟を利用するための規則を伝えていく。
「必ず三人以上で入る。一人では入らん。子どもだけで入ることも認めない」
村長の視線が、レンを含む子どもたちへ向けられる。
「中へ入る者は、出発前に人数と目的を報告しろ。戻った後も、持ち帰った物と、中で起きたことをすべて伝える」
次に、赤い鉱石で描かれた境界について説明する。
「赤い線を見つけたら、その場で引き返せ。決して越えるな。壁を掘ることも禁じる」
「そこには何があるんだ?」
「知る必要はない」
村長は即座に答えた。
「カザン様が入るなと告げられた。それで十分だ」
さらに、鉱石や薬草を一度に採りすぎないこと。
魔物を追って、決められた道から外れないこと。
怪我人が出たり、洞窟に異変があったりすれば、すぐに利用を止めること。
一つずつ、全員へ伝えていく。
「守れぬ者が一人でも出れば、洞窟の利用そのものを見直す」
村人たちの表情が引き締まった。
カザンから与えられた場所だからこそ、好き勝手に使ってよいわけではない。
「うむ。規則も決まったところで、山開きの祭りを――」
ガンゾウが鼓を持ち上げる。
「今日は調査の報告だけだ」
「初めて山へ入り、魔物を倒し、恵みを持ち帰ったのじゃぞ! これを祝わずして、いつ祝う!」
「柵の修理が終わってからにしろ」
「祭りをすれば、皆の手も早く動く!」
「お前の鼓で作業が止まる」
「ならば、作業の合図として鳴らそう!」
「余計な役目を増やすな」
村人たちの間から、笑いが起きた。
それでもガンゾウは、鼓を置かなかった。
夕方。
片づけが終わり、人々はもう一度、火山へ体を向ける。
先頭にはヒナノが立った。
短い黒髪を風に揺らし、胸元の神器を両手で包む。
「カザン様」
その呼びかけに合わせ、村人たちが静かになる。
「私たちが自分の力で生きていけるよう、新しい道を与えてくださって、ありがとうございます」
ヒナノは、洞窟から持ち帰ったものへ目を向けた。
「お水も、鉱石も、魔物と戦う経験も、大切に使います」
後ろにいた村人たちからも、感謝の言葉が続く。
「鉄が採れるようになれば、今より丈夫な槍を作れます」
「農具も直せる」
「次は、もっと落ち着いて戦えるようにします」
「決められた場所より奥へは、決して入りません」
願いを叶えてほしいと求める祈りではない。
何かから守ってほしいと縋る声でもない。
すでに受け取ったものへ向けられた、純粋な感謝だった。
最後に村長も、火山へ深く頭を下げる。
「与えられた恵みに頼り切ることなく、我々自身の力へ変えてみせます」
ガンゾウが、鼓を一度だけ鳴らした。
ぽんっ。
穏やかな音が、暮れ始めた空へ響いていった。
◇ ◇ ◇
村から届いた感情が、聖域を通じて山へ流れ込んでくる。
戦いの後に受け取ったものとも、ヒナノが毎朝届けてくれる挨拶とも少し違う。
温かい。
それでいて、静かだった。
何かを求めるのではなく、受け取ったものを大切にしようとする感情。
自分たちも強くなろうとする決意。
山と交わした約束を守ろうとする思い。
《複数の感謝祈願を確認》
《信仰循環の深化を確認》
(無事に帰ってきただけで、こんなに喜んでもらえるのか)
俺としては、村人が強くなるために必要だと思ったから作っただけだ。
鉱石も水も、もともと俺の中にあったものを、使いやすい場所へ出したにすぎない。
(火トカゲは新しく作ったけどな)
それでも、人々は山へ感謝を向けている。
その温かな流れが、地脈を通じて洞窟の奥へ届いた。
二輪の赤い花が、大きく揺れる。
花弁が光を受けるように開き、村人たちの感謝を吸い込んでいく。
やがて。
一輪の花が、ゆっくりと閉じ始めた。
(……ん?)
