25.絶望を断つ
黒銀色の神器が、ヒナノの胸元で再び脈打った。
その直後、壊れた右側の柵へ複数の足音が殺到する。
(また右から来る!)
すでに柵の内側には、何体もの魔物が入り込んでいた。
その後方から、さらに大型の魔物が迫っている。
このままでは、残った柵ごと村人たちが押し潰される。
(右の柵から離れろ。地面を持ち上げる!)
俺は神器を通じ、ヒナノへ強く意識を送り込んだ。
だが、届く声は今回も途中で崩れ、短い言葉へ分かれてしまう。
『……右』
『……離れろ』
『……地面』
(これだけで伝わるか?)
不安になった直後、ヒナノの気配が強く揺れた。
◇ ◇ ◇
「右の柵から離れてください!」
ヒナノが声を張り上げた。
しかし、槍と魔物がぶつかる音にかき消され、前線の村人たちまでは届かない。
「レン!」
「分かった!」
レンは折れた木槍を手に、村長のもとへ走った。
短い亜麻色の髪が、汗で額へ張りついている。
「村長! 右の柵から離れろって! 火山様が地面を動かす!」
村長はヒナノを一度振り返った。
その胸元では、先ほど障壁を生み出した黒銀色の神器が赤く光っている。
「右側の者、いったん下がれ!」
「だが、魔物が中へ――」
「火山様が地面を動かす! 巻き込まれたくなければ急げ!」
迷っている時間はなかった。
村人たちは魔物へ槍を向けたまま、互いをかばうように後退する。
最後の一人が柵から離れた直後。
地面が大きく震えた。
ごごごごっ!
壊れた柵のすぐ内側から、分厚い岩壁が隆起する。
森から押し寄せていた魔物たちは、突然現れた壁へ次々に激突した。
後続は村へ入れない。
すでに侵入していた魔物も、森へ戻る道を塞がれる。
「今だ! 中へ入ったやつを囲め!」
村長の指示で、村人たちが魔物を取り囲む。
一人では敵わない。
だが、数人で槍を向ければ動きを制限できる。
正面の者が注意を引きつけ、その隙に別の者が横から突く。
倒れた魔物が起き上がる前に、猟師が矢を射込む。
村人たちは声を掛け合い、一体ずつ確実に仕留めていった。
やがて最後の魔物が地面へ倒れる。
周囲から、安堵の息が漏れた。
「通じた……」
ヒナノは胸元の神器を握り締める。
火山様の声は、すべて聞き取れるわけではない。
届くのは途切れた言葉と、一緒に流れ込んでくる感覚だけ。
そこから意味を考え、自分の言葉で人々へ伝えなくてはならない。
「ヒナノ」
村長が近づいてきた。
「本当に、火山様の声が聞こえるのだな?」
「はい。でも、全部ではありません。短い言葉だけで……」
「それでも、何も分からんよりはよほどいい」
村長はレンへ顔を向ける。
「レン。お前はヒナノのそばにいろ」
「守ればいいんだな?」
「それだけではない。火山様の言葉が届いたら、ヒナノから聞いて、すぐわしへ伝えろ」
レンは折れた木槍を握り直した。
「分かった!」
「ヒナノ。聞こえた言葉だけではなく、お前がどう感じ、何を意味すると考えたのかも伝えろ。最終的な判断はこちらでする」
「はい!」
再び神器が熱を帯びた。
『……左』
『……小さい』
『……奥』
ヒナノは左側を振り返る。
柵の向こうで、小さな影がいくつも動いていた。
「左側から、小型の魔物が来ます! 避難している人たちを、もっと奥へ!」
「聞いたな、レン!」
「うん!」
レンが走り出す。
ヒナノからレンへ。
レンから村長へ。
村長から左側の見張りへ。
指示が次々に伝えられていく。
ガンゾウも村の中央で鼓を鳴らした。
「左じゃ! 左へ備えよ!」
ぽんっ、ぽんっ!
ヒナノが火山様の声を聞く。
レンが走る。
村長が人を動かし、ガンゾウが全体へ知らせる。
村人たちは火山が作った地形を利用し、押し寄せる魔物を迎え撃った。
ばらばらだった動きが、一つへまとまり始めていた。
◇ ◇ ◇
(いける)
村人たちの動きが変わった。
俺の作った岩壁の後ろへ槍を並べ、窪みへ落ちた魔物には矢を集中させている。
直接会話できるようになったわけではない。
俺の声は断片的にしかヒナノへ届かず、さらに村長の指示を経なければ全員を動かせない。
手間はかかる。
それでも昨日までとは大違いだった。
(これなら押し返せる)
正面の群れが後退する。
左右へ回り込んでいた魔物たちも、村へ近づけずに足を止めた。
その時だった。
群れの奥にある最も重い気配が、ゆっくりと動き始める。
ずん。
一歩進むだけで、ほかの魔物とは比べものにならない振動が地中へ響いた。
ずん。
その進路にいた魔物たちが、怯えるように左右へ道を空けていく。
(ようやく出てくる気になったか)
森に留まっていた親玉が、自ら村へ近づいている。
俺はすぐにヒナノへ警告を送った。
(森の奥から親玉が来る。今までの魔物より大きい!)
『……森』
『……奥』
『……大きい』
『……来る』
「森の奥から、大きな魔物が来ます!」
ヒナノの声が村へ響いた。
直後。
木々の間から、巨大な影が姿を現した。
◇ ◇ ◇
最初に見えたのは、二本の黒い角だった。
続いて、暗い赤褐色の顔が木々の間から現れる。
背丈は、人間の大人が並んでも胸元へ届くかどうか。
分厚い皮膚には古い傷がいくつも刻まれ、太い腕には、大木をそのまま削ったような棍棒が握られていた。
巨体だけなら、ただ大きく凶暴な魔物に見えたかもしれない。
だが、その両目には獣とは異なる光があった。
村の柵。
隆起した岩壁。
槍を並べる村人たち。
そして、赤く輝く神器を持つヒナノ。
巨体の魔物は、それらを一つずつ確かめるように見回した。
「あれは……」
猟師の一人が、震える声を漏らす。
「オーガだ」
その名前を聞いた瞬間、村人たちの顔から血の気が引いた。
オーガ。
人よりもはるかに大きく、頑丈で、凶暴な魔物。
武装した大人が何人も集まって、ようやく戦いになる相手。
一体で小さな集落を滅ぼしたという話も、旅人たちから聞かされている。
「嘘だろ……」
「あんなものに、勝てるわけがない」
「魔物を従えていたのは、オーガだったのか……」
オーガは村人たちの怯えを理解しているかのように、ゆっくりと棍棒を持ち上げた。
その前には、俺が隆起させた岩壁がある。
人の背丈ほどまで盛り上がり、何体もの魔物を防いできた壁だ。
オーガは両手で棍棒を握る。
そして、力任せに振り下ろした。
どごんっ!
轟音とともに、岩壁の中央へ亀裂が走る。
二度目の一撃で、亀裂が上下へ広がった。
三度目。
大きな岩塊が、村側へ崩れ落ちる。
火山が築いた壁が、正面から打ち砕かれた。
「そんな……」
誰かの手から、槍が落ちる。
乾いた音が、妙に大きく響いた。
オーガは崩れた岩壁を踏み越え、村へ向かって歩き始める。
「撃て!」
猟師たちが矢を放った。
何本かは肩や胸へ当たったが、分厚い皮膚へ浅く刺さっただけだった。
オーガは顔をしかめることさえない。
棍棒を横薙ぎに振る。
「伏せろ!」
村人たちは慌てて身を低くした。
それでも避けきれなかった男が一人、槍ごと弾き飛ばされる。
「うわあっ!」
男の体が地面を転がった。
仲間が助け起こそうとするが、オーガは意にも介さず歩き続ける。
槍を向けても止まらない。
矢を浴びても怯まない。
火山の岩壁さえ、力ずくで破壊した。
その姿が一歩近づくたび、村人たちの間から戦う意志が削られていった。
◇ ◇ ◇
(こいつ……!)
俺はオーガの足元へ熱を集中させた。
地面の温度が上がり、土に含まれていた水分が白い蒸気へ変わる。
それでも、オーガは止まらなかった。
焼けた土を踏みしめ、村人との距離を詰めていく。
(熱に強いだけじゃない)
オーガは意図的に、村人たちの間へ入り込もうとしていた。
地面を大きく隆起させれば、近くにいる人間まで巻き込んでしまう。
熱を噴き上げれば、オーガだけではなく周囲の村人も傷つける。
(俺が大きな攻撃を使えない場所を選んでるのか?)