赤い花弁が一枚ずつ重なり、蕾のような形へ戻っていく。
(枯れたのか?)
俺は慌てて、花の根へ意識を伸ばした。
水分は足りている。
地脈の熱も強すぎない。
根が傷ついた様子もなかった。
むしろ、閉じた花の内側へ力が集まっている。
中心にあるのは、先ほど村から届いた感謝だった。
そこへ地脈の熱が流れ込み、俺の魔力が薄く重なっていく。
(何かを作ろうとしてる?)
「ぷる?」
異変に気づいたコロが、閉じた花へ近づいた。
半透明の体を小さく縮め、花へ飛びつこうとする。
(コロ、待て!)
「ぷる!」
コロが跳んだ。
だが、花へ触れる寸前。
赤い光が薄い膜となって広がり、コロの体を弾き返した。
「ぷるるっ!?」
コロが空中で一回転し、柔らかな地面へ落ちる。
潰れた体は、すぐに元の形へ戻った。
(大丈夫か?)
「ぷるぅ……」
怪我はないらしい。
ただ、自分が花へ近づけなかったことに驚いている。
ヴァルも、閉じた花の前まで歩いてきた。
花へ触れようとはせず、その場へ静かに伏せる。
金色の瞳は、赤い蕾へ向けられたままだ。
(ヴァルは、何か分かるのか?)
「グル……」
繋がりを通じて伝わってきたのは、敵意ではなかった。
新しいものが生まれようとしている。
そんな漠然とした予感だった。
《信仰結晶の変質を確認》
《新たな生命反応を確認》
(やっぱり、命なのか)
火竜核を作った時とも、コロが生まれた時とも違う。
俺が意図的に形を与えているわけではない。
花自身が、人々の感謝を核として、新しい命を育て始めている。
地脈の熱と俺の魔力は、その命へ体を与えるための力にすぎない。
中心で脈打っているのは、村人たちから届いた祈りだった。
(俺が作るんじゃない)
(人と山の間から、生まれようとしてるのか)
閉じた花が、一度だけ強く脈打った。
どくん。
小さな鼓動が、地中へ広がった。
◇ ◇ ◇
それから数日が過ぎた。
村人たちは、決められた規則を守りながら浅層を利用し始めた。
一度に入るのは、少人数だけ。
採掘する鉱石も、必要な分に留めている。
魔物との戦いを目的に入る者は、必ず槍と弓を扱える者を含めていた。
俺も火トカゲを一度に一体しか生成せず、村人たちの動きに合わせて配置する。
最初の調査隊が戦った時より、落ち着いて対処する者も増えてきた。
槍を持つ者が正面を支え。
弓を持つ者が足を狙い。
残る者が周囲を見張る。
まだ危なっかしい場面はある。
それでも、誰も一人で魔物へ突っ込まなくなった。
倒された火トカゲは魔力へ還り、鱗や小さな魔石を残す。
村人たちは持ち帰った素材を調べ、何に使えるか試し始めていた。
赤褐色の鉱石からも、少量ながら鉄が取り出せたらしい。
正確な会話までは聞こえない。
それでも、村から伝わってくる喜びと、鍛冶場の周辺で続く足音から、役立っていることは分かった。
そして山へ入った者たちは、帰るたびに火山へ頭を下げた。
無事に戻れたこと。
新しい鉱石を手に入れたこと。
前より落ち着いて魔物と戦えたこと。
小さな感謝が毎日、閉じた赤い花へ流れ込んでいく。
蕾は、少しずつ大きくなっていた。
最初は両手へ収まるほどだったものが、今ではコロの体よりも大きい。
花弁の隙間からは、赤金色の光が漏れている。
「ぷる……」
コロは毎日のように、蕾の様子を見に来ていた。
今度は飛びつかない。
少し離れた場所へ座り、光が脈打つたびに自分の体も揺らしている。
ヴァルも、眠る時は蕾の近くへ伏せていた。
二体とも、生まれようとしているものを見守っているらしい。
(もうすぐなのか?)