自分の頑丈さだけを頼りに、突っ込んでいるわけではない。
俺の力を封じるため、あえて人間へ近づいている。
(ただの力馬鹿じゃないな)
オーガが低く唸った。
その声に反応し、森の中で止まっていた魔物たちが再び動き始める。
正面だけではない。
左右からも、一斉に村へ向かってきた。
親玉が姿を現したことで、崩れかけていた魔物の軍勢が勢いを取り戻している。
一方、村人たちの足音は乱れていた。
後ろへ下がる者。
避難場所へ向かおうとする者。
その場に立ち尽くし、動けなくなる者。
(まずい。気持ちが折れてる)
俺がどれだけ地面を動かしても、戦う本人たちが諦めてしまえば守り切れない。
(ヒナノ。みんなを下がらせろ)
(俺が何とかする)
神器へ強く意識を送る。
『……ヒナノ』
『……皆』
『……下がれ』
『……俺が』
だが、最後まで届かなかった。
◇ ◇ ◇
ヒナノにも、村人たちが絶望していることが分かった。
武器を落とした者がいる。
勝てないと繰り返す者がいる。
村長が何度声を張り上げても、その指示は、魔物の唸り声と人々の悲鳴に埋もれてしまう。
いつも響いていたガンゾウの鼓も、止まっていた。
「ヒナノ、奥へ行こう」
レンがヒナノの腕を掴んだ。
「ここにいたら危ない」
レンの手も震えている。
それでも、自分より先にヒナノを逃がそうとしていた。
避難場所の奥には、病み上がりの母がいる。
今すぐ戻り、そのそばへ座れば、少しは安心できるかもしれない。
けれど、オーガが村へ入れば、避難場所も安全ではない。
村の周囲には魔物がいる。
逃げ道など、どこにもなかった。
胸元の神器から、火山様の声が届いている。
皆を下がらせようとしている。
自分一人で、すべてを背負おうとしている。
「……嫌」
「ヒナノ?」
「火山様だけに、全部を任せるのは嫌」
この村は、火山様だけのものではない。
母がいる。
レンがいる。
ガンゾウがいる。
幼い頃から自分を知っている、村のみんながいる。
ここは、自分たちの村でもある。
火山様だけを戦わせ、自分たちが諦めるわけにはいかない。
神器を通じ、一つの意味が胸へ浮かんだ。
巫女。
神の声を聞き、人々へ伝える者。
ただ言葉を繰り返すだけではない。
神と人の間に立ち、両方の思いを繋ぐ者。
ヒナノは震える足で、ガンゾウの前へ歩いた。
「ガンゾウさん」
「ヒナノ……?」
「鼓を、一度だけ鳴らしてください」
ガンゾウはヒナノの顔を見つめた。
その瞳に宿る決意を感じ取ったのか、何も尋ねずに鼓を構える。
そして、両手へ力を込めた。
どんっ!
これまでで最も強い鼓の音が、村中へ響き渡った。
腹の底まで届く一打。
混乱していた村人たちが、一斉に振り返る。
その視線の先で、ヒナノは腰に下げていた薬草採りの小刀を抜いた。
「ヒナノ、何を――」
レンが止めるより早く、ヒナノは腰まで伸びた黒髪を片手で束ねる。
幼い頃から、母が何度も梳いてくれた髪。
火山へ初めて登った日も、風に揺れていた髪。
刃を当てた手が、かすかに震えた。
けれど、迷えば怖くなる。
ヒナノは大きく息を吸う。
そして、一息に小刀を引いた。
ざくっ。
切り落とされた長い黒髪が、朝の光の中を舞う。
夜露を散らしながら地面へ落ち、黒い扇のように広がった。
ヒナノの髪は顎の辺りまで短くなっている。
切り口は不揃いで、風が吹くたび短い毛先が頬を撫でた。
神器は反応していない。
火山様に命じられたわけでもない。
これは、ヒナノ自身が選んだことだった。
恐怖を断ち切るため。
絶望した人々の目を、自分へ向けるため。
守られるだけの少女ではなく、人々の前に立つ巫女になるために。
突然の断髪へ、村人たちの視線が集まった。
ヒナノは黒銀色の神器を胸元へ掲げる。
結晶の奥で、弱くなっていた赤い光が揺れた。
「私は――」
声が震える。
怖い。
オーガがこちらを見ている。
逃げたい。
母のもとへ戻りたい。
それでもヒナノは神器を握り、もう一度、大きく息を吸った。
「私は、火山の巫女ヒナノ!」
村人たちのざわめきが止まった。
「火山様は今も、私たちと一緒に戦ってくださっています!」
ヒナノは、村を囲む岩壁へ手を向ける。
「魔物の道を塞ぎ、水を届け、一晩中、私たちを守ってくださいました!」
「今も私に、お声を届けてくださっています!」
ヒナノはオーガを見据えた。
巨大な魔物を前にしても、今度は視線を逸らさない。
「私たちは、まだ生きています!」
「この村も、まだここにあります!」
恐怖が消えたわけではない。
勝てると分かっているわけでもない。
それでも、今ここで膝をつけば、守りたいものがすべて失われる。
ヒナノは神器を握る両手へ、さらに力を込めた。
「火山様の加護がある限り、私たちは負けません!」
「だから、立ってください!」
最後の言葉を、村人全員へ届ける。
「みんなで、私たちの村を守りましょう!」
一瞬の静寂が訪れた。
最初に動いたのは、レンだった。
折れた木槍を高く掲げる。
「俺は、まだ戦える!」
その声に、レンの父親が槍を拾い上げた。
「俺もだ」
ガンゾウが鼓を叩く。
ぽんっ!
「聞いたか! 火山の巫女のお言葉じゃ!」
ぽんっ、ぽんっ!
「立てる者は立て! この村は、まだ滅びておらんぞ!」
武器を落としていた男が、もう一度槍を拾う。
負傷者へ肩を貸していた者も、空いている手で石を掴んだ。
猟師たちが弓へ新しい矢をつがえる。
震えていた者同士が、互いの肩を叩いた。
村長は立ち上がった人々を見渡し、槍を掲げる。
「戦えぬ者は、負傷者と子どもを守れ!」
「動ける者は柵の内側へ並べ! 一人で飛び出すな!」
そして、火山を背に立つヒナノを一度見た。
「火山様が道を作る!」
村長は槍の穂先を、迫る魔物たちへ向ける。
「我々が、そこを守るぞ!」
「おおっ!」
村人たちの声が、朝の村へ響き渡った。
それまで乱れていた足音が、再び一つへ集まっていく。
絶望は消えていない。
ヒナノが切り落とした黒髪とともに、立ち止まる理由だけが断ち切られていた。
◇ ◇ ◇
村から、これまでとは違う感情が流れ込んできた。
恐怖は消えていない。
それでも、その奥に立ち向かう意志が生まれている。
一つではない。
ヒナノだけでもない。
村のあちこちから、小さな温かさが地脈へ染み込んでくる。
《信仰値:増加》
《複数の信仰を確認》
神器を通じ、ヒナノの決意が伝わってきた。
彼女が何を言ったのか、すべて聞こえたわけではない。
それでも村人たちを立ち上がらせたことだけは、足音の変化ではっきり分かった。
(よく言った、ヒナノ)
(いや、本当にすごいな)
声を届けてくれと頼んだ。
けれど、村人の心まで立ち上がらせろとは言っていない。
そこまでしたのは、ヒナノ自身だ。
(なら、こっちも任せろ)
俺は神器へ意識を送り込んだ。
『……ヒナノ』
『……任せろ』
ヒナノから、迷いのない返事が届く。
「はい、火山様」
そのやり取りに気づいたかのように、オーガが顔を上げた。
両目が、村の中央に立つヒナノを捉える。
村人たちを再び立ち上がらせた者。
火山の声を伝える者。
オーガの喉から、低い唸り声が漏れた。
(ヒナノを狙う気か)
オーガが一歩踏み出す。
村人たちが槍を並べ、進路を塞いだ。
「通すな!」
「巫女様へ近づけるな!」
誰かが初めて、ヒナノをそう呼んだ。
何本もの槍が、オーガへ突き出される。
だがオーガは、巨大な棍棒を横へ振るだけで、槍をまとめて弾き飛ばした。
村人たちが地面へ倒れる。
オーガは止まらない。
一直線にヒナノへ向かってくる。
(ヒナノ、逃げろ!)
『……ヒナノ』
『……逃げろ』
「嫌です」
(いや、そこは逃げてくれよ!)
ヒナノは小さく首を振った。
その隣へ、レンが立つ。
「俺も残る」
「レンまで……」
「お前一人だけ置いていけるわけないだろ」
折れた木槍を両手で構える。
その足は震えていた。
それでも、ヒナノの前から動かない。
オーガが棍棒を振り上げた。
あれが落ちれば、ヒナノもレンもまとめて押し潰される。
(障壁で止められるか?)