俺にも、花の中にある形が少しずつ分かるようになっていた。
コロのような柔らかな体ではない。
ヴァルのように、四本の脚や翼を持つ姿でもない。
二本の腕。
二本の脚。
人間に近い、小さな輪郭。
(人の姿なのか)
村人たちの信仰から生まれたから、人に近い形を選んだのだろうか。
それとも、別の理由があるのか。
俺には分からない。
ただ、花の中で育つ意識は、日を追うごとにはっきりしていた。
俺の存在を知っている。
コロやヴァルの気配も感じ取っている。
そして何より、俺へ向けられる感情が強かった。
(……なんか、妙に尊敬されてない?)
まだ生まれてもいない相手から、眩しいほど真っ直ぐな敬意が伝わってくる。
(村人たちの祈りが元だからか)
嫌な感情ではない。
ただ、少しだけ重い。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
村から届いた最後の感謝が、聖域を通じて山へ流れ込んだ。
赤い蕾が、これまでで最も強く脈打つ。
どくん。
地脈の熱が揺れた。
蕾の周囲へ、赤金色の光が溢れ出す。
(来る)
コロが大きく跳ねる。
ヴァルも立ち上がり、小さな翼を広げた。
閉じていた花弁が、一枚ずつ開いていく。
光を閉じ込めていた赤い花が、一気に咲き誇った。
無数の花びらと火の粉が、空洞を満たす。
熱い。
だが、岩を焼くような荒々しい熱ではない。
朝の陽だまりにも似た、穏やかな温かさだった。
開いた花の中心に、一つの気配が現れる。
人間の十歳ほどに見える、小柄な少年。
赤みの強い暗色の髪。
その毛先は、赤い花弁のように揺れていた。
身にまとっているのは、黒と赤を基調にした整った衣装だ。
黒い上着。
白いシャツ。
首元には、細い赤の飾り。
留め具には、小さな火山石が使われている。
布のように見えるが、すべて少年自身の魔力によって形作られたものらしい。
少年は、花の中心へ片膝をついていた。
ゆっくりと顔を上げる。
開かれた瞳は、赤と金を溶かし合わせたような色をしていた。
その目が、迷うことなく俺のコアへ向けられる。
少年は胸へ片手を当て、深く頭を下げた。
「かしこみかしこみ、お初にお目にかかります、カザン様」
(……ん?)
聞こえた。
空気を伝う音ではない。
繋がりを通じ、言葉がそのまま俺の意識へ届いている。
ヒナノとの夢の中を除けば、転生してから初めて、誰かと明確な言葉を交わせる。
「かしこみかしこみ、私は、あなた様の御心を形とし、御言葉を伝え、御身のすべてをお支えするために生まれました。この命、この炎、この身に宿る一片に至るまで、すべてカザン様へ捧げる所存にございます」
(思ったより重いのが生まれたな)
正直な感想が漏れた。
少年の口元が、ほんのわずかに緩む。
同時に、背後へ小さな炎の花が咲いた。
「かしこみかしこみ、ありがたきお言葉にございます」
(褒めてない)
「かしこみかしこみ、御身の偉大さを誇示なさらぬ、その御心こそ真の尊さにございます」
(もう話が噛み合ってないな?)
どうやら俺の言葉は、かなり好意的に解釈されるらしい。
少年は、改めて姿勢を正した。
「かしこみかしこみ、申し遅れました。私はフランソワと申します」
(フランソワ……名前ついてるんだ)
「かしこみかしこみ、意思が芽生えてから誕生までの間に時間がありましたゆえ、名前を考えておりました。」
立派な名前だ。
立派なのだが、普段から呼ぶには少し長い。
(長い。フランでいいか?)