神器の力は、先ほど一度使ったばかりだ。
ヒナノも消耗している。
だが、村人たちから生まれた温かな力が、地脈を通じて黒銀色の神器へ流れ込み始めていた。
弱くなっていた赤い光が、再び強く脈打つ。
(ヒナノ。一瞬でいい)
(あいつを、その場所へ止めてくれ)
『……一瞬』
『……止めろ』
ヒナノが神器を両手で握った。
「一瞬だけなら、止めます」
レンがヒナノの横へ並ぶ。
「その後は、俺が引っ張る」
オーガが棍棒を振り下ろした。
ヒナノは神器を掲げる。
「お願い!」
赤い光が一気に広がった。
家の両開き戸ほどの大きさを持つ、半透明の障壁。
その表面には、冷えて固まった溶岩のような黒い筋が走っている。
直後、巨大な棍棒が障壁へ叩きつけられた。
どおん!
衝撃が村全体を震わせる。
「うっ……!」
ヒナノの両足が地面へ沈んだ。
障壁の中央から、蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていく。
一度目とは比べものにならない力だった。
赤い光が少しずつ剥がれ落ち、火の粉となって消えていく。
それでも障壁は、すぐには砕けない。
オーガは棍棒へさらに力を込め、障壁ごとヒナノを押し潰そうとした。
両足が止まる。
棍棒を振り下ろすため、巨体が前へ傾く。
顔の位置が下がった。
(そこだ)
俺はオーガの左側へ意識を集中させる。
地面のすぐ下にある岩へ熱を送り込み、内部の圧力を高めた。
大きな噴火は必要ない。
村人を巻き込まない、一点だけを狙う。
これまで洞窟を広げるために培ってきた、細かな岩の操作。
温める。
亀裂を作る。
押し上げる。
岩盤の一部が細長く伸び、黒曜石のように鋭く尖っていく。
(ヒナノ、今だ!)
『……今』
『……下がれ』
「レン!」
「分かってる!」
レンがヒナノの腰へ腕を回し、後ろへ引いた。
二人が離れた瞬間、赤い障壁が砕け散る。
棍棒が地面へ叩きつけられ、土と石が激しく飛び散った。
その轟音へ重なるように。
オーガの左側から、鋭い岩の槍が噴き上がった。
オーガが顔を上げる。
だが、遅い。
岩の尖端が、その左目を捉えた。
鈍い衝撃音が響く。
オーガの巨体が大きくのけぞった。
「グオオオオオオオッ!」
これまでとは比べものにならない咆哮が、村と森を震わせる。
オーガは左目を押さえ、数歩後ろへよろめいた。
頬を暗い血が伝い、地面へ落ちる。
再び手を離した時。
そこにあった黄色い光は、消えていた。
左目は、完全に潰れている。
(届いた)
村を滅ぼすと恐れられたオーガが、初めて明確な傷を負った。
初めて、村人たちの前から一歩下がった。
「やった……」
「オーガが下がったぞ!」
「火山様が傷を負わせた!」
村人たちの間から、歓声が上がる。
だが、オーガは逃げなかった。
左目から血を流しながら、ゆっくりと棍棒を握り直す。
残った右目が、ヒナノを捉えた。
次に、その背後にそびえる火山へ向けられる。
あの目は、ただ怒っているだけではない。
覚えている。
自分の軍勢を阻んだ山を。
絶望していた村人たちを立ち上がらせた巫女を。
自分の左目を奪った、この場所を。
オーガが再び咆哮した。
森に残っていた魔物たちが、それに応えるように一斉に唸る。
戦いは、まだ終わっていない。
「ヒナノ、立てるか?」
レンに支えられながら、ヒナノは震える足へ力を込めた。
神器の光は、今にも消えそうなほど弱くなっている。
短くなった黒髪が、熱を帯びた朝風に揺れた。
それでもヒナノは、片目を失ったオーガから視線を逸らさない。
「立てるよ」
ヒナノの後ろでは、村人たちが再び槍を構えていた。
もう、誰も武器を落としていない。
「ここから、反撃です」
朝日の下。
片目を失ったオーガと、火山の巫女を中心に立ち上がった村人たちが、再び向かい合った。
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