少年が目を見開いた。
次の瞬間、その背後へ赤い炎の花が一斉に咲き広がる。
「かしこみかしこみ、カザン様より賜った呼び名であれば、これ以上のものはございません」
(いや、短くしただけなんだが)
「かしこみかしこみ、その慈愛と親しみを込められた呼び名、生涯大切にいたします」
(話が大きくなってないか?)
どうやら訂正しても、素直には受け取ってもらえそうにない。
《感謝祈願を核とする新たな眷属の誕生を確認》
《種族:神火精霊》
《個体名:フランソワ》
《通称:フラン》
《神火精霊・フランとの接続が成立しました》
(神火精霊…大層立派な感じの精霊さんみたいだね)
火山の熱だけから生まれた、普通の火精霊ではない。
俺の魔力。
地脈の熱。
そして村人たちから向けられた、感謝の祈り。
三つが赤い花の中で混ざり合い、新しい命として形を得た存在。
だからこそ、火山と人の両方に近い姿を選んだのだろう。
フランが立ち上がる。
身長は、人間の大人の胸元にも届かない。
それでも背筋は真っ直ぐで、立ち姿には不思議な落ち着きがあった。
まず、ヴァルへ向き直る。
「偉大なる第一守護竜ヴァル様。お仕えできること、光栄に存じます」
ヴァルは無言でフランを見つめた。
(長いな)
俺の感想を感じ取ったフランが、すぐに言い直す。
「では、ヴァル様とお呼びいたします」
ヴァルが小さく頷いた。
(伝わるの、早いな)
続いてフランは、コロへ深く頭を下げる。
「そして、始原の眷属たるコロ様。どうぞ末永く、ご指導くださいませ」
「ぷる?」
コロが体を傾けた。
フランが頭を下げている意味を、よく分かっていないらしい。
「ぷる!」
勢いよく跳ね上がり、そのままフランの頭へ着地する。
整えられていた暗い赤髪が、コロの体に押されて少し潰れた。
フランの眉が、ほんのわずかに寄る。
「コロ様。早速のお導き、痛み入ります」
(絶対、そんな意味じゃないと思うぞ)
「ぷるる!」
コロは満足そうに、フランの頭上で体を反らした。
フランは振り落とそうとしない。
むしろ光栄だと言わんばかりに、姿勢を整え直している。
(初めて、普段からまともに話せる相手が生まれたんだよな)
嬉しくないわけではない。
山になってから、長い間、俺の言葉は誰にも届かなかった。
コロやヴァルとは、感情や意図を通わせられる。
ヒナノとは、夢の中なら話せる。
それでも、こうして日常的に言葉を交わせる存在は初めてだった。
(かなり信仰が重そうだけど)
フランは頭へコロを乗せたまま、赤い花の外へ足を下ろした。
周囲へ赤金色の瞳を巡らせる。
それだけで、山の内部を流れる魔力と熱を把握しているようだった。
やがて再び、俺のコアへ深く頭を下げる。
「かしこみかしこみ、恐れながら、早速ご報告がございます。浅層西側の水路へ、わずかな土砂が溜まり始めております。また、戦闘空洞を巡る魔力の流れにも、少々の偏りが見受けられます」
(生まれたばかりなのに、もうそこまで分かるのか?)
「かしこみかしこみ、カザン様の御身に生じる細やかな変化を把握し、お支えすることこそ、私の役目にございます」
フランの髪先から、赤い花弁に似た火の粉が舞う。
「かしこみかしこみ、それでは火山内部の管理状況を、浅層より順にご報告いたします」
(待って。俺、まだ心の準備ができてない)
もちろん、そんな事情を気にするフランではない。
頭へコロを乗せたまま、背筋を伸ばし、丁寧な口調で報告を始める。
その隣ではヴァルが静かに伏せ、金色の瞳で新しい仲間を見守っていた。
こうして俺の山に。
村人たちの感謝から生まれた、少し信仰の重い小さな執事が加わった。
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